09:1 - ある老婆の昔話にて
「さぁて、どこから話せばいいかしらね……私が生まれた時代には、というかいつの時代にも需要がなくならない職業っていうのがあるの。たとえそこが内戦だとか恐慌に陥ってもいつだってなれる職業……何かお分かりになって?」
ミセス・ラトナは最上階に続くエレベーターへと乗り込みながらそんな質問を俺たちに投げかけた。乗り込んだ途端に滑らかに上昇していくガラス張りのエレベーターの壁がきらびやかな照明の光を反射するその向こうで、ホステスたちは先ほどと同じく慌ただしく駆け回っている。やはり見間違いなどではなく、どうも彼女らは臨戦態勢の渦中にあった。
「い、いや……急にクイズですか?」
「興味ねェな、勿体ぶらんでいいからチャチャっと話進めろや」
俺は少し慌てて、ケンゴははっきりと苛立ちを口にする。そういや、俺がこういうツッコミを言おうか言うまいか迷ってやめたときほど、俺とほぼ同時にケンゴが遠慮なくツッコミを入れている気がする。要するに俺とコイツはほぼ同じ思考回路ってことなんだろうか。やっぱ俺もバカ枠なのか。
「おいケンゴてめぇ、いつまで取引先にンなクチ聞いてんだ! いい加減敬語覚えろっつってんだろ!」
そしてタチバナがケンゴに口角から唾を飛ばしそうな勢いで叱りつける。それを見つつミセス・ラトナは苦笑気味に、そしてやや自嘲気味に呟いた。
「いいんですのよ、先ほど言った通りあまり叱らないでやってくださいまし。……それで、こんなババアの戯言に相手してくださる人はいらっしゃらないようね。まぁ仕方な——
「お、お婆ちゃん! し、質問の答えなんだけどさ、それってメカニックのこと? 実はアタシもそうなんだけど……」
ここでやや遅れてラッシュが口を挟む。つとめて明るく話そうとしているが、しどろもどろなのはモロバレだ。しかしミセス・ラトナは途端に顔をほころばせた。
ちょうどそのタイミングで目的の最上階についたことを知らせるベルが鳴って、乗り込んできた方のエレベーターの扉がスルスルと開く。ガラスの壁とは逆方向が開くと、弾かれたように廊下を小走りで駆けていくホステスたちの背中が見えた。
「あら、あなたは優しいのね。顔も整ってるし気遣いもできるなんて随分と気立ての良い子だわ! でもその答えは間違い、例えば千年前はまだ機械なんてどこにでもあるようなものじゃなかったはずだもの。正解は——
「娼婦」
今度は今までだんまりを貫いていたベイファンがぶっきらぼうに言う。どうやらこういう時にまで恥じらいもクソもないらしい……というよりは、人体を診る医者ならではの職業病といった方が正しいのかもしれない。とはいえ男としては、こんなにも恥じらいがないのは女としてやっぱりこう、扱いに困るというか。
ミセス・ラトナに率いられて俺は絨毯の敷き詰められた豪華な廊下を進んでいく。向かう先は廊下の先にあるあのやたらデカい扉の向こうらしい。
「あら正解。あなたたち二人とも相手してくれるのね、嬉しいわ。マダム・バタフライの女の子として来てほしいくらい!」
「遠慮します」
また短くぶっきらぼうにベイファンは断りを入れる。こうも即座に返されては二の句を継ぐ隙すらも感じさせない。ミセス・ラトナもあまりの対応に勧誘を諦めたようだった。
「残念、素気無いこと。それよりも話の続きね。そう、有史以来……それこそ人間が男と女の存在を自覚したころからある最古の職業、娼婦よ。なんて言ったら怒る人もいるかもね? でもそれは事実なんだから仕方ないわよね。そして、私の若いころの職業もそうだった」
ここで扉の前までたどり着いたミセス・ラトナは俺たちを扉のワキにどかして通り道の邪魔にならないようにしたいようだったようだ。相変わらず例の部屋は出入りが激しいようだったし、中も騒がしいみたいだから当然っちゃ当然か。
「ンだよ昔話かよ、それがどーしたってんだ」
「オラいい加減に——
ケンゴは聞きたい話になかなか辿り着かないことにイライラしているようだ。即座にタチバナが口を開いて制止しようとする、が。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて! 私の昔話から入るのが一番手っ取り早いんですのよ。ちょっとだけ付き合って下さいまし。というのもねぇ、私が相手にしていたお客たちにはある特徴があったの。それはみんなお金持ちだったってこと」
「お客は金持ち……つまりお婆ちゃんは昔そんだけ美人だったってこと?」
怒声をさらに制するようにミセス・ラトナが声をかぶせて、続く彼女の言葉にラッシュは無邪気な質問を返した。そういえばラッシュはさっきからずっとホステス用のあの露出の多いドレスを着たままだがもう慣れてしまったのか、さっきの顔を真っ赤にしていた様子はどこへやら、今では笑顔で平然と水商売の世界の話をしている。つくづく慣れというのは恐ろしい。
一方のミセス・ラトナが笑顔で答えた。
「そうね、自分で言うのもなんだけどかなりの美人だったの。今じゃ見る影もないけれど、それこそ通りを歩けば軍の将校から政治家に至るまで、男たちが人だかり作ってたものだわ。あら、話の本筋でしたわね、ごめんなさい?」
老婦人は楽しそうに微笑んでからイタズラっぽくこちらに謝る。まだ話の真意が見えてこないが。
防音性能が高い扉なのか、部屋内部からの物音は全く聞こえてこない。多分よっぽど扉が分厚いか重いのだろう。そもそもそんな扉がこんな場所にあるのは明らかにそぐわないような気もするし、ある意味ではこういう場所にこそうってつけな気もする。しかし何にしても、中へ入っていくホステスの数と表情が“こういう”場所とはあまりに食い違っているのが気になるが。
ミセス・ラトナの話はまだまだ続く。
「さて、そんなお客ばっかり相手にしてる女はどうなると思う? ……それはありとあらゆる秘密を握ることができるの。なんせ男が一番油断する瞬間に目の前にいる一番油断する相手が私だったんだもの、色んな秘密を知ることができたというわけ。つまりお客の本当の顔……年齢・趣味・仕事場・健康状態・財産・失敗・醜聞・謀略・軍事機密」
……ようやくミセス・ラトナが何を言いたいかわかってきた気がする。彼女の声が一段と低くなったのがたぶんポイント。内緒話でもするかみたいに、あるいは怪談のクライマックスだろうか。




