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01:1 - 成層圏にて

エンジンストール(engine stall)

:操縦者の意思とは関係なく、動力機関であるエンジンが停止ストールすることであり、いわゆる「エンスト」のこと。MTマニュアル車特有の現象と思われがちだがATオートマチック車でも起こる。

『我々のお願いは一つ、「カネを返せ」それだけです。それと、ムダになった督促状(とくそくじょう)一通であっても我々の損害ですのでそちらもしっかり請求させて戴きます』




 青い朝陽を見慣れたのは火星に渡って一週間くらい経った頃のことだ。二八世紀の半ば……西暦にして二七四五年なんて時代になっても、火星の朝陽・夕陽が青いという事実を知らないヤツは割と多い。

 つってもまぁ、それは今や火星でも“ここいらへん”でしか通じない話だから無理もないか。他じゃとっくに惑星緑化も進んじまってるし。それに青い朝陽っつっても、言葉通りの“強烈なブルーの強い光が……”とかそういう景観ですらなくて、このへん特有の褐色の土埃で濁った空に浮かぶただ青っぽいだけの提灯(ちょうちん)みたいな光る球体でしかない。火星の大気中にただよう赤褐色の塵が赤い光を反射してしまうことでどうたらこうたら……とかちゃんとした原理があった気がするが。まぁ、興味も湧かないし至極どうでもいい。要は慣れの問題というヤツ。


 まして、高度二万メートル弱で生まれて初めて一隻だけで数十メートル規模・計七隻ものヤクザ趣味な黒塗りの宇宙船(クラフト)に取り囲まれている今の状況では朝陽の色がどうだとか気にしてられないのも当たり前だ。

 外観こそウチの方が若干大きいとはいえ、集団になられるとさすがに威圧感では負ける。宇宙船(クラフト)の外装部に取り付けられた重力制御機関が放つ青い光と蝿が飛ぶような低い駆動音が、この状況から抜け出せないでいる苛立ちを余計に煽っていた。

 記念すべき誕生日当日の人生初サバイバルレースの出走直前にこれだ、我ながら幸先が悪いと言える。つーか最悪だ。




『困るんですよねェ、我々が貴方にご融資したのは“必ずカネを返す”という保証があったからです。それを何の連絡もなしに“ご旅行”なんてされたんじゃ、ウチとしても商売上がったりなんですよ。……それも南国とかに飛ぶんならまだしも火星って! 今のご時世、クラフトの燃料代も馬鹿にならないんですから』




 いかにも慇懃無礼、という感じの男の呆れ声が通信機から響く。

 このあからさまな火星へのディスりはたぶん逃亡失敗した俺への煽りだろう。“逃げ切ったつもりでもそうはいくか”という具合に。息の荒さからみて犬人種(ドッグブリード)だろうか。遺伝子レベルで犬が混ざってんだから無理もないが、さっきから合間合間の吐息でゼーハーうるさい。その上、微妙に周りくどい話し方が実にヤクザだ。



 そんな台詞にげんなりする俺を他所に、俺たちの一団の周りは確か全五〇組近く・総数三〇〇機はくだらないクラフトでごった返していた。青く濁った空、上空二万メートルに集まった船、船、船。


 飛び交う機体はデザインも機体数もチーム毎に様々だ。楕円型や流線型の石鹸みたいな形だったり、チームで全機正八面体の形に統一されてたり、派手なネオンででかでかと飾り付けたビルが飛んでるような見た目だったり。カラーで言っても銀に黒に白だったり、中には真っ赤だったり戦闘機の翼とかにあるみたいなグラフィティっぽいイラストや顔マークみたいのが描いてあったりと、どれもこれもサイズ・形状・方向性からしてまるで違う。そんなバリエーションで総数三〇〇機以上なワケで、火星の成層圏に新宿の反重力繁華街をそのまま引っ張ってきたみたいな混沌とした様子だ。

 しかし皆一様に、眼下に広がる赤褐色の大地へと乗り込む『その瞬間』を今か今かと待ちかねていた。……というかあのネオン看板は一体何なんだろうか。輝く文字列は“マダムなんちゃら”とか書かれている……いやキャバクラか何かかよ、あれ絶対レースに関係ないだろ。



「前置きはいいから要件を早く言ってくれ、レースが始まっちまう」


 苛立ちを噛み殺しながら俺は通信機のマイクへと正直に毒づいた。

 クソッ、あと少しで逃げ切れたってのに。


『いいでしょう、手短に言います。我々のカネをこんな利益が出るかもわからないレースに使うことは認められない』


「賞金いくらだと思ってんだ、つかたかだか闇金が一債務者のカネの使い道の心配かよ」


『……いい加減にして戴きたい。あなたが優勝する保証はないとか以前の問題です。あれほどの額をウチ……いや、“我々”から借りておいて、何の担保(アテ)もないまま「ハイ、サヨナラ」で済むワケないでしょう? それに、そもそもこのレースに完走者が——ジジっ…………間も無くスタートです、レースに出場しないクラフトはスタートゾーンから急いで離脱してください。カウントダウン開始します、五分前』




 場内アナウンスが通信へと強制的に割り込む形で各船に告げられる。

 同時に、周囲には舌先がヒリつくような緊張感が広がり出した。誰も彼も手持ち無沙汰なのがひしひしと伝わってくるが、どいつもこいつも明らかに俺たちからは一定の距離を保って飛んでいる。まぁ、こんな人……いや“船”混みのド真ん中で何やら揉めている集団に出くわしたら明らかに邪魔か。




『……そもそもこのレースに完走者が出るとは到底思えません。あとあなたが勝てないのはどうでもいいですが、リタイアすら存在しないこのレースで、ロクに残ってないあなたの現在の資産であるその船が回収できなくなるのなら話は別です。これはカネになる……というより、これしかカネにならない』


 割り込まれた部分からわざわざ言い直してまで、通信機の向こうの慇懃無礼男(仮)は台本感丸出しの台詞を長々と続けてくる。絶対ワザとだ。こっちに時間がないことを理解した上で、明らかに嫌がらせしてきている。




「おい、それってウチのチームには勝ち目ねーって思ってるってことだよな? 確かに単機で出場してるのはかなり少数派らしいけどよ、でもサバイバルレースじゃ少人数にも分がある。“少数精鋭”ってヤツだ、ランニングコスト少なくて済むのは充分強みだろ」


 そうは言っても、こんな状況を切り抜ける術を知るほど人生経験が豊かではない。同年代よりは色々経験してきたという程度だ。今のセリフはどう考えても手早さとは真逆の対応だが、そう分かっててもしらばっくれる以外の方法は持っていなかった。


『そういう話ではありません。話はもっと単純で、“死にそうになる前に借りた金を返してほしい”、これだけです。借りたものを返すことに人種なんて関係ないでしょう? あなたが純人(ネイキッド)至上主義者であろうがなかろうが些末な問題だ』


「は、何でそんな方向に話が飛ぶんだよ。ってことはアンタ亜人種(デミ)の……犬人種(いぬ)か何かか? けど、うちのクルーにも亜人種(デミ)くらいいる。大体、“そういう”人種が出てきて何百年経つと思ってんだ。今どき——


『……あー…………っるッせェな‼︎‼︎‼︎ テメェこれから乗り込む場所がどこか分かってんのか、人類未踏領域(エリア・ニュクス)だぞ。この期に及んでみすみす高飛びなんてさせるワケねェだろ‼︎ それとも何か、自分から落とし前つけたいってか⁉︎ 火星の余所じゃ地球の植物使って緑化されてるっつってもこの下は荒野と砂漠だ、こんなとこに空から投げ出されたらクソ寒ィだろなぁ⁉︎』




 今コイツが言った“エリア・ニュクス”こそが今回の舞台の名前だ。

 妙な名前は気にしないで欲しい。ギリシャ神話がどうだとか聞いた覚えがあるが、見ての通り俺はそういうのに興味はない。重要なのは漢字表記の『人類未踏』という字面の通り「誰も辿り着けない」ということだ。……つっても今はそんなことより目の前の問題、いい加減焦れてきたらしい慇懃無礼男(仮)は慇懃さをかなぐり捨てることにしたらしい。示し合わせたように、ウチのクラフト——五〇メートル級という宇宙船(クラフト)としては中型サイズのアリアドネ号、それを取り囲む七隻の黒塗りクラフトの内のリーダー格っぽい真正面の一隻を除いた六隻がジリジリと距離を詰めてきた。


 通信相手の無礼男(仮)の怒鳴り声の音量がやたらと跳ね上がったあたり見立ては正解な気がする。警察、そしてヤクザにも多い人種として有名だ。

 ついでにこうやって急に怒鳴って相手に揺さぶりをかけるのもヤクザがよくやる手と聞いたことはあるが……ただ、今これを始められるのは些かマズい気がする。ヤクザが一度でもこうなると、こちらが折れない限りは話が短くならないだろう。最初のインテリヤクザ風が見る影もなかった。




「悪いんだが時間——


『都合よく逃げようとしてんじゃねェよ、ぶっ殺してでも払わせんぞ。ケツ割ろうったってそうはいくか』


「な、なぁ、急いで離脱してくれ! でないとアンタまで高飛びしたことにされちまうぞ⁉︎」


『はぁ⁉︎ 何ワケわかんねェこと言ってんだ。つかまだ話は終わってねェ、大体テメェ——


「急がねーとアンタもレース参加者として扱われちまうんだよ! 今のアンタらは参加者にしか見えねーよ!」


『だからそもそも出場させねェっつってんだろ‼︎』


「お、オイもしかしてアンタ知らねーのか⁉︎ あんな、このレースではスタート空域一帯にいるクラフト全機の電源を強制的に落と——





『ジジっ……十秒前……五、四、三、二、一、フォール‼︎‼︎‼︎ ヘリオス・キャノンボール、開幕です‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』





 号令と同時に通信機からスタートシグナルが盛大に鳴り響き、その直後にクラフトのエンジンが問答無用で"停止"する感触が足に伝わってくる。


 若干の違和感が残るのは分かるが、こうやってレースの舞台となる未開地の遥か上空から「墜落する」のがこのレースのスタートなのだ。そして、こんな妙な手段に頼らないと侵入することもできないこの地の秘密をいち早く解明し、真っ先にここから脱出することがこのレースの大まかな目的となる。


 あの反応から見るに、無礼男(仮)はこのレースの段取り云々を確認していなかったらしい。まぁ、地球でヤクザやってるんじゃ火星で開かれるレース事情のどうこうを把握しろってことの方が無理があるか。

 アイツが乗っていると思しきヤクザのクラフト一機が待ってくれとばかりに一瞬飛び出そうとしたが、たかだか十秒未満ではさしものクラフトの出力を持ってしても空域単位で作動する強制広域信号から逃れられようもない。恐らく部下が操作しているであろう他の六機は諦めたようにその場で力なく墜落を開始している。アリアドネ号ももちろん一緒だ。



 火星の朝陽は今日も、不気味に、そしてどこか呑気に青い。

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