写真の少女
「うぅ…すみません、ほんとっ、すみません」
情けなくも号泣の魔術師、ディベア・ノックマン。同い年ではあるが、彼はまだ魔術師になって一年。アベリアよりも短い。因みに直属ではないのだが、以前に任務を共にしてから何だかんだ関わりのある魔術師だ。愛称として、テディと呼んでいたりもする。
「一体何が…?」
「あーこれ?ちょっとアベリアも手伝ってくれない?」
何やら、運んできた書類を渡そうとして、バランスを崩してそのままノアに…というわけらしい。無闇に動いて大事な書類を踏んでもいけないし、泣きじゃくって濡らされても困るわけだ。広範囲に散らばった白い紙に、アベリアは絶句するしかなかった。
ノアもせめて杖さえ手に取れれば良かったが、何故か机の上に放り置かれている。
「足の踏み場無いじゃないですか…それに杖手放さないでくださいよ…」
「杖の手入れをしようと思ってたんだよ」
アベリアは机上の杖を浮遊させ、ノアの手元に動かす。そして、書類を卓の上へと移動させ、積み上げていく。
「ん?これって…」
一枚の紙がはらりと落ちた。盗撮のように見える画角から撮られた写真に見える。アベリアより少し幼く見える少女だった。雪のように白い髪は繊細で、溶け込むように淡い紫の瞳は何かを想うようにどこか熱を持っていた。
「うわぁ、良くないですよ…いくら顔が良くても…」
「アベリアちゃん何ですか?その写真。…まさか、アイビーさんって幼女しゅ」
「は?ちょっと待ってよ、何の写真?」
ディベアの言葉を遮るように声を上げ、大股で近付いて来た。それにしても、さっきまでノアに対しての罪悪感で泣いていた人間には思えない発言である。強引にアベリアから写真を奪うと、あぁそういえばと思い出したように呟いた。
「…彼女はユリアーナ・ルティエット嬢だよ。少し前にルティエット伯爵の娘を助けてね。未だに善意で娘の成長を写真で知らせてくれているんだけど、最近はやたら空を眺めて惚けるのだと。どうやら魔術師棟に憧れの人間がいるらしい」
引き出しから分厚い封筒を取り出して、中身を机に広げる。幼児の写真から十歳と書かれた女の子の写真まで、約五年間分の写真である。
「あれ、ノアさん直属になったの何年前ですか?」
「四年前だよ。アベリアと違って俺には一般魔術師の時代があったんだから。…彼女を助けられたのも、奇跡のようなものだよ。あの頃は今では考えられないくらいに弱かったからね」
指の腹でそっと写真を撫でる。二人は想像も出来なかった。ノアはアベリアの倍ある魔術師歴六年であるが、ディベアもアベリアも、直属である強い彼しか知らない。当然、六年間の殆どは凄腕の魔術師だったのだろうと想像するだろう。
一般魔術師と、王家直属魔術師。この差は思うより大きい。実力の幅は広いのだが、一般魔術師の上位に居ても、まだまだ直属には届かない。
ノアが言う程に弱かったというならば、僅か二年でここまで上り詰めるのはほぼ不可能なのだ。
アベリアの経験上、ノアは自分を卑下するような人間ではない。自分の実力も的確に把握し、物事を客観的に見れる人間だ。
つまり彼は、ほぼ不可能なことを成し遂げたというわけである。
「ねぇ、この憧れの人って誰だと思う?」
「…」
話を戻すようなその問いかけに、ディベアを見る。首を横に振り、彼もアベリアを見て小首を傾げた。それに対してアベリアが首を振る。
なんとなく無言で会話が始まり、そして終わる。二人は同時にノアに視線を戻した。
「…それがね、アベリアなんだってさ」
「…え?」
アベリアはユリアーナと面識は無い。憧れを抱かれるようなことをした覚えもない。もう一度写真を手に取ると、じっと少女を見る。
「ユリアーナ・ルティエット嬢…やっぱり知りませんね」
「ていうか、それならアベリアちゃんにも写真送ってきたりしないんですか?」
だが実際に送られてきたことはない。
ノアに律儀に送るくらいなら、アピールしたい相手に送らないだろうか。
「いやそれが、本人がアベリアには絶対送るなって言ってるみたいで」
「え、どうして?」
「照れ隠しに決まってるじゃないですか」
「そんなもの?」
「そんなものです」
「何でアベリアはノックマンに乙女心を説かれてるのさ」
「何故でしょう」
アベリアがむむっと眉を寄せると、ディベアは肩に手を乗せ頷いた。
「そんなものです」
「そんなものか…」
「…ま、いつか会ってあげなよ」
「そうですね、お望みであればすぐに伺いますよ」
・・・
「ノアさま?わたくしが言いたいことはもうお分かり?」
「…えぇ、」
目の前の小さな少女は腕を組んでノアを見下ろす。手入れの行き届いた銀の髪と、幼さを感じさせる丸い紫の瞳。繊細なレースのあしらわれたこの白いワンピースは、背伸びをしているようにも見えた。そういうお年頃である。
「貴方がお父さまにお話ししている内容は筒抜けなんだから!」
あれから数日が経ち、彼女の父ルティエット伯爵と世間話をしていたところ、つい口を滑らせてしまったのだ。ドアは重く分厚い。聞き耳も立てられないだろう。考えられるのは控えている侍女と手を組んでいた、といったところか。
「申し訳ありません、ユリアーナ嬢の可愛らしい写真を見られてしまったもので…ですがアベリアも、貴女が望まれるのなら是非会いたいそうですよ」
「なっ、そんなの…!そんなのっ、!」
顔を火照らせて、ぱたぱたと人形片手に部屋を出ていったかと思えば、ドアの隙間から顔を覗かせ、
「…あとで、お覚悟なさい」
そう告げて行った。
数分後に戻ってきたユリアーナは、手に櫛と組み紐を持っていた。ノアはもう慣れた光景である。お仕置きという名の練習台だ。
「ユリアーナ嬢、俺の髪を弄るのお好きなのですか?」
されるがままにじっとしたまま問うと、ユリアーナはくしゃりと髪を握る。
「…将来、侍女になって、アベリア・ティアード様に旦那さまが出来たとき、ご夫婦で対になるよう わたくしが結って差し上げるの」
いや、平民だから。アベリアが貴族と結婚でもしない限りは側仕えなんて雇わないから。
世間知らずの箱入り娘にはそんなこと分からない。ノアは喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。