アベリア・ティアード
無駄な物を置かない無機質な部屋。時計の秒針の音だけが響いている。
まだ日も昇らぬ早朝、ベッドから起き上がると身支度を始めた。白いシャツに、ワインレッドのスカート、そして黒く短いケープ。
王家直属魔術師。
名の通り、魔術師の中でも王家に仕える限られた者のことである。王家への忠誠と信用、実力のある者がまた厳選された、謂わばエリートだ。直属と短く呼ばれることが多い。
その証として、直属は仕事に関する持ち物や衣服に金の複雑な模様が刻まれている。蔦を模したような、魔法を発動させたときの散る光のような、そんな模様だ。
王居の敷地内に配置された騎士棟と隣接している魔術師棟。アベリアはそこに毎日出勤する。刺繍が施された衣服は、そのための制服のようなものだ。
金糸には特別な魔術式が組み込まれているため、偽物かどうかは直ぐに判別できる。そして持ち主の元からは意思が伴わない限りは離れないようになっている。便利なものだ。
鞄を抱えて外に出ると、鍵を閉めて足を踏み出す。チェスナットブラウンのブーツは、煉瓦道を進む度にコツコツと音を鳴らした。
「まぁ、アベリアちゃん!行ってらっしゃい、お仕事頑張ってね!」
「行ってきます、マチルダさんもお店頑張ってくださいね!」
朝から野菜を売っている女性には、いつも良くしてもらっていた。一人暮らしの子供を放っておけず、今では第二の母のような存在になっている。アベリアはもう子供では無い。だから、マチルダに恩を返すという意味でも、街を守るために仕事を頑張るのだ。
辺りを見渡すと、段々と開店準備を始める店が増えてきていた。
アベリアは街の通りの家に住んでいる。外れに住んで、万が一強盗でも来ようものなら、子供のアベリアは敵わなかったからだ。
・・・
魔術師棟の光の差し込む大きな窓は、廊下を照らす。洗練された廊下には汚れ一つ無い。突き当たりの大きなドアを三度ノックし、開ける。
「おはようございます」
「やぁ、おはよう」
アベリアの方を向いて挨拶を返したのは、彼女の上司、ノア・アイビーである。黒くさらりとした短い髪は、毛先にかけて色素が薄くなっている。瞳は透明感のある碧色だ。そんな美貌に加え、王家直属魔術師ともなれば、女性人間を掻っ攫うことは当然のことだった。
ノアには黒いシャツのボタンの間に刺繍が施されている。すらりとした身体が際立つシャツは大変に似合っている。だが…
「ノアさん…」
「ん、何?」
「いや、何してるんですか」
アベリアが見た光景は、書類に埋もれるノアと、泣きながら額を地面に擦り付ける知り合いの姿だった。