第3話 喫茶店
4.
「――今の話はどういうこと?銀河鉄道って?」
僕は丘を下りながら、前を歩く胡桃に尋ねた。
「彼女はうさぎさんだから、お月様が自分の本当の居場所だと信じ込んでいるんす。だからそのうち銀河鉄道が来て、自分を月に連れてってくれると思っているんすよ」
「へえ。素敵な話じゃないか。で、それはいつ来るの?」
「来るわけないじゃないっすか、そんなの。銀河鉄道が来るなんてファンタジーもいいとこっすよ」
胡桃は不機嫌そうに言い捨てた。
「おい、まて。この世界の基準がわからないぞ。どこまでがアリで、どこまでがナシなんだよ!」
ついに僕は辛抱たまらなくなって叫んだ。
「はあ?月まで走る列車なんてあると思っているんすか?頭、大丈夫っすか?」
胡桃はこちらをちらりとだけ見ると、また前に向き直り、不機嫌に答えた。
「なんだ?僕が悪いのか?よし、こいよ。決闘だ」
「まあ昔はこの世界にも宇宙船なんてのがありましたがね」
「・・・おい、無視か?」
胡桃はその通り、僕の言葉を無視して話し続ける。
「彼女は、この町に馴染めてないんすよ。以前から変わり者扱いされていましたからね。だからあーして現実から逃避しているんす。わざわざあの丘に家を建てて、十年間も」
「十年・・・」
僕は彼女が銀河鉄道を信じて待っている十年という時間を想像する、つもりがまるで出来なかった。高校生の僕にとって十年というのは途方もない時間だ。
「ある意味、一途で健気な話っすよ。でもそのせいで周りからは更に変人扱いっす」
胡桃は淡々と話し続ける。
「でも、とってもいい子なんすよ。性格も優しくて、おっとりしていて。この町の人達にはない魅力を持っている子です」
胡桃は、今度はきちんと僕の目を見て、力強い口調で言った。しかし、すぐにその目を逸らして地面を見つめる。
「ただ、あの子の場合は、この世界が肌に合わないんすよ」
どうやら胡桃はザルアネリを心配しているようだ。それも、かなり。
「まあ、それでも何とか自分の理想に折り合いをつけて生きていくのは、どの世界でも一緒なんですがねえ。彼女は不器用なんすね」
そんなもんか、と僕は思いながら黙って頷く。胡桃はそんな僕を見て少し哀しそうな目をした。
5.
「――さあ、着きやしたよ」
店の入り口を開けると、ドアについたベルが鳴った。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から、店主らしき羊が声を掛けてきた。
その羊は大人のお姉さんのようなアダルティな雰囲気を纏っていて、人間の僕でも美しいと思うほどだった。
「どーもっす」
胡桃は軽く会釈してカウンター席に座る。
「あら、この方が例のこの世界の創造主様かしら?」
羊が僕を見てそんなことを言った。
「そうでござんす」
胡桃が簡単に返す。
「そう。つまり胡桃ちゃんの特別な人なのですね」
羊は優しく微笑んだ。
「その話はいいっす」
胡桃は話を変えるように僕に向き直った。
「この人はモネラムさんっす。この店の主ですよ」
胡桃からモネラムと紹介された羊のお姉さんは、僕に丁寧にお辞儀をしてくれた。僕も慌ててお辞儀を返す。
「モネラムさんは胡桃の仕事について理解しているんですか?」
僕がそう尋ねると、モネラムさんは静かに頷いた。
「ええ。もちろん。この子とは長い付き合いですから。お互いに悩み相談なんかもする仲なのです。そんなことを聞くということは、貴方はあまり胡桃ちゃんの仕事を理解していないのかしら?」
「はい、いまいち。というか、まったく」
僕は正直に答える。僕の横で胡桃がわざとらしくため息をついた。
「そうだわねえ」
モネラムさんはそう呟くと、少し考えるかのように時間を置いた。そして、こほんと小さく咳払いをすると、ようやく話を始めた。
「世界が様々な可能性によって何十、何百、何万に分かれ、それぞれが独立して存在しているとします」
モネラムさんはそう言って僕の反応をうかがう。
僕が黙って頷くと、優しく微笑んでまた話し始める。
「それぞれの世界は一人の個体の存在に対して、一つだけしか与えられないものです。それが俗にいう人生というやつですね」
ふむ、と僕はもっともらしく相づちを打つ。
「しかし、稀にそれらの世界は特定の個体の行動によってその存在を大きく変えてしまうことがあるのです。そして、なぜか胡桃は、その様々な可能性によって生まれ、分かれ、独立した世界を自由に行き来できてしまうのです」
モネラムさんが話し続ける中、胡桃は黙って煙草を吸い、怪しく光る飲み物をすすっている。僕はそんな胡桃の姿(というかその飲み物)を横目で見つつも、モネラムさんの話を真剣に聞く。
「例えば。貴方はいつもの帰り道を少し変えてみます。そして、そのいつもとは違う道を歩いていたら、貴方は石につまずいて転んでしまった。いつも通りの道で帰っていれば、貴方は転ばなかったはずですよね?」
「まあ、そうなりますよね」
「つまりそれは、その時の小さな気まぐれによって、自分の世界が転ばないものから、転ぶものへと変わってしまったといえるわけですね」
なるへそ、と僕はあいづちをうつ。
しかし、そうなると分かれた世界って途方もない数になるんじゃないか?
「まあ大抵の人はその程度の違いしかないので、あっしの及ぶところではないんすけどね」
そこで胡桃が煙草の火を消し、話に加わってきた。しかし、ピンクの煙に包まれてその顔は見えない。胡桃のシルエットだけ見えているが、まるでお化けのように見える。
「なるほど。世界の変化には大なり小なりあるわけで、胡桃は大にしか干渉しないわけか」
僕はそのピンクおばけに向かって話しかける。
「そうっす。あっしは自分の行動によって、世界の大きな転換を迎えることができたはずの人のところにしか行けないんす」
ピンクの煙に包まれた胡桃のシルエットは、そう言って肩をすくめて見せた。
じゃあ、その一つの例が僕ってことか。
確かに、右手で頭を掻くはずだったのを、気まぐれによって左手で掻いてみた、というだけで新しい平行世界が出来てしまったらとんでもないことになりそうだ。
「そうなんす。でもあなたの無意識下での、気まぐれな行動によって出来るはずだった未来世界はスケールが大きかったんすよ。特大っす。だって、こんな未来が待っていたなんて想像もできなかったでしょう?」
僕は思いきり頷く。あかべこのように。
「だからあっしはあなたのところに行けたし、この世界にも行けるんす。ま、他にも条件があるんすけど」
少しずつピンクの煙が薄くなり、胡桃のかわいい顔を拝めるようになった。
はあ、なるほど。大体は飲み込めた、と僕は思うことにする。
「あっしもどっかの違う世界じゃ母親に殺されて幽霊になってたり、多重人格者だったり、食料になってたり、学芸会で刺されて死んでたりしてやすからねえ。いやぁ、世知辛いもんですよ」
胡桃はそういうと、意味深にちらりとこちらを見た。
しかし、僕はその視線に気づくことができなかった。
「ん?じゃあ、あのうさぎさんはどうなるの?」
僕は何だか心配になって尋ねる。
「可哀そうだけれど、この先もああして銀河鉄道の夢を見続けるか、この町を出て行くかのどちらかなのですね」
モネラムさんが同情するように言う。
「変えようがないっすから」
胡桃はお手上げのポーズをして茶化した。しかし僕は、胡桃の目が全く笑っていないことに気づく。
本当のところは胡桃も何とかしたいと思っているのだろう。しかし何もできないことに歯がゆさを感じているのかもしれない。
「ちょっと、出てくる」
少しだけ考えたあと、僕は立ち上がった。それをみて胡桃が片手をひらひらさせる。
「もしや、ザルアネリのところへ行くんすか?やめときなさい。あなたが出来ることなんてありゃしませんよ」
「そんなこと、わかんないだろ」
僕はそう言い返すと、勢いよく店を飛び出す。
つもりだったが、せっかくなのでその前に、胡桃が飲んでいたドリンクをいただくことにした。