第2話 到着
2.
「――はい、着きました」
僕はその言葉ではっと目を覚ました。どうやら気を失っていたようだ。
僕はゆっくりと体を起こして立ち上がる。
「・・・ここが?」
「はい。ここはあなたが変えることの出来たはずだった未来の世界っす」
僕は辺りを見回した。どうやらここは森の中のようだ。針葉樹林と思われる大きな樹がたくさん生い茂っている。
僕達はその森の中を通る一本道の上に立っていた。
「ふうん。何かおとぎ話に出てくる森みたいな雰囲気だね。でも僕がいる世界とそんなに大差がない気がするけど」
僕はぽつりと呟く。
「あなたの目は節穴ですか?とはこのことを言うんすね。ここらへんに生えている樹を見てみなさい」
胡桃が冷ややかな口調で言う。そこで僕は、さっき胡桃に背中を蹴り飛ばされたことを思い出した。自分の中の怒りメーターが上昇する。
しかし、胡桃はそんなことなどすっかり忘れてしまっているようだ。
「樹が、なに?」
僕は若干の怒りを含んだ声で聞き返した。
「あー。失敬。あなたは未成年でしたね。どれ、ちょいと待っていて下さいな」
そう言うと胡桃は、樹のところまでとことこ走って行き、その樹の枝をぽきりと折ってこちらに戻ってきた。
「これ、何に見えます?」
胡桃はその枝を僕に差し出して見せる。
「枝」
「はい、節穴」
胡桃が速攻で僕の答えを切り捨てた。
もういちいち腹を立てるまい、と僕は心に決めていた。特に女の子に手を上げるなんて底辺の男がすることだ。僕はそんなクズのような行為は間違ってもしたくなかった。
しかし、僕の手は勝手に胡桃の頭をはたいていた。
「いたっ。なんなんすかー」
「あ、ごめん。つい」
胡桃は大袈裟に痛がりながら、ふて腐れたように唇をとがらせた。
「それより、その枝みたいなのは何なの?」
僕は話を替えるように尋ねた。胡桃も気を取り直すかのように小さく咳払いをする。
「いやね、実はこれタバコなんすよ」
胡桃はそう説明すると、マッチを取り出して枝の先に火をつけた。そして、それを一口吸い込むと、きらきらとした粒子を含むピンク色の煙をゆっくりと吐き出した。
「うーん、おいしい。いい香りでしょう?」
「確かに」
僕も思わずその色と香りにうっとりとする。
「吸います?」
「え、ああ、未成年なんで、いいです」
僕は吸いたい衝動に駆られていたが、何とかそれを自制する。最近は禁煙ブームも凄まじいし。
「ここにはそんな概念ありゃしませんよ。この世界ではタバコは『ほっとするもの』なんす。害も全くないですし。赤ちゃんが泣いたときなんかにもよく吸わせるんですよ」
「へえ。とんでもねぇや。」
あれ、でもさっき僕のことを「未成年だから」って言っていたような。
「じゃあ、これは何かわかります?」
胡桃は意味深に地面の土を手ですくった。さすがに僕も学習する。
「これは土・・・じゃないな。チョコとか?」
「ぶっぶぅ。これは土っすよ。頭、大丈夫っすか?」
「ふざけやがれこんちくしょうめ」
僕はそう嘆いて空を仰いだ。胡桃はそんな僕を見てけらけらと楽しそうに笑っている。
「ふふふ。ちょいとからかうのが楽しくて。あっしには全く悪意はないのであしからず」
胡桃は目尻の涙を指で拭いながらそんなことを言う。
しかし、僕もそれはなんとなく感じていた。胡桃の吐く言葉には相手を責めようとか、貶めようという気持ちが全く感じられないのだ。
まあ、純粋に腹は立つけど。
かわいい顔というのは得だなあ、と僕は憎々しく思った。
「じゃあ、その口の悪さは方言みたいなものと思えばいいのか」
「おお。いいっすねえ。そういう柔軟な考え方は好きっすよ」
胡桃は人差し指と親指の先をくっつけて丸をつくる。
「ま、せっかくだからこれはちょいと持って行きましょう」
胡桃はそう言うと枝をぺきぺきと折っていく。
「では、そろそろ町にいきますよ。心の準備はよろしいでしょうか?」
「準備も何もまだ実感が湧かないよ」
「まーだそんなこと言ってるんすか。やかんですらお湯を沸かせるというのに。あなたはやかん以下っすね。ちょいとお待ちを」
お湯を沸かすのはやかんじゃなくて火だけどな!と、僕はもちろん言わない。
胡桃は鞄の中をごそごそと漁り始める。
そして、派手な装飾がついたやけにごついハンマーを取り出した。
「はい、頭出して」
「わかったぁっ!湧いた。実感できる」
僕は即答した。
「よろしい」
「君は頭が沸いてやがるね」
「それは褒め言葉として受け取っておきましょう」
そして胡桃は、ふと気づいたかのように空を見上げた。
「ほら、空に浮かぶ月を御覧なさい。お月さんも貴方の態度にはおかんむりのようっすよ」
僕は言われたとおりに空を見る。
空にはとてつもなく大きくて黄色い顔が浮かんでいた。
「・・・何、あれ?」
僕はぽかんと口を開けて尋ねた。胡桃はお月さんと言った気がするが、気のせいだろう。
「何って、月っすよ」
気のせいではなかった。
「・・・へえ。月に顔ね・・・。なんで月はあんな睨んだ顔しているの?」
「今日は機嫌が悪いんすね」
胡桃はしみじみと頷いた。
「・・・そういうことなの?というか今日は・・・って?」
すると、胡桃はきょとんとした顔をする。
「月というのはその日の機嫌でころころと表情が変わるもんでしょう?おや、ご存知ない?」
「・・・うん。ついていけねえ」
「ははあ」
胡桃は何か気づいたように笑みを浮かべた。
「そういえば、貴方のいる世界の月ははのっぺりとした顔をしていましたね。確か日によって形が変わるとか。まあ、とりあえず歩きやしょう。少し歩けば町に着くんで」
さらりと信じられない世界の違いを述べて胡桃は歩き出した。
「――夜なのに明るいなあ」
しばらく歩いて、僕はふと疑問に思ったことを呟いた。すると胡桃がその言葉に応える。
「それは森が光っているからっすよ」
「森が?なんつーファンタジー・・・」
「別に、普通でしょう?」
胡桃は当たり前のことのように言った。
これが、普通なのか。じゃあ何が普通じゃないんだろう。
そんなことを思う僕の足元を、千匹近くもいるであろう、ひよこの行列がちょこちょこと行進していった。
これは、どっちだ・・・。
3.
「――はい、ここです」
胡桃は町の名前が書いてある看板の前で止まった。その看板には見たことのない文字が書かれていて、僕には残念ながらその町の名を読むことができなかった。
なので、胡桃になんて書いてあるのか聞いてみる、つもりだったが、またバカにされるのがオチなので黙っておくことにした。
町の建物は全てが曲線でできていて、直線というものが存在しなかった。まるで絵本に出てくるようなベタなレンガ造りの家々が、規則性もなく建ち並んでいる。
「ほんとにおとぎ話に出てきそうな町だなあ」
僕は純粋に感想を述べた。
「別に、普通っす」
予想通りの反応が返ってきた。しかし僕はそんなことにはもう慣れてしまったので、はいはいマドモアゼル、とだけ返してやった。
「あー。何だかやな感じっすね」
胡桃は少し不機嫌そうに言った。
「こんばんは、胡桃さん」
突然、視界の外から声を掛けられた。胡桃は声のしたほうを振り向く。
「あらあら。これはどうも。ご機嫌いかがでござんすか?」
胡桃は少し口調を変えて笑顔で挨拶を返した。
そこには二足歩行で、おしゃれなコートを着た、牛が立っていた。牛だ。牛が立っている。牛が。
牛はご機嫌な様子でにこにこと笑っている。
「悪くないねえ。実に悪くないよ」
僕は牛がそんなスタイルでいることに驚愕したが、更にその牛が普通におしゃべりをしているのを見て絶句する。なんつーファンタジー。
「そりゃ結構」
胡桃は愛想良く返事をする。
「この人は?」
牛が僕に好奇を含んだ視線を送りながら尋ねた。
「観光客っす」
「ほほう」
牛はそれを聞くと嬉しそうに何度も頷いた。そして僕のことを頭の上から足の先まで観察する。
「ほほう。これはどうも。ごゆっくりしていってください」
「ど、どうも」
僕はやっとのことでそれだけ言った。牛なのだから、語尾に「モー」くらいつけてくると思ったけれど。
「それよりも胡桃さん。ザルアネリには会われましたか?」
「いや、あっし達はちょうどここに着いたばかりなんす」
「ふふ、彼女ったら傑作ですよ。何せ未だにあの丘でシュッポーを待っているのだから」
牛は少し皮肉めいた笑いを浮かべながら話した。僕はなぜだかそれをみて少し不快な気持ちになる。
「あらあら。あの子も根性ありますねえ」
胡桃も調子を合わせるように微笑んだ。しかし、その微笑みがどこかぎこちない気がする。
「三丁目のジョヌス達なんかもからかっていますよ。でもしかし、あの子はそれでも懲りないんだ。今じゃ町中の笑い者です」
牛は上品ぶって話していたが、ついに我慢できなくなったのか、けらけらと笑い始めると、そのまま僕のほうに顔を向けた。
「貴方もよければ見にいってらっしゃいよ。何せ彼女はこの町の名物なのですから」
「は、はあ」
僕はぎこちない愛想笑いを浮かべながら曖昧に返す。
それでは、といって牛は歩き去っていった。僕達はその牛の後ろ姿を黙って見送った。
「――ねえ、今のって牛だったよね?」
僕は慌てて聞く。
「はあ、それが何か?」
胡桃はつまらなそうに聞き返した。僕はその胡桃の反応ですぐに悟った。
「・・・普通なんだな?」
「そうっすね」
「そ、そうなんだ。この世界に人間っていないの?」
「いますよ。でも、この町にはいないっすね」
「ふうん」
「ところで、シュッポーって?」
僕は恐る恐る聞く。
「ああ。鉄道のことっす。シュッポーっていうのはこの町の方言ですよ」
胡桃の回答に僕はほっとする。これは聞いてもよかったのか。
「ちなみにザルアネリはかわいいウサギの女の子っすよ。丁度いい。今から会いにいきましょう」
「――こんばんは、ザルアネリ」
「やあ、胡桃さん」
ザルアネリと呼ばれたうさぎの女の子は、胡桃をみて親しげな微笑を浮かべた。
僕達は今、町のはずれにある、小さいが町の景色を一望できるほどのとても高い丘の上にいた。
この丘にはささやかなレンガ造りの家が一軒だけ建っていて、庭には小さな畑があった。
ザルアネリはその家に一人で住んでいるそうだ。
ザルアネリは家の前に置いてあるベンチに腰掛けていた。
「あ、そうだ。これ、おみやげっす」
そう言って胡桃は先ほど採集したタバコの枝をザルアネリに渡した。
「やあ、これはありがとう」
ザルアネリはうれしそうにそれを受け取ると、さっそくマッチを取り出して、枝の先にそっと火を灯した。
「ふう、ほっとするねえ」
ザルアネリはピンク色の煙を吐き出しながらそう呟いた。
「調子はどうっすか?」
胡桃も同じように煙草に火をつけてザルアネリに尋ねた。その口調はさっきの牛と話していた時と違い、まるで僕と話している時のように適当なものだった。
「うーん。今日はどうやらお月様の機嫌が悪いようだよ」
ザルアネリは、そんな胡桃の聞き方を気にする素振りも見せず、空を見上げながら答えた。どうやらこれが普段の胡桃のテンションらしい。
「ふむふむ。その様で」
胡桃も空を見上げる。
「困ったなあ。今日こそはと思ったのだけれどねえ。お月様の具合が悪いんじゃ、今日も銀河鉄道は来ないのかもしれないよ」
ザルアネリはおっとりと呟いた。
彼女からはどことなく儚げな雰囲気が漂っている。ふと、誰かに似ている気がしたが、僕はありえないとその考えを打ち消した。
「ふむ。そうかもしれないっすねえ」
「僕は一刻も早くあそこに帰りたいんだけどねえ。この町はひどく居心地が悪いんだ」
ザルアネリは空を見続けながらのんびりと言う。
「あらあら。そりゃ、難儀っすねえ」
胡桃もそれに合わせて呟く。
「君は色々なところへ行っているんだろう?」
ザルアネリが胡桃に尋ねる。
「そうっすよ」
「いいなあ。僕も連れて行っておくれよ」
ザルアネリはうらやましそうに言った。
「あっしも貴女の力になりたいんすけどねえ。残念ながらそれは難しいですねえ」
胡桃は残念そうに聞こえない言い方で応えた。
「それに、この仕事はそんなに良いものじゃないっすよ」
「そうかい。残念だなあ」
ザルアネリもそれがわかりきっていたかのように、ぽつりと呟いた。
「あ、そうだ。僕の家でさらさらシュガーのココア―テでも飲んでいかないかい?森でおいしいのがとれたんだよ」
ザルアネリはそこでやっと空から目を離してこちらをみた。
「良いっすねえ。ぜひ飲みたいんすけど、ちょいと寄るところがあるんすよ」
胡桃は手で首を揉みながら言った。
「モネラムのお店かい?」
「そうっす」
「そうかい。残念だなあ」
ザルアネリはそう言うと、また空を見上げた。