登校拒否をしている小学生の女の子の願いは一つだけ
今日も朝からあの人に向けて恋文を作る。毎日作り始めて早二ヶ月。
あの人は私の想いに気づいてくれたかな?
「おはよう。今日はどうする?」
今日の恋文を作り終え、二階の自室から一階リビングに移動している時だった。
ママに呼び止められ言下に答えた。
「行かないよ」
「……そう…。じゃあサンドイッチ作っておくから、お昼はそれを食べてね。今日は早めに帰ってくるようにするから」
そう言い終えるやいなや、ママはスマホを取り出し、学校と登校班の人達に連絡を取り始めた。
私は地元の小学校に通う六年生の女の子で、五月から登校拒否を開始して二ヶ月が経った。
ママの作業を横目に、リビングのソファに座り、テレビを点けて、朝の情報番組に目を向ける。正直、情報番組に興味は全く無く、内容を理解する気も持ち合わせていない。これは、ママが家を出て行くまでの時間潰しだ。
我が家は共働き家庭で、パパは既に通勤し、ママも私の昼食を作ったら仕事に行く。早く帰ると言ってはいたが、夜七時は過ぎるだろう。
ママは昼食を作り終えたら、早々に会社へ出勤していった。
(やっと行った。今日はこれを届けてから、新聞と雑誌を拾いに行こうかな)
a4サイズの恋文を三つ折りにし、斜めがけのショルダーバッグに入れ、紫外線避けの薄手のパーカーを羽織り、フードを深く被った。
夏の暑さに負けまいと、気合いを込めて自宅を出る。外に出ると、煩い蝉達の鳴き声が癇に障った。
今日朝から作った恋文の文面は
『昨日ハ晴れデしタ』
と作っておいた。
私は恋文を作る時、明確なルールを定めている。それは事実のみを記載するということだ。
『タンポポは木レい』『最近ハ野良猫が落おイ』『風が強かっタ』『ピン区の場す田折る』『十時かノT者ツ』
とまぁ、こんな具合だ。
二ヶ月毎日送っているが、相手から返答はない。でもそれでいい。私の願いを叶えてくれるなら返答などいらないのだ。
恋文を送る相手の家は、二階建ての木造アパートの家で、我が家から徒歩5分程の距離だ。一階の角部屋に住み、外が静かな時はアパートの近くに立つだけで、笑い声が聞こえてくる程の壁の厚さしかない。
顔から滲み出てくる汗を拭いながら、今日もいつも通り、想い人の家のポストに投函した。
ポスティング作業している人のように、投函したらすぐさまその場から立ち去る。誰にも見られてはいけない。
投函した帰り、自宅付近の古紙回収している倉庫に立ち寄り、新聞や雑誌を何冊か物色してきた。不審がられないように、全てショルダーバッグに入れる。はちきれそうなバッグをかけて帰路についた。
(さて、今日は何て作ろうかな)
勉強机の上には、数冊の雑誌、新聞、ハサミ、スティックのり、そしてa4サイズのインジェット用紙一枚が置いてある。薄手のビニール手袋をはめて、昨日の出来事を思い浮かべ、恋文の文面をひねり出す。
(昨日は一段と蝉がうるさかった。あの鳴き声はアブラゼミかな。ヒグラシではなかったはず。早朝や夕方ではないから、ヒグラシが鳴くはずがないか)
『逢ブラゼ見ハ煩イ』
数冊の雑誌をパラパラ捲り、欲しい文字の所だけを切り抜く。もちろん新聞からもだ。
なんとか文字を探しだし、たった数文字の為に一時間を要した。
作業をしていた時のコリをほぐそうと背伸びをして、お腹が減ったため朝食を取りに一階に移動した。一階のダイニングには、ママがスマホを片手に椅子に座り、私を待っていた。
「おはよう。…今日はどうする?」
「行かないよ」
「…そう。今日は忙しいからもう行くわ。お昼はカップラーメンでも食べてちょうだい」
いつも通りテレビを点けて、ソファに座り、ママが出勤するまで時間を潰した。言葉通りママはすぐさま出勤していった。
(さて、朝食を食べて届けに行こうかな。後は夕方から塾だから、自宅でも勉強していよう)
食パンを1枚をトースターで焼き、バターを塗って口に頬張る。牛乳で胃に流し込んで朝食を終えた。そして、ニカ月間変わらない朝からのルーティンをこなす。帰宅した後は、自宅学習に邁進した。
「◎◎ちゃん!こっちこっち!こっちで一緒に座ろう」
夕方になり塾の時間が近づいたのを確認した後、自宅から直行した。塾に入ると、同じ地元の小学校に通っている友人のマイちゃんが、私を手招きして呼んでいた。
塾はコンビニの二階にある地域密着型の塾で、スタンド式ホワイトボード二台と、簡素な長椅子と木椅子が並んで置いてある。席は自由に座るというルールとなっているため、早く塾に到着した者から順に好きに決めていた。
今日は友人のマイちゃんが早くに来てたらしく、私の席まで取っていてくれたらしい。
「マイちゃん!じゃあ、お言葉に甘えて、隣に座らせてもらいます」
「いいよ、いいよ。塾の宿題してきた?」
「もちろん」
マイちゃんとは同じ小学校に通う者同士だが、クラスは違う。私は1組でマイちゃんは5組だ。
まだ開始時間には間があるため、宿題の答え合わせを二人でしていた。その途中、マイちゃんはパラパラと本を捲っていた手を止めて話し始めた。
「あのね…アイツ、次のターゲット決めたらしいよ。でももうイジメられた子も教室に行かないで、朝から保健室に行ってるって聞いた」
「……そうなんだ」
「◎◎ちゃん、もしなんだけど。休憩時間とかさ。辛かったら5組に来ればいいよ。…なんでアイツって理由なくイジメにかかるのかな。周りも同調しちゃってさ」
「………ありがとう」
マイちゃんは私が二ヶ月間登校拒否している事を知っている。理由も知っている。
六年生なりたての二ヶ月前のある日、私は理由もなくイジメられる事になった。だが辛辣に何かを言われるわけでもないし、物が隠されたり壊されるという事もない。ただクラスの女の子から、余所余所しい態度を取られるだけだ。
まるで私と話すのは罰ゲームだと言いたいみたいに、会話も最小限、私と話した後はアイツに内容を報告しにいく。まるで罪人との会話は、逐一、供述調書に記載したいという風に。
結局、クラスにいるのが嫌になり、学校に行かなくなった。保健室ですら行きたくない。
最近は親も不登校について声を荒らげることなく、子どもの希望通りに休みを尊重する。私のママもパパも例外ではないらしい。
マイちゃんはそんな私を見兼ねて、せめて休み時間くらい、5組で憩いの時間を過ごそうと誘ってくれている。
だが屈折した考えの私には、慈悲深い女神様が哀れみの眼で、救いの手を差し出しているとは見ていない。マイちゃんはイジメに屈した弱い私を見て、せせら笑っているのだ。休憩時間の度にクラスに現れる私を見て、優越感に浸りたいのだろう。なんて慈悲深いと酔い痴れたいのだ。
だが、そんなことを真っ向から言える勇気もない私は、マイちゃんの慈悲深い言葉に、お礼を言うだけだ。
塾もつつがなく終わり、帰路についた。マイちゃんには「行けれそうなら学校に行くよ」と返答しておいた。
今日も朝から恋文を作る。
(さてなんて作ろう。そろそろお願いを叶えてくれるといいんだけど。一日一通じゃダメなのかな。二通に増やそうか)
思案したが、もう少し一日一通にすることに決めた。苦労が徒労に終わりたくない。もし願いが叶わなかった場合、次の手を考えなくてはならない。
今日は何もいい文面が思い浮かばなかった。だから『夜歯くらイ』と作ってみた。
作り終え、一階に行くと、例のごとくママに聞かれたから「行かない」と言っておいた。
今日も次の日もルーティンをこなした。
両親の休日となった。この日はほぼ一日自室にて過ごす。そして、もう少しで日が落ち暗くなるという、夕方から夜へ移り変わる時間、散歩に行くと言って家から出る。暗くなるのを待ち、闇夜に紛れてポストに投函する。
毎週この日が一番緊張する。人に会う可能性が高いからだ。早く想いが通じてほしい。
今日だけはそのまま塾の時間となるので、ポストに投函した後は塾に出かけた。到着するとマイちゃんはまだ来ていなかったので、今回は私が席をとっておいた。
「マイちゃん!こっちだよー!」
マイちゃんが塾に入ったのを見て、手招きして呼んだ。マイちゃんはニッコリと微笑んで、私のとっておいた席に座った。
「今日は負けちゃったな。早かったね」
「ちょっと別の所でやることがあってね。終わってすぐ塾に来たから早かったんだよ」
「そっかー」
「宿題の答え合わせする?」
「あー。うん、そうだね。……あのさ。聞いた話なんだけど、アイツ転校するかもしれないって」
「転校?」
「なんでもさ。アイツのお母さんがヤバくなって、引っ越したいって騒いでるらしいよ。毎日毎日変な手紙が届くんだって。最初はイタズラだろうって気にしてなかったらしいんだけど、毎日続くから遂にノイローゼ気味になったらしい」
「…へー…」
「アパートの賃貸暮らしだから、引っ越すのも楽らしい。ちなみに何で知ってるかと言うと、アパートから声が丸聞こえだったらしいよ。クラスメイトの男子が面白半分で聞いてたんだって」
マイちゃんは最後に「でもアイツが6年生いっぱいまで、ここに居たいって駄々こねてるらしい」と話してくれた。
塾の帰り、想い人のアパートの前を通って帰った。アパートの前に行くと、タクシーから男女が降りるのが見えた。男性は見た目が派手なグラマーの女性に熱いキスを交わし、そして何かを渡し、女性はタクシーに乗り何処かに行ってしまった。
男性はそのまま、私の想い人のいる部屋に入って行った。腕時計で時刻を確認して、闇夜に紛れながら一部始終を見ていた。
丁度一週間後、想い人のアパートまで赴いた。白いバンがアパート前に止まっていた。ナンバーを確認したが、他県ナンバーだった。
バンをよく見ると、中にはたくさんの荷物が入っているように見えた。キャリーケースやダンボール箱など様々な物が入っているようだ。
夏の茹だるような暑さの中、私はその場から離れられなかった。何時間かかろうと動く気はない。
想い人に気付かれないように、隅に隠れながら、何回も家とバンを荷物を持って往復する愛しい女性を見ていた。最後に愛しい女性は運転席に座り、助手席にはアイツが座った。
私は、わたしをいじめたアイツが大嫌いだ。アイツの人生なんてグチャグチャになってしまえばいいと心の底から思ってる。
クラスでいじめのターゲットが変わったと聞かされても、行く気になれなかった。アイツの顔など見たくない。私が登校を開始するのは、アイツが居なくなってからだ。
最初はアイツの家にイタズラで脅迫文を送ったり、玄関ドアの前に犬の糞でも置こうかと考えた。だが、ネットで検索したら、脅迫罪や名誉毀損に問われる可能性がある事が示唆されていた。
私は罪に問われる事などしたくない。だから、事実だけを書いた手紙を毎日届けることにした。事実だけを知らせる紙なんて、新聞と同じだと思ったからだ。だけど、気味悪がられるために、切り貼りした手紙を作ることに決めた。
毎日薄気味悪い手紙を送り、精神的にジワジワと追い詰める。干してある洗濯物の名称すら作って送った。いつも貴方の家を見ているよ。そう熱いメッセージを込めて恋文を作った。
送る相手はアイツの母親だ。
気味悪い手紙に嫌気がさして、周りに疑心暗鬼になり、ここから出て行ってくれたら、私の目的は果たされる。
一向に効果が現れないと苛立ちを募らせていたあの日、塾帰りにあんな幸運が訪れると思ってなかった。アイツのパパは若い女に夢中らしい。
だから手紙を作り、事実を送ってあげた。
『世ル8時半 託しーから御リ女ト暑い気酢』
バンは二人と荷物を乗せて走り去った。私はバンが見えなくなるまで、その場から離れなかった。
これでやっと学校に行ける。