キッ ト ク ル 婚約破棄【漫画あり】
「キャリー! そなたとの婚約を破棄する!」
貴族学園の卒業パーティーで、王太子グレイソンが指差した先には、真っ白なワンピースのようなドレスを着て、髪を腰ほどまで垂らしたキャリー公爵令嬢が立っている。その長い前髪は彼女の顔を隠し、表情が掴めない。
しかし、グレイソンが叫んだとたん、にわかに空はかき曇り、まるで夜のように暗くなる。
さらに強風が吹き荒れ、窓ガラスを容赦なく叩き付ける。
それに会場のみんなが驚くと、大粒の雨が降りだし、ドロドロと雷鳴がとどろき出したのだった。
キャリー嬢はゆらりと王太子に近づく。王太子は異様な雰囲気に飲まれて後退ったものの、足がもつれて尻餅を付いてしまった。
キャリー嬢の首は王太子を見下ろすようにカクリと折れ、垂れ下がった前髪から目がギロリと覗いていた。
「ウーワーー!!」
グレイソンは、それを見て恐怖の叫び声を上げてしまった。逃げたいようにもがくが、体がすくんで動けない。
そのうちに、キャリー嬢から漏れるような声が聞こえる。
「……わけを……お聞かせ、ください……」
「キャーー!!」
雷鳴の中、わずかに聞こえた声に、思わず女生徒が悲鳴を上げる。キャリー嬢の首は瞬時にそちらの方を見る!
「ゴメン……ね……」
「ヒィーー!」
キャリー嬢は自身のせいで悲鳴を上げてしまったと謝ったのだが、女生徒は恐怖のあまりに卒倒した。
会場からゴクリと喉を鳴らす音まで響く。外には雨音や雷鳴、強風の音が鳴りやまないというのに、この場所の空気はまさに張りつめていたのだ。
キャリー嬢はまたグレイソンへと向き直り、またもや見下ろす。その時の雷鳴にキャリー嬢の白いドレスは輝き、なおも不気味に写った。
「殿下、ワケを……」
「ヒィィイイーー!!」
グレイソンは、思わず駆け出す。強い雨が降る外へと。キャリー嬢はその背中を見つめていた。
グレイソンは気が狂いそうだった。後ろを振り向くと、別にキャリー嬢が追いかけているワケではない。
ホッとするものの、雨のぬかるみの悲しさ、足が滑りそこに倒れてしまった。きらびやかな御召し物は泥だらけになってしまった。
グレイソンはそれでも立ち上がろうと両腕に力を入れて体を起こすと、目の前に白い足が二本。恐る恐る顔を上げると、雷鳴の光を浴びたキャリー嬢がそこにいた。
「た、助けてくれーー!!」
「殿下、ワケを──」
グレイソンは、恐怖の余りもがきながら立ち上がって駆け出した。
ちょうど自分が乗ってきた馬車が見えたので、そこへと走る。しかし、御者の姿は見えない。余りの雨に逃げ出してしまったのかもしれないが、自身が馬を御そうと、そこへと乗り込んだ。
馬は鞭打てば走る。グレイソンは慌てて鞭を握ろうとするも、上手く掴めない。焦れば焦るほど上手くいかないもので、鞭を地面に落としてしまった。
グレイソンは舌打ちして、運転席から降りて這いずって席の下に入り込み、それを拾い席の下から出ると、気配を感じる。恐る恐る気配の方を見るとそこには、すでにキャリー嬢が立っていた。
「大丈夫ですか、殿下……」
「のわーー!!」
慌てて馬車に乗り込みざま、馬に向かって鞭を振るう。馬は猛って嘶き、走り出した。
あまりに突然走るものだから、グレイソンは体を座席に打ち付けて少しばかり意識が遠退く。
だがそれは一瞬。すぐに気を落ち着けて手綱を握り、馬に鞭打つ。
そして大分進んだところで、一息。ここまで来ればいかなキャリー嬢とて──。
グレイソンはさっと振り向くも、道の上にキャリー嬢の姿はない。当たり前だ。馬車のスピードに追い付ける人間など──。
グレイソンの顔にようやく笑みが戻る。恐怖から解放されて高らかに笑った。
「はっはっは! はーっはっは!」
「何が可笑しいのです? 殿下」
その時、再び雷鳴。グレイソンが乗っているのは運転席、声がしたのは箱形になっている乗車席。グレイソンは声の方の乗車席を見る。そこには、キャリー嬢が腰を下ろしてこちらに顔を向けている。
「ややややーー!!」
「王太子さま──」
グレイソンの運転する馬車は、道のぬかるみに車輪を取られ、道を外れて草むらへと横転する。
グレイソンは投げ出され、キャリーの乗っていた乗車席は大樹に当たって大破した。馬は驚いて走って逃げてしまった。
グレイソンは体を打ち付けたが、その場所の土は雨のお陰で柔らかくなっており、大きな怪我はなかった。ただ呆然とキャリーの乗っていた壊れた乗車席を見ていた。
自然に声が漏れる。それが大きな笑い声へと──。
「ははっ! やった! やったぞーー!!」
グレイソンが雨の中、両手を上げて喜びの声を上げる。乗車席に動きはない。
グレイソンは重い体を持ち上げてそこから立ち上がり、街道のほうへと体を向けると、そこにはキャリー嬢が立っていたので、驚いてへたりこんでしまった。
「王太子さま……、ワケを……」
キャリー嬢からの声に、ただただ震える。
なぜだ? なぜだ? なぜキャリーは無事なのだ? 怖い、恐ろしい。キャリーは、近づいて手を伸ばす。
心臓が破裂しそうだ。
グレイソンは泣きながら叫んだ!
「お前が怖いんだよーー!!」
雷鳴。強風。激しい雨。それが一気に止まる。
そして、キャリー嬢は頬に両手を当ててこう言った。
「え? かわいいですか?」
最初は意味が分からなかったが「怖い」と「かわいい」を聞き間違えたらしい。
しかも、その照れているような所作も可愛く思えた。
「ちょ、ちょっとキャリー?」
「でも、かわいくて婚約破棄なんて変わってますね、殿下は」
そう言って、顔をブンブンと振る。そして言う。
「ああん、せっかくヘアスタイルも完璧だったのに、変になっちゃったよう」
そしてだらりと垂れた髪をかきあげると、まるで女神の祝福を受けたような美しい顔が現れた。
「ちょ、ちょ、ちょっとキャリー?」
「なんですか?」
「いや、その髪垂らすヤツより、そうやって顔が見えたほうがいい、いい、絶対いい!」
「えー!? そうですか? 恥ずかしいしい、変じゃないですかあ?」
「いやいや、変じゃないでしょー。そうやってみんなみたいに顔見せて、流行りのドレス着たほうがいいよ。いいに決まってる!」
「えー!? でもなんか、個性ないしいー」
「そんなわけないよ。キャリーはそのほうがいい。それがいい!」
「そうですかあ? それなら殿下も婚約破棄しませんかあ?」
「しない、しない! 今すぐ結婚したい!」
「まあ殿下ったら……」
二人は照れて微笑みあった。
そもそもキャリーの公爵家は、不思議な能力を持つ一家で、天候を操り、短い距離だが瞬間移動も出来る。
キャリーは婚約破棄と言われて、気持ちが荒ぶり天候を不順にさせ、馬車の中や外へと瞬間移動したのだ。
この婚約はその不思議な公爵家の血を王家に取り入れることが目的なので、グレイソンが嫌だとしても、国王より叱責が来ていただろう。
しかし、今の二人にはそんなことは過去のことだ。
「はい殿下、あーん」
「あーん。んー、キャリーにあーんしてもらったブドウは世界一旨いなあ」
「やだもう、殿下ったら」
すっかりイメチェンして、可愛くなったキャリーにベタ惚れしたグレイソンは、ただ結婚が待ち遠しかったのだから。