閉じます
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閉じます、わたしはあなたから
閉じます、反論も文句も意見すら
閉じます、だってあなたは怖いでしょう?
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私は公に――具体的に言うとネットに「閉じます」というタイトルの「詩」を投稿してしまったことを大いに悔いている。たった三行にしかすぎない「ポエム」であるものの、私にとって、「詩」とは他人に見せたり読ませたりするものではないのだ。だからめちゃくちゃ恥ずかしい。投稿してしまったのには理由がある。マリアナ海溝よりも深い理由が――嘘だ。酔っ払っていたのだ。で、私には酔っ払って帰宅したところで普段と変わりなく真っ先にノートパソコンを立ち上げるという、言わば悪癖がある。なお、私はもう三十路の男だが恋人はいない。家――アパートに帰れば一人なのである。そりゃ、PCの一つも起こしたくなるというものだ。
閉じます、わたしはあなたから
閉じます、反論も文句も意見すら
閉じます、だってあなたは怖いでしょう?
次の日、他者が投稿したに等しい当該を会社のPCで「拝見」したのだ。驚いた。おぉ、私は酔いに任せてこれほど端的ながらもそれなりにめんどくさい文言を残してしまったのかと。その安直さと稚拙さには目眩がした。むかし、学生時代、パチンコで大負けした日に「二度とパチンコなんてしてやるかぁっ!」とミクシィの日記をしたためた際の後悔に似ている。今風に言うとデジタルタトゥーという概念を持ち出すと顔から火が出る。ああ、恥ずかしい、ああ恥ずかしい、恥ずかしい。
閉じます、わたしはあなたから
閉じます、反論も文句も意見すら
閉じます、だってあなたは怖いでしょう?
どこの誰が素人の浅薄な叫びに過ぎないくだんの三行に目を向ける? 耳を傾ける? そのへん、どうなんだ?
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課会や部会において、どうでもいい案件のどうでもいい経過報告を得意げにするでぶの先輩がいることに、私は以前から大いに疑問を抱いていた。しかしでぶは私が入社するずっと前からいるらしく、いわゆる、古参だ。資金は潤沢なれど大きくはない会社だ。だから、社内、社外の事情を少なからず把握していて、でぶはうまく立ち回っている。抱えている案件は少なくない――が、毎日、ニ、三、コールセンターのオペレーターの仕事を済ませればそれで終わりだ。だから私はあるときの部会において「そこのでぶはなにも偉くないでしょう?」と言ってやった。むろん、オブラートに包んでのことではあったが、つまるところはそういうことだった。部会の温度が上がった。「ついに言ってくれたか」と誰もが発したような雰囲気だった。火を起こしたわけではない。私は薪をくべてやっただけだ。
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でぶの先輩は死んでしまった。私の言葉とそれに呼応するようにして発生したムーヴメントに悪い意味で魅せられてしまったというわけではない。二日間、たった二日間だ、連絡がとれなかったらしい。とにかく連絡がとれないからでぶの課の長がでぶのアパートに出向いた。――リビングの真ん中で、前のめりに倒れたまま亡くなっていたらしい。事後、急性の肺炎だろうということだった。右手には週刊誌やカップラーメンがしこたま入ったビニール袋を握り締めていたらしい。それを聞かされ、私は涙した。私はでぶのことが嫌いだったわけではないのだ。むしろ、同世代だからこそ、これからもっと仲良くなれるものだと考えていた。そう信じていた。しかし、結果的に、私が彼を早逝へと追い込んでしまったのかもしれない。とどのつまりは私が「おまえはもっと仕事をしろ」と部会で注意してしまったことによってあるいは酒の量が増え、彼を死へと追いやってしまったのかもしれない。
いつも酒に誘ってくれる、一回り上の先輩には「おまえのせいじゃねーよ」と大笑いされた。ちょびひげが特徴的だから「スーパーマリオ」と呼ばれる先輩は「あいつはただでぶだから死んじまったんだよ」と笑ってくれた。だけどその「スーパーマリオ」もでぶの死から二月後には原因不明で世を去った。「スーパーマリオ」もでぶだったことだけは確かだ。「スーパーマリオ」も無敵でないことは確かだ。
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また別の先輩が、他部署ではあるのだが普段から仲良くさせてもらっている薄毛に悩む先輩が――ある日、「見たよ」と声をかけてきた。私が物理的に機器を設置したのち論理的に設定を調整している段のことだった。もろもろの作業で埃まみれになっていた私は「はい?」と伺いを立てる返事だけをしたのだった。
薄毛の先輩は諳んじた。
閉じます、わたしはあなたから
閉じます、反論も文句も意見すら
閉じます、だってあなたは怖いでしょう?
私はノートパソコンのキーボードを叩く手を止め、思わず――ぎょっとしていたかもしれない目を、薄毛の先輩に向けた。
「私、言いましたっけ? 先輩に、投稿サイトのこと……」
「私とか言うんじゃねーよ、気持ちわりぃ。ああ、そうだ。俺は前からおまえさんにそう言ってやりたかったんだ」
目を合わせていると、薄毛の先輩――荘田先輩のほうから折れてくれた。悪戯っぽく両肩をすくめ、微笑んでくれたのだ。私はつい口癖で「うへっ」と漏らしてしまった、キーボードを叩く、設定作業に舞い戻る。
「俺なんかは悪い詩じゃねーって思ったな」
「そうですか? でも、私は後から見返して気持ち悪いなって思いました。ナイーブすぎてイマイチだし、自分の思いばかりがつんのめってて要領を得ない」
「だから、自分のことを私だなんて言う男のほうが気持ち悪いよ」
「私は私です」
「現代教育の悪の権化め」
「恐縮です」
荘田先輩がフロアから腰を上げた。ラックマウントされているサーバー、ルーター、スイッチ等のランプをチェックする。ランプの表示が正常でも機器は駄々をこねることがままある。「アメリカのメーカーだからだろ? 奴さんらは大雑把だからな」と荘田先輩は時折憎まれ口を叩く。昭和の時代のエンジニアとでもいったところだろうか。
閉じます、わたしはあなたから
閉じます、反論も文句も意見すら
閉じます、だってあなたは怖いでしょう?
荘田先輩はまたそんなふうに諳んじた。
「やっぱり、俺はそんなに悪い詩じゃねーと思うよ」
「ですから、酔っ払いの無意識の産物なんですよ?」
「えてしてそういったところからアイデアは生まれるもんだ。かく言う俺もだな、小説書いて投稿してたりする」
さすがに驚いた。
それってほんとうですか?
「嘘ついてどーすんだよ」と荘田先輩は笑った。「一つだけでいい、本を出したいのさ」と続け。「だったら自費でなんとかしろってか? 違うんだよ。俺は他人に認められた作品を他人の手で出版してもらいたいんだ。難しいことはわかってる。そもそも俺は文章がうまくない。客へのメールを打つだけでもひどく悩むくらいだしな」
「私の意見を言っても?」
「聞いてやるよ」
「先輩の文章はどこかイレギュラーで、だからこそ力があると思います」
「妙な褒め言葉もあったもんだ」
荘田先輩はいよいよ高らかに笑った。
「でもな、俺は思い知ったよ。俺にとって、おまえの詩はハマった。おまえみたいな奴が上に行くんだろうなって感じた。だからとっととそうなっちまえ。不本意ながらも応援してやる」
荘田先輩はまたまた私の詩を諳んじる。
閉じます、わたしはあなたから
閉じます、反論も文句も意見すら
閉じます、だってあなたは怖いでしょう?
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荘田先輩が死んだという。右手に小ぶりの包丁を握ったまま倒れており、それで頸動脈を傷つけたのだろうということだった。
どうして? 荘田先輩。
あなたはどうして、亡くなった?
あなたにとって、なにが不満だったんだ?
あなたはいったい、なにが欲しかったんだ?
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私はエンジニアを続けている。いろいろと資格を取得して、社内でもそれなりの地位を得た。――そんなたいそうな身分になっても目下降りかかってくるのは多数のメールである。障害絡みになるとまず間違いなくエスカレーションが飛んでくる。「どうか助けてください!」という文言は内容だけの話で、そのじつ、「なにか知ってるんだったらその情報をとっとと寄越せ、ボケ」というものだ。矢継ぎ早の問い合わせについて、私は快く対応してやる。恩を売っておいて損はないと知っているからだ。
今日はハイエンドのルーターが相手だ。私がいじれば簡単な話なのだけれど、後輩にはいろいろと経験し、いろいろと感じてもらいたい。だから私は現場にいるというだけであり、なにかの折には助けようというだけの立場であり、作業自体は後輩に任せている。
昼休み。
データーセンター内にある食堂でシーフードカレーを食べながら。
「良かったッス。ほんと良かったッス。ミスしたらどうしようって思ってたんス」
などと言いながら、後輩は大げさなことに目に涙を浮かべた。彼もまたシーフードカレー。どこでもカレーなら間違いがないという予測に基づいたチョイスらしい。
「大げさだね」と私は一刀両断。「考えすぎだよ」と微笑んでみせてやった。
「でも――」
「デモもストもない――なんて言うとネタが古すぎるんだろうけれど、とにかく、べつに仕事をミスったところで命までとられるわけじゃないんだ。気楽にやろうよ」
「い、いえ、どでかい物販のシステムを止めちまうわけですから、俺、そうなったらさすがに生きていられないッスよ」
「システムはいつか復旧する。他者への攻撃だって、いつか止む」
「そうですかね」
「そういうものだよ」
閉じます、わたしはあなたから
閉じます、反論も文句も意見すら
閉じます、だってあなたは怖いでしょう?
考えてみれば「詩」ですらないな。
けれど、文章に思いだけは乗せられた気がする。
いまとなってはの話だけれど。
ひがみっぽいのは悪い癖だ。
そんなこと、誰に指摘されずともわかっている。
くどいかな。
私は三十の半ばをとっくに過ぎた。
知らず知らずのうちに、死んでしまうニンゲンも増えた。
それでも生きる。
なんとなあく、私は生きる。
ニンゲンなんて、その程度のものだ。