(3)
《舞台裏話》
怪談自体はよくあるものなのですが、役者さんが語ると怖かったです。桐原役の方、上手だった!
そして、自分が観た公演の最中にハプニングが。
小道具のワイングラスがテーブルから落ちて割れてしまったのです。怪談の直後だったので皆本気で驚く。
その後の役者さん達のフォローやアドリブがすごかった。
「ほら見ろ、本当に幽霊が出てきたじゃないか!」
「だから(ワイングラスは)ガラスじゃなくてプラスチックにした方がいいって言ったんですよ!」
皆でわいわい言い合いながら、「ちょっと(淑乃さんから)箒借りてくる」と箒とちりとりでガラスを片付け、さらにガムテープで小さな破片まで取り除く。
アドリブは見ている分には面白く、観客からも笑いが出ていたのですが、後で役者さんから話を聞いたところ、本当はああいうハプニングはNGで、冷や汗ものだそうで。ガラスで怪我する可能性があるし、舞台の進行も滞る。何事も起きないのが一番だと。
ハプニングを面白いと呑気に考えていた自分を反省し、役者さん達の裏の話を聞けて良かったと思った出来事でした。
「……これは、僕が務める病院の看護婦の方から聞いた話です」
桐原はひっそりとした声で語る。
「その方がかつて務めていた病院には、Kさんという男性の患者がいました。Kさんは陸軍士官学校の学生でしたが、演習中に両足の骨を折る大怪我を負って入院していたそうです。とはいえ、足の怪我以外は健康そのもの、少々気の強い若者です。寝てばかりでつまらない、早く怪我を治して学校に戻りたい、と毎日のようにぼやいていました。そんなある日のことです。Kさんはふと夜中に目を覚ましました。昼間に寝すぎたせいか、寝ようとしてもなかなか寝付けない。ベッドの上でKさんは何度も寝返りをうっていましたが、その時たまたま、こう、拳が壁に当たったそうです」
桐原は伸びをする真似をした後、床を『コン』と叩く。
「すると、壁の向こうから『コンッ』と音が返ってきました。どうやら隣の病室に誰かいるようで、壁を叩いたことで起こしてしまったのか、とKさんは慌てて手を引っ込めました。ですが、再び壁から『コン』と叩く音がしましてね」
コン、の部分で、桐原は床を叩く。
「もしかして返事かと、最初Kさんは思ったそうです。しかし、コン、コン、コン……と音はやまない。さほど大きな音ではないけれど、気に障る。やまない音に、腹が立ってきたKさんは思わず壁を強く叩き返しました」
コンッ、と強めに桐原が床を叩いた。
「すると、叩き返してくる音も大きくなった。Kさんは負けず嫌いな性格でしたので、そこから壁を叩く応酬が始まりました。音はどんどん大きくなる。いつまで経っても終わらない。Kさんはとうとう我慢ならず、『うるさい!』と怒鳴って壁を殴りました」
ドンッ、と床が鳴る。一谷がびくりと飛び上がった。
「……すると、音がぴたりとやみました。ようやく諦めたかと、Kさんがほっとした時です。コン……コンッ、コンコンコンコンッ、バンッ、バン! ドン、ドン、ドン! ……激しい音が壁から、壁のあちこちから、ベッドよりもはるかに高い、人の手が届かないような天井近くからも音がしてきたんです」
激しい音に、一谷がひっと身を竦める。
「さすがにKさんも、これはおかしいと思いました。音は壁だけでなく、窓からもしています。バン、バンッ、と激しく鳴る音に、Kさんは急に恐ろしくなってきて、布団の中で身を震わせました。それでも音はやまず、まるで部屋の中に入ってこようとするかのように壁を震わせる音に、やがてKさんは恐怖のあまり意識を失ったそうです。……翌朝、Kさんは検温にやってきた看護婦に、『隣の部屋には誰がいるのか』と恐る恐る尋ねました。すると、看護婦は不思議そうに首を傾げて答えました。『ここは三階の角部屋です。あなたのベッド側の隣は外で、部屋はありませんよ』と。Kさんは青ざめました」
皆が固唾を飲んで桐原を見つめた。
「昨晩の音は一体何だったのか。考えるKさんでしたが、その時、カーテンを開けるために窓に近づいた看護婦が悲鳴を上げました。窓には、いっぱいの白い手の跡がついていて……それは全部、内側に着いた跡だったそうです」
桐原の締めに、寧々子や宇崎が小さく悲鳴を上げる。
理人の腕にも鳥肌が立っていた。何となく話の展開はわかっていたものの、相変わらず桐原は怪談上手だ。一谷は瞬きもせずに銅像のように固まっている。
桐原は穏やかに微笑んで「それでは、お次の方どうぞ」と隣にいた宇崎を促した。
「あ……その、僕……大した話はできないのですが……」
宇崎はごくりと唾を飲み、緊張した面持ちで話し始める。
「……皆さん、牛込見附の近くにある『幽霊屋敷』をご存じですか?」
「幽霊屋敷?」
「はい。元々は、とある実業家の一家が住んでいた屋敷だそうです。ですが、今から十年ほど前、真夜中に強盗が入って家族全員が殺され、空き家となりました。その後、家を誰かが買おうとしたり壊したりしようとすると、奇妙なことが起こったそうです。誰もいないはずの屋敷に明かりが灯ったり、誰かが歩くような音が聞こえたり、女性の悲鳴が聞こえたり……強盗に殺された一家の恨みが屋敷に残って、幽霊となって彷徨っているとか……」
「へえ、そこは今も空き家なのかい?」
吉永が尋ねると、宇崎は頷く。
「はい。今も幽霊や人魂が出ると噂があり、誰も近寄らないようです」
「ほう、初耳だな!」
花村が面白そうに目を輝かせる。
「今度見に行ってみるか。幽霊画も興味がある」
物見遊山な発言に、桐原が苦笑する。
「幽霊は確かに気にはなりますが、きっと閉鎖されているでしょうし、屋敷の中には入れませんよ」
「あの……それなんですが……」
宇崎が恐る恐る挙手する。
「僕、実はこの間、入れる場所を見つけて……」
「おお、ちょうどいい。ならばせっかくだ、肝試しに行こうじゃないか!」
「なぜそうなるんです⁉」
花村の提案に間髪入れず叫ぶのは一谷だ。
「駄目です不法侵入ですよそれは!」
「そう言って、本当は怖いんだろう、一谷」
理人がからかうと、一谷は狼狽える。
「お、俺は別に……け、警察官として見過ごせないだけだっ」
一谷に賛同したのは、寧々子だった。
「そうですわ。こんな夜更けに肝試しに出かけるなんて、危ないわ」
細い眉を顰める寧々子だったが、吉永や桐原は乗り気になっている。
「寧々子さん、肝試しは夜にするものですよ。……面白そうだ、僕も参加していいですか?」
「私も、明日は昼からの勤務なので、時間はありますよ」
七人中五人が肝試しに賛成し、多数決で行くことが決まった。
「よし、それでは行くぞ、諸君!」
「もう勘弁してくれ……!」
花村と理人は、渋る一谷の両腕をそれぞれ取り、引き摺るようにして夜の街に繰り出した。