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第二話 若者達の宴(1)


 その夜、乙木ビルの一室には七人の若者が集まった。花村の部屋はアトリエ代わりに使われ乱雑で汚いため、例のごとく三階の理人の部屋での開催である。

 理人と一谷、花村、乙木ビルの住人である桐原、そして花村が連れていた男女三人。足りない椅子を運び込み、テーブルを囲む。

 テーブルには花村が用意したワインやブランデー、日本酒といった酒や、カフェー・グリムの台所を借りて理人が作ったサンドウィッチ、一谷と桐原が買ってきた総菜、つまみになる塩煎りの木の実、干し肉が並んでいた。まさに祝いの席だ。

 各々グラスや湯飲みを手にしたところで、花村が音頭を取った。


「諸君、よくぞ集まってくれた! それではこれから宇崎君のお祝いを――」

「あの、花村さん。できれば、そちらの方々を紹介していただけると……」


 花村の客と初対面である桐原が頼むと、花村は「そうだった」と頷いた。


「では各々自己紹介からだな。まずはダビデ君からだ!」


 指を突き付けられた理人は、苦笑して立ち上がる。


「初めまして、ダビデ……ではなく、千崎理人といいます。このビルの一階にあるカフェー・グリムで給仕をしています」


 表向きは、と内心で言う。裏ではカホルの探偵代理をしている、なんて紹介はできない。女性があらまあと大げさに驚いてみせる。


「おや、千崎さんと仰るのですか。てっきり異国の方だと思っていましたよ」

「ええ、外国の活動写真に出てきそうな顔立ちですわ」


 にこやかにスーツの優男と紅一点の女性が感想を述べる。

 理人は「どうも」と礼を言いつつ、隣にいる一谷の肘をつく。次はお前だと促せば、一谷が急いで立ち上がった。


「俺は一谷高正と申します。千崎の友人でして、ええと、この度はめでたい席に呼んでいただき誠に……」

「一谷、祝辞をしろと言ってるわけじゃないよ」

「わ、わかっている。その、歳は二十五、職業は警察官、趣味は剣道であります!」

「お前、見合いじゃないのだから……」


 理人は呆れつつ一谷を見るが、ふと、そこで強い視線を感じた。

 見ると、三人の若者達が驚いたように一谷を見ている。どこか奇妙な空気、わずかな緊張感が漂ったのを理人は感じ取った。


「……警察官、なのですか」

「確かにそんな感じですわね」

「なぁんだ、仁王さんではなかったのか。仁王もダビデと同じようにあだ名ということかい」


 三人はそれぞれ何事もないように視線を逸らしたため、すぐに違和感は消え去る。

 理人が少し引っかかりを覚える中、次の桐原の紹介に移っていた。


「では次は私ですね。私は桐原隼といいます。この近くの大学病院で働く医師です。まだまだ勉強中の新米ですが」

「まあ、お医者さんなんですの?」

「ええ、外科が専門です」


 桐原の紹介が終わると、「次は僕だな!」と花村が立ち上がる。


「花村宗介だ。みな知っての通り、芸術家だ! 絵も描くが彫刻が本業だな」


 花村は実質、売れっ子の画家だ。多数の出版社と契約し、雑誌の表紙や絵葉書などを手掛けている。

 花村は自身の紹介を簡潔に済ませて、三人の方を向いた。


「さあ、次は主役の宇崎君だ!」


 びしりと指を突き付けられたのは、大人しそうな眼鏡の青年だった。おどおどと周りの様子をうかがいながら、頭を下げる。


「あの、初めまして。僕は宇崎善太郎といいます。日本画を描きます。あの、洋画も勉強中で……その、今回、帝展、ええと、帝国美術院展覧会に出品した作品が、入選して……」


 自身なさげにぼそぼそと話す宇崎の隣で、スーツ姿の優男がさらさらと説明する。


「宇崎の絵はすばらしく美しいですよ。日本画ではありますが、従来のものよりも緻密な描写と繊細な色遣いで、まるで洋画のようだと言われています。ほら、速水御舟のような」

「ぼ、僕なんか速水先生の足元にも及びません……」

「宇崎。お前、入選したのだからもっと自信を持ちたまえよ」


 呆れたように言う優男に、宇崎は顔を赤くして縮こまる。


「そうだぞ。宇崎君は、美術学校にいる友人から紹介してもらったんだ。六年くらい前だったか。家の事情で学校を辞める宇崎君に、絵を描ける場をと頼まれて、乙木サロンを紹介したんだ。宇崎君の絵は写実的なのにどこか幻想的で、僕も好きだぞ」

「は、はい、恐縮です……」


 花村に褒められても宇崎は縮こまるばかりだった。

 やれやれと肩を竦めた優男は「では次は僕が」と立ち上がる。


「僕は吉永侑哉といいます」

「君も画家なのかな? 随分と絵に詳しいようだったけど」

「いいえ、僕は……これです」


 理人の問いに吉永は微笑むと、傍らにあったケースからヴァイオリンを取り出して構えた。


「まあ、音楽家、というやつですよ。なんでしたら、一曲ご披露しましょうか?」

「あら、それでしたら、あたしも」


 紅一点の女性が立ち上がる。


「あたし、長尾寧々子と申します。どうぞ寧々子と呼んでください。あたしも、吉永さんと同じく音楽家ですわ。もっとも、あたしの楽器はこの喉ですけれど」


 寧々子は喉に手を当てる。


「……オペラ歌手を目指していますの。目指すは第二の松井須磨子ですわ」

「おや、随分と懐かしい名前ですね」

「ええ。幼い頃に舞台のカルメンを見て以来、憧れているんです。あたし、普段はバーで女給をしていますのよ。たまにバーで歌っていたのですけれど、その時に乙木夫人が声を掛けて下さいましたの」

「乙木夫人に見初められたくらいですから、きっと素晴らしい歌声なのでしょうね」


 桐原が言うと、寧々子はにっこりと笑った。


「せっかくですから、ご披露しますわ。吉永さん、伴奏をして下さるかしら? 宇崎さんの祝いの席ですもの、賑やかに参りましょう」

「かしこまりました、歌姫殿」


 吉永はおどけて、ヴァイオリンの弦に弓を当てる。

 室内に軽やかな音色が流れ出し、美しい歌声に男性達は聞きほれた。

 楽し気な音楽は皆の心を浮き立たせる。男性達を寧々子はダンスに誘う。元華族の御曹子でダンス経験のある理人は軽やかに、一谷や宇崎は戸惑いながらも不器用にステップを踏んだ。




《舞台感想》

舞台オリジナルキャラクター三名、それぞれ役者さんがぴったり当てはまってました。

おどおどとした宇崎に、飄々とした吉永、そして勝気で可愛い寧々子さん。寧々子さんは元宝塚の方が演じて下さり、この宴のシーンでの歌が本当に素敵でした。

花村の我が道を行くスタイルも、穏やかな物腰の桐原も良き。理人と一谷のやり取りがコミカルで面白かった。楽しい宴でした!



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