エピローグ
カフェー・グリムに日常が戻ってきた。
朝の開店前の時間は静かに過ぎ、三宅が淹れる珈琲の香りが店内を満たしていく。
理人は店内の掃除をしつつ、カウンターの隅で新聞と洋書を広げるカホルを横目で見やった。
清々しい朝にもかかわらず、カホルの機嫌はよろしくないようだ。
――あれから、カホルの推測通り、“吉永侑哉”は姿を消した。
宇崎に届けられた選別の品――絵画や宝飾品は、宇崎の母親に確認したところ、やはり彼の家のものだったようだ。
吉永はおそらく、かつて音楽隊が盗んだ品々を返すため、乙木サロンに入り込んで宇崎に近づいたのだろう。乙木夫人にも伸樹にも知られずにサロンに出入りした彼は、一体何者だったのだろうか。おそらくは遊馬やミドリ――音楽隊の関係者なのだろう。
そして、かつての音楽隊が、盗品を持ち主に密かに返している。
カホルを救った翡翠のブローチも、乙木夫人の知人の女性のものだったと言う。表面に少し傷はついてしまっていたが、思い出の品が戻ってきたと女性はたいそう感謝しており、乙木夫人も再度礼を言いに来たものだ。
遊馬達がカフェー・グリムに来たのは、このブローチを返すためだったのだろうか……。なぜそんなことを今さらしているのか。遊馬は『償い』と言っていたが、行方の知れない今、答えを知ることはできない。
事件自体は解決した。乙木夫人の依頼も無事こなすことができた。
だが、何となくすっきりしないというか、パズルの最後の一欠けらが見つからないまま終わってしまったような、そんな事件であった。
カホルもそう感じているようで、新聞記事に目を通しては、音楽隊の情報を探しているようだ。
「カホル君、何か面白そうな記事はあったかい?」
「……いいえ」
溜息をつきながら、カホルが新聞を閉じる。不機嫌そうなカホルの気を晴らす話題はないかと考え、理人はふと思いつく。
「音楽隊か……そういえば、そんな題名の話が童話の中になかったかい? たしか――」
「『ブレーメンの音楽隊』ですね」
カホルが即答した。童話の話を出せば少しは気分転換になるかとも思ったが、カホルの眉間の皺は消えない。
「あの話は意味が不明です。ブレーメンに辿り着いていないうえ、そもそも音楽隊でもない」
「ああ……」
確かにカホルの言うとおりであった。
『ブレーメンの音楽隊』もまた、グリム童話の一つだ。
年老いて仕事ができなくなったロバは、飼い主に処分されそうになり、脱走してブレーメンを目指す。町の音楽隊に入ろうと考えたのだ。その旅の途中、似た境遇のイヌ、ネコ、ニワトリに次々に出会い、ロバは彼らを誘ってブレーメンへと向かう。
その道中、動物達は明かりの灯る家を見つけた。家に近づいてみると、泥棒達がごちそうを食べながら宝物を分けている。ごちそうを食べたい動物達は、泥棒を追い出すために一計を案じた。
ロバの上にイヌ、イヌの上にネコ、ネコの上にニワトリが乗って、恐ろしい影を窓に映し出し、さらに一斉に大声で鳴いて、化け物だと思わせたのである。
作戦は成功し、怯えた泥棒達は逃げ出して行った。ごちそうをたらふく食べた動物達は、その家がすっかり気に入り、四匹で仲良く暮らしたそうだ――。
結局ブレーメンへは行かずに、音楽隊にもならなかった動物達。
「そもそもロバがどうやって琴を弾くのかも疑問です」
「これは童話だよ。願いを叶える妖精が出てくるのだから、動物だって楽器を弾くさ」
「それはそうですが……私が気になるのは、動物達が、泥棒の家とはいえ人の家を奪って生活している点です。さすがに泥棒も気の毒ですよ」
そう、動物達は泥棒を追い出して家を手に入れた。しかも、家を取り戻すために帰ってきた泥棒を、噛み付いたり蹴飛ばしたりして追い返すのだ。
「だいたい、家で保管されている食料にも限界はあるでしょう。食料も宝も底をつけば、再び彼らは路頭に迷うことになる。そうなった時、一体彼らはどうするつもりなのでしょう。無計画にも程があるというものです。それに、家を追い出された泥棒達の行方も気になります……」
ぶつぶつと呟くカホルは、どちらかと言えば泥棒達に肩入れしているようである。
確かに家を奪われた彼らは気の毒だが、泥棒の家も、もしかしたら誰かから奪ったもの、あるいは奪った宝で作ったものかもしれない。
そもそもロバ達動物も、考えてみれば気の毒な境遇である。
今まで一生懸命仕事をしてきたのに、年老いて働けなくなったら捨てられた。飼い主の人間も悪いのではないだろうか。動物たちも被害者なのだ。
被害者が加害者になり、加害者が被害者になる――。
まるで今回の事件を見ているようだ。
家を強盗団に奪われた宇崎は、取り戻すために理人達を利用した。
かつて『音楽隊』のせいで職を失った親を持つ寧々子は、生きるため、復讐のために『音楽隊』を騙って強盗を働き、宇崎の実家を幽霊屋敷に仕立て上げた。
そして吉永……『音楽隊』の関係者である彼の目的ははっきりとは分からない。ただ、過去の償いをしているのだろうが、彼らもかつての加害者であることには違いない。
難しいものだな、と理人は空のテーブル席を見やる。同じように、カホルもそこに視線を向けていた。遊馬が座っていた席だ。
「……遊馬さんも、あれから来なくなったね」
「ええ。まあ、さすがにもう来ないでしょうね。きっと、どこかのカフェーなりサロンなりに入って、すんなり溶け込んでいるのではないですか?」
「はは、確かにね。彼らはいつの間にか、どこかに潜んでいるのかもしれない」
理人は苦笑し、ふと、思いついてにやりと笑った。
「……実は僕も、吉永君や寧々子さんのように、このカフェーに潜んで情報を流しているのかもしれないよ」
こそりと囁いてみせた理人に、カホルはきょとんと顔を上げ、やがて笑みを零した。
「それはあり得ませんよ」
「……ずいぶんとはっきり言うね。実は僕は、ものすごい詐欺を働いて相手を騙し、金を巻き上げるような悪人かもしれないのに」
「もしあなたが悪人だとしたら、その時は私の見る目が無かったということです」
カホルはさらに言葉を続ける。
「私だけではありませんね。あなたの才能をかってサロンに誘い、あなたに期待をかける乙木夫人も、あなたの真面目で勤勉な働きぶりと上達を影で喜び、こっそりと私に褒め言葉を零す三宅も……それに、あなたが職に就かずふらふらと遊び歩いていても見捨てず、常にあなたを気にかけ見守っている大切なご友人の一谷さんも、皆さん見る目が無いということになりますが、あなたはそれでよろしいのですね?」
「……」
理人はしばし黙り込み、大きく息を吐いた。
「……君のそういうところが、時々ひどく憎たらしいというか、悔しいというか……」
「おや、どういうところです?」
「そういうところだよ」
悪戯っぽく笑ってとぼけるカホルに、理人もまた苦笑を返して答える。
「ああ、まったく……いつか必ず君の鼻を明かしてやるから、待っているといい」
「ええ、お待ちしています。ですがあまり待たされると、眠ってしまいそうですよ。いつになったらあなたに名前を当ててもらえるのか、期待して待っているのですが」
「わかっているさ。こっちも生活がかかっているのだからね」
挑むように見つめる理人を、カホルもまた見つめ返す。
言葉は喧嘩腰であるが、二人の顔には笑みが浮かび、このやり取りを楽しんでいるのが見て取れた。
カウンターで珈琲を淹れる三宅は、そんな二人の様子を微笑ましく眺めた後、声を掛ける。
「カホルさん、理人君。そろそろ開店の時間ですよ」
「はい、三宅さん」
理人が返事をした矢先、カフェーの扉のベルが鳴り、誰かが入ってくる。
乙木夫人だ。
「ごきげんよう、カホルさん、千崎さん。新しい依頼があるのだけど、よろしくって?」
どうやら、次の事件が入ってきたようだ。
乙木夫人の問いかけに、理人とカホルは顔を見合わせた後、「ええ」「もちろん」と揃って頷いたのだった。
《舞台感想》
長台詞のカホルに「あなたはそれでよろしいのですね?」と言い任される理人。このコンビ好きだ…。
プロローグの歌も好きですが、ラストの歌も好きです。「物語は続く」のフレーズがよい。
まだメロディは何となく覚えているのですが、忘れてしまう前にちゃんとDVDになってほしい…いや、もう無理だろうなとは分かっているけど…泣
ともかく、本当に素敵な舞台でした。
舞台を作り上げて下さった皆様に、多大な感謝を。




