第四話 乙木夫人の依頼(1)
翌朝。
カフェー・グリムの店内に、二人分の欠伸が響いた。
一つは理人、もう一つはカホルのものである。
思わず無言で顔を見合わせる二人の間に、すっと珈琲が出される。三宅はカホルだけでなく、理人にも「眠気覚ましにどうぞ」と珈琲を差し出した。
「ありがとうございます、三宅さん」
「カホルさんはともかく、理人君が眠そうなのは珍しいですね」
三宅にさらりと言われ、カホルは唇を尖らせる。
「三宅」
「だってカホルさん、いつもこの時間は居眠りしているじゃありませんか」
「……」
黙ったカホルは、拗ねた顔で珈琲にちびちびと口を付ける。三宅は穏やかな笑顔のまま、理人に向かって尋ねた。
「昨晩のパーティーは楽しまれましたか?」
「ええ、とても」
理人はパーティーから怪談、そして肝試しへとなった顛末を三宅に話す。
「宇崎さんの怪談に出てきた『幽霊屋敷』に肝試しに行こうとなりましてね。牛込見附にある幽霊屋敷に行ってきました」
「ほう、牛込まで行ったのですか」
「はい。何でも十年ほど前に、一家全員が強盗に殺されたという洋館らしくて……」
「十年前……牛込で強盗殺人、ですか?」
三宅は少し首を傾げる。
「はて、そんな事件があったでしょうか……」
「まあ、噂ですので確かではないですが」
「それもそうですね」
それでも三宅は何かを思い出すように考えている。ふと、二人の横からカホルが尋ねてきた。
「それで、『幽霊』は現れたのですか?」
「ああ……」
理人は昨晩の出来事を思い返しながら曖昧に頷いた。
牛込の幽霊屋敷では、謎の悲鳴のような声、光る眼を持つ化け物、浮かぶ白い影に遭遇した。窓には人影もあった。だが、それらが『幽霊』だと断定はできない。
「謎の声や光る眼の化け物、浮かぶ白い人影……『幽霊らしきもの』は現れたよ」
「なるほど……」
「本物の幽霊かどうかは確かめられずじまいさ。一谷に首根っこ掴まれて、そのまま皆で屋敷からこのビルまで逃げ帰ってきたものでね」
そうして、そのままパーティーはお開きとなった。一谷は一人で帰るのが怖かったのか、理人の部屋に結局泊まっていき、早朝に理人を叩き起こしてから帰っていったものである。
理人はやれやれと肩を竦める。
「もっとも僕からすれば、深夜の屋上で君に遭遇した時の方が、よほど肝が冷えたね」
「……どういうことです?」
「だって、暗い中で黙って立っているんだよ。幽霊かと思ったのさ」
「それはあなたが勝手に勘違いして驚いただけでしょう。私はあなたを脅かす気はありませんでした」
カホルが肩を竦めると、扉の呼び鈴がカランと鳴った。
入ってきたのは、洋装の美しい婦人だ。白いレースが付いたすみれ色のワンピースにクローシュ帽。上品で華やかな装いが板についた美女は、赤い唇に笑みを浮かべる。
「ごきげんよう、皆さん」
「乙木夫人」
理人は立ち上がって出迎える。
すると、乙木夫人の後から年若い青年も入ってきた。立ち襟のシャツにサスペンダーとズボン、そしてハンチング帽。見覚えのある風体だ。
「……と、伸樹君まで」
「どうも、千崎さん。お元気そうで何よりです」
目を瞠る理人に、伸樹はにこりと愛想よく挨拶してきた。
乙木夫人ならともかく、伸樹まで来るとは何事だろうか。振り返ってカホルに目線で尋ねると、カホルは「すみません、伝え忘れていました」と形ばかりの謝罪をした。




