プロローグ
これから語る物語は、僕らが解決した事件の一つである。
もっとも、僕らの活躍を知っている人にとっては、聞き覚えのない事件であろう。
何せ、この事件は解決に至ったとはいえ、僕の雇い主が少々お気に召さなかった事件だからだ。
……さて、事件のことを語る前に、なぜ僕がその事件にかかわることになったのか、そもそもなぜ僕が事件を解決する『探偵』のようなことをしているかを説明することにしよう。
僕の名は、千崎理人。
ドイツ人の母と日本人の父を持つ。父は華族であり、僕はいわゆる御曹司であるが、元・御曹司と言った方が正しい。
帝都大学を卒業して家を出た僕は、職にも就かずにふらふらと遊びまわって、友人の下宿に世話になり、二年間も居候をしていた。
やがて友人……こいつが一谷高正というのだが、いかにも生真面目で強面な警察官で、まあ、かなりのお人好しではあるのだけれど。
とうとう一谷は、堕落した生活を送る僕に痺れを切らし、「職と家を探せ」と言って、僕は下宿から追い出される羽目になった。
そこで僕が頼ったのが、“昭和の女男爵”と称される女性実業家・乙木文子夫人だ。
かつて僕は、彼女の経営するカフェーで知り合い、乙木夫人のサロンに招かれた。通称“乙木サロン”といって、若い芸術家達が集う場所だ。乙木夫人は、カフェーやミルクホウルの経営だけでなく、貧乏な若い芸術家達の支援も行っていた。
サロンに行けば、しばらくの間は糊口を凌ぐことができる。乙木夫人の伝手で職も探せると期待して、僕は乙木サロンに向かった。
思えばこれが、僕の生活が一変するきっかけであった。
サロンで出会ったのは、一人の子供だった。
薔薇の香りがするサンルームで眠り続ける彼は、まるで童話の中のいばら姫のよう。
「いばらの城のお姫様、目覚めの接吻はご入用かな」
そう言ってからかった僕に、子供はこう返してきたものだ。
「あなたが私の王子様で、呪いが解けるのなら、喜んで所望したいところですね」――と。
いばら姫の話はもちろん、彼はグリム童話が好きらしい。
僕が持ち掛けた暇つぶしのゲームに、この子供は、鋭い観察眼と推理力で、僕の素性をあっという間に当ててみせた。
そして、グリム童話のルンペルシュティルツヒェンになぞらえて、こんな賭けを持ち出したのだ。
「あなたの願いを叶える代わりに、私の名前を当てて下さい」
僕の願い――職と住居を提供する代わりに、子供の名前を当てる。三か月という期限付きの賭けに、僕は乗った。
面白そうであったし、何よりこの子供――仮の呼び名は“小野カホル”――に興味が湧いたからだ。
そうして僕は、職と住居を得た。
住居は、乙木夫人の所有するしゃれた洋風建築のビルディング“乙木ビル”だ。
乙木ビルで出会ったのは、破天荒で奇矯な売れっ子画家の花村宗介。
近くの国立病院で働く新米医師の桐原隼。
そして、ビルの管理人である高倉淑乃。
僕は、この乙木ビルに入っている“カフェー・グリム”で働くことになった。
店主のカホル君、そして先輩である三宅さんの元で、給仕として働いている。
……表向きは。
そして裏では――秘密の探偵稼業。
乙木夫人から持ち込まれる依頼を解決するのだ。
もっとも、解決するのは僕ではない。カホル君だ。子供である彼の代理として僕が『探偵』役を演じ、カホル君は『助手』の役をする。
そうやって、今までいくつかの事件を解決してきたものだ。
金の鳥の館の事件では、隠された遺産を探し当てた。
白石邸の雪子姫事件では、継母に命を狙われているという令嬢を救ったこともある。
ハーメルンの笛吹き男を模した、浅草近辺で起こった子供の連続失踪事件では、友人で警察官である一谷や、乙木サロンの庭師である高倉伸樹――ちなみに彼は高倉淑乃の兄である――と協力して、犯人を捕らえることに貢献した。
カホル君と共に事件を解決する一方で、僕は彼の本当の名前を探っているのだが、いまだに進展がない。
さて、どうやって彼の名前を当てればいいのやら……。
前置きが長くなってしまったが、以上が、僕が『探偵』をしている理由だ。
それではこれから、事件のことを話していくことにしよう。
この事件……名付けるとしたら『音楽隊の幽霊屋敷』というところだろうか。
午後のカフェー・グリムから、物語は始まった――
2020年1月29日~2月2日に舞台で公演されていた『帝都メルヒェン探偵録 ~幽霊屋敷のブレーメン~』の原案小説です。
ひい、もう2年半前…!
当時、コロナが流行る直前で、もう少し遅かったら舞台は中止か配信か…というような状況でした。
感染対策しながら尽力して下さった関係者の皆様に、本当に感謝しかありません。
さて、このプロローグ部分。
理人の独白部分の長台詞、主演の冨森さんが頑張って下さいました!ありがとうございます、長い文章を本当にすみません…!
途中途中で、一谷や乙木夫人、カホルや花村が登場するのですが、仕草が皆、本物みたいで(?)。いや、彼らが動いていたらこうなんだろうなと思わせて、役者の皆様がそれぞれのキャラクターをしっかり演じて下さっているのが、初っ端から分かって嬉しかったです。
また、プロローグ部分には歌が入るのですが、「ここは帝都」の歌とみんなの動き、ダンサーの振付が本当にすばらしくて…!「現れた探偵」の流れからがものすごく好き。ここの部分は、たぶんまだTwitterで動画があるはずなので、是非とも見ていただければ!