マリーナの心
侍女たちがクルクルと働き、マリーナの支度を整えていく。
人形のように彼女はされるがまま。それは逃亡生活前には普通の生活だった。しかし、今ではこれがいかに普通ではないかを知っている。
──それは、悲しむことではないわ。
正装が整えられ、侍女たちが去り、クロードと二人残された。
「神々しいほどに美しい、クソッ、むちゃ美しい……。アッ、です」
マリーナの視線に気づいたのか、クロードは恥ずかしそうな表情を浮かべ、口もとを抑えた。
「クロード。あなたは美しいわ」
「俺は……。いや、わたくしは美しいと言われたくなかった」
「俺?」
「ご、ごめんなさい」
「気にすることないわ。わたくしの前ではそのままでいなさい」
「マリーナさま。俺、男言葉を使うのが普通で。だから、でも。あ、しかし、マリーナさまは本当に美しい女だ」
熱い視線で見つめるクロードに、彼女はため息まじりにつぶやいた。
「どうでもいいことよ」
このクロードという自分に似た男。なんの傷もなく無垢で、かつての自分のように純粋だ。たぶん、女も知らないと思うと愛おしく感じた。
「赤いドレスがお似合いです」
「あなたの声は、とても低いのね」
「俺、いや、まあ」と、彼は言葉をにごす。
「不思議ね。わたくしは心を失ったけれど。それでも、なぜか、あなたには親しみを感じるわ」
クロードにはじめて会った気がしないのは、なぜだろう。
──それを、考えるのはやめておこう。感情を持てば苦しむだけ。
ウエディングドレスは光沢のある緋色でゴージャスだ。この色はフレーヴァング王国では聖なるもの。ラドガ辺境国で結婚式をすれば白いドレスになったろう。
「式のお時間です」と、いつの間にか、アトリが横で平伏している。
「行きましょう」
マリーナは顎を上げ姿勢を整えた。
母国からフレーヴァング王国まで、帆船に乗って一時間。船着場からパレードに参加して三日。疲れたが態度には出さない。
そういう訓練は子どもの頃から受けてきた。
いかに惨めな立場だろうと、尊厳は失わない。
背筋を伸ばし、幼いころから訓練された完璧な動作で歩を進める。
彼女は生まれながらの女王だ。
ドアが開かれると、飾り剣を携えたふたりの従者が最上級の礼服を着て待っていた。
導かれるままに、城から庭園に出る。その先に大きな祭壇が見えた。
祭壇に入る門柱の手前、父が警備兵を従えて待っていた。
前日に父は到着しており、さまざまな取り決めや、協力関係に関する調印を夫となるヴィトセルクとしたはずだ。結婚式が終わり次第、今日にも父は帰国する。
「行くぞ」と、父が腕を曲げた。
「はい」
父の表情は硬いのは、交渉があまりうまくいかなかった証拠だ。
ヴィトセルクは政治的手腕に長けていると聞いた。マリーナの不祥事がなければ、優位な取り決めができたろう。まあ、父のことだ、それなりの成果もあったにちがいない。
マリーナはチラッと険しくシワの刻まれた父の顔を見て、腕に手を添える。
ゆっくりと進む。
飾り付けられた門柱のかなり先に祭壇があり、その道のりには列席者が並んでいる。彼らが一斉に立ち上がった。
中央の赤い絨毯を歩く。
マリーナの右側にはラドガ辺境国からの列席者。そして、左側がフレーヴァング王国の要人たち。正面にヴィトセルク王が待っていた。
ちらりと王を見た。
祭壇で待っている王は無表情で、その顔を見ることができず、顔を伏せた。
彼女が歩を進めるたびに、周囲から感嘆のため息が聞こえてくる。
「お、お美しい。なんという美貌だ」
「確かに天下一の美女だ」
「妖艶さで素肌がきらめいているぞ」
「あの肌の白さを見て、うらやましい」
さまざまな囁き声が聞こえてくる。まるで奴隷の値踏みだとマリーナは感じた。
彼女は昔から神経過敏なところがあって、なにかに関連づけては、その意図を探ろうとする悪い癖がある。良い時には力を発揮するが、時に単なる悪弊にすぎないこともある。
列席者のヒソヒソ声を聞き流しながら、姿勢を正し、前に進む。祭壇は目前だ。
10段ほどの階段を上ると祭壇に到着する。
階段の一段ずつに松明が掲げられ、最上階には大きく火がたかれていた。聖なる炎が白い煙となって天に向かい漂っている。
父は腕を下ろすと、祭壇手前でヴィトセルクにうなずいた。
ヴィトセルクは祭壇前で祭祀と話をしていた。こちらと目を合わさない。
凛々しく雄々しい王は、マリーナをなんと思っているのだろう。彼は、この結婚に期待などしていないだろう。
マリーナは夫となる男のもとへ階段を登った。最上段に登ると、軽く頭を下げて、王と祭祀に礼をした。
祭祀が儀式のはじまりを告げる。
「大いなる火神のみもとで、二人に祝福をあたえんことを。幸いなるかな、幸いなるかな」
祭祀が両手をあげて祭壇に向かって一礼する。
それから、振り返ると、式に挑む二人に向かって高らかに宣誓した。
「これより、ヴィトセルク・リングラール・聖王フレーヴァングとマリーナ・ド・ヘルモーズ妃との婚礼をはじめる。巫女のおわすシオノン山に向けて拝礼を」
ヴィトセルクが右手を背にあて、片膝をついた。マリーナもそれに従う。
「大地に拝礼を!」
ふたりは、ならんで、大地に向かい、厳かに礼をする。
「契りを結ぶものよ、互いに拝礼を」
ヴィトセルクが立ち上がり、はじめてマリーナに向きあった。その目には、なんの感情も色もない。彼は軽く首を垂れると、礼をする。
祭祀が背後に控える従者から赤い紐を受け取ると、二人の手首に巻きつけた。
「この赤き紐によって結ばれた二人が夫婦となることを宣言する。ふたりに祝福を。幸いなるかな、幸いなるかな」
「火神のお恵みを」と、祭壇の背後から斉唱する声が聞こえる。
祭祀が両手を天にあげると、それを合図に、祝祭の鐘が周囲を圧倒する音量で鳴り響いた。
花火が大空に向かって、打ち上げられ、ドドーーンという音とともに、花吹雪も舞う。
祝福するかのように祭壇の炎が燃え上がり、ふたりの顔を照らし出した。
マリーナははじめて、ヴィトセルクの顔を見た。彼の顔にふっと笑みが浮かび、すぐに消えた。
──さようなら、さようなら、ユーセイ。
(第2章完結:第3章クロードにつづく)