花びらが舞うなか、あの人と
パレードを彩る花吹雪が、ひらひらと舞い落ちてくる。
──この花びらのように、どこか遠くへ落ちていくことができるのなら。あの人の去った、この世界は色を失った……。
半年前、ここから遠くない丘でユーセイとともに暮らしていた。
また、花びらの一片が舞い落ちてくる。
あの儚い幸福の日のように。
マリーナはドレスの上から胸に手を触れる。
あの日、ピンク色に染まった乳房をあらわにしたまま、羞恥心を忘れた。火照った身体で雑草の上に横たわっていた。
ユーセイの手が触れ、「硬くならないで」と、耳もとで囁き声が聞こえる。
ポンポンポンと弾ける音がして、草の間からタネが飛び出した。タネは花びらとなり、クルクル開きながら空に舞ったものだ。
その奇跡は丘全体で一斉におきた。
薄桃色や白く淡い花びらは、空も地上も全てを隠していく。見渡す限り幻想的な色に染めあげていく。
ユーセイが仰向けになり、マリーナはその肩に頭をのせた。
『僕の生まれた場所では、春に桜の花びらが舞います』
『さくら? それは、とても美しいのでしょうね』
『ええ、桜の下には死体が埋まっていると思うほどに』
マリーナは、しどけない姿のまま、その美しさを想像し、彼の愛撫に言葉を失う。
「姫」と、声が聞こえた。「マリーナさま」
クロードが怪訝な表情を浮かべ、こちらを見ている。その面前で、いかめしい女が腰を曲げて礼をした。
「使用人頭のアトリと申します。まずはお部屋にご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
アトリの声に衛兵がドアを開く。
彼らの存在を無視して、マリーナは花びらを手のひらで受けとめた。
「……」
クロードが何かを言っている。声が聞こえない。ただ、花びらが舞って落ちてくるのを眺めた。
「マリーナさま」
ぎゅっと花びらをつかむと、それは粉々に壊れていく。
「どうなされたのですか」と、侍女のひとりが声をひそめた。
「花が散っていく」
「あ、あの」
「参ります」
アトリが一行を城内に招き入れ、個室に案内する。
紫地に白い文様が描かれた壁の部屋は、過去に豪華だったかもしれないが、汚れと古臭さは隠せない。
入ってすぐの右側に天井まで届きそうな格子窓があり、ビロウドの赤く重そうなカーテンがおりている。どこもかしこも古臭い。リーラ城のような明るさはないが、伝統と歴史を感じる重厚さがある。
数ヶ月前、この同じ部屋で静養した。その間、ヴィトセルク王とは会わなかった。当時はまだ王子だったが、彼は会いに来なかった。
これから始まる結婚式典で再び会う事になるだろう。そう考えると、心が重い。王は彼女がどれほど異世界の男を愛していたか知っている。
政略結婚とはいえ、そんな女との婚姻に、どんな気持ちで挑むのだろうか。
「お着替えを終えましたら、お式となります」
「準備がございます。我が国の従者たちをこれへ」と、クロードが命じた。
「おおせのままに」
アトリが引き下がった。すぐにクロードがベールを脱ぎ、マリーナの前で膝を折った。
「あなたがクロード」
「はい、姫殿下」
よく似ていると思ったが、それ以上でも以下でもない。
マリーナは19歳だが、残りの人生は余生にすぎないと思っている。ユーセイを失ったとき、心が消えてしまった。
あとは、自分の義務を淡々とこなしていく。
「着替えを」と、平板な声で命じた。
「早々に」
その言葉と同時くらいに、ドアがノックされた。
マリーナがうなずくと、クロードが声をかけた。
「お入りなさい」
ラドガ辺境国から、彼女付きとして3人の小間使いがついてきた。姫付きとしては人数が少ない。ヴィトセルクが小間使いはフレーヴァングで用意すると言ってきたようだ。
『お前が仕出かしたことだ』と、父は怒った。
『フレーヴァングのような小国にあなどられるのは、お前が男と逃げ、よりにもよって、あの国王に発見されるという失態を犯したせいだ。自分で蒔いた種は自分で苅れ』
父は知らないが、実際にはマリーナがすがったのだ。
夫となる男に、恋人を救って欲しいと決死の覚悟で迫った。あの日、手に汗がふき出し身体が震えた。
『本当にマリーナ皇女であられたか』と、彼は清々しい笑顔で言った。
その顔が彼女の願いを聞いたとき、わずかに曇ったのを覚えている。
『マリーナ姫。あなたにとって、私との結婚は大切なことなのかな』
『殿下との結婚についてですが』
『断りにこられたか』
『いえ、結婚を条件に、お願いに参りました』
『なにかね』
『ある人を、異世界に戻して欲しいのです』
彼は歯を見せずに、右ほほをあげ、うっすらとほほ笑んだ。
『それは、あなたが、こっそりとこの国に潜み、生活をしている男のことだろうか』
ヴィトセルクの声は深く沈み、彼女の嘘を見抜いた。それでも、何も言わずに、この世界では身体が弱るしかないユーセイを異世界に戻してくれた。
彼には返しきれない恩がある。
ヴィトセルクがどう感じたか、今となっては重要ではない。彼はユーセイを救い、そして、マリーナと結婚することで、国王としての責務を果たそうとしている。
父はその事実を知らない。
今日は、まだ終わらない。行事が目白押しだ。
パレードに結婚式。
フレーヴァング王国の火神に結婚を誓い、初夜をともに過ごす。
そこまでがマリーナの義務だと理解している。
(つづく)