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この愛しいクズこの愛しいクズ



 ウルザブ川の河岸へと、ヴィトセルクは馬を駆った。


 川の前面にかかる魔法障壁バリアが、青白くスパークしはじめている。

 もう、持たないのだろう。


 しかし、レヴァルまでの距離はまだある。


 あと数分。

 間に合うか。


 ヴィトセルクは馬にムチを入れた。


 魔法障壁が解けた瞬間、恐ろしいほどの弓矢が降ってくることは間違いない。

 魔力を使い切った魔術師たちに身を守る術はない。


「逃げろ!」と、レヴァルの声が聞こえた。


 仲間の魔術師を先に逃そうとしている。

 レヴァル……。


 スラム街の近くでは魔物が多い。その討伐に仲間とよく行った。あやうく大怪我しそうなとき、何度も彼に救われた。


 魔術師レーゲルクドレールでなければ、レヴァルは負けない。

 しかし、無詠唱で魔術を発動できる彼は、いわば桁違いの能力を持っている。ここで彼を失うわけにはいかない。


「レヴァル! 戻れ!」


 声が聞こえているのか、いないのか。レヴァルはその場を動かない。仲間の魔術師が逃げる時間を稼いでいるのだろう。


 ジリジリと音がしてくる。

 それは、徐々に大きくなり、バチバチ音になってくる。


『このクズ』


 レヴァルは昔、ヴィトセルクをよくそう呼んだ。はじめの頃は心が冷える軽蔑をこめて、それが徐々に笑いを含んだ《《クズ》》になった。

 照れ屋のやつらしい言葉だ。


 逃げてきた魔術師たちとすれ違う。


「アスート!」

「陛下」

「彼らを守れ」

「は!」


 河岸に近づくにつれ、対岸の男に気づいた。

 ひときわ大柄な黒いマントを着た、見るからに不吉な男。あれがナイトメアか。


 まだ、表情は見えない。


 魔法障壁は、いつまで持つ。

 バチバチという音はさらに激しく、そして、ふっと音が消えた。


 対岸の男の表情が見えた。大きな真っ赤な唇が横にニヤリと上がった。

 ナイトメアというより悪魔だ。


 魔法障壁が消滅した。


「打て! 射貫け!」


 敵側の声と同時に、大量の弓矢が降ってきた。

 ふっと膝をついたレヴァル。ヴィトセルクは矢を避けながら、レヴァルの身体を抱き上げた。

 彼の身体は放熱し、沸騰ふっとうしているかのように熱い。


「おそい、相変わらずのクズだな」と、低い声が聞こえた。

「アホが! なぜ、前線に出た」


 ヒュンヒュンと耳をかすめて矢がうなる。

 頭上に掲げた盾に矢が、ドカドカという音を立てて降り注いでくる。


 身体中の毛が逆立ち、アドレナリンが駆け巡る。

 矢2本が腕の鎧を突き破ったが、痛みは感じない。


 ヴィトセルクは駆けた。

 味方の兵が盾で防備しながら背後を守る。


 城壁の門にたどりついたとき、地響きがした。

 背後を振り返ると、ウルザブ川の対岸から何本もの簡易橋が地上に降ろされた音だった。


 来る!


「閉門〜〜!」


 声と同時に門が閉じていく。


 背後から雄叫びが聞こえた。

 味方兵を威嚇する数万の敵。奇襲で削りはしたが、それでも数の劣勢はまぬがれない。

 

 大地を揺るがし、地響きを立てて近づいてくる。

 ザッザッザッという軍靴音が押し寄せる。


 圧倒的な軍事力の差にもう終わったと、人びとは震撼しんかんした。


「戦闘態勢だ!」


 ヴィトセルクは城壁内に入ると、馬の首を回し号令した。


「アスート」

「は!」

「レヴァルを頼む。このバカ、気を失っておるわ」

「は!」


 城壁の奥、一段高い位置に司令塔がある。

 ヴィトセルクが駆け上がると、セルファー騎士団団長に、めったに表にでない参謀ウーシェンが白いマントを風にたなびかせていた。


 兵たちがその場に膝をついた。


 塔には司令用の太鼓が設置してある。


「現状報告を」

「陛下、準備はすべて整っております」

「では、ひと泡ふかせてやるか」

「は!」

「敵を引きつけるまで、攻撃を待て」


 ウルザブ川支流にかけられた簡易橋から続々と兵が進軍してくる。

 同時に城壁に穴を開ける大型石投げ機(カタパルト)など、城壁を攻撃する武器が、ゴトン、ゴトゴトと重厚な音を立ててきた。

 弱小国家であるフレーヴァングでは、見たこともない大型兵器で威圧的だ。


 門を破る破城槌はじょうついは破壊したが、この数では、いずれ城壁は崩れる。


 敵は隊列を二方向に展開して、ウルザブ川本流で守られる西側を別に城壁を囲むように進軍してくる。

 しかし、まだ、弓を射るには遠い。


 川を兵が渡り終わり、隊列が整った。

 一瞬、静寂が訪れる。

 すぐに太鼓の音が鳴り響いた。


 見張り台から声が聞こえる。


「敵兵、距離、300歩」


 弓で致命傷を与える射程距離は90歩以内だ。

 ヴィトセルクは見張り台の声に集中した。少なくとも90歩以内に近づかなくては、敵に当たらず矢の損失だ。


「250歩」


「200歩」


「150歩」


 歩数を数える声は、よく響く。

 周囲の兵たちを見た。緊張と、恐れと、興奮、みな集中している。


「110歩」

「構え!」


 射程内に入った。

 ザッザッザという行進の足音が響き、相手側の太鼓音が不気味に迫ってくる。


「まだだ。引きつけよ」

「100歩」

「まだだ!!」


 ヴィトセルクの合図とともに、弓が放たれる手筈だ。もう少し待て。額に汗が浮かぶ。タイミングを間違えるな。焦るな!


「盾を揃えよ!」


 城壁に並ぶ兵たちは隊長の声に頭上と前方を盾で覆う。


 味方側の合図の太鼓が鳴る。

 ドーンドーンと大型太鼓を2回打つことで、盾の防御。

 3回目で槍の備え。


 連打すれば、弓矢の攻撃だ。


「いまだ、弓を射よ!」


 太鼓が連打された。城壁に立つ指揮官が、「射ろ!」と、号令する。弓が放たれ、同時に敵側からも雨のように弓が飛んできた。


 ドカドカドカと弓を防ぐ音が鳴り響く。


「射よ! 射よ!」


 膨大な弓が城壁から降ってくるにも関わらず、盾で防御し、敵側は歩みを止めることはない。その圧倒的な威圧感。




 その日、敵味方は……、半日に及ぶ弓矢と石による攻撃が続いた。石投げカタパルトから繰り出される巨大な石にも城壁は持ちこたえた。


 壮絶な飛び道具による初日の戦いは、夕暮れを持って終了した。


 敵側は攻撃と同時に、ウルザブ川を越えてテントを設営。ゆうゆうと陣地を広げ、フレーヴァング城壁との距離を縮め、圧力を加えた日になった。


 ヴィトセルクは、どんな音にも、どんな衝撃にもビクともせず、司令塔で背筋を伸ばして立ち続けた。背が高い彼は堂々として、なにものにも動じないよう姿を見せることで味方を鼓舞した。


 敵側が陣地にもどるのを見て、手の甲で唇をぬぐった。血の味がする。


「セルファー。被害を報告せよ」

「は! 陛下」


 フレーヴァング城は、もともと小高い山の中腹に建っており、天然の要塞に近い。

 城の西にウルザブ川、北は峻厳しゅんげんな崖で、南側と東側が外部に開いている。城から降りた場所が城下町であり、その周囲を城壁で囲っていた。


 今、シルフィン軍とは、城壁の南と西を囲まれる位置で対峙している。


「陛下、兵の大部分は無傷でしたが、城壁に損傷が」

「記録係の報告を持ってこい」

「は!」

「アスート」

「ここに控えております、陛下。お食事をお持ちしました」

「皆は」

「通常の備えのもの以外は、食事をしております」

「城壁のものたちにも行き届いているか」

「ご心配なく」

「城壁を守る隊長たちに伝えよ。明日の戦略はプランBに変更だ」

「陛下、いよいよ苦肉の策ですか」


 騎士団団長のセルファーがはじめて口を開いた。その声は重々しい。


「ああ、そうだ。セルファー、この城壁は古いしガタもきている」

「しかし、伝統がありますぞ」

「ものは言いようだな。だが、古くて守れないならば、いっそ攻撃に使う」

「そうですな。では、かねての手はず通り、石工たちを集めましょう、陛下」

「頼む。どのくらいでできるか、確実な時間を教えよ」

「では、後ほど」


 セルファーはマントを翻すと去った。


 ヴィトセルクは緊張がとけ、無意識に息を吐いた。ともかく、今日の戦闘がおわったのだ。この日で、はじめて、その姿勢を崩した。


「皆も休め。明日のためにな」


 ヴィトセルクは敵陣を振り返った。月明かりにそれは青白く浮き上がっている。


「まだ、冬は遠いか」


(つづく)

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