姫として生きる道
……
真っ赤な炎が、メラメラメラとゆらめきながら身体を燃やし続けている。
ここはどこだ? 洞窟? 周囲は緑色の岩に囲まれ、その中心にエメラルドグリーンの神秘的な池が、ぼぅーっと水をたたえている。
はっとして、恐怖にすくんだ。
緑色の池。その真上に浮かぶ女が燃えている。
火が踊り、美しい女が無残に焼かれていく。洞窟を照らす緑の苔が、その姿を鮮明にしている。
女は輝き、燃える。
髪を焦がし、
皮膚を溶かし、
目や口や鼻がただれ、
ぞっとする姿へと変貌しながら焼け落ちる。赤みを帯びた内臓があらわになり、そして、最後には骸骨だけが炎のなか、ゆらぐ。
骸骨が炭になり、次に骨が再生していく。
内臓が戻り、
皮膚を修復し、
赤い髪が頭部から生えていく。
炎の女は、その神々しい顔でほほ笑む。そこに人間的な意図は感じられない。
メラメラメラ……
この女は誰だろう。もしかしたら、炎の巫女と呼ばれる、あの伝説のサラレーンなのか。燃える姿形に人間味がない。神聖な輝きはあっても、そこに人間性がまったく感じられない。
目覚めたとき、クロードは金縛りにあっていた。
身体が鉛のように重い。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなかったが、すぐに豪奢なリーラ城の居室だと悟った。
——命の危険が見せる夢か、愚かだ! 俺は。いや、わたくしだ……。
以前も見た気がしたが、これほどリアルではなかった。まだ、炎の熱を肌に感じるほどだ。
死が身近にある啓示なのか。
彼はベッドに肘を置いてひざまずき、ただ祈った。
——どうか、生かしてくれ。
——まだ、死にたくない、クッソ死にたくねぇんだ。20歳になったばかりだぞ。
──前を向け、俺! 息が止まる最後まで、あがいて、あがいて生きぬけ。方法はあるはずだ。考えろ、死ぬ気で考えろ!
城の奥深くに軟禁されて半年、ふたりの侍女とマグニラン、あと数名の下働きしか顔見知りはいない。
城内もよくわからなかった。しかし、クロードは愚かではない。
この半年、彼の努力を周囲の誰もが認めるほど、必死に頑張ったのだ。
相談する相手はいないが、一か八かの計画を立てた。
逃亡しても命はない。とすれば、自分の価値を知らせることに徹する。
彼は大胆な計画を立てた。
軟禁された部屋から、かねて用意した紐を伝って中庭に降りたのは、それなりの計算があってのことだ。
ヘルモーズ大公が毎朝の日課とする散歩コースがある。大公に直訴するしかない。
賭けだ。
散歩コースの石畳で、彼は朝露に濡れた下草に膝を折り、地面に両手をつけ平伏した。大公が通りかかるのを待った。
長い時間だった。
膝が痛み、身体が硬直しそうになった頃、石畳を歩く、ゆったりとした靴音が聞こえてきた。
平常なら、大公と従者がふたりいるはず。額を両手の甲につけたまま、目だけを300度の視界にして様子を見る。
足音が頭上で止まった。
「何者だ」と、頭上から声が聞こえた。
「ヘルモーズ大公。わたくしです」
「姫、なぜ、ここにいる。牢を抜け出したのか」
牢? なんのことだ。
クロードは顔を上げた。そこには、はじめて見る大公の顔があった。いかめしい表情に、ぎゅっと心臓が縮み、すぐに顔を伏せた。
「そなた……は、マリーナではないな」
「ク、クロードと申します」
「クロード?」
彼の背後にいた従者が、大公の耳もとでなにかを囁いた。
脇のしたを冷たい汗が落ち、全身に冷や汗が流れおちていく。
「なるほど」と、大公はうなずくと、もう一度「なるほど」と言った。
「あ、あの、わたくしは半年のあいだ、マリーナさまになる訓練をしてきました」
大公は何も答えない。ひざまずいた地面を見つめ、クロードは必死に言葉を出した。寒い朝なのに、顔に浮かんだ汗がポトポトと落ち、石畳に黒い水たまりを作る。
──最後の賭けだ! 勝て!
「わたくしは、必ず姫のお力になります。フレーヴァング王国への同行をお願いします。命にかけて姫をお守りします」
返答はなかった。
クロードは顔を上げた。
その時には、すでに大公はお付きの従者とともに、歩き去っていた。
自分の生死も、今後もわからない不安な時を過ごした数日後、クロードの部屋に豪奢なドレスを手に、侍女たちが入ってきた。
そのドレスを見てクロードは、ほっとした。
殺されるなら、こんなドレスを着せるはずはない。
「わたくしはどうなるの?」
「姫さま、わたしたちにはわかりません」
「姫?」
「はい、あなたさまはマリーナ姫さまです。そう思し召しくださいませ」
着付けが終わり、化粧を施してから、二人の侍女は感嘆するような表情を浮かべた。
「なんと、お美しい」
「わたくしがマリーナ姫」
「あなたさまは、前にも申し上げたように姫さまの身代わりでございます」
部屋には、いつのまにか教師マグニランもいた。彼女は時に音もなく部屋に忍びこむ。
「マグニラン先生」
「姫さま」と、彼女は膝を折った。「どうか、マグニランと呼び捨てに」
「マグニラン」
「お教えしたように、品よく、権威をお纏いになって」
クロードの身体が自然に反応する。以前なら、背中を丸めヘラヘラするところだが、半年の訓練は外面的な変化をもたらした。ま、クソッと思う気持ちは変わってないが。
彼は目を軽く細めると、無表情に言い放った。
「マグニラン」
「完璧でございます。あなたさまは、とても覚えがよい。では、わたしめは、これにて。お教えさせていただいて、光栄でございました」
「わたくしは、これから、どこへ向かうのでしょう」
「フレーヴァング王国へ参ります。道中に危険があるかもしれません。姫さまは侍女に身をやつして同行いたします。あなたさまの責任は大きい。これからは姫さまにお仕えし、命にかえて、お守りくださいまし」
クロードは自分の役割を納得した。
あの決死の訴えがうまくいったのか。しかし、この任務は姫として守られるどころか、姫を守るのが仕事。自分が、その影であることだ。
だから、どうだというのだ。
とりあえず、殺されることはない。
彼は姉たちや母とは違い楽観的なところがある。
それに、ラドガ辺境国の片田舎で老いるより、よほど面白い冒険だろう。ワクワクする。
「命に代えましても」と、クロードは膝を折った。
「よろしゅうございます。では、もうお会いすることもないでしょう」
緋色の美しいドレスに身を包んだクロードの顔に、侍女がベールをつけた。
半年間を過ごした部屋と、短剣術の訓練に使ったベランダを見渡した。
マリーナ姫は、ある種のエネルギー、身体に備わったマナで魔石使う能力に精通しているらしい。
しかし、クロードにその才はなかった。代わりに、教えられた短剣術には秀でるものがあった。
「さようなら」
「姫さま、わたしたちも同道いたします」と、ふたりの侍女が声を合わせた。
「では、つかえなさい」
ふたりは本物の姫に対するように膝を折り、深く礼をした。
(第1章最終話:第2章マリーナにつづく)