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愛など知らぬ



「どちらがお好みかな。奴隷の愛撫と、ヴィトセルク王と」

「……や、やめて…」

「答えがなければ、両方で楽しませてもらうが、どちらが良い」


 マリーナは、心を閉じるように目を閉じた。


「そうか、では、最初に奴隷の愛撫を見せてもらおう。ほら、彼の名前は?」

「ユーセイ」と、勝手に口から声が漏れた。

「ユーセイか。さあ、愛しい男の名前を呼びなさい」

「ユ、ユーセイ、ユーセイ……、ユーセイ」

「そう、いい声だ。愛に溢れている。では、彼の愛撫を再現してごらん、美しいマリーナ。そのドレスは彼が脱がしたのか、自分で脱いだのかね」


 指が勝手に動き旅装用の服を脱いで行く。


「美しい。まさに美の女神に愛された裸体だ。さあ、すべてを脱ぎすてて、思い出すのだ。彼は、そう、ユーセイは君の身体を使ったのだね」

「ユーセイは……」


 指が彼女の意思とは別に動く。それは記憶にある、あの人のやり方。

 はじめての夜、愛に溺れた日々。彼がどう身体に触れ、肌に触れ、優しい声で、『マリーナ』と呼んだか。


 心の奥深く鍵をかけた感情がほとばしる。忘れたと思った記憶が事細かに再現される。どんな拷問よりも、それは辛い。


 醜いツノの生えた魔術師の眼前で、彼女は痴態を繰り広げた。


「さあ、本物の喘ぎ声を聞かせてくれ」と、魔術師は言った。


 首から上だけが自由になった。

 顔が動く。


 ──わたくしはフレーヴァング王国の王妃であり、ラドガ辺境国の姫。このような扱いを許しては決していけない。今よ。


 舌を強く噛んだ。


 激痛、激痛、激痛!


 舌がちぎれ、血が口内に溢れ、喉を塞ぐ。息が詰まり、強烈な痛みを感じるが、身体は自力で動かせない。

 痛みと苦しみに悲鳴を上げているはずの身体は、快感を与える自分の指に反応している。


「マリーナ!」


 魔術師の慌てふためいた声が聞こえた。

 意識が消えていく。


 もっと早くこうすれば良かったのだ。あの人を異世界に戻した日に、そうすれば良かったのかもしれない。


 ユーセイと過ごした日々は半年に過ぎなかった。

 彼はこの世界の空気が身体にあわなかった。日々、衰えていく彼、別れの日にはもう話すことも難しそうだった。


 彼は死ぬ。

 だから、異世界に彼を戻す決断をした。


 古き一族の失われた時空魔法を使えるエルフの半身。レヴァルの力を借りて、ユーセイを異世界に戻した。


 それから、もう半年以上が過ぎた。

 結局、生きてはいなかったのだろう。


 彼の言葉、別れ際の彼の言葉だけで空気を吸っていたに過ぎない。


『マリーナ。僕を忘れて、誰かを愛し、子どもを得て、幸福な生涯を送ってほしい。約束してくれるかい』


 そう彼は言った。


『ええ、私は……、幸せになるわ』

『約束だ』と、彼は優しくほほ笑んだ。


 だから、生きてきたのだ。彼のために。

 それは、なんと残酷な言葉だったろう。


 これで終わりだ。最後に彼との愛撫に身をゆだねながら別れることができた。

 

 ──ごめんなさい、ヴィトセルク王。あなたは、こんな愚かなわたくしを愛してくれた。最初にあなたに会っていれば、もしかしたら、わたくしは幸せだったかもしれない。



 ………



 目が覚めた。


「もう、大丈夫でしょう。彼女に何をしたの、ナイトメア」

「聞くな」

「まあ、いいわよ。あたしの治癒魔法は高額よ。個人的なものなら、尚更ね」

「ああ、世話になった。彼女の傷は」

「まあ、舌はあらかた修復したわ。それにしても、自分で舌を噛み切ったなんて。まあ、この子、美しい顔に似合わず、強烈な意思をもっているわね」

「痛みは」

「しばらくはあるでしょうけど、まあ、そこは、おいおいと治るでしょう。ほら」

「なんだ」

「治療費よ。あたしは戦場で、傷を負った兵士のために雇われた治癒魔法師よ。それをこんな治療に使うなんて」



 まだ、生きている。生きてる。

 深い底なし沼から浮き上がってきた気分だった。


 目を開けようかどうか迷った。こっそりと指を動かしてみる。


 動く。

 つまり、自分の身体が自分のものになっていた。


「なあ、あんた。しばらくは大人しくしといでよ」と言う、声が聞こえる。

「綺麗な子がむちゃするんじゃないよ。この、不気味な男を怒らせないほうが身のためよ。あんたが思っている以上に危険なやつだよ」


 しゃがれ声の女は自分に話かけているのだとわかった。

 しかし、返事をする気はない。


 また、生き延びてしまった。その絶望だけが残った。



(つづく)

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