醜いツノと寂しい男
意識が戻った。
不自然な姿で寝ていたのか身体の感覚がない。奇妙にふわふわして、あまり気分の良いものではなかった。
──わたくしはマリーナ、マリーナ・ド・ヘルモーズ・フレーヴァング王妃。ここは?
薄目をあけると、ベージュの生地が見える。大きな天幕のようだ……。
外から人のざわめきが聞こえてきた。興奮した声と、行進するような足音がして、さらに騒々しさを増した。
すぐに爆発音がした。
いったい、何が起きているのだろう。
『火事だぁ!』と、遠くで誰かが叫んでいる。
「外が恐ろしいのか」
低く不気味な声が聞こえた。
「この場所には結界が張られている。恐れることはない」
周囲を見渡した。
男がいる。
足を組み、尊大な様子で椅子にすわる大男。額を二本の指で支え、こちらを見ていた。その頭上を見て、心が震えた。
枯れ木のような醜いツノが生えていたのだ。
あれは、生えているのか、それとも、なにかで頭に固定しているのか。
異様な姿だ。
「おまえは、誰……」
男は答えない。
ただ、こちらを凝視しているだけだ。
「名をなのりなさい!」
身体を動かそうとしたができなかった。
縄で拘束されているかのように、ビクともしない。
顔を動かして確認したが、縛られている様子はない。
ただ、首から下が、まるで自分のものではないかのように重く、完璧に麻痺していた。
顔だけが自由に動かせる。話すこともできるし、音も聞こえる。
「誰!」
男は唇の左右を上にあげると、にやりと笑った。
『火事だぁ! 消せ。襲撃か?』
慌てふためいた声が聞こえ、さらに大きな爆発音がした。男は優雅に手をふると、外部から聞こえていた音が、完璧に遮断される。
魔術だ、それも無詠唱で術をかけている。普通の魔術師なら、呪文が必要だ。相当の手練れにちがいない。
マリーナ自身、ある程度の攻撃魔法を使うことができる。それは、腕輪に練り込まれた魔石を使う攻撃であり、身体中のマナを魔石に集中させて魔術を発動するのだ。
魔術師というには、おこがましいと思っていた。
しかし、彼の魔術は、そういうものではない。本物。
「騒がしいのは趣味ではない、まったく人間どもとは、かように下品だな」
マリーナは恐怖で呼吸が止まるのを感じた。
「ほお、気丈な女だな。わたしの姿を見て平常心でいられるとは、歴戦の勇士でも怯えるのだがね」
「おまえは」
「言ったであろうが。魔術師レーゲルクドレール。罰が必要か? ああ、どうだろうな。必要かもしれんな。さて、どうしたい。わたしはね、楽しみが欲しいのだよ。マリーナ王妃、楽しみに飢えておる」
彼の言葉に、なぜか自分の両手が動いた。
その手は胸の前にいくと、旅装の簡易的シャツボタンをゆっくりと外していく。
「おやおや、なんということだ。姫君は淫乱なのかな」
「て、手が、手がかってに」
彼女の指は、意思に反して自分の白く張りのある乳房を男の前にさらけ出していく。
「やめて!」
「わたしがしている訳ではない。自分で止めたらよかろう」
指が胸に触れ、その真珠色の肌を優しく触れるか触れないか微妙な優しさで愛撫する。それは、かつて愛した奴隷、ユーセイが愛した、まさに同じ方法だった。
「ほお、ユーセイという男は、なかなかに女の喜ばせ方を知っていたようだな」
「やめて」
「彼ではいやか。では、ヴィトセルク王はどうだ」
すると、今度は記憶にあったヴィトセルクの仕方。彼女の乳房を下から揉みしだいた、あの同じ動作を、自分の指がなぞる。
「ほお、王は激しく、恋人は優しいか。どちらが好きなのだ。そなたは」
自分の秘密の記憶を、こんな男の前にさらけ出すなんて。目に涙が浮かぶ、しかし、必死に耐えた。
彼女は心を閉じた。
その間も、指は勝手に身体をまさぐっている。
閉じた目尻からひとしずくの涙が、すぅーっと流れた。
それは奇怪な姿だった。
身体は愛撫に反応して動くが、顔は全く動かない。
「ほお」と、彼は言った。
動かされていた指が止まった。
「恥じたり、泣き叫んだりしないのか。ふむ、興味深い。なかなかの精神力だな。そういう強い女は嫌いではない」
ふっと身体の力が抜けた。
自分の意思で身体が動くようになっていた。
「起き上がれ。それとも、わたしに抱かれたいか」
簡易ベッドから起き上がって、服のボタンを閉じた。
正面から男をにらむ。レーゲルクドレール、この男の噂を思いだした。世界最強の魔術師であり、どこにも所属しない孤高の男だとも。あるいは、人間ではないという噂もあった。
何歳なのかも、どこから来たのかも。すべては謎に包まれている。
「わたしは、おまえが気に入ったようだ。どうだ、わたしの女にならないか。無理強いするつもりはない。昔はあったような気もするが、そういう趣味は失って久しい」
マリーナの心は虚無だ。
かつてそうであった純粋な世間知らずの少女はもういない。愛する男を失い、絶望を知り、今は、ただ生きているだけのシカバネだ。
この男の女?
ヴィトセルク王の妃?
どちらでも変わりはない。
どうでも良いだろうか? ユーセイが消えた今、なんであろうと、もう意味などない。
「わたくしに何を望むのですか?」
「拒否すると思ったが、そうではないのか」
この魔術師に驚くという感情があるのだろうか。その声は面白がっているような酷薄さがあった。
──なんという目をしているのだろう。この目、どこかで見た。ああ、そう、ユーセイの目の色と同じ。異世界から強引にこちら側に来て、奴隷にされた彼の目と似ている。彼の虚無、彼の絶望、彼の孤独。この男にないのは、彼の優しさだけだ。
この男は倦んでいるのだろう。
「つまり、あなたは拒否されて生きてきたのですね」
「人間の生き様ってのは、修羅の場でこそ出てくるものだ。おまえの知った修羅とは、どんなものか心をのぞいたが。珍しくもないな。ただ、男を失ったというだけのものだ。人とは、かくも不思議だ。たったそれだけのことにすぎない執着か」
男を失っただけ。たしかに、そうだ。
このぽっかりと開いた黒い底なし沼のような穴が、ただ、男を失っただけのこと。理屈ではわかる。しかし、感情が動かない。
「気の毒な方ですね、あなたは。誰も愛したことがないのでしょう」
「愛か。おもしろい言葉を言う」
と、ふいに周囲の喧騒が戻った。
外から、人々の騒ぎ声が聞こえてくる。
(つづく)




