規格外の魔術師、“ナイトメア”
──マリーナさまが得体のしれない男に、どうなった、いったい何が。目覚めろよ、クロード。気絶してる場合じゃない。起きろ! 起きろ!
目を開けるとエイクスの顔が間近にあった。
「気がついたか」
「マ、マリーナさまは」
「消えた」
身体の節々が痛んだ。とくに背中がひどい、あの男は何者? なぜ、マリーナは奴を「ユーセイ」と、呼んだ。
いったい誰なんだ。
「立てるか」
エイクスの手が、つかめとばかりに目の前にある。手を握ると、ぐっと引っ張られた。背中や腰がひどく痛む。
「い、いってぇ! くそ、むちゃくちゃだ」
「命があっただけでも、儲けもんだ。あいつに会ったんだ。しかし、王になんと言えば」
彼の諦めたような表情にクロードはぞっとした。
「あの男を知っているのか」
「魔術師レーゲルクドレールだよ。間違いなくな。出会ったのが災難だ」
「なんだ、そいつは」
「世界最高の魔術師と言われている。通称“ナイトメア”」
「聞いたこともない」
「どれだけ田舎にいた」
「ほっとけ。マリーナさまは」
「さらわれた」
頭が真っ白になった。さらわれた?
手で髪をくしゃくしゃすると、葉っぱがパラパラと落ちて来た。
「しかし、なぜ、そんな魔術師がさらっていくんだ。それに、マリーナさまは、奴をユーセイと呼んでいた。その男は、例の奴隷だった男じゃないのか」
「あの魔術師は幻影を使う。どんな力があるのか、わからないが。ともかく規格外の能力を持つ。その奴隷を見せたんだろう。もしかしら、異世界から来たユーセイという男。あの男によって、こちら側に呼び込まれたのかもしれないな」
「それで、本物のユーセイはどうなったんだ」
「レヴァルの力で異世界に戻した。ここでは生きていられない身体だったんだ」
王に頼まれたのに、こんなところで誘拐されてしまった。
クロードはたまらなかった。心配なのは、マリーナのためか、ヴィトセルクのためか、あるいは自分のためか、わからなくて混乱した。
動悸が早く血流が耳にドクドクと音になって届き耳鳴りがする。息が上がり、背中が痛む。
痛みは、そのうちに激痛にかわった。
「クロード、どうしたんだ、クロード。顔が真っ赤だ、どこか痛めたか。見せてみろ」
エイクスは乱暴に服をあげると背中を見た。
「こ、これは」
「どうした」
「お、お前は、まさか」
「なんなのだ」
「背中の肩甲骨を触れてみろ」
エイクスの顔に恐れをなしながら、背中に手をふれ、思わず「ギャッ!」と叫んだ。
「な、なにが起きてる」
「背中が盛り上がって、黒いものが見える。おい、痛みは」
「うずうずと、こそばゆい。さっきは激痛だったけど、今は妙な感じで、矢でもささったのか」
「いや、これは……、これは違う。中から出ている。
お、おい、おいおいおい、おぃ〜〜〜〜〜〜」
エイクスが後ろに下がった。
「な、なんだ、どうしたんだ」
「わからない。せ、背中が」
クロードは、慣れない背中の重みに膝をつき、身体を支えるために地面に両手をついた。
背中が揺れている。
物体ではなかった。それは羽の形をした透明なもの。服を透過して外にはえていく。
大きな、なにかが揺れ、無意識にその何かを動かすと、身体が宙に浮く。
「クロード!」
エイクスの声に、はっとした。
バサバサという音が止まり地面に落ちた。
「お、俺は……」
「クロード、背中に翼が生えている」
彼の目は300度を視野に入れることができる。正面を向いたままでも、背中に生えた羽が見えた。それは、まるで妖精の羽のようにフチが白く透明だ。
いったい自分は何者なんだ。
エイクスが少し離れたところで彼を見ている。
「お前は、まさか。いや、そうかもしれない。しかし」
「な、なにか、知っているのか……」
「マリーナ王妃とお前は、まるで双子のように似ている」
「それが、なんだ」
「妃の母親カーラ夫人のことだ。彼女は好奇心が旺盛で、その上に冷酷な人でな。俺はフレーヴァング王国の諜報人として、世界各国を巡った。ラドガ辺境国も調査対象だった。カーラ夫人はドラゴンの氷の息に囚われ殺された悲劇の女性だが……」
マリーナの母カーラは彼女が幼い頃に亡くなった。
十年以上前に『ドラゴンの厄災』と呼ばれる悲劇があった。ラドガ辺境国から特使として派遣された彼女は、フレーヴァング王国の森で氷柱となって亡くなる。断末魔の表情を浮かべる人びとを取り込んだ氷柱は、恐ろしいものだと聞く。
「古くからいるマリーナの乳母から話を聞いた。マリーナを生む前に、カーラは子どもを生んだという。それはヘルモーズ卿と結婚する直前のことだ」
「それは」というクロードは声が震えた。
「あの城では……、少数の者以外は知らない極秘事項だ」
「なぜ、そんな秘密を、あんたが知り得たのだ」
「蛇の道は蛇ってな。カーラは翼族に興味を持って、子どもを産んだ。しかし、産んだはいいが、育てるのは面倒になり殺そうとした。恐れをなした乳母が生まれたばかりの小さな赤児を受け取り、ある田舎貴族に届けたと聞く。金の力は偉大だ。それに、乳母は怯えていた。赤児は、とても小さくて普通じゃない。生き延びることなど、できなかったろうと言った。人間の子じゃねぇと」
──お、俺は、人じゃないのか。クソ、人じゃないなら、なんだって言うんだ。
「じゃあ、いったい何の子だと」
「翼族だ」
この世界に翼族がいることは知っていた。忌み嫌われている種族で、まず人間界に降りてはこない。はるか霊峰シオノン山の上、人では生きていけない空気の中で住んでいると。
「あのカーラという女性は、恐ろしいほどの美貌と残酷さを併せ持った妖婦だったらしい。『けっして人には知られてはいけないのです。この子が生きていると知ったら、カーラさまに殺される』と。乳母はものすごく怯えていたそうだ」
「俺が、その子だと言いたいのか」
「ああ、その翼。まさに翼族のものだ。そして、お前は、マリーナさまに似すぎている。あの種族で男は貴重だ。飛べるのは男だけだ」
幼いころから女として育てられた。
目も違う。そして、背中に生えた翼。
──俺はマリーナの父親の違う兄なのか。だから、あれほど共感を覚え好意を感じたのだろうか。
「今は、それは置いとくぞ」
「置いとけるか」
エイクスは彼の言葉を無視した。
「お前、飛べるか」
「た、たぶん」
「では、飛べ! ラドガ辺境国へ行け、そして、ヘルモーズ卿に助けを求めろ」
「でも、マリーナさまが」
エイクスに肩をつかまれ目を覗き込まれた。ふざけがちな彼が真剣な表情になった。
「いいか。魔術師レーゲルクドレールを侮っちゃいかん。関わってはいけないヤバイ奴なんだ。お前の力が及ぶ相手じゃない。ヘルモーズ卿に伝えるのだ。マリーナ妃が彼に囚われたと」
「わ、わかった」
「では、飛べ!」
背中の翼を動かしてみた、ちょっと揺らすだけで、身体が宙に浮く。
これは、できる。飛べるかもしれない。
「エイクスは」
「俺は王のもとに戻る」
「気をつけて行けよ」
「ふん、小僧っ子が一人前に。翼族は嫌われている。そっちこそ矢で射られないようにな」と、笑ったエイクスは、いきなり肩を抱いた。
「いいか、お前はまだ飛ぶことに慣れちゃいない。むちゃするなよ」
「おまえもな。生きてろよ」
エイクスは皮肉な笑い声をあげた。
クロードは両翼を羽ばたかせる。
考えていたより強く風を捉え、あっという間に空中に身体があがる。木の枝にぶつかり、平衡を崩した。
「おっと!」
「大丈夫か、初心者!」
「言ってろ」
翼がさらに深く風を捉える。
自由だ。
気づいたときには、森の木々に隠れエイクスの姿は、まったく見えなくなった。
空を飛ぶ。
自由に羽ばたく。
これまで飛べなかったことが不思議なほど。それは自然で、自分そのものだった。
クロードは空に浮かび、周囲を見渡した。
この目は空にあって、その真価を十分に発揮できた。
細かい風の粒、流れが見える。
舞い上がる葉。遠くを飛ぶ鳥。雲の流れ。淡い月と、太陽の光。
空に愛されている。
彼は、はじめて自分が自分であることを肯定した。これが自分、これこそ自分があるべき世界の姿。
「気持ちえぇ〜〜」
誰も聞こえない場所で、彼は大声で叫んだ。
風の音しかない宙で、世界を抱きしめた。
このまま、どこまでも好きなように飛んでいくことができたら。
それを強く心が望んだ。
はるか下に見える人間界。
その小さい世界に、なぜ、戻る。なぜ、戻らなきゃならない。
このまま空の世界を自分のものにして、なぜ、いけない。
あの炎の巫女のように。
夢でたびたび見る炎の巫女。
あの女は焼かれながら、自分の世界に生きている。
あの女のように生きてもよい。
ひとり、風まかせに、気ままに、全てを忘れ……。
なんて美しく心惹かれる想像だったろう。
——マリーナ
魔術師にさらわれた父の違う妹?
彼女に惹かれたのは肉親だったから?
——マリーナ
クロードは、気ままに羽ばたこうとする感情を抑えた。
ちょっとだけ後悔しながら、ラドガ辺境国の方向を目視する。
南だ。
風は北から南に吹いている。その一番早い流れを翼で捉え、大きく翼を動かす。
風を切る。
顔に当たる冷たい空気は、南に行くに従い、暖かく穏やかになっていく。まるで自分が自由になったような錯覚をさらに覚えた。
(つづく)




