ムチうたれる訓練
ヘルモーズ大公が君臨する華麗なリーラ城へ、竜車にゆられ到着したのは3日後だった。
田舎育ちの彼にとって、はじめての都会だ。
しかし、都見物など許されるはずもなく、すぐに城の一室に案内された。その後、数名の人間に顔を検分されたのち、「よかろう」と言われた。
──へっ、よかろうって?
竜車に揺られつづけ、足腰が痛む。よかろうってなんだ、いい加減にしてくれと思ったが、黙っていた。
「部屋に案内せよ」
「は、宰相、およびに皆々さま」
いかめしい顔をした男たちが、形式ばった態度で、なにかの役を演じている。それは芝居のようだった。
──これが芝居なら、俺はさながら旅一座の舞台に置かれた貴重品か。人扱いじゃない。
反抗したい気持ちを抑えて立っていた。
いかにも威厳のある数名が去ると、残った男が「こちらに」と告げた。
侍従のような男を見て、クロードは頭を左右に振って、それから、口を開いた。
「なにが、よかろうなんだ」
「合格されたということです。こちらに」
「わからん、俺がなんに合格したんだ」
侍従はクロードの顔を見上げると、かすかに首を振った。その表情には、わずかながら嫌悪感があり、はじめて、こいつにも感情があるんだとクロードは心で笑った。
「畏れ多くも……、あなたさまはマリーナ姫さまに、とてもよく似ておいででございます」
ラドガ辺境国には、国の華とうたわれる美しい姫がいる。名前はマリーナ。しかし、自分の顔が彼女と似ているとは初耳だ。
貴族とはいえ、クロードの家は下級貴族で、大商人よりも貧しく生活も苦しい。高位の人間は下のものに顔を見せない。そもそも姫の顔を拝むなんてことは非礼だ。
「姫さまの代役として、これから教育を受けていただきます」
「おい、嘘だろ。マジかよ、そんな話は聞いてねぇ」と、毒づいたが、彼の言葉に耳を貸す者はいない。
「おいでくださいませ」
侍従は、あくまでも丁寧に彼を案内した。侍従の背後には武器を持つ二人の兵が控えている。
「聞いて驚くな。実は俺は男だぞ。わかってんのか」
「お部屋はこちらにございます」
「おい、聞いてんのか。俺は男だって」
声は壮麗な渡り廊下に響くだけで、誰も気にしない。城の奥まった一室に、軟禁状態で囲われることになっただけだ。
のちに理解したが、男であることを彼らは気にしていなかった。いや、その方が都合良いと思っている節さえある。
翌朝から姫教育がはじまった。
「なんともはや、教育のしがいのある方ですね、クロードさま。教育係を承ったマルニガンと申します」
マルニガンは骨ばった、いかにも神経質そうな中年女で、これがまた、脳ミソが教育と《《しつけ》》という筋肉で、こり固まっている。
ムチ打たれた経験のないクロードは、上流の人間が、いかに下を人として見てないのか知ることになった。
「今日から、姫さまの立ち居振る舞いをお勉強していただきます」
「俺は」
そう言った瞬間、ムチがしなった。
彼女が右手に持つムチを気にしてはいたが、まさかクロードの太ももを打ち据えるとは思いもしなかった。
「ヒッ」と、悲鳴をあげ、彼はすっとんだ。
「背筋を伸ばして、すぐにお立ちくださいまし。姫さまは『俺』とは申しません、わたくしと申します」
「クッソ」
ヒュンっという鋭い音がして、今度は二の腕を打たれた。
「わたくしで、ございます」
「わ、わたくし」
「はっきりと、品の良いお声で。そして、姿勢良くお立ちくださいまし。いえ、そのように手をおつきになってはなりません。お立ちになられるときも、常に凛として」
足が震えた。ガクガクしながら立ち上がると、すぐにムチが腹筋に飛んだ。
クソっという思いから、必死にその場に立った。
「背筋をお伸ばしください。今度、ムチでお倒れになったら、お食事は抜きでございます。そもそも、あなたさまは体幹がなっておりませんから、お倒れになるのです。この程度の刺激でフラフラするようでは、姫さまの代役など務まりません。あなたは足りないのでございます」
『あなたは足りない』は、その後、マルニガンの決まり文句になった。
何かにつけ、文句を言っては必ず最後にこの言葉を加える。
(あなたは足りないのです)
いっそ、足りすぎているだろうと、彼は思う。
女にはないモノを足の間にもっているのだから。
(ええぃ、クッソ、俺は男だ。どいつもこいつも、俺を女にしたがりやがって)
クロードの知性は高く適応能力もある。だから、2日目には諦めて姫になると決意した。決めたからには、ことに徹した。
マルニガンの急場しのぎ教育で、メキメキと彼は上達した。しかし、別の教師が来たときは、さすがに驚いた。ヒョロっとした男が教えたのは、男性による性術。
読書家の彼でも、こうしたテクニックは読んだことがない。
足の間にあるモノを股の間へ隠し、女のように男へ奉仕する方法を念入りに教えられたのだ。
そうして、半年が過ぎた。
その頃には、マルニガンのムチが鳴ることはなくなった。
クロードは辛いとか、苦しいとか考えるより耐えぬいた。そんな健気な姿は周囲を感動させるものがあったようだ。
「本来なら、お生まれなった時から、お学びになることを、この半年でよくお覚えになりました。マリーナさま」と、マルニガンは最終授業が終わると口にした。
その言葉は胸に刺さった。
「それから、マリーナさまとして……、あなたさまは明るくお振る舞いですが、その目に寂しさが宿っております。それをお隠しくださいまし。マリーナ姫さまは、そのような目をなさりません。凛としたお方にございます」
寂しい目……。
クロードは不意に言われた言葉にドキっとした。どういう意図なのかも図りかねる。そんな目を自分はしているのだろうか?
「わかりました」とだけしか答えがない。
その夜、ひとりになって、はじめて彼は号泣した。
思いっきり泣き、そして、乱暴に腕で涙をぬぐった。
「クロード」と、声を出した。
「俺はクロードだ。マリーナじゃない。寂しい目だと、おお、悪かったな。クロードの目は生まれつきなんだよ」
幼いころから、理由もわからず女を強いられ、目的もなく、ただ無為に時間を過ごしてきた。
マリーナ姫になる。
こんな不可解な命令でも、目的があることが良い、そう思って耐えた。それに、他人に期待されることは、自分で思っていた以上に心地よかった。
だが、一昨日、侍女の噂話を、たまたま盗み聞くまでだった。
「かわいそうに、あの子。自分の立場を知っているのかしら。長生きはできないわね」
「そうなの?」
「だって、消えた姫さまの身代わりだって話よ」
「マリーナ姫は消えたの?」
「隠されているけど。本当はね、例の奴隷の男と逃げてしまったらしいわよ」
半年で得た情報によれば、フレーヴァング王国では前国王が崩御。マリーナの婚約者であるヴィトセルク王子が国王になったという。
ラドガ辺境国側としては、前王の崩御は姫の出奔を隠す良い隠れ蓑になった。結婚を延期して、その間に姫を探す。一方で代案として身代わりを立てたらしい。
口の硬い精鋭兵数名が各地に散って姫探索に派遣され、一方、顔が酷似するクロードの訓練が行われた。
半年間に、クロードが少ないソースから探った情報だ。
できるだけ、素直に有能に振舞おう。
生き残る道はそこにしかないと理解している。
クロードは必死にがんばった。
しかし、計画や物事は想定通りに運ばない。
人の都合など容易にくつがえす運命は、クロードの思惑とは別の方向にまわり始めた。
半年後、婚姻の儀が行われる段階になって、当のマリーナ姫が、よりにもよってヴィトセルク王によって見出されたのだ。
クロードは姫の替え玉だ。マリーナが発見されたとすれば、用無しになる。
殺されるかもしれない。
リーラ城に来て以来、はじめて芯から心が冷えた。
──いつか自分の人生を生きる。
その夢は軌跡を描くこともなく消えてしまいそうだった。
(つづく)