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異世界の男ユーセイ




「言わんこっちゃない。船なら楽だった。ほら、姫さん、手を」

「ありがとう」


 エイクスに助けだされた。

 公道はシルフィン兵に出会う確率が高く、道なき道を歩くしかない。


「交易所は動いているかしら?」


 港湾に到着しても、交易所から船が出ていなければ、ラドガ共和国へ渡るすべはない。それは不安だった。


「港湾を統べるゴブリン族は自由市民だ。彼らを敵にまわせば、世界のギルド連盟を敵にまわすことになる。交易所は動いているだろうし、そして、身分がバレねば大丈夫だろう。ラドガ国に入るための通行証を持っているから。それほど警備も厳しくないだろう」


 この世界には自由市民が存在する。どの国にも属さないゴブリン族だ。耳が長く小柄で頑丈そうな体と緑色の肌を持つ。

 彼らは流通をなりわいとする種族。それぞれの国に使用料を支払いながら権力者たちの庇護を受けている。


「血が」と、クロードの声がした。


 驚いた顔のクロードの視線でズボンに血の染みがついていることに気づいた。ちらっと目を合わせる。

 不安を隠さなければと思って、笑い顔を作ると、彼らはさらに気遣わしげな表情を浮かべている。


 ──いったい、いつまで、わたくしは皆に子ども扱いされるのだろう。


 ふたりの視線が痛い。


「行きましょう」


 きっぱりとした声をだしたとき、クロードの表情が変化した。こわばったまま、その場に凍りついている。まるで、意識がいきなり飛んでしまったかのようだ。


「どうしたの」

「おい、クロード」と、エイクスも呼んだ。


 彼は奇妙な方向を見ている。

 その方向へ顔をむけると……。


「マリーナ」


 そこに彼がいた。

 半年前に異世界へ戻った最愛の彼。


 ──ユーセイ。ユーセイ、あなたなの? なぜ、ここに。


「ダメだ、マリーナ。ダメだ」


 クロードの声が遠くに聞こえる。


「マリーナ」

「な、なぜ、あなたがここに」

「迎えに来た、マリーナ。会いたかった」


 リュートを背にした彼が立っていた。赤い髪が乱れ額にかかる。長い睫毛が目に影を落として、あのあまりにもよく知った愛しい顔。異世界から見知らぬ世界に来て、奴隷となった人。絶望と孤独の色をたたえる、あの懐かしい人。


 彼は美しい手を優美に差し出して、ほほ笑んだ。


「あなた……」


 声が掠れ、胸の鼓動が聞こえてくるようだ。


 時が止まった。


 ──ユーセイ、ユーセイ、ユーセイ。あなたの名を呼ぶと、全てが消える。


 あなたを失った。抜け殻のように生きていた。


「来なさい」と、彼はあの深く魅力的な低音の声で言った。


 マリーナはその声に惹かれ、彼のもとへと行こうとして。腕をエイクスにつかまれた。


「王妃。マリーナ姫。お気をたしかに」

「離して、エイクス。離しなさい」

「あれは」

「わたしのあの人です。異世界から来た」

「お前は誰だ!」と、クロードが叫んでいる。


 ユーセイは全く彼を無視した。


「マリーナ。迎えに来ました」

「ユーセイ」

「ダメです。王妃」と、エイクスが止める。


 彼の腕を振り払おうとすると、さらに力が強まった。


「離しなさい」

「いえ、離しません。王妃、あなたはフレーヴァング王国の王妃で、ラドガ辺境国のマリーナ妃です。シルフィン帝国の侵略のために、母国で執政官と会うのです」

「離しなさい!」


 マリーナは腕の魔石に力を集中した。

 彼女は身体中のマナを魔石に込め攻撃する力を持っている。腕の魔石が鈍い光を放ちはじめた。


「エイクス。わたくしは、あなたを傷つけたくありません。離しなさい」


 やけどをしたかのように、エイクスは手を離した。

 クロードが何かを言っているが聞こえない。彼女の目にはユーセイの姿しかない。


 樹木の間を走り、マリーナは彼の腕に飛び込んだ。


「ずっと、ずっと、会いたかった」

「マリーナ。わたしの姫」と、彼が乾いた声でささやいた。


 この腕。どれほどこの腕に再び抱かれることを願っていただろう。


「ユーセイ」

「わたしと共に来てください」

「どこに行くの?」


 その言葉が終わらないうちに、エイクスが剣を手に近づいて来た。


「マリーナさまを離せ」

「それは無理だ」

「奴隷ごときが、殺すぞ」

「できるのかな」


 その声にマリーナは、はっとした。

 ユーセイは異世界から運悪くこの地に来てしまった男。向こう側では音楽大学で指揮者として将来を嘱望されていたと聞いた。


 しかし、この男は、ユーセイの姿をしている、この男。手練れの騎士を前にして怯えてもいない。いっそ嘲笑っている。


 とっさにマリーナはエイクスを振り返った。


「ダメ!」という言葉と同時に、ユーセイの手から何かの光、いや、これは魔石。マナによる魔光石の光。


 グっと叫んで、エイクスがその場にうずくまった。


「ユーセイ……。どうして」

「さあ、マリーナ。行きましょう」


 腕に鳥肌が立った。彼女は逃れようとしたが、強く掴まれた身体は動きが取れない。


「お、お前は、お前は誰!」

「おや、マリーナ。もうバレてしまいましたか」

「お前はユーセイではない」


 謎の男は、「まあ、つれないこと言わずに、わたしと来てもらおうか」と笑う。


 その声にかぶさってクロードの声がした。


「離せ! マリーナさまを離せ!」

「そこの細いの。怪我をしたくなければ黙っておれ。わたしは姫とくちづけをしたい」


 男の言葉通り、強引にマリーナの唇に生暖かい感触がする。嚙みつこうとしたが、口に、何かが流れこんでくる。ふっと意識が遠のく。


「ユーセイ……」

「ほお、好きな男のキスは、意識を失うほど感じるのかな。これは、身体も味わってみるのも一興か」


 その声と同時に、クロードが動くのが見えた。

 男は、さも面倒くさそうに、軽く指をパチンとならすと、クロードは後ろに吹っ飛んだ。


 次の瞬間、意識が消えた。


(つづく)

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