王の言葉
20年に及ぶシオノン山の噴火により、この地では降灰が雪のようにふり続いた。太陽光を遮るために、大地に陽が当たらず、長い飢饉で国は疲弊した。
人民は飢えた。
2年前、炎の巫女がドラゴンに命じて、シオノン山の噴火を止めた。その日から、国の復興がはじまったのだ。
まだ、2年だ。
そして、今度はシルフィン帝国の侵略。
──この国に生まれ。民であることは悲劇以外のなにものでもないな。
ヴィトセルクは南門に向かって歩幅を広げた。
民には大国のエゴなど関係ない。ただ、恐怖に色めき立ち、将来に不安を感じているという。ウーシェンの報告を聞くまでもない。
ほんの少し前に、ラドガ辺境国の姫との結婚でわいたことなど、もう、過去になっているだろう。
この国には、厳格な身分制度がある。
貴族社会と庶民の接点はなく、まして、庶民が王族の顔を見ることはない。
民にとっては王は神に近い存在だ。
このわたしが、と、ヴィトセルクは皮肉に思う。
南門に近づくにつれ騒がしい声が聞こえてくる。
おそらく、持てるだけの家財道具を身体に巻きつけ、村を後にしてきた民たちの嘆きだろう。彼らは興奮して門番に当たり散らす者、助けを求める者と騒々しい。
南門の真上にある城壁通路から、その様子を眺めたヴィトセルクは従者に伝えた。
「城門を開き、演壇を置け」
「行かれるのですか」と、アスートの声に珍しく不安がまじった。
「そうだ」
「彼らは興奮しています。危険です」
「よい」
「では、警備の者を」
「わが民に会うのに警備はいらぬ。儀仗兵だけだ」
決意に満ちた声に、アスートは口をつぐんだ。
そして、命令を伝えに通路の階段を足早におりていく。
南門が開くと同時に、門番が鐘を鳴らした。
ガラン、ガランと、その音は広場に響く。
門から現れた従者たちが演壇を設置した。
「どうなってんだ!」
「そうだ、説明してくれ」
「俺たちはどうなる」
さまざまな声が錯綜するなか、門番が再び鐘を振った。
「聞け! これから、ヴィトセルク王が参られる」
その言葉に、騒いでいた民衆は思わずひれ伏した。ふいに、痛いような静けさがあたりを支配する。
ザッザッという音がして、王直属の華麗な儀仗兵が進んできた。
ラッパが鳴った。
「王に拝礼!」
平伏したまま、彼らは何が起きるのか待った。
ヴィトセルクには彼らの心臓の音が聞こえる気がした。
顔を上げる者は誰もいない。演壇に登ると、多くの人が、さらに地面に目を落とす。ヴィトセルクは自分の立場を改めて感じた。
民は恐怖している。敵だけでなく、自分自身に対しても。
「フレーヴァングの民よ」
声が凛と響き、すみずみまで届くことを願った。
彼らは額を土につけたまま、動かない。
王の言葉を直接に聞くことのない者たちだ。この国の支配階級はムチを手に使用人たちを酷使する。粗相があれば、ムチ打ち、悪くすれば処刑。
怯えるのも無理はないなと、ヴィトセルクは思う。
「顔を上げよ」
ヴィトセルクの声に、顔を上げる者など誰もいない。
「そなたたちが恐れるのは、わたしではない。今、この時も城に向かって進軍するシルフィン帝国の軍隊そのものだ」
彼はことさらに柔らかい声をだした。心に沁みればいいのだが。
「そなたたちは! その場に叩頭いたまま、やつらの捕虜となりたいのか。国を滅ぼされたいのか!」
「い、いえ」
数秒して否定の声が、おどおどと聞こえた。
「女は犯され、子どもは奴隷に、そして、働けない者は処刑される。そんな思いをしたいのか」
「いえ」
「いやだと思うものは、大声で叫べ、わたしに聞かせよ。否、と」
「否!」
その場に額づいていた人びとのうち、勇気があるものが、はじめて顔を上げた。
彼らが見るべきもの。
それは、若く凛々しい王の姿であるべきだ。赤いマントがたなびく凛とした王、そこに希望と光を具現した神の姿。ヴィトセルクはそういう自分を見てほしかった。
「フレーヴァングの民よ。
我らは悲運の民か。
そうなのか!
この国は小さく弱い!
この国に生まれたお前たちは、運が悪かったのか。
だが、わたしは、そうは思わない。
貧しい国で生き延びるためだけに、戦ってきた。
我々は弱いのか。
わたしは、そうは思わない。
シオノン山の降灰に20数年も耐えた、お前たちの忍耐を誇るのだ。
わたしは弱小国家の王にすぎない。
だが、お前たちは違う。
誇り高きフレーヴァングの民だ。
20年の飢餓に耐え、文句も言わずに田畑を耕し、地道に生き延びて来た。
今度の敵は、たかが人間に過ぎない。
シオノン山の怒りを耐えたお前たちにとって、シルフィン軍など敵ではない。
相手がいくら強大でも負けることはない。
雪がふるまで耐えてくれ!
この王に力を貸してくれ!
わたしは約束する。
すべての知略と戦略をもって戦う。
そなたたちを、必ず守ってみせる!」
しーんと静まった中庭。
いつの間にか、王の背後にはこの国の精鋭部隊が整列してひざまずいていた。
王の言葉に第一部隊から第六部隊まで立ち上がった。
第一部隊隊長が叫ぶ。
「フレーヴァング第一部隊銀狼隊、隊唱!」
「我ら、銀狼隊、危険をものともせず、死すとも退かず」
「フレーヴァング第二部隊フィンリン隊、隊唱!」
「我ら、フィンリン隊。火も矢もじせず、前進あるのみ!」
「フレーヴァング第三部隊……」
・
・
「フレーヴァング第六部隊ゼノア隊、隊唱!」
「我ら、ゼノア隊。民とともにあれ、国の盾であれ!」
全部隊の隊唱が終わると、騎士隊長セルファーが、ドンっと剣で大地を叩いた。
「我らフレーヴァング全部隊。王と民のために命を捧げる!」
次の瞬間、大声援が聞こえた。
「フレーヴァング王国に栄光あれ!」
「ヴィトセルク王に栄光あれ!」
ヴィトセルクは固くこぶしを握り、決意をみなぎらせて頭上にあげた。
「勝てる戦いはできない。だが、ただ負けを先延ばしするつもりもない。我らは決して負けない! それだけが生き延びる道だ!」
「おおおおおう!」
地の底から湧き上がるような声が響く。
民は立ち上がり、天に向かって拳を捧げた。手にしたものを掲げる者も多い。不安が消え、明日に向かう気力を持つことができたのか。
──わたしは、お前たちの心を動かせたのか。
ヴィトセルクは天に向かって叫んだ。
「負けるな!!」
この姿が堂々として凛々しくあれ、王は心から祈った。
(つづく)




