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使命



 シルフィン帝国側の総大将シッゲイル公爵は、元老院議員でありかの国の実力者だ。つぎの執政官に野心を持つことは、参謀ウーシェンから聞いている。


 ──帝国のクソッタレは思ったより早かったな。しかたあるまい、こっちの都合で動くわけじゃない。

 ──だが……、マリーナ、あなたを道具に使わないと誓ったのに、このざまだ。わたしの王妃よ、すまない。これからすることを許してくれるか。あの夜を許してくれとは言わんが。

 ──わたしはどうしようもない夫のようだ。


 ヴィトセルクは薄く唇を曲げた。


「陛下!」と、宰相がこちらを見ている。


 執務室は異様な興奮が続いていた。

 多くの者たちが、それぞれの意見を述べるが要領をえない。


 シルフィンの正規部隊、30万人が動いたのだ。正常ではいられないだろう。


 フレーヴァング王国の戦力は侵攻国に比べれば、子どもみたいなものだ。

 騎士は3千、歩兵を含めてかき集めたにしてもやっと2万5千人ほど。10倍の兵力差に、かの勢力には勇猛で残酷なモーグリ一族と竜騎兵1万が含まれる。


 圧倒的な軍事力の差。


 この差を埋めるために、ラドガ辺境国をあてにして、マリーナを妃として迎えたのだ。しかし、南の大陸との接点である港湾も奪われた。


 フレーヴァング王国は20数年の降灰で人口は半減した。最盛期に比べれば、四分の一に減っている。

 おそらく、総人口は30万人もない弱小国家だ。

 対するシルフィン帝国は、三大強国のひとつ。人口は一千万人を超える。人口の差は兵力の差。


 この両国が武力で衝突すれば、結果はあきらかだ。


 噴火により飢えで滅びるか、シルフィン帝国の逆鱗げきりんに触れ滅びるか。2つに1つの選択で、彼らはラドガ辺境国の力にすがった。


「王妃を呼べ」と、ヴィトセルクは告げた。


 マリーナが会議室に呼ばれたのは、そういう経緯があった。並み居る大臣と将軍を前に、妃はクロードを伴って優雅に入ってきた。


 あの夜以来、はじめて顔を合わせる。


 ヴィトセルクは、この日、はじめて緊張に身体がこわばるのを感じた。

 態度がどうしても他人行儀になる。声がすげなく、挨拶もせずに用件を告げる自分。


 ──なんと愚かなんだ。


「ヘルモーズ公への密使を頼みたい」

「わたくしに」

「港が押さえられたことはご存知か」

「いえ」

「結婚早々、そなたに頼ることになろうとはな」と、ヴィトセルクは皮肉に笑った。

「敵側は30万の軍勢。すでに国境の砦三つは落ち、港湾を押さえられた。民を城壁内に囲い、籠城ろうじょうしか、道はなくなっている」


 ──なぜ、こんな声で話す。優しい言葉をかけられないのか。


「圧倒的な兵力差だ。言わせてもらえば、王妃よ。ラドガ辺境国の抑止力はたいしたものではなかったのかな」

「陛下。あなたは、わたくしの父に期待しすぎているようです」

「そうなのか」

「父は……」


 マリーナは酷薄な表情で笑った。


「父は冷徹な政治家です。なお悪いことに、小心な男でもあるのです」

「援軍を期待できないと」

「説得はしてみます」


 ヴィトセルクは軽く唇を曲げると、マリーナから顔を外した。


 ──現状を理解しているんだな、マリーナ。すまない。


「ラドガの援軍まで、この城を持ちこたえるほか、方法はあるまい。ヴァラン、時間はどのくらいだ」

「敵がこの城まで到達するに、遅くとも5日ほどかと」


 近衛師団長ヴァランが冷静な声が告げた。


「どのくらい城は持ち応えられる」

「敵兵力の絶対数と攻撃武器によりますが1週間もてば。1ヶ月は難しい。それに食糧が持つか。難民となった民全員を城壁内に入れたとすれば、食料庫が」

「というわけだよ。マリーナ妃」

「わかりました」


 彼女の凛とした声がした。その声に興奮も怒りもない。


 落ち着いた声は周囲の人びとの浮き足立った熱を冷ます。彼らは、はじめて王妃の人となりを知ったのかもしれない。


 ──マリーナ。わたしは、おまえを守る夫どころか、危険な旅に送り出すしかないようだ。


「すぐに出発いたしましょう。父の精鋭部隊を連れて参ります。それまで、持ち応えてください」

「マリーナ」


 ヴィトセルクは彼女の顔をはじめて真正面から見た。


「陛下」

「世話になる。ただ、そなたの行く道にはシルフィン兵が待ち構えている。港は封鎖された。国境の砦も、ここに到る道もだ。城の裏手、ウルザブ川から船を出すしか方法はなかろう。しかし、大きな帆船では発見され、かえって危険が高い。とすれば、小型船しかあるまい。商船に身をやつして、少人数での旅になろう」

「わたくしは、それほど弱くはありません」

「そうだな」

「この男を連れて行け、役に立つ。騎士エイクス卿だ」


 それまで、王の横に控えていた男が顔を上げた。頼りになる男であり、かなりの手だれだ。


 エイクスは右手をくるくると回転させて優雅に腰を折る。顔は正面を向いたままで、どこかひょうきんな態度に大人の余裕さえ見えた。


 その顔を見て、マリーナにかすかな笑みがこぼれた。実はエイクスは彼女と顔馴染みだから選んだのだ。


 奴隷男と別れたマリーナを、ラドガ辺境国へ送り届けるとき使者となった男で、かの国に知り合いも多い有能な男だ。


「よろしくお願いします」

「仰せのままに」


 彼はおおらかにほほ笑んだ。

 マリーナは準備のためにきびすを返した瞬間、エイクスにあらわれた表情の変化を捉えた。骨ばった頬の筋肉が軽く痙攣けいれんしたのだ。


 ──食えないエイクスも妃に夢中か。



(つづく)

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