輝ける王
“王として生まれるのではない。王になるべく揺るぎない決意で得た、これは栄冠なのだ”
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ヴィトセルク王は憂鬱だ。
戦いに慣れない文官たちの、どうにも呆けた感覚を知っている。彼らがいかに能天気かということを。
このフレーヴァング王国では、長く宰相が実権を握ってきた。ヴィトセルクの父である前王は傀儡王と揶揄された。
王権は揺らいでいる。国体の衰弱を意味していた。。
ヴィトセルクは自分のもとに権力を集中させるべく、孤独な戦いを続けてきた。国を動かす政務の二元化、彼は独自のブレーンを秘密裏に抱えている。
王国に張り巡らせたヴィトセルクの密偵たち。
彼らは国外のみならず国内でも活動している。集まる情報は、まず個人的な参謀であるウーシェンが受け取り、要約して彼にあげる。
ウーシェンは王宮の奥深くに住み、彼が築き上げた独自の曰く『蜘蛛の巣』を操っている。ちょうど、巣の真ん中に蜘蛛が住み、張り巡らせた糸から情報を集め、腹を膨らませるのに似ている。
ウーシェンは表に出ることは滅多にない。故に彼の顔を知る者は少ない。白いローブをゆったりと着こなす彼は謎の人物であった。
彼に聞こえてくる宰相や大臣の声。
『結婚は派手だったな。王も、これで落ちつくか』
『将軍たちからは絶大な信頼を得ているが、どうも腰が定まらん』
『若いですからな。政務をないがしろにしがちで、困ったものだ』
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こうした取り止めのない会話が執務室で交わされている。とりあえず、公的な会議に王が不在がちなのを大臣たちは快く思っていない。
これらの報告をウーシェンは頭で咀嚼して報告書にあげる。
たとえば──
【報告3−1028】会議室に時に顔を出さねば、大臣の不満がつのる。ご自重なされよ。現在の不満度80。100になる前にお顔出しを。
などと簡単な報告書がヴィトセルクのもとに届く。
「アスート」
「ここに」
「大臣どもは言いたい放題のようだな」
「あえて、ご忠告を申し上げますと」
「なんだ」
「陛下にはマメさが足りません」
ヴィトセルクは、故意にむっとした表情を浮かべてみた。
「ほお、ケンカを売っておるのか」
「滅相もございません。王妃さまの寝床に酔ったふりをなさって、押し入られたときも黙っておりました」
「では、もう黙っておれ!」
忠実なアスートは生真面目に背後に控える。話すことで、膨大で退屈な書類を忘れようとしたが、気がそがれた。
護衛であり直属従者であるアスートとは、子ども時代から一緒だった。まるで兄弟のように育った男だ。だから、気心も知れており、つい本音がでる。
アスートは寡黙で問われたときにしか声を出さない。それもわりと辛辣にだ。
デスクに積まれた報告書の山を見て、ため息が出る。
書類は重要度からケース番号は決まっており、もし【報告1】に分類されていれば、最重要事項だった。
従者が新たな書類箱を持って入ってきた。
その最重要報告が一番上にあった。【報告1ー328 侵略】とタイトルがある。
「侵略?」
──まさか、もうか。ウーシェンから危険だと報は受けていたが。
書類を手に取る。
第一報は西の国境警備隊からだった。
瀕死の状態で城に駆け込んできた男は、たった一言を伝えるのに、息も絶え絶えだったようだ。
『西……、フ、フレルヴェル地域国境警備隊、ぜ、全滅…。シルフィン帝国部隊……、昨日未明、…急襲』
この報告は、すぐにグリング宰相の元に届いたようだ。
老齢の宰相は突発的な出来事を担うには、あまりに事なかれ主義だ。平和時の大臣として有能であるが、前例を踏襲するだけの老害でもある。
彼は、国境からの第一報を信じることができず、偽情報として王に奏上せずにいた。
マリーナ妃を得たことで、大国ラドガ辺境国の後ろ盾ができた。シルフィン帝国が攻め入るなど不可能と思いたかったようだとウーシェンは書いている。
シルフィン帝国は共和制の国家だ。
執政官を頂点とした元老院5人と、その下に位置する数名の政務官と民間代表によって政治は営まれており、その間には目に見えぬ政争がある。
ウーシェンの密偵による報告によれば、フレーヴァング王国への侵攻は反対派と肯定派のせめぎ合いがあり、対応が固まらなかった。
皮肉なことに、ラドガ辺境国が後ろ盾になり、共和国内の侵攻反対派が賛成派にまわった。
一方、フレーヴァング王国の老いた宰相は、『侵攻は事実なのか。調査せよ』と、判断を誤った。
彼は、それが真実でないことを願っていた。まるで願えば叶うかのように、知りたい事実だけを知りたかった。宰相は重圧から逃げたかったのだ。
翌朝に南北の大陸を結ぶ港湾が占領されたという連絡が、宰相のもとに届いた。南の大国ラドガ辺境国への道が絶たれた。
『すぐに大臣らを集めるんじゃ! 王は?』
『執務室に』
昨日のウーシェンの報告には、『フレルヴェル地域国境警備隊が全滅。大臣たちは疑心暗鬼。おそらく港湾の占領も同時にあったと思われる』とあった。
ヴィトセルクはすぐに動いた。
「シルフィンに送ったスパイからの報告は。各方面の状況を」
宰相を筆頭に大臣たちは大慌てで、ヴィトセルクの執務室にドタバタと走ってきたとき、彼はさまざまな情報取得の手を打っていた。
侍従長が名前を知らせる前に、「はよ、開けよ!」と、宰相の怒鳴る声が聞こえる。
ソファにくつろいでいたヴィトセルクは、冷たい視線で彼らを見た。その横にはウーシェンがいた。
「騒々しいぞ、宰相」
「国王陛下。大変でございますじゃ」
「なんだ」
「シ、シルフィン帝国の兵が、国境を越えて!」
「ほお。国境を超える前にはわからなかったのか」
「いえ、あの、その」
「ご老体、君は平時には有能だが、こういう時にはからきしだな」
「も、申し訳ございません」
彼はくつろいだ様子で顔色も変えない。
「ウーシェン」
王の横にいるのが参謀ウーシェンと知って、入ってきた大臣たちは心底から驚いた表情を浮かべた。王宮奥に住む彼の姿を見たものはほとんどいない。
ウーシェンは白いローブを優雅に身にまとった物静かな男だ。片足が悪く身体が右斜めに傾き、杖を持っている。
太陽に当たらない顔は青ざめ、頬はこけ、神経質そうな細い切れ長の目は迫力がある。はかなげだが、いかにも切れ者に見える。
王と参謀の冷静な態度に宰相は鼻白んだ。
「お、おわかりですか、国王。侵略ですじゃ!」と、宰相の声は裏返った。
「侍従長」
「は!」
「ここへ、先ほどの地図を持たせよ」
「は!」
「近衛師団長ヴァランを呼べ」
ヴィトセルクは必要な命令を下すと、宰相に向き直った。
「当初、西の国境に異変があったようだな」
「そ、それは」
「なぜ、知らせなかった」
「陛下、たいしたコトではないとの報告を受けたのですじゃ」
「そうか、では、今はたいしたコトという認識なのだな」
グリーグ宰相は顔を真っ赤にして、ドロドロ流れる汗を袖でふいた。
「では、聞こうか」
「報告によりますと、シルフィン帝国の総大将はシッゲイル公爵、全軍の数はまだ詳細につかめておりませなんじゃが。ただ、大軍としか……」
執務室にバラバラと集まった重鎮たちは浮き足立っている。
彼らの報告は的を射ないこと、この上ない。
「ウーシェン。お前の予想通りか」
「陛下。その者は」
「わたしの参謀だ。軍師として、役に立ってもらうつもりだ。そして、ウーシェン、この者は宰相だ」
「存じております」
はかなげな男は薄い唇を開いた。
(つづく)