身代わりとして
──いっそ、俺が。
なぜか困ったことに、クロードはそう思ってしまった。
身代わりとしての訓練を受けてきたんだ。暗い場所でなら、姫と見分けがつかない。
──いっそ、俺が。
やきもきしながら、クロードは不穏な感情を抑えることができなかった。
宴は深夜まで続き、静まった部屋に戻ったのは夜更け過ぎ。
貴族出身のクロードは侍女とはいえ、身分的には王妃の相談相手という立場で、実質的な仕事をするわけではない。
小間使いたちが、王妃のドレスを脱がせ風呂にいれて世話をする。その美しい姿を見ながら、クロードは腹が立ってしょうがなかった。
マリーナが王にないがしろにされる立場は、自分が貶められたように苦しい。
フレーヴァング王国でクロードたちはよそ者だ。
ラドガ辺境国からついてきた使用人は数人、護衛部隊の10人ほどは城外で生活しており、部屋を守る警備兵もこちら側の人間ではない。
このまま飼い殺しのような生活が続いていくのだろうか。
きっと王の寵愛を受けるフレイアのような女が宮殿でのさばる。
寵愛をうける愛人と、相手にされずに寂しい一生を送る王妃。
そんな物語は山ほど読んだことがある。主に物語の世界だが、20歳になるまで、彼にとって本だけが友人だった。
──やるか!
クロードは考えるより行動する。過去を振り返ってウジウジ悩むより、未来にぶつかっていく。
だから、自室に戻るとマリーナのドレスに身を包んだ。
夜は深い。
うす暗がりなら、誰かわかるまい。
顔をベールで包み人の去った廊下を歩いた。
衛兵は、彼が通り過ぎると目を伏せる。マリーナと思っているのだろう。
ヴィトセルクの執務室前で、彼は衛兵に伝えた。
「陛下にお話があります」
「もうお休みですが」
衛兵の返答に、「だから来たのです。取次ぎなさい」
マリーナ妃は正当な王妃なのだ。こんな扱いを受けて良い訳がない。夫の部屋に妻が入るだけのことだと、彼は自分の行動を正当化した。
──だって、プリンセスは王子と幸せに結ばれるべきだ。
彼の世界は物語でできている。本ばかり読んで生きてきたので、まっすぐに夢物語を信じるところがあった。
衛兵が取次いだ。
ドアの先は執務室で、ガウンを着てくつろいだ姿のヴィトセルクが、重厚なデスクで書き物をしている。
彼は目も上げずに、「なんの用かね」と、問うた。
「陛下」
できるだけ掠れた声で応じた。
執務室につながるリビングと寝室があるのは、おそらく、王妃の部屋と同じ作りだろう。
この部屋は、より大きく豪華ではあるが設えは同じだ。
そのまま控えていると、彼は顔をあげた。
前髪が額にかかり、なんともセクシーだ。
「あなたが、この部屋に来たのは2度目か」と、ヴィトセルクが言った。
え? そんなはずはない。
マリーナがこの部屋に来たことはないはず。
ど、どういう意味?
「はい」
とりあえず、返事をした。
足が震えはじめる。
マリーナはヴィトセルクと初対面ではなかったのだ。
抑えようのない恐怖を感じると、背中がモゾモゾとした。これまで感じたことのない痒みが背骨の左右で強くなる。
「どうしたのだね、まさか、あのマリーナ妃が震えているのか。今度はどんな願いをもっている」
本来、クロードの地位で王に話しかける資格などない。バレたら、よくて牢に繋がれる。
──くっそ、なぜ、こんなことをしてしまった。
そう後悔したとき、隣の扉が開いた。
「ヴィト」
甘ったるい声だ。
「どれだけ、あたしを待たせるの。もう身体が待ちきれないの。ここでご覧になりたい」
「困った子だ」
ヴィトセルクは持っていたペンを置くと、こちらを振り返った。
「王妃、というわけだ。帰ってもらえるか」
フレイアは妖艶な顔でほほ笑むと、ドアの向こう側が見えるように大きく開いた。そこには天蓋付きの王のベッドがある。
シーツはまだ乱れていない。
結婚式に使った部屋とは違い、いっそ質素とも言える。
クロードは迷った。このままフレイアの思い通りにすることが苛立たしい。こういう場合、マリーナなら、どうするだろう。
ここ数日、彼女の身近で接してきた。
気高く美しいマリーナ。
「ヴィトセルク王」と、彼は呼んだ。
王は、こちらを不審な表情を浮かべ凝視した。しばらくしてフレイアを振り返った。
「フレイア、部屋へ戻りなさい」
冷たい声でヴィトセルクが言った。
「あなた、すぐに来てくださるの?」
「いや、君の部屋はそこではないだろう」
「まあ、そこの形だけの王妃のために、あたしを追い払うなんてしないわよね」
「アスート!」
彼の声に、壁に控えていた男が現れた。細めの真面目そうな男だ。
「フレイア・ド・オッタル公爵夫人が、部屋にお帰りになる」
アスートと呼ばれた青年がフレイアの傍に来た。
いつから、そこにいたのだろう。ずっと部屋にいたのだろうが、まったく気づかなかった。それほど、アスートと呼ばれた男は気配も姿も消していた。
「なぜ、わたしの寝室に彼女がいるのだね」
「申し訳ございません」
「オッタル公爵夫人の部屋に案内しなさい」
「ヴィト、あたしがどれほどあなたを愛しているか、わかっているでしょう」
「そうだったのかな、フレイア」
彼女はアスートの手を振り払って、彼のかたわらにひざまずいた。
「ヴィト」
「わたしたちは、もう終わったのだ。前に話したであろう」
「だって、そこの女。まさか、ヴィト、妻を愛するなんて、そんな野暮ったい男じゃないわよね。今どき妻なんて、どの貴族でも形だけじゃないの」
「黙りなさい」
口調は穏やかだが断固とした声。
その声は低音で、耳に心地よく、惚れ惚れしてしまう。
ふいに、フレイアが、その場にうずくまり、「ひいいい」と、叫び声をあげはじめた。
ヴィトセルクに襲いかかろうとする彼女をアスートが押さえた。
その手が、よほど強いのか、彼女は動けない。代わりに甲高くヒステリックな声で叫んでいる。
「衛兵」と、アスートが呼んだ。
屈強な男たちが部屋に入ってきた。
「連れて行け」
暴れるフレイアを衛兵は抱えるようにして、部屋から引きずりだした。
成り行きには驚くしかない。クロードは言葉を失った。自分の立場が、ある意味、フレイアと同じだと気付いた。
扉が閉じた。
ヴィトセルクが近づいてきた。
「立ちなさい」と、彼が言った。
クロードは震えた。
「あ、あの」
「名前は」
「え?」
「君は妃ではないな。マリーナ妃について来た侍女であろう。名前は」
気付かれた。どうしたらいい。王妃じゃないとバレたんだ。でもバレない場合も困った状況になったが。
——ええぃ、クソッ、俺のすることはいつもこうだ。
「ク、クロード・デ・ハトートレインと、申します」
「ほお、マリーナ妃と似ているな」
「も、申し訳ございません」
彼は潰された虫よりも、さらに深く床にひれ伏した。
「なんだね。夜伽が嫌な王妃の身代わりとして、マリーナ妃に命じられたのか」
「いえ、あの。そのような」
「妃は知らぬのか」
「は、はい」
「では、なんのために来たのだ」
こんなとき、物語では救いのヒーローが、ちょうどいい具合に現れるはずだ。でも、誰もこない。当然だ。救いに来るはずの王子はここにいる。
そもそも、何をしに来たのだ。
謁見の間でフレイアと二人で去ったヴィトセルクに、怒りを覚え衝動的に来てしまっただけだ。
(つづく)




