クロードの覚悟
──マ、マリーナ妃、クッソ綺麗だ……。田舎じゃ拝むこともできない佳人だぞ。俺に似てるなんて、どこのドアホが言った。やつらの目は節穴か!
フレーヴァング城で竜車から降りたマリーナは、侍女の姿に身をやつしていた。にもかかわらず、威厳のある姿は自分とは格がちがう。
今、彼女は侍女の地味な服を脱ぎ捨てた。最高の化粧を施され、飾り立て、緋色の花嫁姿で彼の前に立っている。ただただ呆然とするしかなかった。
儚げでありながら、圧倒的な存在感は他の追随を許さない。
たしかに少し似ているかもしれない。けど、全く違う。あまりの違いに、羨望さえもおきなかった。
「あなたがクロードですか」と、その掠れ声に、彼は震えた。
「はい、姫殿下」
──これこそ持って生まれた品格ってやつだよ。よく本で読んだな。生まれながらの王女とかいるって。けど、そんなもん、嘘だと思ってきたけど。いや、実際にいた!
『あなたは足りないのです』
マルニガン先生の言葉を思い出す。
そう、足りない。まさにその通りだ。彼女の横に並んだとき、自分が影でしかないことに気づいた。それは、ちょっとだけ残念ではあるけれど、圧倒的な差を前に、素直なクロードはただ感嘆するしかない。
やわらかそうな白い肌は透明に光り輝き、気品のある立ち居振る舞いは、まるで踊っているように優雅な動きだ。
それは、半年くらいの特訓で、にわかに真似できるものではない。
「ふううぅ」
クロードの唇から、無意識にため息がもれる。もう目が離せない。きっとマリーナは不審に思うだろうが、吸いつけられてしまう。この時から、クロードの300度の視線は常に彼女の姿を捉えるようになった。
結婚式にマリーナの背後を守る侍女として付き従った。
使用人として貴人と目を合わせないよう、うつむきがちに従いはしたが、彼の特殊な目だ。祭壇上に立つ王の姿をとらえることは容易だ。
ヴィトセルク王!
彼は黒の正装に身を包んでいた。結婚式に黒とはラドガ辺境国なら不吉な色と言われかねない。フレーヴァング王国では違うのだろうか?
それとも、この結婚に思惑でもあるのだろうか。
──いや、わかる。男と逃げた女なんて、俺でも怒るだろうな。彼は王だ。尊厳が傷ついても不思議はない。だから黒なのか?
背が高く均整のとれた体格の彼に、黒はよく似合っていた。
亜麻色の髪も美しい。なにより、自信に満ちた大人の余裕を感じさせる上に、品ある佇まい。しかし、どこか孤影をたたえている。こんな男に孤独の影があったら、女は放っておかないだろう。
のちに聞いたことだが、若くして王位を継いだ彼には、外部だけでなく宮廷にも敵が多く、威厳と恐怖を与えるために、常に黒系の服を着ているという。
彼は戦略に富む王であり、人に心を見せない冷酷さをもちあわせていた。
まばゆいばかりの姫が、この王を振って奴隷と駆け落ちしたなど信じられないことだ。
300度の角度で見ることのできるクロードは、本来なら見えないものまで捕捉する。ヴィトセルクの視線は周囲に隠しているが、常にマリーナの姿を追っている。
──あはは。たとえ王だとしても、男だ。うちの姫さんを無視はできないだろうな。
マリーナの姿を見つめる王と、関心がまったくない姫。
姫がともに逃げた奴隷の男って、本当にヴィトセルクを凌ぐ男なのか。
ラドガ辺境国のリーラ城で、奴隷の名前は禁句となっていた。
『そんなにいい男だったのか?』と、聞くと、侍女は、しーっと唇を抑えた。
『そんな男は存在しない。いい、わかった』
『ああ、わかった』
そう言いながら、こっそりと教えてくれた。
『あの奴隷は、この都で評判の歌い手だったのよ。確かに、低音から高音まで自在に操る声は神の賜りものだったわ。いえ、それ以上。多くの奥方やお嬢さま方がね、それは……、あの、それはね、いろいろと。姫が奴隷を解放して逃げたと聞いたある方なんて、ショックで失神したとか』
『その男を見たのかい?』
使用人は意味ありげにほほ笑んだ。
『あれは天才よ。あの声を聞いてよろめかない女はいないわ』
しかし、とクロードは思う。このヴィトセルク王を捨てる価値のある男などいるはずがない。
困った妃殿下だが、たぶんそれも育ちの良さかもしれない。呆れながらも、王にも姫にも惹かれる自分がいた。
──いったい、この感情はなんだ。俺は、男なのか、女なのか。クッソ、わからなくなってきたぞ。
(つづく)