紅き異世界竜人
聴覚は完全破壊され、甲高い耳鳴りと血の流れる音だけが世界を支配している。
音は戦闘に限らず日常生活において視覚と同等の価値がある。それを失った今、敵前逃亡は恥ずべき行動ではなく理性的行動として肯定される。
しかしそれは出来ない。
ジークリルは主人公の座に触れてしまった。
決意か倫理かの最後の局面、自分の身を挺して少女を音響攻撃から守り手傷を負った。こうなった以上、逃げ出すことは出来ない。否、逃げ出すなんて選択肢は頭から消え去り、自分の意志でこの場に立っているのだ。
「(人間の足では届かない、攻撃圏内に入った直後には、奴の音響攻撃の再装填が完了している。竜の翼も信用ならない。一分一秒が惜しいこの状況で最も早いが最も危険を孕んでいる。一度飛翔し近付けば、波の軌道を描き却って時間ロス)」
音の聞こえない世界。
用いる二種の走行では足りない。
今までにない環境と状況に、どこか興奮している一面がある。やはり彼の存在意義は此処にあった。
「(……何を心配している。俺が負けるとでも思っているのか?) 待ってろ。今、静かにしてくる」
心配そうに口を動かす少女に、ジークリルは余裕の言葉で返した。
翼と足を個々に用いて届かぬならば、その両方を用いるのみ。
陸上選手のスタートダッシュにも似た前傾姿勢で飛び出す。
両翼を広げはするが滑空に留め、超低空飛行で怪獣との距離を縮めにかかる。
地面に激突そうになる度、自らの手で地面を蹴り修正する。
飛行するよりは遅いが走るよりはずっと早い。
そして何より安全な、竜人としての新たな走行を生み出したのだ。
「(不可避の音響攻撃を再度繰り出されれば、問答無用に俺は敗北する。だが奴の攻撃は不定期でもなければ連発できる代物でもない。インターバルはざっと換算して五分!)」
トードディナは音響攻撃を発する際、腹を大きく膨らませる。
大声を出す為に周りの空気を一挙に吸っているからだが、その腹にはメーターのような紋様が刻まれており、膨らむにつれて腹の下に隠れたメーターが垣間見え初め、一番下の真っ赤な台形まで見えると音響攻撃を発するわかりやすい仕様となっている。
現在メーターはまだ最初の部分。
この調子でいけば猶予期間は三分。
相手を殺すには十分すぎる時間を受け取ることができる。
「……辿り、着いたぞ!」
眼前に聳えるは肉の山。
ここまで来てしまえば翼による接近でも、もう問題にはならない。斜め前にさえ飛べば、どれだけ波の軌道を描こうとも腹にぶち当たる。
音響攻撃の最大の欠点、それは無防備な準備期間。
息を吸い込んでいる最中は視線が上に向いていき、敵の所在を確かめることができない。またその間に敵の接近を妨害する手段を用いていない為、近付けるだけの移動法を用いてさえいれば接近は容易。
異世界人でも勝てる可能性は十二分に存在した。何故なら撤退推奨の判定に彼らも引っかかっていたのだから。
ただ今までは敵に気付かれる前の不意の一撃や、音響攻撃によって瀕死の重傷を負った仲間を見たために意気消沈してしまう、精神面において戦闘の素人であったが為に勝てなかったのだ。もし彼らが勇気を抱き、真の主人公の如き躍進を見せれば勝てていた。
「燃えろ……腕!!」
鱗と鱗の継ぎ目から、紅い光が燦燦と漏れ出る。
ドラゴンの炎を腕に結集し、超高温と化すだけのシンプルな技。
しかし腕の周りの景色はドロドロに溶かされ、周りの草木も一瞬にして枯れさせてしまう程の熱量。触れたが最後、火傷や燃焼も通り越して相手を炭にする。
「ッラァ!!!!」
「!!!!!!!!!!?!!!!!???????? VAAAAAAAAAAARUUUUUUUUUUAaaaaaaaaaaa」
燃え盛る右腕でトードディナの腹を掻っ捌く。
腹に溜め込んだ半端な空気が、灼熱に炙られ思わず吐き出る。
相当な音量なのだろうが、全力時のソレとは比べものにはならない。
何よりジークリルは既に開かれた入口から体内へと潜り込んでいた。
生暖かい血肉に圧されて拘束されてしまう。
吐き出された大量の息によって、出っ張っていた腹が収縮したのが原因。
自身の腕に焼かれる危険性を加味し、腕に灯した炎を解除する。
「(クソッタレ、結局はこうなるのか。)……盛れ、炎よッ!!!」
一点集中の炎には自分自身も焼かれかねない。
だがそうでなければ話は別だ。
体内に宿したドラゴンの炎を今度はその名に相応しく、口から放出した。
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少女はジークリルの後を追った。
怪獣の元に辿り着くには一時間以上かかる。
辿り着いたとして何ができるわけではない。
待っていろとさえ言われた。
だが少女は、自分を助けてくれたジークリルに心を奪われた。
恋や愛なんて甘酸っぱいものではない、耳を犠牲にしてまで赤の他人の奴隷である自分を助け、剰え単身怪獣へと向かい挑んだジークリルに尊敬、あるいは信仰に近いモノを抱いた。
「!!!!!!!!!!?!!!!!???????? VAAAAAAAAAAARUUUUUUUUUUAaaaaaaaaaaa」
途中、トードディナの叫びが響き渡った。
鼓膜が破られる程の爆音ではなかったが為事なきを得たが、それをジークリルの手によるものだと知らず且つ腹の内側に入り無事だとは考えもしない少女は、心底心を焦らせる。
足の裏に刺さる小石や吐き出された残骸の破片など、最早気にせず急いだ。
これまでの人生で受けてきた拷問や辱めに比べれば、我慢する意味がある分耐えられる。
「 」
叫び声が止みかなりの時間が経った。
日は完全に傾き、辺り一帯を夜が包んでいる。
街道には明かりなど見当たらず、頼れるのは自分の目だけ。
そのはずなのに、今は酷く眩い。
夏の太陽に引けを取らない程輝き、しかし決して浴び続けた輝きではない。
「……すごい」
光の正体、それは全身が燃え盛っている怪獣トードディナであった。
遠目で見ていた時とは打って変わり、萎んだ風船のように地面に広がっている。
後頭部から生えていた管が炎の中で畝り、腹の中で消化されていた死骸が皮を突き破る様子は、地獄さながらだ。
「! おじ、さん」
そんな怪獣の死骸近くで、ジークリルは大の字で倒れていた。
ドラゴンの炎を彼是数十分吐き続けたことによる疲労困憊。
安静にしていれば時機に体力は戻るが、やはり少女から見れば激闘の果てに死にかけているようにしか見えないらしく、その姿を見て大粒の涙を流している。
「(嗚呼、クソッタレ……どう反応してもアウトじゃねぇか)」
ジークリルは主人公の座についた。
それはまごうことなき事実。
仮に彼の考える修正力があるのならば、最早逃げることは敵わない。
彼の求める理想を、彼自身の手で手放してしまったのだから。
【怪獣トードディナの篝火】 大陸の歴史
アルスレイ聖王国を脅かした怪獣トードディナがある日、燃え盛る炎となって発見された。
どこかの国所属している異世界人が撃退した、体内に取り込んだ火種が引火して自然発火した、そもそも存在していなかった等、様々な憶測が飛び交ったが、周辺数十キロに渡り怪獣が取り込んだ残骸が散乱していたことから、何者かと戦闘して敗北したのだという結論付けられた。
そして民衆は怪獣を倒したのは異世界人だと、やはり異世界人こそこの世界の希望だと熱狂し、他に噂されている怪獣の撃退に期待し声援を擦り付けた。
一方、トードディナ撃退に関して心当たりのあるレモン・スカッシュ。
彼は誰に相談できる訳でもなく、一人で期待と不安を募らせるのであった。