神の盤上
異世界転移には、云わずと知れた特典がある。
『常軌を逸した身体的能力』
『唯一無二の特殊能力』
今回の場合で言うなら、それらは別世界を移動してくる際に何者かの手によって与えられる。
何者なのか、聞く相手によって答えはまちまちだ。
純白の羽を生やした美しい女神だったという者もいれば、神と名乗る惚けた老人やAIのような決められた言葉だけを羅列する電子音であったという者もいる。
その後の対応も統一性はなく、一度きりの相手もいれば時折暇つぶしのように話しかけてくる神、常に成長をお知らせしてくれたりと、個人個人で違ってくる。
ただ確実に異世界から召喚された者は、その何者かの手によって力を得ている。
そこには一切の差別はない。
優等生であろうと犯罪者であろうと異常者であろうと健常者であろうと平等に力は与えられる。
----- ----- ----- -----
名前も素性もないのは不便だ。
ここで彼らの情報を明かそう。
【紅き異世界竜人 ジークリル】
身長は180㎝の細身で琥珀色の瞳を宿している。
またその名が示す通り全身に張り巡らされた光沢のある紅い鱗からは、体内に宿したドラゴンの炎から漏れ出た熱気が常に立ち上り、彼の周りは常に陽炎と化している。
両翼は平常時は折りたたんでいるが、開長時は十メートルを優に超す大翼。
自慢の尻尾はよく撓り、先端部分から突出した尖った骨を用いることで、鞭だけではなく槍としても扱え、実を言うと彼にとっては拳以上の武器なのである。
見るものが見れば、明らかに強者な彼。
唯我独尊、信じるのは拳のみのように見えるが実は彼、オカルトめいた一つの考えを真実だと思い込んでいる節がある。
その考えというのが
『この世界は神を名乗る不遜な者手によって構成されている』
というものだ。
何を馬鹿なと思うかもしれないが、例えば今彼がとっている行動。
この世界を救ってもらう為に異世界転移されて来たにもかかわらず、その職務を放棄した挙句、人を窓から投げ落とした。一見すれば彼の言う神の敷いた道から外れる行為だが、決してそういう風にはならない。
「ッ何!!?」
聖王国から飛び去った後、世界の筋書きから逃れる為に全力で飛んでいた。
時速500kmは人から見ればありえないスピードに思えるだろうが、普段の彼からしてみれば何てことはない速度なのだ。
だがそのなんてことはない速度で飛行しているさ中、違和感を感じた。
その正体を一瞬勘ぐってしまい、気付けば前を向いていたからだが地面の方へと傾いていたのだ。
このスピードを急停止できるわけもなく、ジークリルは地面に墜落してしまう。
凄まじい爆発音と舞い上がる土煙。
その煙の中から弾き出された赤い物体は、十数度地面を跳ね返った後に巨岩に激突することでようやく止まることができた。
これがジークリルのいう構成されているという表現、『修正力』と呼ばれるものである。もし咄嗟に体を翻して激突を避けたとしても、別の障害が様々な形となって襲い来る。
この世界に主人公として召喚された者は、一切の差別なく主人公として生きねばならない。というのが彼の主張であり、この事故も自分のミスではなく不遜なる者の介入と信じている。
「ッ……!」
彼のものさしで語るなら、今起きている修正力は逃亡手段の奪取である。
自慢の両翼は健在に見えるが、よくよく動かしてみるとまるで別の誰かの羽を使っているような違和感を感じる。
飛び立つことに問題はない、少しの間の飛行も問題はなかった。だが途中で体勢を直す際に羽ばたく事でようやく、羽が本来よりも劣っていることに気付く。
その他にも自由自在に操れていた鞭のように撓る尻尾は、餌を前にした犬みたく左右に振り回すくらいしかできない。
唯一信頼していいのは、今の墜落でもビクともしない頑丈さと炎だけ。
ジークリルの予想ではだが、今からでもあの場所に戻って従順にストーリーに沿えばこの弱体化は解除されると考えている。
修正力とは戒め。
我儘ばかり言う我が子を押し入れに閉じ込める行為、規律を守らぬ受刑者を独房に入れる行為。それらは全て相手を戒めるが為に行う行為であり、反省の色さえ見せてくれればすぐにでもそこから解放される。
「まだ……まだだ! たかが羽が馬鹿になっただけ、尻尾が不便なだけではないか。俺にはまだこの足が、拳が残っている!! お前の言うことは決して聞かんぞ!!! 俺は……自由に生きる!」
ジークリルの求めるのは神の構成から外れること。
現実の世界でも不可能に近い行動を、神の力で構成されている異世界で行おうとするのは無謀だ。
この世界に召喚されてしまった時点で、彼は物語という名の盤上に置かれた一つの駒に過ぎない。駒はひとりでにに行動はしない、盤上を操るプレイヤーの手によって始めて動き出すのだから。
そんなのは例え話に過ぎない。
そう豪語してみたはいいが、それがまた仇となってしまう。
「大丈夫、ですか……?」
「!?」
背後から少女の声が聞こえた。
まるで今の言葉に対して、ならばこうしようと言わんばかりに唐突な出来事。
普段であれば見逃さない人の気配に、ジークリルは背後に立たれ且つ声を掛けられるまでその存在を感知出来てはいなかった。
振り返った先にいた少女。
汚物が浸み込んだ上着、何日も取り換えられていない包帯を顔に巻き付けている。
手には手錠、首筋には焼き印と、自分が奴隷であると主張する品々を取り揃えていた。
「(何故こんな所に奴隷が……いや違う。こいつも修正力で呼び出された、ただの造物に過ぎない。ストーリーに沿わせる為ならご都合展開も止む無しか……!)」
傍から見ていても怒涛の展開に頭を悩まされる。
しかし主人公として物語を始めるにはちょうどいい足掛かりだ。
『墜落した先で出会った奴隷の少女』
物語のあらすじとしては十分なインパクト。
ここからでも神の意志に従えば、この奴隷の少女は才能に気付けずにいた天才だったという展開か、そうでなくともハーレムにおける正妻的ポジションに居座ってくれるに違いない。
だがそんなものをジークリルは望んではいない。
ジークリルは少女に声もかけず、その場から徒歩で立ち去る。
彼の言う通り、これすら修正力であるのだとすれば、彼女は被害者だ。
何故なら彼女がここにいるのは神の手によるもので、自分の意志でこの場所に訪れたわけではない。
奴隷商から決死の思い出逃げ出したはいいものの、行く当ても縋る相手もいない少女。街を歩けば奴らの手先に見つかるか、通報されてしまう。
彼女は外に出る以外に選択肢はなかった。
モンスターに喰い殺されるかもしれない恐怖に怯えながら、必死に神に祈りを捧げた。
『誰か、助けてください』と。
そしてその願いを神は聞き入れた。
目の前に跳ね返りながら現れた異形の存在。
普通の人なら恐れ慄くだろうが、少女がこれまでに経験してきた人間の醜悪さ、伝え聞いた知恵なきモンスターへの恐怖に比べれば、未知の種族はこれ以上ない理想的な相手。
奴隷としてではなく、個人としてみてくれるはず。
「あ、あのっ!」
少女が助けを求めよと声を出した次の瞬間。
「VOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO」
か細い少女の声を掻き消す凄まじい爆音。
何事かと振り返ったジークリルに、風圧で吹き飛ばされた少女が飛んでくる。
「ッ!」
咄嗟に彼女を助けてしまう。
今の今までかかわるまいと決めていた少女を、あろうことかジークリルは両翼を広げて覆い守ってしまったのだ。
結果的にその後に飛んでくる、鋭い刃と化した葉や銃弾と威力の変わらない枝から彼女を守り切った。
「……あぁそうかよ。見捨てるか否か、って言いたいのかよ」
音が止んだ先に奴はいた。
まるで山が意志をもって向かってきていると勘違いしてしまう程の巨体。しかしその正体はアルスレイ聖王国で聞かされた、この世界を脅かさんとする敵。
怪獣との会敵である。
「VOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO」