ミルキャスの呪縛
結構な時間森の前で待ち続けているアルフォナ、ジル、そしてミルキャス。
「ミルキャス。お前も見えているな?」
「はい、アルフォナ殿。お恥ずかしい限りです」
ミルキャスの対戦相手であり父親でもあるマーシュが、事前に魔道具による罠が設置されている事を疑って散々侮辱の表現まで使ってアルフォナに詰め寄っていたのだが、少々隙を見せてやると嬉々として自ら罠を仕掛けていたのだ。
「いや、謝罪は不要だ。今の状況を把握できているかを確認しただけだ。油断が無ければそれで良い。油断も騎士道精神に反する行為の内の一つだからな」
ここまで全てが見られているとは思っていないマーシュ。
十分に罠を設置し終えると、森の中から出てきた。
「お待たせしました。調査した結果、どうやらここには事前に罠が仕掛けられている様子はなかったです。やはりそんな時間が無かったのでしょうかね?」
自分はせっせと罠を設置していたのにこの言い草だ。
同行してきた騎士の一人であるジルは余程今のマーシュの行いを暴露したくなっていたのだが、アルフォナや対戦相手であるミルキャスですら何も言わないので、只々口を噤んでいた。
「……では双方森に入れ。私が合図をしたら戦闘開始だ」
ジルはミルキャスの背中を軽く二回ほど叩き、アルフォナも拳を突き出してミルキャスを鼓舞する。
「では、行ってまいります」
ミルキャスの表情は以前のように何も感じさせない暗部のものではなく、一騎士としての誇り高い表情になっていた。
「あの様子であれば問題ないか……」
アルフォナは隔絶した力を持っている<六剣>配下であるミルキャスに対して、一つだけ懸念事項があった。
最も早くミルキャスの存在に気が付きその行動を全て観察していたのだが、当初からミルキャスは心有る人物の動きではなかったのだ。
当人を前にしてその表情まで確認した時に、その推測は確信に変わった。
この表情をする人物は、以前の自分と同じように全てを諦めて心を閉ざした者。
その原因は今回の対戦相手であり父でもあるマーシュである事は、疑いようがない。
その人物に反する行動を取るには余程強い決心が無くてはならず、無意識下で自分の力を抑え込んでしまう可能性が高いのだ。
そうなってしまうと、如何に<六剣>配下であったとしても敗戦も有り得るのだが、今のミルキャスの表情を見る限り杞憂であると判断していた。
「始め!!」
大気を振動させるほどの大声で合図を送ったアルフォナ。
先々代暗部総隊長、そして先代暗部総隊長でもあり<闇剣>配下のミルキャス二人の戦闘が開始された。
互いに暗部に相応しい動きで、通常の騎士達では目の前の森は何もない穏やかな通常の時間が流れていると勘違いするだろうが、アルフォナとジルには中で行われている激しい戦闘が見えている。
「中々やるな、ミルキャス。だが、お前を鍛え上げたのはこの私マーシュだ。フフフ、お前が私を超える事等有り得ない」
余裕のマーシュに対し、ミルキャスは少々汗をかいていた。
暗部総隊長の座を引き継がされるまでマーシュから過酷な訓練を毎日のように課せられており、容赦ない体罰も実施されていた。
その忌まわしい記憶によって、<六剣>配下の<闇>の力すら十全に使えていなかったのだ。
……ヒュン……
一旦マーシュから距離を取るために大きく跳躍した所、背後からわずかな音を察知して体をねじる。
「フフ、流石にこの程度では仕留められないか」
ミルキャスは、マーシュが森の中で設置していた罠から射出された弓によって体の芯がブレてしまい、その隙を見逃すはずもないマーシュによって利き腕である右腕を大きく切られてしまったのだ。
ミルキャスは罠の位置も全て把握していたはずなのだが、思うように体が動かず、考えも纏まらない事に焦っていた。
その状況が更に体の動きを悪くすると言った悪循環に陥ってしまったのだ。
「お前は弱い。以前のお前なら、その程度の傷では動揺する事は無かっただろう。しかし、今のぬるま湯につかったお前では、そうなるのは仕方がないだろうな。これは父親として、もう少し躾が必要か?」
あえてゆっくりとミルキャスに近づくマーシュだが、ミルキャスの表情が怯えの表情に変化した瞬間に急加速し、鳩尾を深く蹴り飛ばす。
森の外にも聞こえるほどの音が鳴り響き、ミルキャスは大木に叩きつけられて落下するが、長年の鍛錬から身に着いた暗部としての生存本能からか、何とかその身を隠す事に成功していた。
「か……勝てない。やっぱり……勝てない……」
だがマーシュの予定通りに、ミルキャスは本当の力を出す事が出来ずに心が折れかかっており、先代暗部総隊長とは思えない表情で目には涙を溜めていた。
最早勝利は疑いようがないと確信しているマーシュ。
慌てずにじっくりと獲物をしとめるべく、ミルキャスが隠れている周辺を慎重に調べ始める。
「ミルキャス。お前が今ここで敗北を認めれば躾は止めておいてやっても良い。だが、お前はこのフロキル王国でも俺の手足となるのだ。どうだ、悪くないだろう?これ以上俺に無駄な行動をさせるな。さっさと出て来い!」
ミルキャスは思い出してしまった。この男の残虐さを……今まで何もしないから出て来いと言って何もなかった事は無い。
最早何も考える事が出来なくなっており、何とか震える体を抑え込んでいるだけのミルキャスに、森の外から大声が聞こえた。
ミルキャスが敬愛するアルフォナ、そして仲間であるジルの声だ。
もちろんこの二人、騎士として決闘に手を出す事は出来ないのだが、ミルキャスのピンチに何が出来るのかを考え、その結果大声で彼女を鼓舞している。
ミルキャスにも崇高なる騎士道精神が宿っていると心から信じ……
「騎士道精神とはなんだ!」
「はい!それは決して折れない強靭な意思!」
「騎士道精神とはなんだ!」
「はい!それは弱きを守り、主を守り、毅然と悪に立ち向かう力!」
「騎士道精神とはなんだ!」
「はい!それは自分と仲間を信じる心!」
この声を聞いて行くうちに、自然と震えが収まるミルキャス。
「ミルキャス!お前は誇り高い騎士道精神を持つ我らの仲間だ~~~~~!」
そしてアルフォナのこの最後の咆哮で意識が完全に戻り、自らその姿をマーシュの前に曝け出す。
「ようやく出てきたか。外野も煩いし、さっさと敗北を認めろ」
マーシュは、ミルキャスが自分の提案を受け入れて敗北を認めるためにこの場に姿を見せたと思っていたのだ。