騎士とゾルドネア
庭園でナユラと共に寛ぎながらお茶を楽しんでいるユリナス。
さりげなく護衛の立ち位置を変更していた二人の騎士も、再び違和感のない動きで元の位置に戻っている。
そう、この場から完全に異物が排除されたのだ。
ユリナスにもナユラにも、あえて何も言わない騎士達。
ユリナスには余計な心配を掛けたくないためにスライムを使ってナユラだけに伝言する事も可能だが、どの道全てを把握しているだろうと判断して、騎士達は何も伝えなかったのだ。
……ここは庭園から遥かに離れている修練場。
このフロキル王国の王城には、アルフォナの希望で彼方此方に修練場があるのだが、その内の一つだ。
そこに<六剣>配下の騎士である<炎剣>配下のタイラント、<風剣>配下のノウリスと共に、庭師の男ジュレインと暗殺を請け負ったゾルドネアが存在している。
「ジュレイン殿、困りますな。ユリナス様にこのような異物を近づける様な事をなされては……」
「え?いや、タイラント殿。このゾルドネアは立派な庭園を見てみたいと言うので、見学させていたのですが……私の自信作でもありますので。ですが、ユリナス様のお邪魔になってしまったようであれば申し訳ありません」
暗殺しに来た男を引き入れたとは露程にも思ってもいない庭師ジュレインは、素直に謝罪の言葉を口にする。
ゾルドネアとしては、この場で目の前の騎士二人を始末して再びユリナスの方に向かっても良かったのだが、この場所がどこなのか分からないために今暴れるのは得策ではないと判断して大人しくしている。
そもそもどうやってここに連れてこられたかすら分かっていないので、うかつに動くのは身の破滅だと、長年の経験から理解していた。
「これは失礼いたしました。この王城の庭を手入れしているジュレインさんが、その成果を嬉しそうに話すものですから。実際にこの目で見てみたいと思いまして……申し訳ありません」
立派な体躯を少々屈めて、遜るように謝罪するゾルドネア。
さりげなく周囲にスライムがいない事を確認しているのは、長年の経験がなせる業か。
もしこの姿をスミカが見れば、ヘイロンに交渉の何たるかを嬉々として伝えてきたに違いない程の変わり身だ。
「成程。貴方の言葉に偽りはないようですね、ジュレイン殿。ですが……」
厳しい視線をゾルドネアに向けている<炎剣>配下のタイラントと<風剣>配下のノウリス、そしてその姿をオロオロしながら見ているジュレイン。
タイラントはその基礎属性から温度に関する察知能力が極めて高いため、表情には一切見えない変化、動揺による体温の上昇を感知しており、ノウリスは、風の力によって呼吸の状態を感知していたのだ。
「貴方は何故この場に連行されたか分かりますか?」
厳しい視線ではあるが、言葉は柔らかいまま問いかけるタイラント。
「いいえ。全く分かりません」
目的を看破されているとは思わずに、流れるように答えるゾルドネア。
「そうですか。では、その懐に隠し持っている武器は何に使用するのですか?」
その言葉を聞いたゾルドネアと、この男を引き入れた庭師のジュレインも驚く。
「おい、ゾルドネア。どう言う事だ?武器だと?何故庭を見るのに武器が必要になるんだ?」
「……言いがかりは止めて頂けませんか」
と言うと同時に、ゾルドネアは足元に装備していた逃走用の煙幕の魔道具を起動する。
「ぐぁ、クッ」
周囲の視界が真っ白になった瞬間にこの場から逃れようとしたのだが、いつの間にか地面に倒され、あっという間に煙幕は奇麗さっぱり無くなっていた。
「その程度で何かを成せると思っているのが滑稽ですね」
倒れているゾルドネアを踏みつけながら話しているタイラント。
ゾルドネアは必死で逃れようともがいているのだが、何故かこの状態から抜け出す事が出来ずにいた。
そして呼応するようにノウリスも続く。
「タイラント、この男の行為は“何か”で済ませて良い事ではないでしょう。ユリナス様を狙っていたのは確実ですから。まぁ、あなたもどの道この男を無事に返すつもりがないのは分かっているので、これ以上は言いませんけどね」
ここまで明確にされては、流石に自らの行いがユリナスを危険に晒したと分かる庭師ジュレイン。
真っ青な顔で謝罪の言葉を告げようとするところを、ノウリスに遮られた。
「ジュレインさん。今回は大失態ですよ?貴方に害意がないのは理解しておりますので、実害がなかった事からもその懐の金貨……市井の者に全額寄付をする事で見逃しましょう。ですが、二度目はありませんよ?」
ゾルドネアから受け取っていた報酬すら把握されているのだが、許しを得て安堵するジュレイン。
今までのタイラントとノウリスであれば、主に害をなす可能性がある行為をした者は問答無用で物理的に切って捨てていたのだが、アルフォナの騎士道精神を説かれているので、一度は見逃すと言う心を持つ事が出来ていた。
もちろん主に対して忠誠を誓っている者だけがその対象になり得るので、ゾルドネアは決して見逃される事は無い。
そしてこの事態、皇帝カリムやジーダフ伯爵ですら把握できていなかった。
逃走用の煙幕を吹き飛ばしたのは、<風>の基礎属性を冠する<風剣>配下であるノウリス。
その圧倒的な風量で、偶然ではあるが遥か上空で一帯を監視するために停滞していた虫獣を破壊したのだ。
その虫獣は外敵から感知されないようにとても小さく、その情報を転送する程の能力は備わっていない。
つまり、その虫獣が主の元に戻らない限り、情報を得る事が出来ないのだ。
ついでに言うと、ゾルドネアが出していたのであろう負の感情も虫獣が集める事が出来るのだが……破壊されたと同時に霧散しており、ジーダフ伯爵に届く事は無かった。
この日を境に、冒険者ギルドの鼻つまみ者であるゾルドネアの姿を見た者は一人もいない。
ジーダフ伯爵や皇帝カリムですら、その消息を追う事が出来なかったのだ。
かなりの時間が経っても何の成果もなく、そして何の報告もない。
フロキル王国に侵入した所までは確認できているので、今回の目標であるユリナス側の手にかかった可能性が高いと判断し、もう一方の作戦であるキルハ国王の件を慎重に進める事にした。
皇帝カリムは、今回仕事をさせるアントラ帝国の暗部の隊長であるミルキャスの実力はその目で確認しているし、その実績も文句ない程に完璧だ。
どこぞの冒険者崩れの男とは比べようもない程有能なのだ。
「作戦を進めるか」
既にゾルドネアが完全に失敗したと断じ、新たな指示をミルキャスに送る皇帝カリム。
ユリナス側が今回の失敗で警戒度合いを上げていると判断して、虫獣の配備もしていない。
ゾルドネアから皇帝である自分に辿り着く事は有り得ないのだが、念には念を入れたのだ。