交渉はカルモアの香り
「で、あんたらどこまで行くんだ?」
ボルボン一家の6代目の質問に、フォルセットは大きく眉根を寄せた。
それは彼女の本来の目的地である魔王城だとは口が裂けても言えない事情のせいだけではない。
「ナバテ湖ですわっ」
そんなフォルセットの傍らから無駄に明るく元気な声でビオレッタ。
老女フォルセットは眉根を寄せて、ビオレッタのいる右側の耳の穴に小指を突っ込んで落胆の色を浮かべた。
このポンコツに正しい目的地を伝えなくて大正解、と歓喜に沸く心境を表情に出さぬよう演技に余念はない。
「ナバテだって? ナバテ! おい、おめぇらの中でナバテ湖まで行きたいって奴ぁいるかい?」
6代目は聞くや否や、ガハハハと高笑いをあげて周囲の冒険者たちに問う。
ギルドに集まった冒険者たちは揃いも揃って視線をフォルセットたちから背けた。そして、誰一人として名乗りを上げるものはいなかった。
「えっ? どなたも護衛していただけませんの?」
ビオレッタでも気づくほどにあからさまな様子に、彼女は思わず非難の声をあげる。
だが、6代目は落ち着いた様子でフォルセットたちに笑顔を向け、
「そういうことだ。しょうがねぇから、俺たちが護衛任務を受けてやろう」
野太い声で言うと、再び髭を揺らして笑って見せた。
フォルセットはその様子に少々きな臭さを覚えたが、それはボルボン一家に対する不信感からくるものではなかった。
ナバテ湖周辺といえば、北の岸から程遠くないところに魔王城があって魔物の強さも昔ほどではないがそこそこ高い。かといって、このギルドに集まっている冒険者で対処できないということはない。
むしろボルボン一家に対する冒険者たちの評価からいえば、この護衛の依頼こそボルボン一家は冒険者たちに押し付けるべき案件なのである。
そんな彼女の態度とは裏腹に、ビオレッタは満面の笑みで彼らを歓迎する。
「まぁ、受けてくださるのですねっ! こんなに頼もしい偉丈夫ばかりですもの、きっと魔物のほうから逃げ出すに違いありませんわ」
ビオレッタは老女の感じている違和感などどこ吹く風、フォルセットに先んじてボルボン一家を懐柔しようとでもするかのようだった。
それもそもはず、見ず知らずの男たちを懐柔すればいかにフォルセットといえど人前で説教はできまい、とビオレッタは企んでいた。
「うふふ。これから旅行きにご一緒するのですから、お名前などを伺ってもよろしいかしら。あぁ、わたしはビオレッタと申します」
彼女が艶やかな布のグローブに包まれた手を差し出すと、王都でも庶民には手の届かないカルモアの花の香り引き立つ上品な香水の調べが漂った。
「お、おぅ・・・。俺はボルボン一家6代目のカヴァチだ」
男たちのリーダーであるカヴァチは、厳つい強面の鼻の下を伸ばして握手に応えようと手を差し出した。
──その時だった。
若い男の声がギルド内に大きく響いた。
「6代目! そいつを受けるのはまかりならないぞ」
今、建物内に入ってきたばかりなのだろう、仕立てのいい普段着であろう着衣は最新の流行を追っている赤髪の青年が、つかつかと歩み寄ってきた。彼の冒険者仲間であろう4人がその後ろをついてくる。
「ちっ、忌々しい奴らめ」
そう眉間に皺を寄せて小声で悪態を呟いているが、カヴァチの彼らを見る目はどこか冷ややかな印象を持っているなと大魔法使いの勘はフォルセットに知らせた。
赤髪の青年はビオレッタの前に立つと彼女の手を取って、その手の甲に軽くキスを落とした。青年の鼻腔をカルモアの香りがくすぐり、彼は顔を上げるとやんわりと微笑んで見せた。
その気障な青年の一挙一動に、フォルセットとカヴァチは同時に舌打ちを鳴らす。お互いがそれに気づいてお互いの顔を見据え、2人は妙な連帯感を口の端に浮かべた。
一方、ビオレッタは頬を真っ赤に染めてうっとりと応える。
「まぁ、なんて紳士的なんでしょう!」
「わたくし、カーシアス卿よりナバテ湖周辺を預かるウル・レイウッドと申します。さぞ格式高い名家のご婦人方とお見受けします。ボルボン一家のような野猿の集まりでは身の危険も感じましょう。わたくしどもの団には女性も在籍しておりますし、なによりナバテ湖周辺の護衛はわたくしどもが専属との命を卿より指示されております。この度の依頼はどうかわたくしどもをご指名いただきたく存じます」
流れるように紡ぎだされる青年の言葉。
ビオレッタはそれを聞いてすぐに承服の意向を唱えようとしたが、フォルセットの無言の圧力を傍らに感じて視線を向ける。案の定、フォルセットは鋭い眼光で彼女を射抜いていた。
「あら、まぁ、どうしましょうか、フォルセット。このような、大事なことは、きちんと、いたしませんと……」
一つ一つ慎重に言葉を選ぶように彼女は老女に訊ねた。
やっと立場をわきまえたか、このポンコツめ。と、眼差しで応えて、老女フォルセットはウル・レイウッドと名乗る青年に向き直った。
ウルは背が高く端正な顔立ちで、肩まで伸ばした髪はきちんと櫛が入っている。彼の背後に控える二人の男性よりも飛びぬけて色男だ。
残る二人に目をやれば、見た目はビオレッタと変わらぬくらいの若い女性と、魔術師のローブのフード部分を目深にかぶって顔を背ける少女と呼ぶにふさわしいほどの小さな体格の女性であった。
「レイウッド殿。卿とはカーシアス侯爵ドラン・セドゥルーでお間違いないか?」
ウルに視線を戻してフォルセットは問う。
毅然とした、貴族の立場にあるものが一庶民に対して詰問する冷酷さがそこにはあった。
青年は臆することなく「その通りでございます」と短く答えるに留まった。
侯爵位ほどの人物が絡んでいるとしたなら、ウルの申し出を断るには少々こじれた事情がフォルセットとビオレッタにはあった。
フォルセットはビオレッタに目配せをしてため息をつき、今度はボルボン一家の6代目であるカヴァチに向き直る。
するとカヴァチはフォルセットが向き直るのを待っていたかのように、左右2回ずつの瞬きをして見せた。
『符丁……?』
今更50年も前に自分たちが取り決めた合図に出会うとは、フォルセット自身思いも寄らぬ事だった。
ウル・レイウッドたちと無事に契約を終えたフォルセットとビオレッタは、ギルドの建物から解放されて大きく息を吸い込んだ。
宿場町エレシスの周辺の天候は薄曇りで、吸い込んだ空気は少し湿り気を帯びていた。
「さて、出立の前に必要なものを買いにいきましょうか」
フォルセットはいつになくやさしい口調でビオレッタを促した。
こういうときは多少のわがままが通るチャンスである。
ビオレッタは早速と口を開く。
「そうですね。わたし、あの星のような砂糖菓子が欲しいわ」
「……今回だけですからね」
フォルセットは子供に向かって嗜めるように言いつつ、歩き出した先の道端の花をつまむように手折った。
「それはなんですの?」
フォルセットの摘み取った紫の花は小指の先よりも小さく可憐だ。
「この街の名前の語源にもなっているエリスの花よ。またの名を”アメフラシ”と」
言葉を切ってフォルセットはビオレッタに微笑んだ。
「さぁ、なめし革の雨合羽を探しに行きますよ」
フォルセットは急かすように早歩きで商店街を目指す。
街に吹く風はひんやりと冷たさを増した。