百万年の仮寝
1945年 8月15日 東京
深夜、中年の男が寝間着姿のまま和室で黙想している。
日本は戦争に負けた。
建国以来、ついに日本は他国からの蹂躙を許すことになってしまった。
「宇垣は沖縄の海に特攻し死んだという」
男は自身に言い聞かせるようにポツリポツリと独り言する。
「山口はミッドウェーの海で眠っている…僅か3年ばかり前の話なのに、随分と大昔のような気がする」
しみじみと深く嘆息する。
まだ50の坂を少し越したばかりだというのに、男は酷く老け込んでいた。
戦争がそうさせたのか、心労がそうさせたのか。
「源田や黒島はどうするだろうか?小沢さんは何と思われるだろうか?」
「だが、この期に及んで他人のことなど気にすることもあるまい」
男は前もって用意してあった書状を卓上に並べ、脇に置いてあった軍刀を抜いた。
「私の罪業は万死に値する、が、死んでお詫びとは我ながら女々しい。ただ生きながらえて汚辱と侮蔑に堪え忍びながら悶え死ぬことこそ私に相応しい罰なのではないか?」
もはや死は恐ろしくはなかった。
むしろ生きていくことこそ恐ろしい。
裁判にかけられ縛り首になるか?
怨嗟の声に狂死するか?
何者かの怨恨により刺し殺されるか?
否、それすら生ぬるい。
自ら選びようもない死を、自らの手で遂行することには遙か及ばないだろう。
ここに至り、男は静かに狼狽した。
「私はどうすれば良いのだろうか?」
その時、部屋に面した庭先に何かの気配を感じた。
男は白刃を抜き携えたまま立ち、ゆっくりと障子を開ける。
真夏の月は高く明るく庭を照らしていた。
ただ遠くから蛙の鳴き声が途切れ途切れに聞こえるばかり。
「…彼岸からの迎えが来たと思ったのだが」
刹那、風に揺られるでもなく庭の竹笹がサラサラと鳴り、ふと見れば松の木陰に何者かが立っているのだった。
「…誰何」
『長官、私です』
逞しいが、どこか地の底から漏れ出るような微かな声が返ってきた。
『関です』
「関大尉、いや関中佐か?」
『長官、泉下に階級はありません』
「そこは靖国か?」
『判りません…靖国なのか、極楽なのか、あるいは地獄なのか』
「私を連れに来たのか?」
『いいえ、皆を代表して私が長官のご様子を伺いに来たまでです』
「…皆は私を恨んでいるのであろうな」
『判りません…かつてはそうだったかもしれませんが、もうそんな気持ちも感じません』
「関よ、私は自決すべきなのだろうな?」
『…長官、貴方が自決しても私も皆も喜びません。自決しなくとも悔しがりません。ただ、貴方はご自身で進退を決めることができる。私がお伝えしたいのはこれだけです』
「なかなか手厳しいな」
男は小さく笑った。
ここしばらく将兵を、軍を、国を動かす判断ばかりしてきた。
いつしか自分自身を顧みることを忘れてしまっていたのだろう。
「関よ、やはり私は思った通りにすることにしたよ…それが私の果たせる唯一の約束だ」
返事は、無かった。
例によって用語・用法・公証などに間違いや誤用があるかとは思いますが、お許しください。
見ての通りの大西長官のお話です。
もちろん完全フィクションです。
まったく仮想戦記じゃないですね…w
「特攻の生みの親」とも呼ばれる大西長官ですが、周知の通り終戦直後に割腹し、
介錯や手当を断固として受け容れず、半日ほど悶え苦しんだ後に亡くなりました。
同じく特攻作戦や特攻兵器に携わった源田指令や黒島参謀長は、戦後も長く存命されました。
どちらが正しいのか判りませんし、死んで詫びになるかどうかは個人の価値観でしょうけれども、
ただ「死んで詫びる」と約束して、それを実行するということは誰にでもできることではないでしょう。
関大尉(中佐)は、こちらも周知の通り(便宜上)特攻第一号となった関行男大尉です。