200年後への手紙
1944年 8月 ドイツ領内の某試射場
その日は朝から茹だるような陽気だった。試射のための土塁や土嚢を都合する理由で敷地のあちこちを無計画に何度も掘り返すものだから、場内は風が吹く度に砂塵が舞い散り、車両が走るたびに砂埃が巻き上がり、その熱気と相まって北アフリカ戦線を彷彿とさせた。
だが、かつて僅かな栄光を見いだせた北アフリカは昔日の彼方に失われて久しく、ノルマンディより連合国軍の上陸を許したドイツは、各方面での苦しい防衛戦に日ごとに消耗しつつあった。
軍属の老いた技師が試験のために持ち込まれた対戦車砲を磨いていると、砂煙を上げながら装甲車両が敷地内に走り込んできて、その目の前で停車した。
「こんな朝早くから何じゃ騒々しい! 鼻毛が伸びるわい!」
巻き上がった砂埃で、今しがた磨いたばかりの砲が埃まみれになったことに癇癪を起こし、老技師は装甲車に向かって腕を振り回しながら悪態を吐く。しかし車内から聞こえてきたのは乾いた笑い声だった。
「ははは……オヤジさん、相変わらず達者だったようだな」
そして顔を出したのは、まだ青年と呼べるほどの歳のSS士官だった。高い鼻と引き締まった顎、典型的なドイツの好青年だ。
その顔を見た老技師は思わず手にしていた雑布で顔と手を拭い、青年士官の前に歩み寄った。
「おお……お前さん、立派になったもんじゃ……!」
老技師は、かつて(と言っても数年前だが)青年士官が砲兵学科で突撃砲の訓練を受けていた際、砲の整備や調整に関する指導を受け持ったことがあった。青年は突出した砲術の才能を持っていたため、当時から特に印象深く記憶されていたのである。
「新聞で読んだぞ! お前さん、総統閣下から直接に受勲されて大尉に昇進したそうじゃなあ! 先のフランスじゃ30両も敵戦車を倒したとか……」
「ああ、まぁ、お陰様でね。これもオヤジさんの教育の賜物さ」
「何を言う! お前さんには天与の才があるんじゃよ!」
「いやいや……」
そして青年士官は試射場の隅に置かれたIII号突撃砲に視線を向ける。
「訓練中にIII突の駐退機を壊してしまってコッテリ絞られたのが昨日のことのように思えるよ。まだまだヒヨッコさ……できることなら、あの頃に戻ってもう一度オヤジさんに教育しなおしてもらいたいね」
懐古からだけではない寂しげな青年士官の横顔に、老技師は複雑な気持ちになった。初めて出会った頃から僅か数年しか経っていないというのに、青年の顔は実年数以上に老け、そして疲れ果ててしまったように思えたのだ。
それは死地へ赴く覚悟をした悲壮な戦士の横顔だった。
「……お前さん、しかし今日は何でまたこんな辺鄙な場所へ……?」
沈痛な声色で問いかける老技師に反し、青年士官は憑き物が落ちたかのような晴れ晴れとした笑顔を見せ、明るい声で応えた。
「ああ、ちょっとした野暮用でね。大事な手紙を出しにきたんだ」
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この手紙と、同封されている勲章が発見されるのはいつのことだろう。
5年後か、10年後か? あるいは50年後、100年後かもしれない。もしかすると永遠に人の目に触れぬまま、この穴の中に埋もれ朽ちていくかもしれない。
そして誰が見つけるのだろうか?
我が祖国の同胞だろうか? あるいは連合国の者だろうか?
残念ながら私には、それを知る術はないだろう。
昨夜、私は夢を見た。
豊穣な祖国の大地に抱かれ、風と戯れ草木に遊ぶ幼い少女の姿を見た。
この戦争が始まって以来、いや、それ以前から久しく見ることのなかった光景だった。
誰もが平和を求めながら、それゆえに激しく衝突するのか。
だが、それは大人の都合だ。
明日に生きるドイツの少年少女、いや、世界中の少年少女よ、私たちの仕業をどうか許して欲しい。私たちは君たちの幸福を願う余り、逆に苦しい思いをさせ犠牲を強いてしまったのだ。もはや私たちの手で平和を造ることも、それに取り組む権利をも失ってしまった。
この期に及んでは、私たちにできることは可能な限り敵の侵攻を食い止め、君たちがひとりでも多く生き延びることができるよう、その盾になること。そして私たちのような無情で理不尽な大人が挙って君たちの前から姿を消すことだけだろう。
最後に、またしても大人の勝手な都合だが、すべてが終わった後、願わくば君たちの手で終わることのない真の平和を、喪われた調和を世界に取り戻してもらいたい。
同封した勲章は、これを手にして有頂天になっていた愚か者の証として末永く嘲りの対象としてほしい。
君たちが穏やかで健やかな人生を全うすることを切に願う。
愛する我らが祖国よ永久に。
ポツダム近郊の砲試射場にて
第1SS装甲師団ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー所属
101重戦車隊大隊長 SS大尉 ミヒャエル・ヴィットマン 遺す
例によって用語・用法・公証などに間違いや誤用があるかとは思いますが、お許しください。
半年以上ぶりの更新です。まったく面目ない次第です。しかも内容は相変わらずの珍奇さで、いやはや何とも。
ヴィレル・ボカージュの勇者、ヴィットマンです。バルクマンと並んで、間違いなく史上最強の戦車乗りのひとりでしょう(もっとも戦闘機エースと同様、守勢に回ったドイツ兵のスコアが伸びるのも当然と言えば当然でしょうが)。
史実では、この物語の日時設定の直後である44年8月8日、フランスはオルレアンの近郊サントーの町でファイアフライに直撃され戦死しました。
この物語は単体でも意味をなしていますが、私の別の拙作「KallistoDreamProject」の第66話と微妙にクロスオーバーしています。併せてお読み頂けたら僥倖です。