ロッキード F-5B
1944年 7月 コルシカ島
穏やかで温暖な地中海性気候と長閑な景色、そこに住まう人々の気楽な雰囲気も相俟って、コルシカ島は戦時中とは思えないほど平和であった。更に言うならば表向きはフランス領(ヴィシー政府領)であるコルシカ島であるが、先だって自由フランス軍と連合国軍に解放され、島内に限って言えば「戦争は終わった」のだ。ますます楽観的な雰囲気である。
もっとも、戦中であることに変わりはない。目下、コルシカ島は連合国軍の進駐軍が駐留するヨーロッパ戦線に於ける最前線基地で、特に航空基地としての役割は大きかった。
そんなコルシカ島に“彼”が来た。アメリカ籍ではあったが、生国はフランスのリヨンである。建前上は物を書くのを生業とし、それだけで食べていくに充分な技量を持つことを世の中に認められていたが、それ以上に「空を飛ぶこと」を愛していた。
学生時代には文学を専攻していたにも関わらず志願して軍隊に入り操縦士となり、退役し予備士官となった後には航空郵便に携わった。第二次大戦が勃発し軍に呼び戻されパイロット養成の任に就いたが、自由に空を飛び回れないことに耐えられず無理を言って前線に出してもらったりもした。
その後、アメリカに亡命したのだが、ついにアメリカが枢軸国に宣戦布告するに至って、再び空を飛ぶことを願い、そして(40歳を過ぎていながら!)戦場の空に戻ってきた変わり者である。
だが、戦闘をすることは忌み嫌った。空を飛ぶことは望んだが、戦闘はしたくない。そのため彼は航空郵便で身に付けた精密な航法技能を生かして偵察任務を主にしている。コルシカ島に進駐したのも、偵察部隊の一員としてであった。
彼の部隊に配備されているのは、P-38ライトニングを元に造られた偵察機F-5Bである。日本の陸海軍から“双胴の悪魔”と怖れられ、かの山本五十六大将をブーゲンビル上空で追い落としたP-38を元にしているとは言え、偵察機のF-5Bは見た目が同じだけで一切の兵装を省いた防御火力すら持たない非戦闘機である。だが、過給器付きの双発エンジンで高々度を(非武装で)飛翔し、写真を撮って帰還するという任務は彼に適任であった。
7月31日、彼と彼の愛機はフランスの内陸部、アルプスの麓の都市グルノーブルの偵察任務を帯びてコルシカ島を飛び立った。すでにノルマンディ上陸作戦が成功しフランス本土に上陸、各都市の解放を進めている連合国軍ではあったが、まだフランスの内陸部にはドイツ軍が数多く残っている。局地戦で負け戦を続け潰走気味になっているドイツではあるが、それだけに思わぬ強力な残存兵力や新兵器を繰り出してくるか見当も付かない。敵の「庭」に踏み込んだからこそ偵察任務は非常に重要なのだ。
しかし彼はフランス本土に達することはなかった。紺碧の波に抱かれ地中海の泡となって忽然と世界から消えてしまったのだ。すでに作家として成功し壮年となっていた彼を、直向きに空へ駆り立て、その死の瞬間まで魅了し続けた理由が何だったのか、今となっては何者の知るところではない。
ただ我々に許されるのは、地中海の滑らかな海底の砂漠に降り立った彼が、決して孤独ではなかったと信じることのみである。
例によって用語・用法・公証などに間違いや誤用があるかとは思いますが、お許しください。
久しぶりの新作となる今回は実在の人物・実際に起こった出来事を書きました。なので全然仮想戦記じゃないですなw 単なる中途半端な(そして恐ろしく短く粗雑な)伝記です。
いちいち説明するのもヤボかもしれませんが、作中の“彼”とは、「星の王子さま」で知られる作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリです。本を読んだり文章を書いたりするのが好きで、かつ飛行機やミリタリが好きな方は(たぶん)ご存じのことでしょう。
私はサン=テグジュペリ個人と言うよりも「星の王子さま」が恐ろしく大好きでして、もうひとつの愚作「KallistoDreamProject」にもキーアイテムとして出したことがあるほどですw