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二式高速水偵 紫雲

以前、短編としてアップしていた作品を、こちらに編入しました。

少しばかり手直ししておりますが、短編の時と同じ内容です。

短編に感想や評価を下さった方は、それらが消えてしまった旨、申し訳ありません。

1945年 春 南洋に浮かぶ名も無い小島


 いわゆる「絶対国防圏」を抜かれた日本は、南洋の大小の島々に多くの日本兵を置き去りにすることになってしまった。

 その島も「パラオの近くにあるのではないか」ということしか定かではなく、また、必要があって日本軍に占有されたわけではなく、近海で撃沈された輸送船から命からがら流れ着いた3人の兵士が、やむにやまれず居住しているだけなのであった。

 島の全周は数kmに過ぎず、大潮の日には更に小さくなった。

 幸運にも水は確保できた……かなり塩辛くはあったが、島の中央部に小さな沼があったのだ。

 木や草は生えていたが、生き物といえば水辺の生物か羽根を休めに舞い降りてくる海鳥ぐらいなもので、あとは虫やミミズの類しかいない。


「……どうしてアメ公は来ないのか」

「……3人ばかりの日本兵を殺して、こんな小島を手に入れて何になるというのか」

「……戦はどうなっているのだろうか……まだ日本はあるのだろうか」

 ボロボロの兵隊服を着た3人の男が、波打ち際にしゃがみ込んで夕日を眺めながら、ボソボソと会話している。

「……腹が減った」

「……芋を塩水で煮たのが残っている……食いたければ勝手に食うがよい」

「……あれを食ったら腹が下る」

「……食わなくても腹は下る」

「……それは腸チフスかなんかだろう」

「……伝染病か」

「……お前ら、今さら俺から離れても意味がないぞ」


 もう気力も出し尽くした。

 3人がこの島に漂着してから半年近い月日が流れている。

 撃沈された輸送船からは、相当な人数の兵員が脱出したはずだった……が、彼ら3人がしがみ付いていたドラム缶だけが変な潮流に乗ってしまったらしく、群れから離れて、この島に漂着したのだ。

 他の者が助かったのか全員死んだのかは判らない。

 3人はこの島を「大和島」と名付けた。彼らが属した大日本帝国海軍が誇る世界最強最大の戦艦に由来したのである……が、その艦が昨日、坊ノ岬沖で沈んだことを彼らが知る由もなかった。

 彼らは最初から救難されることは考えていなかった。末端の兵員でこそあれ、近年の日本の状態は理解していた。

 やがて様々な漂着物や生き残った友軍が流れ着く、それから脱出を図ろう……そういう事にした。

 しかし数日待ち、数週間待ち、結局、大和島には3人と3人を救ったドラム缶、これ以外には木切れひとつ死体ひとつ流れ着くことはなかった。


「……いっそのこと、もう死んで楽になろう」

「……お前は何千回同じことを言えば気が済むのだ」

「……もしかしたら日本は勝ってるかもしれんのだ、俺は死ねん」

「……俺ら3人を残して日本は滅びてるかもしれん」

 もう何度、同じような会話を続けたことか。

 いっそ米軍船にでも見つかって虜囚の辱めにさえ甘んじたいとも考えたが、時折は水平線に船影が見えることはあっても、呼べど叫べどこちらへ向かってくる船はなかった。


 そんなある日、3人が岩場で針金で作った釣り針を垂らしていると、空から懐かしい音が聞こえてきた。

うーん……という唸り声のような……それは空冷航空機のエンジン音だった。

「聞いたか!」

「聞いたぞ!」

「あっちだ! あれだ! 見ろ!」

 3人の視線の先にはフロートを付けた小型の飛行機が飛んでいる姿があった……機体側面と主翼には真っ赤な日の丸が塗装されているではないか……日本機、それは海軍の水上偵察機だった。

 3人は釣竿を放り投げると、奇声を発しながらメチャクチャに走り回ったりボロキレを振り回したり石を投げたりした。

 フロート付きの水偵は3人の姿を認めたのか、ヨロヨロと蛇行しながら島に向かってくる……そして3人が固唾を飲んで見守る中、波を掻き分けて静かに着水する。

 3人は再び狂ったように叫びながら、岸に向かってゆっくりと近寄ってくる海軍機まで泳いだ。

 フロートにしがみ付き、脚を伝って機上へ登ってみると、そこにいたのは血塗れの操縦士だった。


「……どうだった?」

「……ダメだ、死んだ」

「……肩から腹まで機銃弾が貫通してた」

「……あれはアメ公の戦闘機の弾によるものだろう」

「……よくここまで飛んできたものだ」

 3人は操縦士の遺体を丁寧に埋葬すると、機内にあった弁当を有難く頂いた。


 座席の数を見る限り、この水偵は本来は2人乗りらしいが、実際には操縦士ひとりしか乗っていなかった。

 代わりに後部座席には何やら重々しい鉄箱が積まれている。

「……お前ら……これを見ろ」

「……これは間違いなく十六八重表菊だ」

「……頑丈そうな鍵が掛かっている」

「……たぶん陛下の“何か”だろう」

 3人が知恵を巡らし推察した結果、「この機はこの鉄箱を南方から内地に運ぼうとしていた」という結論に達した。

 3人には金押しの菊花紋の付いた鉄箱を開けてみるという度胸はなかった。

 その代わりに思いついたことは、この箱をどうやって内地まで運ぶかということである。

「……陛下の御物を運ぼうとしていた彼の遺志を継ぎ、我らで何とかすべきである」

「……だが、飛行機を操縦できる者がいない」

「……俺は自転車には乗ったことがあるのだがな」

「……飛行機も自転車も似たようなものだろう」

「……そうだ、前へ進もうとすれば前へ進む、同じだ」


 こうして、ひとりが水偵に乗り、帝都を目指すこととなった。

 洋上航法も何も知ったことではない無謀極まる行為であったが、何かの強い思いが3人の決意を頑なにしていた。

「……どうだ、やれそうか」

「……うむ、ここを引くと速度が上がるようだ。適当な速度になったらここを引くと飛行機が浮かび上がる。これなら飛べそうだ」

「……ドラム缶に残っていたガソリンは全部入れた」

「……ときに……この箱を棄てて3人で飛ぶというのはどうだろうか? それならば……」

「言うな。それを言ったら我々が今まで何のために戦ってきたのか、意味が判らなくなってしまう……お前がひとりで往け」

 それから3人は水杯を酌み交わし、万歳三唱し、抱き合って一頻り泣いた。


 美しい夕日に照らし出された紫色の雲が棚引く南洋の空に向かって、紫雲は二重反転プロペラの音も高らかに飛び立って行った。


 紫雲、それを操縦した男、島に残った2人の男、そして菊花紋の付いた鉄箱、これらの以後の詳細については何も伝わっていない。




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