丙戦 電光改
以前、短編としてアップしていた作品を、こちらに編入しました。
少しばかり手直ししておりますが、短編の時と同じ内容です。
短編に感想や評価を下さった方は、それらが消えてしまった旨、申し訳ありません。
1945年 初夏 厚木
夜の帳も下りようかという厚木の駐機場に居並ぶ月光。
居並ぶ……と言っても既にその数は両手で数えるに足るまでに数を減らしている。硫黄島が陥落して以来、米軍の夜間爆撃は激しさを増す一方で、百戦錬磨を誇る厚木の勇者たちと月光をしても、敵機の帝都への侵入を阻むことは難しくなりつつあった。
「……“割り”が出たぞ……いっちょうカマしてくるか」
「今夜は新月だ……奴等は絶対に来るだろうな……来ると判ってても止められない虚しさよ」
「20か、30か……なんにしても、アメさんにしたら、そのうちの1機や2機を墜とされたところで痛くも痒くもないんだろうけどな」
小園司令に率いられた三〇二空の搭乗員たちは他の基地や部隊に比べて総じて士気は高かったが、それでも連日連夜の出撃と順調に数を減らしていく同僚、そして成果の感じられない邀撃任務に半ば投げ遣りな気持ちになりつつあった。
「まぁ中途半端にP51なんかに追い回されて死ぬより、B公にペシャリと一発で叩き潰されるほうが楽だろうよ」
「赤松さんは気が触れてるよなあ……」
灯火規制の布かれた帝都を背に、静かに月光が舞い上がっていく。
その様子を操縦席で見送ってから青沼中尉が整備員に向かって出撃を告げる敬礼をして、ゆっくりと出力を上げていく。
「山畑、今日こそは1機くらい墜としたいもんだなぁ」
「どうでしょうね……この前みたいに撃つ前に砲が吹き飛んだ……なんてことにならなきゃ良いんですがね」
海軍十八試丙戦・電光改。
この世に1機しか存在しない試作機。双発夜戦として設計されながら不採用となった電光を元に、火力と出力を大幅に向上させた特装機であった。電探と30mm機銃を2基搭載し、主力兵装として胴体下部に75mm砲を懸吊している。
この75mm砲は八八式高射砲を改造した物で、さらに砲弾には時限式の榴弾が採用された。が、この時限榴弾がミソというか欠陥が酷く、前回の出撃時には上昇中に信管が活性化してしまい暴発、砲は脱落して海の藻屑と消えたのである。機体も同様にならなかったのは単に運が良いだけだった。
実は同じような設計の機体を陸軍も試作したことがあるのだが、成果は芳しくなく、不採用となっていたらしい。それを知ってか知らずか海軍は断行し、ほぼ実用化してしまった。
重い75mm砲は、いくら出力を向上させたエンジンを積んでいようとも重いことには変わらず、電光改の飛翔は極めて鈍重である。だが一方で鈍重ではあったが少なくとも1万メーターまでは余裕を持って揚がることが可能であった。
電光改の戦法としては、あらかじめ予測したB29の航路上に先回りして待ち構え、接近を待たずして連続砲撃、離脱するという困難なものである。
「ヘタな大砲数撃ちゃ何とやら、ってか」
「そのための電探ですよ……と言っても、こっちも正直なところ信用できませんがね」
緩慢に機首を上げながら、どうにか離陸する電光改。
「こんな鈍牛みたいな機に乗ってるなんて、国のお袋や妹には知られたくないな」
「まだ“知ってくれる”身内がいるだけ良いじゃないですか」
「……お前の兄さん、まだ消息は判らないのか?」
「どうですかねえ……ミンダナオに行ったってことは間違いないみたいですけどね」
緩やかに見えない螺旋階段を上って行く電光改。そろそろ1万メーターに達しようかというところだ。
いちおう酸素マスクは装備されているが、日本の技術力からいって当然のように操縦席は気密処理も与圧もされていない。一時的な頭痛や寒いのは我慢できたが、還ってから体調が悪くなるのが辛かった。
「このゴム製のマスクは臭くてかなわん」
薄い大気と星明りで、空の上はボオッと浮かび上がるような明るさだった。
「……電探は?」
「真っ白ですよ……ちゃんと動いているのかどうかさえ怪しい」
「まあ今日はここまで揚がれたんだ、航海は順調だろ」
「……あ、光った……交戦してます! 10時」
「え? ……見えんなあ……お前は本当に眼がいいな」
山畑上飛曹は操縦士としてのウデはサッパリだったが、眼が良いだけではなく勘も鋭かった。青沼は山畑の指示に従ってゆっくりと機を左に倒す。いくら出力は充分に余裕があるとは言え、無理な動作は即失速だ。
「電探は?」
「ダメですね、これ」
「目測でどれくらい向こうだと思う?」
「うーん……10や20じゃないと思いますが……連中、かなりの低空から侵入してますよ。すっかり舐められたもんです」
「なんだよ……せっかく張り切って1万まで揚がってやったっていうのに……まあ臭いゴムマスクをしなくて済むなら、それに越したことはないな」
青沼は生粋の艦戦乗りだったが、山畑は艦爆や艦攻観測員、時には艦の見張り員までした経験があるという。ふたりともレイテからの生き残りで、以後はずっと内地や近海での勤務になっていたのである。
「……いつも思うよ、朝、目が醒めたら戦争が終わってないか、ってな」
「だとしたら随分と長い夢ですね……もう半量だけ取り舵です」
遠くで音もなく瞬く星のようにチカチカと光が明滅している。ひとつ光るたびに……恐らく月光が被弾しているか、あるいは……。
「敵味方入り乱れていたら撃てないよ……な?」
「どうでしょう? 今日は6機上がりましたが……」
「俺だって戦闘機乗りの端くれだ、いざとなったらB公のケツに喰らい付いて直射で墜としてやるさ……お前の30mmもあるしな」
「いまさらビビリませんよ、大丈夫です」
電光改は悠々と戦闘空域に滑り込んでいく。
「電探は?」
「……あ、使えます、生きてます」
「よし……それなら何とかなるな」
高度は5000といったところだろうか。
もう光の明滅もない。味方の月光は全て追い払われたか逃げ帰ったか……そうであってほしい。
「向こうもコッチの居所は判ってるんだろうなあ」
「でしょうね。射程に入ります」
「取り合えず撃つか……と言いたいところだが、一発撃って砲が吹き飛ぶかもしれんからな、もう少し引き付けて、当たりそうな間合いになってからにしよう」
山畑は電探と計算尺を使って忙しく弾道と時限信管の計算を始めている。光学照準機はある程度の偏差を反映してはいるが、射程が長すぎるため弾道の落差が酷く、臨機応変に手動で計算することになっていた。
「目標まで5000! 電探を見る限り密集して飛んでます。榴弾の時限信管が作動しなくても、直撃できれば……」
「そりゃお前、ションベンを針の穴に通せって言ってるようなもんだぞ」
苦笑いしながら山畑の指示に従い照準機を調整し、覗き込む青沼。
覗き込んだところで、ほとんど何も見えない……が、一瞬だけ何か……翼端灯か何かの光が中心に重なったような気がした。
「撃つぞ!」
レバーを握る、同時に凄まじい鳴動と共に機首前方の空に向かって光の玉が飛んでいった。
「給弾!」
「はい!」
後席で山畑がレバーを滅茶苦茶に上下させる。
「弾、よし!」
「撃つぞ!」
第2射……再び凄まじい鳴動。
それと同時に遥か前方の空間に、まるで花火のように丸く火花が散った。
一瞬だけ列をなしたB29の銀色の機体が閃く。白い煙が筋を引いているようにも見えた。
「おい、見たか?」
「はい! 煙を吹いています……当たったのか、あるいは月光との交戦で手負いだったのか……」
山畑の言葉が終わるよりも先に、第2射目の結果が発表される。
それは1発目よりも美しくはなかったが、派手だった。
巨大な火の玉が真っ赤な尾を引きながら粉々に崩れていく。
「おい! 直撃したぞ!?」
「は、はい! こりゃあ凄い!」
「電探!」
「……B公は……編隊を崩して散り散りに……空域を離脱しようとしています」
「よし、追撃だ、まだ充分に届く! 給弾急げ!」
「はい!」
返事をしてレバーに手をかけた山畑だったが、手応えがない。
「? ……不調です! まさか……」
嫌な予感がして座席と計器の隙間から覗き込むと、そこにあるべき駐退機は跡形も無く消えており、代わりに暗い海が見えた。
「……中尉……案の定というか……砲が脱落したようです」
「……やっぱりなあ……なんか妙に機が軽くなった気がしたんだよ」
青沼は苦笑いしながら機首を回し始める。
「今日はもう還るしかないな」
「撃墜1、敵編隊は戦意喪失し遁走。充分な戦果ですよ」
終戦間近、硫黄島の米軍の間でちょっとした風聞が流れた。
それは、いわゆる「フーファイター伝説」の一端であろう。