Me163K エンゲル
1945年 新年 メッサーシュミット社の某飛行試験場にて
奇妙な形状の飛行機が数機ばかり並んでいる。ドイツのロケット技術の粋を結集して企画された迎撃機メッサーシュミットMe163だ。“彗星”と呼ばれている。
その圧倒的な速度性能はまさしく彗星だ。ただし実際は彗星と言うよりも流れ星に近い。地球に向かって降ってきて大気圏で華々しく燃えて尾を引く流れ星。瞬く間に燃え尽きて後に残るのは僅かな塵ばかりである。
いつ自壊してもおかしくない繊細なロケットモータ、燃料という名の劇物、恐ろしく短い航続時間、制御の困難な機体特性、燃料が切れた後は滑空しながら降下、ソリで胴体着陸という冗談のような帰還手段……まさに一瞬だけ輝いて燃え尽きる流れ星。もうすでに何人ものテストパイロットや整備士が事故で落命している。流れ星とMe163の違いは、重力に従っているか逆らっているかくらいのものだ。
実戦テスト当初、Me163はそれなりには戦果を挙げた。1000km/hに迫るかという圧倒的速度で一気に連合国軍の爆撃編隊に突貫し一撃離脱する、あるいは敵編隊の上位にまで達した後に降下しながら攻撃するという戦法は有効かと思われた。
しかし、むしろMe163は余りにも速すぎた。相対速度にして最大で1300km/hにもなる。これでは照準する間もなく擦れ違ってしまう。やられもしないが、やることもできない。しかも、反復攻撃をするほど燃料や操作性に余裕はない。たった1回のチャンスを空振りした後は、余勢を駆って降下していくばかりの“的”へと早変わりしてしまう。
挙げ句、ついに連合国軍に発着する拠点や短すぎる航続距離が看破されるに至って、彼らはMe163が所属する基地とMe163の航続範囲そのものを迂回するという画期的かつ最も安易で確実な対策を講じたのだった。
このような経緯もあって、結局、Me163は実戦では役に立たないと見なされた。実際に役には立てなかった。折しも戦局が逼迫している最中であったが、だがしかし、そこはドイツお得意の“マイスター精神”が疼くのか、テストと改良化だけは地味に続けられていたのである。
件の飛行試験場に厚手の飛行服を着たひとりの女性がいた。女性……という言い回しは間違いではない。少なくとも彼女は男性ではないのだから女性であることはモノの道理である。
が、余りに小柄すぎる。身長は150cmに遙かに満たない。キョロキョロフラフラと落ち着きなく周囲を見回したり動き回る様は、明らかに子供のソレであった。
彼女は少女だった。
「16歳? とても16歳には見えないぞ? せいぜい良くて12歳だろう?」
「知らんよ! 書類にそう書いてあるんだよ!」
「民間人なのか? 民間人の子供を?」
「BDM(ドイツ処女団)所属だよ! ヒトラーユーゲントの女子版だ。もう民間人の子供なんて我が国にはいないのさ」
「しかし、だからといって少女が軍用機パイロット、しかもコメートのテストを行うなんて……この世も末だ」
「確かに最近は優秀な人材も枯渇しつつあるがな……実は彼女、あのフォン・ブラウン少佐の族子らしいんだ。幼少から……と言っても今も幼少みたいに見えるけど……幼少からグライダーや小型飛行機の操縦をしていて、知識も経験も充分だという少佐の“お墨付き”だ」
「ふうん、あの変人博士のねえ」
「もっとも、小柄で体重の軽い人間の方が高速航空機のパイロットとしては適任だからな。そういった意味じゃ、訓練を積んだ少女に操縦桿を握らせるのは理に適ってるかもしれない」
試験場の職員たちの心配をよそに、少女は数回の飛行試験を易々とこなしてみせた。まったく物怖じしない性格なのか、ちょっとした操作ミスや手違いで容易に爆発炎上しかねないMe163に乗ることを、まったく恐れていない風で、むしろ明らかに楽しんでいた。
テスト飛行に際しては積極的に臨み、前述したように恐れ知らずなため、Me163の本来の機体性能を引き出せる最優秀の人材となった。小柄で柔軟な体躯は衝撃やGにも強く、他のテストパイロットたちが腰や背中に不調を訴える中、ひとり意気揚々とテスト飛行を敢行しているのだ。
「重いだけで意味ないっぽいから、機関砲外しちゃお〜?」
そんな要求までしてくる。確かに交戦空域にないし機関砲を外しても問題はない。整備士たちは言われるままに機関砲を外してしまった。
少女がフォン・ブラウン博士の親類だというのは事実らしく、彼女のテストに際して改良型ロケットモータの資料が研究室から供さるなどし、何かと便宜を図ってもらえたメッサーシュミット社の技師たちは大喜びだった。
彼女自身の朗らかな人柄と可愛らしい容姿、それにそぐわぬ優れた操縦技術も相俟って、いつしか彼女は飛行試験場のスタッフたちのマスコットのようになっていった。
そんなある日のテスト飛行の際に、少女は言う。
「えとねぇ、今度、どこまで揚がれるか試したいなぁ♪」
Me163の最大上昇限度は1万6000メートルほどである。しかも、そこまで揚がった者は未だにいない。キャビンの与圧が不完全だということもあり、それ以上は難しいだろうというのがメッサーシュミット社の見解であった。
「誰も往ったことのないお空を飛びたいな♪ そしたら神さまのお顔も見れるかも」
子供らしいと言えば子供らしい、理屈も理論も無視した好奇心だけが拠り所の天真爛漫な願望だ。
だが、彼女なら揚がることができそうだと踏んだ整備陣は、事前に用意しておいた新型の与圧装置を密かに搭載し、徹底的にキャビンをシーリングし、内蔵する燃料タンクも増補した。
もし1万6000メートルを超えることができれば、それは人類史上、最も高みに到達した……最も宇宙に近づいたことになる。そして、皆は思った。ああ、やっぱり彼女はフォン・ブラウン博士の薫陶を受けて育ったのだ、血は争えないのだ、と。
Me163K……彼女の名前の頭文字から冗談として暫定的に名付けられた特別機がタキシングされてくる。重量と空気抵抗を少しでも軽減するために塗装を剥ぎ取り丁寧に研磨した機体は、陽の光の下でキラキラと白銀色に輝いていた。その光り輝く佇まいから、整備士たちは“天使”というニックネームも暫定的に与えていた。
主翼には主権紋章である鉄十字と、英語・仏語・露語の一文が塗装されている。それは『注意! 主のお膝元を飛ぶ美少女 お触り禁止!』と書かれていた。
「えへへ〜♪ ウレシイなっ♪」
それを読みとった少女は屈託のない笑顔で笑う。その腕にはバスケットが抱えられていた。
「これ? えへへ♪ お昼ゴハンだよっ♪ 世界で一番高いところでお昼ゴハン食べるよっ♪」
さらに衝撃吸収材を兼ねた大型のパラシュートと、記念撮影用の小型カメラが手渡され、準備は万端整った。建前上は単なる軍事的な飛行試験であるが、飛行試験場の雰囲気は一種の慶事を迎えたように、和やかなものである。
「そいじゃ、いってきま〜す♪ 帰りはちょと遅くなるかも〜♪」
周囲の期待にも気負うことなく少し調子の外れたような言葉を残して、少女とMe163Kは真っ白な煙を残して、蒼天へ息継ぎもせずに真っ直ぐに駆け上っていった。
その日、彼女は還ってこなかった。
その翌日も、さらに翌日にも、彼女は戻らなかった。
それから1週間が経った。彼女とMe163Kの行方はようとして知れず、しかし不思議なことにドイツ領内で不明機の墜落が報告されることもなかった。飛行試験場は沈痛な雰囲気で満たされた。飛行機は構わない、記録も、しかし彼女を失ってしまったことを誰もが嘆いていた。
一方で突飛な噂話も出回っていた。彼女はMe163Kと共に連合国軍へ亡命したのだという噂である。しかし、いくら燃料タンクを増補していたとしてもMe163Kの航続時間は15分にも満たないのである。これに関しては正確な計算が行われたが、高度を稼げるだけ稼いで風向きを利用して降下したとしても、とてもではないが連合国軍の勢力下に至ることはないと結論付けられた。
それから更に1週間が経った正午過ぎ、試験場の上空に“何か”が観測された。それはゆっくりと真っ直ぐに降下を続け、最終的には滑走路の真ん中に落ちた。試験場内の者は挙って滑走路に殺到し、我先にそれが何なのかを確認しようとした。
それは少女に装備させたパラシュートだった。パラシュートは無人で、ただ少女が昼食を入れていたバスケットが結わえ付けられている。
バスケットを開けると、そこにはやはり彼女に持たせた小型のカメラ、そして1枚の便箋が入っていた。
『とってもとっても高いとこまで来たから、ついでに神さまに会って、戦争が早く終わりますよにってお願いしてから帰ります。思ってたよりも寒くないし、地球はキラキラ光ってて、すっごくキレイだよっ♪』
数日後、小型カメラに遺されていたフィルムの現像が完了した。フィルムはすべて使われていたが、正常に現像できたのは数枚のみであった。そこには表示上限の2万メートルで振り切れているMe163Kの高度計、キャノピーグラス越しにハッキリと見える真昼の星々、そして銀色の光を棚引きながら飛翔する天使の姿が納められていたのだった。
例によって用語・用法・公証などに間違いや誤用があるかとは思いますが、お許しください。
完全架空戦記となってしまいました。
と言うか、前回にも増してファンタジックな“おとぎ話”ですねw
もう戦記と呼べなさそうな内容ですが、たまにはこんなのもどうかなと思って書きました。
物語のヒロインであるところの少女は約200年後にドイツに還ってきます。
私が別に連載している珍奇SF「KallistoDreamProject」とクロスオーバーしている、と言ったら強引でしょうかw
彼女の願いは200年の時をかけて叶えられ、果たして22世紀に戦争は根絶しているのですが……。