雨に濡れるブランコ
[chapter⑥]
「そんなちょっと胸がときめくだのなんだの言っただけでそんなに笑える?
そんなの、人を好きになったら胸なんてときめくに決まってるじゃん。ねぇ?そこのあなた」
「え、お、俺?」
私はあえて、この状況を安全地帯から傍聴する男子の一人を適当に指差してみる。
「うん、君。名前は花坂君だっけ?」
「そうだけど。まぁ、、そりゃ確かにときめくっちゃ ときめく、、のか」
突然の指名に狼狽えつつも、返事をしてくれた私は満足して今度は180度反対側に鎮座する女の子を指差す。
「ねぇ?別に何も変なことじゃないし恥ずかしいことでもないよ そこのあなたもそう思わない?」
「わ、わたし?!は、、恋なんてしたことないからよくわからないけど、、」
よし、それを待ってた。
「あ、そっか。そうだよね、恋したことのない人は胸がときめくだなんてそんなのわかんないよね」
「ねぇ、結城遥香さん。あなたさっきから何を言いたいのかしら?」
両腕を組んだ亜紀はいかにも怪訝そうな表情で私を睨みつけている。
「私はね、自分の想いを相手に素直に伝えることって凄く難しいと思うの」
それは30を過ぎた今になっても変わらない。
生まれた日からずっと一緒に隣で歩んできたお母さんにだって素直になれない時があるんだから。
「本当に、難しいことなんだよ。けど、千佳はそれが出来た。この事は、それ以上でもそれ以下でもないんじゃないかな。
逆に私みんなに聞きたいな、何がそんなに笑えるのかな?何がそんなにもおかしいのかな?ねぇ平山君、何がおかしいの?」
「え、お 俺っすか?汗 何がおかしいって言われても、、」
「ねぇ岩名さん。何がおかしいのかな?」
「私は、、えっと、、」
次々と私に指名されてゆく生徒達は見事に口籠ってしまう。
しかし、やはり亜紀だけは一筋縄ではいかない。
「あっははは 結城さん。あなたってお馬鹿さんね。別におかしくないわよ?なんもおかしくないわ。そんな正しいだの間違ってるだの、あなたって本当に正義の執行者って感じよね。
けれど、考えてみてごらんなさい。
普段、1日の中でたったの一言でも喋ったの?(笑)ってくらい寡黙な陰キャが人を好きになるとかw キモすぎない?
いい?これはね、権利の話なのよ。陰キャなんかに人を好きになる権利なんてないって言ってるのよわたしは」
まるで歴史の教科書に出てくる暴君のような発言である。
目を細めながら狐のような笑みを浮かべる亜紀に加えて彼女の周辺に群がっているギャル気質の女子達もよく言ったといわんばかりの態度で今にも拍手が起こりそう。
この程度で押されてちゃダメだぞ私。
相手は子供なんだから。
そして守っているのも子供なんだ。
母親世代が子供世代を守れなかったらこの世は終わりだよ。
何よりもこの教室の生徒達に、正義の持つ限界の側面なんて絶対に見せちゃダメだ。
「はへ〜っ、陰キャは恋をしちゃいけないかぁ。凄いなぁ、亜紀は」
陰キャと呼ばれる単語の定義を私の脳の中にある薄っぺらい若者用語辞典で探すのに多少手間取ったものの、なんとか見つけることが出来た。
「クラスっていう小さな枠組みで少し偉くなっからって、自分が世界の王にでもなったつもり亜紀?」
「なんですって?」
先程までとはうって変わって高圧的な態度を見せる私に亜紀は余計に眉を寄せている。
このての理屈を無視して暴論しか口にしない子には、正論だけぶつけてもいても敵わないことを私はわかっている。
「その亜紀の理屈を借りて言えば、私からしたら貴女みたいにYシャツの第2ボタンを開けてるような尻の軽い子こそ恋愛をする権利はないと思うけどなぁ」
この返しには教室にもオォーと賛辞の声が漏れている。
よし、手応えありだね。
一方亜紀はというと既に苛立ちを隠せておらず、ギリっと擬音でも聞こえるんじゃないかというくらい豪快に歯ぎしりをしている。
「あんた本当に生意気いってくれるじゃないっ。
大体ね、既に付き合ってる男に告白する様な痴女がいるかしら?」
「じゃあさ亜紀。逆に貴女に聞くけど、数学で証明が100%出ないってわかってて証明を勉強する人がいるかな? 甘いものが苦手だってわかってて その人にチョコケーキを作る人っているのかな?
彼女がいるとわかってて男子に告白するのかな?
しないよ。わかってたらそんなことしない、千佳だってそうだよね」
その問いかけにコクリと頷く千佳。
教室内では、互いに顔を見合わせ「まぁ、確かにな」と相槌を打つ者も現れ始めた。
「っ、、」
言葉を詰まらせる亜紀に私は更に追撃を入れる。
「そもそも、おそらく亜紀からしたら理由なんてなんだっていいんだよ」
「はい?」
「千佳をイジメるための理由なんてなんだっていいの。取り敢えずそこに理由が転がってたから使っただけ。
あなたは千佳をイジメる理由にさえなればその内容はどーでも良かったんだよ。
なんでそんなことまでして亜紀がイジメに拘るのかはなんとなくわかるよ」
亜紀もここまで言えば、黙って私の話を聞くようになっていた。
それはクラスのみんなも変わらない。
まるで教室全体が私の演説を聞く為に耳を澄ましているかのように感じて流石に私も緊張して胸の鼓動が早まってしまう。
しかし、私は気にせず続ける。
後には引けないのだから。
「イジメる人には四つのタイプがあるの。一つは想像力の欠如。相手が傷つくだとか嫌がるだとか、そういうのが考えられない人のことだね。
二つは、優越感や快楽。とりあえず人を下にみることで理不尽に自分の欲望を満たそうとする人のことだ。
三つ目は、自分がイジメられないため。個人的にその子には恨みとかなくても、自分の立場の安全を確保するために周りに合わせてイジメる人達。これが一番多いね。
そして、四つ目。これが亜紀に該当するタイプだと思うんだけど親からの愛情を十分に注がれなかった人、だよ」
「!!」
私の発言に亜紀は虚を突かれたような反応をみせる。
「可哀想な話でさ、親に認められない子供達は自分を認めてもらいたくて家では無理して自分を飾るんだよ。 そのストレスが外に出た時に爆発しちゃうんだ。
亜紀、私はあなただって辛いのはなんとなくしかわからない。けど、そうやって自分で溜め込んだストレスを他人に当ててちゃだめだよ」
気が付けば、教室内は静まり返っていた。
今まで緊迫した様子で私に視線を集める生徒達もいつの間にか、私の話に聴き入ってくれていたのだ。
あなたたちの胸に私の言葉は届いているだろうか。
響いているだろうか。
「みんな、大事なのは自分の声を聞き逃さないことだよ。
周りに合わせることじゃない。亜紀に合わせることじゃないんだよっ。
そりゃ最初は怖いかもしれない。
でも、このクラスで千佳のこと本気で可哀想だって思ってる人は絶対私以外にもたくさんいるよね。
だから、みんな、、」
私は息を呑んで次の台詞を吐いた。
「千佳が可哀想だって思った人は、一緒に雑巾使ってさ これ
消そーよ」
クラスに静寂が訪れる。
どうしようかと迷って額に汗を流している者もいる。
自らの身の振り方に悩んで唾を飲み込む者もいる。
周りの目を伺っている者もいる。
そのまま約5秒間が経過した。
しかし、結局千佳と私の元へ歩み寄る者はたったの1人さえも現れることはなかった。
唯一、由奈が下唇を噛みして恐る恐る手を挙げようとしてくれているのが横目で見てわかったが 今はまだ単身でこちらに足を踏み入れるのは危険と判断し 私は手のひらを向けて止めさせた。
「遥香、、」
心配そうに私の名前を呟く由奈。
(なんでよ、、みんな、そんな悪い子じゃないでしょ。動こうよ、自分に嘘ついてちゃダメだって、、みんな、、)
私の心の声は虚しく、その後も誰1人として雑巾を手に握る者は現れなかった。
「は、はははっ いい気味ね結城さん。
転校生のくせに調子乗るからよ。
覚えて起きなさい、私を敵に回したこと。クラス全体を敵に回したことになることを、ね」
亜紀は相変わらず敵意を剥き出しにしたような表情で私を睨んでいる。
その日、私は言葉に出来ない敗北感に苛まされることとなった。
帰り道、気落ちした私は前を歩く佐藤君を見つけたので声をかけた。
「しょ、翔太郎君!」
「ん、なんだ」
「翔太郎君くらいさ、、今日 私の言葉で雑巾取ってくれてても良かったんじゃないの、、」
三十路の私でも、こんなに背が高くて丈夫な筋肉質に恵まれた青年には助けくらい求めたくなる。
なんとなく佐藤君ならこの状況に手を貸してくれそうな気がしたのだ。
理屈なんてものはないな、そんなの私の女としての直感だよ。
しかし、そんな私の予想とは裏腹に佐藤君の口から発せられた言葉は私が全く予期し得ないものであった。
「はぁ、何を言うかと思えばまたそれか。橘さ、告ったっつってたろ。
あれ、告ったの俺にだから」
「え」
あまりの衝撃に私は思考が停止してしまう。
「だからさ、あれをフったのも俺。亜紀にバラしてやったのも俺。そんな俺に何か求めても出てくるわけないだろ」
淡白な言葉を並べてくる佐藤君に、私の心はみるみる萎えていった。
「そんなこと、、じゃあなんで佐藤君はわざわざこんなことを亜紀に言っちゃったの?
こういう風になるって察しついてたでしょ」
「別に、なんか面白くなりそうだったから」
私は自分が途方も無い勘違いをしていたことに気が付き、目が眩みそうになる。
こんな根元から救いようのない男子を信じた私が阿呆だった。
「じゃ、用がねぇなら帰っから。おまえもこのことにあんま首つっこまねぇでいた方が身の為だと思うぞ」
私に目線も合わせずにそう吐き捨てると佐藤君は呑気な足取りで私に背を向け遠ざかっていった。
正直、心のどこかで佐藤君だけは芯の通ったしっかりした子でいざとなったら私に味方してくれると思っていたし、その分信頼も厚かっただけにこのショックは大きい。
「はぁ、こんな年になって。私なにやってるんだか、、」
かける、お母さん情けないね。結局、1人もこっちに味方してくれるような子は作れなかったよ。
ーー
その日はお母さんも帰りが遅くなるらしいので、1人公園のブランコにぶら下がっていた。
年をとると遊具にありつける機会なんてなくなるため、私はブランコってどんな具合に揺れるのだろうかという微かに残る好奇心を頼りにブランコに腰を下ろした。
朝の晴れやかな空は見る影もなく、気が付けば空は雲で隙間なく覆い尽くされていた。
やがて、ポツポツと私の手の甲に水滴が落ちてきたかと思うと、今度は首や肩に続けざまに水滴が降り注いできた。
砂場で土団子を作っていた子供たちも楽しそうにはしゃぎながら家へ帰ってゆく。
1人公園に取り残された私はリュックから折り畳み傘を取り出して広げる。
こう見えても私は心配症な所があるので、ハンカチと風邪薬と折り畳み傘とハンドクリームは常時 装備するよう心掛けている。
初め緩やかに降り注いでいた雨も、次第に勢いを増していった。
私は静かにブランコから腰をあげると帰路を目指す。
住宅街から漏れてくる子供達の楽しそうな喋り声に心癒されつつゆっくりと歩を進めた。
その日の天気は、まるで今の自分の心境を映し出しているかのような気がした。
やがて大きな交差点に差し掛かったところで、1人のまだ幼い少女が私の視界に飛び込んできた。
まだ、ゆずはくらいの年齢だろうと思われるその子は傘を持っておらず、無防備に雨に打たれていて胸が痛まれた。
気温も落ちてきている。小さな子供は免疫力も低いため、このような状況で雨でずぶ濡れになり続けるのは危険だ。
しかし、何故ここにはこんなにも人が大勢いるというのに誰もその年端もいかない少女に傘を差し与えてあげられないのだろうか。
信号が赤から青に点滅する。
向かい側から交差してくる人々も同じだ。
誰もその小さな背丈の少女に声をかけられない。
そこまでして濡れるのが嫌なのだろうか。
そんなに濡らせられないほど高級なスーツなのだろうか。
そんなに帰路が遠いのだろうか。
みんな、本当にそれほどまでに傘を貸せない深刻な理由があるのだろうか。
違う、恐らく大半の人たちが怖いのはそんなことではない。
一つの輪の中から自分だけが浮かび上がるのが怖いのだろう。
周りと違った行動をすることに抵抗を覚えるのだろう。
こんな大人にもなって、自分のしたいように出来ない人で溢れかえった日本の社会では、学校の教室であの瞬間 雑巾を手に取ることは尚更難しいのかもしれない。
そんな考察を勝手に進めつつも、私は寒そうに身体を震わせる少女の元に駆け寄っていった。
「待って待って〜、はいっ。これあげるから使って」
「え、、いいの?」
「うん、いいよ」
「でも、おねいちゃんが濡れちゃう、、」
「ふふ、優しいね。大丈夫、おねいちゃん傘もう一つあるから」
「ほんと?やったー!ありがとー!」
すると少女は大袈裟に頭を下げて可愛らしくお礼をしてくるので私もどういたしましてと微笑みながら返す。
その後、私は急いでシャッターの締められた八百屋の古びた屋根の元へ駆け込んだ。
傘がもう一つある。
嘘である。
正直、身動きが取れずに途方に暮れてしまっているがこの困惑よりも先程の少女が雨に濡らされずに済んだことの喜びが勝るので 悪い気はしなかった。
しかし、暇だなぁと首を傾げようとた瞬間である。
突如私の視界に傘が差し出されたのである。
それを握る色白の手を辿ってゆくと目前には1人の少年が雨に打たれていた。
「あのっ、これ よければどうぞ!」
「えっ?ちょ、え?」
「オレ、こっから家近いんで。じゃっ!」
じゃっ、と言いながら鞄を頭上に持って雨の中を走り去って行く少年。
「ちょっと待っ!、、、いっ、ちゃった」
気が付けば、私の胸の鼓動は突然のことで早まっている。
しかし、先程の少年が着ていたのは紛れもなく私と同じ高校の制服。
見かけない顔だったので他学年か他クラスなのだろうか。
それにしても、じわーっと心が暖かくなるような気分だった。
あんなに素敵な好青年他にいただろうか。
今思い返せば、声も凄い透き通ってて爽やかで男の子らしい声だったな、、//
「名前くらい聞いとけばよかったかな、、」
そうポツリと呟いて、私は自然と頰を緩ませながら受け取った傘を広げて我が家を目指したのであった。




