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私が相手だよ

[chapter⑤]



死神さんに与えられた1週間の内、1日目が過ぎて今日は2日目。


うんと長い飛行機雲が背筋を伸ばした晴れやかな青空の元で、私は制服を身に纏って登校していた。


昨夜、過去の自分と決別した私は長年縛りつけられていた鎖から解放されたような気分に浸っていた。


僅かに限られた時間の中で私は素直に母に甘えることが許され、母の愛情というものを再確認させられた。


なんだか踊りだしたくなるような晴れやかな気分に自然と歩調も速まってゆく。


すると、高校の校門付近に差し掛かったあたりで私は鈴をふるわせるような澄んだ声に挨拶をされた。


「はるか〜、おはよう!」


慣れない偽名に少し遅れて振り向くとそこには昨日、掃除場所がわからずあたふたしている私を親切にも案内してくれた同じc組の少女が凛として立っていた。


とても感じの良い子だったから覚えている。名前は神崎由奈ちゃん。


「おぉーゆな。昨日はありがとねっ、おばちゃん、、じゃなくて!私、助かったよ」


緩い曲線を描く肩まで伸びた真っ直ぐな黒髮は後ろで一つに束ねられていて、体格はという全体的に線が細い。


一見、物静かな風貌をしているが実際は笑顔の絶えない明るい子だ。


「いえいえっ♪またなにかわからないことあったら私に言うんだよ〜」


「うんっ」


私は笑顔で返事をする。


本当に心優しい子だ。


どのように育てたらこんな純粋な性格に仕上がるんだろう。


きっと、沢山の愛情を親御さんから受け取ってきたんだろうな。


「ねぇ、由奈ってご両親と仲良いでしょ」


「ご両親って笑 うーん、まぁ親とは仲はいいよ。なんで?」


「ふーん、やっぱりねぇ。なんとなくそんな気がしたの」


「あはは、なにそれ。はるかって面白い笑」


そんな無邪気に笑う彼女を横目で捉えつつ私も笑みをこぼすが、由奈といえどもまだ未成年。


若者の話についていくのは三十路のおばさまからしたら少々疲労が溜まらないわけでもないが、まるで娘のような可愛さを次第に感じてしまい 内心苦笑しつつ歩を進めていたら 気が付けば教室前まで来ていた。



ガラガラと音を立てて引き戸を開けると、私の視界に異様な光景が飛び込んできた。


教室のちょうど中央あたりに位置する女の子の机に黒ペンでいくつもの落書きが刻まれていた。


私は睨むようにそれに書かれた文字に焦点を合わせる。



消えろ男好き。


死ねブス。


腐女子死ねwww


陰キャ眼鏡が調子乗んな



教室内で唯一その机上だけはまるで無法地帯のような乱暴を受けていた。


その机を前にして、黒縁の眼鏡をかけた少女はただ黙って椅子に疼くまることしか出来ていなかった。


「亜紀たち、、またやってるよ」


隣で由奈が呆れたような声を漏らす。


「あの眼鏡の子、名前、、ん〜っ思い出せない」


私が頭を捻らせていると由奈が教えてくれた。


「橘 千佳だよ」


「あ、そうそう千佳ちゃんね!教えて由奈、なんで千佳ちゃんはいじめられてるの」


すると由奈は暗い顔で口を開く。


「つい最近のことなんだけどね、千佳が亜紀の彼氏に告白しちゃったんだよ。2人が付き合ってるのわかんなかったらしくてさ。幾分友達の多い子でもないから、情報とか回ってこなかったんだろうね、、」


「ほぅほぅ、ありがとね由奈」


私は少し考えるような素振りをすると決心したように顔をあげる。


ガシッ。


私は由奈の肩を両腕で掴むと、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて口を開いた。


由奈の方も驚いて私の方に向き直る。


「いい由奈。この先、私の味方をしちゃダメだよ。約束ね」


「え?待って、はるか一体なにを」


慌てた様子の由奈を他所に私は教室全体にはっきりと聞こえるような声をあげながら千佳ちゃんに歩み寄った。


「あーあー、みんな酷いなぁー。こんなに多く書かれちゃったら消すのが大変だよ。ねぇ?千佳ちゃん」


途端に教室全体の注目が私に向き始める。


ゲラゲラ笑いながら机の落書きをみている生徒も、知らんぷりして友達同士で会話している生徒も、寡黙に読書に明け暮れている生徒もみんな私に注目する。


クラス一帯の視線を全て私がコントロールしている。


男性陣はともかく、女性陣からは鋭く訝しげな視線も多数感じる。


徐々に教室は静まり返り、室内は緊迫感で満ちていった。


「ねぇ千佳、こんなの残しておいても気分悪いでしょ?一緒に雑巾で消そっ」


橘 千佳はあたふたしながら小さく頷いた。


なるほど、気の弱い子だ。こりゃターゲットになりやすいタイプの子だね。


「えっとー、雑巾はぁ、、」


「あ、あっち、、」


千佳がブルブルと震えた指先で雑巾の場所を指し示す。


「あ、そこね。はーい」


私が人が密集している所に雑巾を取りに行くと、自然と人集りが私を避けるように道を開けた。


私は雑巾を廊下の水道水で濡らすと、千佳の机を擦り始める。


すると、後方から部屋の空気を尚更緊張させる尖った声が聞こえてきた。


「あのさぁ、転校生。結城遥香って言ったっけ。あんた、千佳が何をしたのかわかってないでしょ」


「えっとぉ、ごめん。あなたは?」


「江頭 亜紀よ。転校生だから知ってなくても無理ないわ、よく聞きなさい。そいつはね、彼女持ちの男に告ったのよ。ちなみにその彼女ってのはあたし。


ほんと、いい度胸してるわよねぇ。


しかも、あなたどう告ったと思う?手紙よ、手紙でね 私君のことが好きになっちゃったみたい、君を見てると胸がときめいちゃうの


だってさwww」


その途端、クラス全体がクスクスと笑い出した。


隣に目線を移すと、千佳は拳を握りしめて今にも泣き出しそうな表情を見せている。


「陰キャ風情がばっかみたいww


胸がときめいちゃうの、じゃないわよほんと笑わせないでwww


どうせ、家では男同士の裸の絵でも描いてるんでしょww」


段々とクラスがゲラゲラとした笑い声で活気づいてゆく。


私は表情一つ変えずにそれを観察する。


ところで、落書きは消さずに先生に報告する材料にすればいいのではないかという親御さんの批判を喰らいそうだから説明しておくと、私はこれは報告材料にはならないと推察した。


否、正確に言えばどんな報告材料もきっとこのクラスの担任には通用しない。


通用しているならば、とっくにいじめっ子達はこのバレバレな嫌がらせをやめている筈だからである。


それが、HR開始10分前になっても残っているということは 間接的に担任がこの件に関して問題解決理力が皆無であることを示していると私は考えた。


「だからさ転校生、あんたもわかったならとっととその子から離れ、」


「うん、わかったよ。


で?」


「は?」


「だからなに?って聞いてるんだけど」


私は平気な顔をして机を擦り続ける。


すると亜紀はニヤッと口角を曲げて、獲物を捕らえる蛇のような目付きで私を睨んできた。


「へぇ〜。


転校生。あなた面白いわね?


なるほど、なるほど そーゆぅタイプだったのねあなた。


新しく入った学校で急に正義感を振りかざすなんて、まるで正義のヒロインじゃない。


かっこいいわ〜、結城さん。私あなたのファンになってしまいそう」


亜紀が言葉を発する度にクラスは笑い声で覆われる。


どうやら私が今 相手にしているこの江頭亜紀という子はこのクラスの中核に位置し覇権を握っている子だということは理解した。


「ちょっと、はるかっ!」


由奈が奥で焦った様子でこちらに戻ってこいと手招きしている。


けど、ごめんね由奈ちゃん。


私には、この件についてどうしても引けない理由があるの。



ーー


これは、私がまだ中学1年生だった頃の話。


私には親友がいた。名前は宮坂 咲。お互い感性は非常に似通っていて何をするにもいつも一緒に過ごしていた。


クラスでは宮坂と宮代ということで、宮宮コンビだなんて言われてたっけ。


しかし、咲はある日を境にクラスからはぶられ者になった。


理由は彼女が純血の日本人ではなく、半分朝鮮人の血が混ざっていたから。


たったそれだけの理不尽な理由を機に、咲はクラスのみんなから無視されるようになった。


ただ一人、私を除いては。


私だけは咲の味方であり続けた。


いじめという先の見えぬ闇は、何日間にも渡って続いた。


そして、魔の手はいつしか私の元にまで回ってくるようになった。


咲と仲良くするのやめないのなら、あんたもいじめるわよ。


まるでみんなの心が揃ってそんな声を出しているかのような感覚に襲われたのである。


私は怖くなり、いつしか咲と距離を取るようになっていた。


とはいえ、咲のことはクラスでは私が一番よくわかっているし決して性格の悪い子でもない。


それでも、私の身に降りかかろうとしている未知数の恐怖に私は打ち勝てなかった。


その気配を咲も感じ取ったのだろう。


彼女はついに、私と話してたら楓が傷つくから。もう、話さなくていいよと言われた。


やがて、私達は本当に話さなくなり関係は崩壊したまま高校へ進学した。


高校2年になったある日の夏、私は学校からの帰り道ばったりと咲に出会った。


久々の再会であるにもかかわらず、私達は互いに目線を合わせることすら恥じらいを感じていた。


私は小さな勇気を振り絞って咲をお茶に誘ってみた。


そこで、私達は驚くほど話を弾ませた。


久々だった、あんなにも会話が絶えず止まなかったのは。


どうやら咲は高校では沢山友達に恵まれたらしく、趣味のテニスも好調だという。


それを聞いて私は心底安心したし、元親友と久々に会話を交わしたことで私の中では尽きない泉のように楽しさが湧き上がっていた。


そして、同時にやりきれない大量の後悔がどっと胸の中に押し寄せたのである。


こんなにもいい子なのに、こんなにも私の事よく知って理解してくれていたのに、なんで私は咲を見放したのだろうかと。


それからというもの、学校は違えど家は近いので咲とは毎月のように一緒になってデートして再び親友という過去に失った関係を取り戻すことが出来た。


私も咲もその奇跡に涙して互いに抱き締め合った日の夜のことは何歳になっても忘れられないだろう。


それでも、いくら仲良くなっても 私が中学の時に咲を突き放すことで生まれた空白の2年間は一生取り戻すことができない。


同じ学校に通っていたからこそ、中学生という感性だったからこそ一緒に培えた経験も思い出も沢山あったというのに。


それを私は台無しにしたのだ。


時に恐怖という感情は本当に恐ろしいものである。


人をこんなにも惑わせてしまうのだから。


そんな後悔は私に一つの教訓を与えてくれた。


どんなに怖いことがあっても、友達を失うことより怖いことなんてないんだ


って。


ーー



私は心の中でこの教訓を繰り返した。


そして、隣で縮こまる千佳に目線を向ける。


酷く怯えてる。


怖いんだろうな。辛いんだろうな。


わかるよ、私も貴方ほどじゃないけど 大人になればだれだってそんな立場に追いやられることはあるから。


だから、この室内にいる唯一の大人として私はこの子を守らなければならない。


ううん、千佳だけじゃない。


今回、私が守るべきものは千佳と千佳の友達になれる可能性を秘める全ての子なんだ。


この子達のあり得た未来は誰にも奪われてはならない。


「ねぇ亜紀。あなた、彼氏がいるって聞いたけど。


あなた、人を心から好きになったことってあるの?」


「はぁ?あのさぁ転校生、あんたほんとに。


何様?」



かかってきなさい女子校生。


今度は、あなたのおかーちゃん世代が相手だよ。

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