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後編

 朝方の話し合いがひと段落し、日が高く昇り始める頃、エレストは先んじてリンダを領主邸へと帰らせる準備を終えていた。

 馬車を用意し、共にやってきた従者達に賊へ注意する様に指示しながら、最後に、リンダとの別れを告げる。

「それじゃあ、先に帰っての御父上への報告、お願いするね?」

 今は村の出入り口。そこにある馬車の窓から、顔だけ出したリンダに告げる。

「そちらに関しては任せてくださいまし。エレストの方は、暫くこの村で?」

「ああ、多分、国立騎士団の一件が落ち着くまではここにいるんじゃないかな。領主様も大忙しらしいし、何か仕事でも手伝えなんて言われるかもしれない」

「なら、それは幸いですわね。だって屋敷にいても、エレストったら怠けてゴロゴロするしかしないんですもの」

 そこまでだろうかと思い返してみるも、実際、そんな様子だったから、反論なんてできない。

「まったくだ。そっちこそ、屋敷に帰ったらきちんと休養を取るんだよ。疲労って言うのは、本人の知らない間に溜まってたりするから」

「ええ、むしろ、しっかりと疲れている事は自覚していますから」

 ならば一人前だとエレストは笑って返した。出来ることと出来ないことが分かり始めているのなら、彼女はきっと、もっと成長できる。

「それじゃあ、そろそろ出発だ。もしこっちで何かあれば手紙を出すよ。そうならない方が良いけど」

「ええ。手紙では無く、エレスト自身が帰ってくる事を期待していますわ」

 そうやって言葉を交わしてから、エレストはリンダの出発を見送る。そうして、馬車が見えなくなるまで、じっとその場に立ち続けていた。

 結構な時間である。そんな時間の途中、何時の間にか、隣に立っている人間がいた。国立騎士団員のリハ・ウォーカーだ。

「賊への対処について、当初は断っていたのに、了承していただくと言うのは、どの様な心変わりでしょうか?」

 リハはそれを尋ねるために、わざわざエレストの隣へ立ったらしい。

 話をするタイミングなら、この後いくらでもあるだろうし、もっと適切な場所もあるだろうに。

「ころころと意見を変える人間は信用できないって?」

「理由も無くそうする人間ならば」

 つまり理由を話せと言う事らしい。

 エレストが、国立騎士団より先んじて賊を退治すれば事が上手く収まると言うリハ提案に乗った、その理由を。

「そうだな……せめてこれからはマシな姿勢で歩こうと思った。それが理由かな」

 綺麗にとは行かないが、足踏みだけで進まない様にする事だけは止めたのだ。どう足掻いたって、自分は前に進むしか出来ないのだから。

「随分と抽象的ですね」

「人間の考えなんてそんなものだろ? はっきり現実だけを見ている奴の方がよっぽど怖い」

 話の途中で振り返り、とりあえず宿の方へ足を向ける事にする。立ち話を長く続けるつもりは無かった。それに合わせて、リハも付いて来る。

「これから、我々が持つ賊についての情報をあなたに開示します。それと同時に、一時的にですが、私はあなたの指揮に入る様にも指示されている」

「それは領主様からの命令じゃないな? そもそも君らに指示できるのは、王家か上司かの二択だ」

「今回は後者です」

 つまり、エレストを引っ張り出すと言う考えを真っ先に示したのは、マヨサ家のマークトではなく、かと言って王様なんて偉そうな連中でもなく、国立騎士団側と言うことになる。

「君も苦労してるね。今の騎士団長は厳しいだろ?」

「いえ、歴代初の女性騎士団長と言うことは御存知ですよね? 女性らしく、むしろ大らかな性格かと」

「そうかい? 僕が王都にいた頃とは随分と違っているらしい」

 話をしながら、足を進めるのは止めない。彼女の言う通り、出発は早い方が良いのだ。国立騎士団が動き出すまでの一週間。時間は無駄にできなかった。

「しかし、あなたの様な人が、その若さで隠居染みた事をしているのは驚きです」

「僕みたいな? エレスト・カインギルなんて名前の魔法使いは、驚かれる経歴なんてものは無いはずだ」

「ええ、数年前に突然、まるで作られた様な姓名の方の経歴に関してはまったく。ですがそれ以前となると話は別です。あなたは我々の―――

「それ以上踏み込むと、僕はまず君から対処しなきゃならなくなる。それを知っての話かな?」

 足を一旦止める。隣のリハの表情を見ると、冷や汗を流し、口を噤んでいた。考え直してくれたらしい。

「世間話はね、別にしたって構わないけど、逃げ場が無くなるのはごめんかな。とりあえず、今は賊を退治しなきゃならないから」

 立ち止まっていた足を再び動かし始める。どうにもその足が重く感じるのは、きっと気のせいだろう。




 マジクト国立騎士団が調査し、マヨサ家へと侵入した賊であるが、その頭目の名前をレビレンと言うらしい。

 元は大陸間大戦において志願兵だったそうで、十分な訓練の後に戦線へ送られる事になった。

 そこで彼は、ある種の才能を発芽させたらしい。人を指揮する才能だ。

 志願兵は元々、徴兵された兵よりも優遇された立場に置かれる。それなりに経験を積めば、他者を指揮する立場にもなれた。

 レビレンはその立場となり、一部隊を任されるまでに成長する。

 彼の部隊はそれなりに活躍し、戦線を支える重要な戦力として数えられる様にまでなったそうだ。

「人間、どこの何に才能があるかなんて分からないもんだ。戦争で死にもせず、活躍できるっていうのは有り難い才能だったはずだ」

 エレストは広がる草原の中。道の脇に開かれた土の上に座りながら、目の前で作った焚火を見つめる。

 時間は既に夜であり、その闇を微かな火の光が照らす。

 反対側にはリハが同じく座っており、その後方には簡易テントが張られていた。雨風を辛うじて防げる程度のものである。

「才能が健全に使われれば、そういう言い方もできるでしょう。しかし、今はその才能こそが敵です」

「どうだろう。レビレンって名前には聞き覚えがある。つまり記憶できる程度には活躍したはずだ。残兵と言っても、相応に活躍できる人間は、その後に厚遇されたりもする。なんでそれが今、賊の頭目なんてやってる?」

 今は丁度、賊の本拠地に向かうまでの道中。

 だからこそ、話すのはその賊に関する話題ばかりだった。ほぼ初対面に近い相手との二人旅になっており、そんな話題でも続くのだから助かっている。

「レビレンの故郷は、マジクト南方の国境付近。丁度戦火に晒された場所です……戦争が終わる頃、彼の住んでいた村は、既に無かった」

「動機は食うに困ったってわけじゃなく、怒りからか。ちょっと厄介かもな」

 ホワイトランド村での賊のやり口を考える。

 単純に人を襲うわけではなく、村長と結びつき、彼の後ろ盾になろうとしていた節があった盗賊達。その行動がレビレンの指示通りだとするのなら……。

「彼は例えば、恨みとか義務感から、貴族に対して攻撃しようとしている。領内の治安を悪化させるとか、そういう目的があると考えれば、その行動に合点がいく」

「というより、彼はそういう思想に染まっていたからこそ、我々の監視対象となったのです」

 答え合わせの結果、リハから予想は正しいとの返事を貰える。

「君らは彼が仲間を集めて、行動を起こせるようになるまで待ったわけだ。彼個人を追い詰めるより、彼と似た思想を持つ奴らを纏めて一網打尽にする方が楽だ。なかなかに汚いやり口じゃないか」

「それをあなたが言いますか?」

 言い返されれば反論する余地が無くなる。

 なにせ、他ならぬエレスト自身、王都にいた頃は良くやってきた手だ。敵はまとまってくれていた方がやり易い。

「一つ……どこかの誰かの話をしましょうか?」

 賊の話もそろそろ飽きて来たらしいリハ。彼女は顔を下げながら、まったく違う話をし始めた。焚火の明かりのせいで、顔が丁度影となり、その表情は伺い知れない。

「あまり、面白い話じゃなさそうだ」

「いいえ、彼の話はそれなりに波乱ですよ。彼は魔法使いで、魔法大学の一生徒だった。彼の人生は、そのままでいれば、魔法使いとしての大成が待っていたかもしれない」

「もしくは、パッとしない研究で糊口をしのぐ食い詰めか」

「可能性はいろいろです。ただ、そのどちらも彼は選ばなかった。彼の人生に転機が起きたから」

 リハの口から語られる彼の物語は、確かに変化ばかりだった。

 彼はある戦争を体験した。第二次大陸間戦争よりさらに前にあった戦争に、彼は参加したのだ。その体験から、彼は魔法使いが戦場において有効な戦力となるのを実感する。

 当時、魔法使いとは魔法の研究者を指すという認識しか無かったが、一兵士として使えるのではないか。と言う発想だ。

「彼はその発想を現実のものとする機会に恵まれた。どうした事か、彼には国立騎士団への誘いがあったからです。彼が参加した戦争における戦果のためか、それとも、王家や貴族との繋がりがあったからか。何にせよ、機会は機会でしょう。彼は魔法使いとして騎士団員になった」

「きっと、その彼っていうのは碌でも無い奴だね。将来に希望が持てない。発想力が悪人のそれだよ」

 魔法大学の学生を辞めて、騎士団員として出世をしていくサクセスストーリー。悪人のそれだとしても、馬鹿な人間が選びそうな道である。

「そうでしょうか? 戦いの術を新たに開発するのが? 彼は若くして、国立騎士団の中の一部門を任されるまでになった。魔法を使える騎士の養成。勿論、その騎士達を指揮するのも彼だった。それらはすべて、彼の発想の成果です」

 リハはまるで数えるかの様に彼の立場を語っていく。聞く限りにおいては、確かに彼は懸命だったのだろう。彼には望む事があり、その望みのためには権力が必要だった。

 けれど、その望みは砕かれる。彼の道がそうさせた。当初は戦争そのものを阻止したいという願いを彼は持っていのに、寄りにもよって、再び大陸間の戦争が発生したのだから。

「彼は自らが育て上げた部下たち。もう既に一組織と言って良い物を使って、その戦争で多大な戦果を挙げた。彼の権勢はさらに大きくなる……」

「……」

 エレストは黙り込んだ。この会話の行先が何であるか、それを見極めるために。

「ですが戦後を過ぎて暫く、急に彼はその組織から消えます。別の人間に後を任せ、突然に、その地位を捨て去りました。消息も掴めない。エレスト・カインギルという人物がこの地に姿を現すのは、もしかしてそれくらいの頃だったのでは?」

「ふぅん。それは奇妙な偶然だ。けど、偶然の無い世界の方が珍しい」

「でしょうね。単なる偶然です。そんな偶然現れた形になるあなたに、ちょっとした質問なのですが」

「なんだろう?」

「今まで語った彼が、突然、その地位を去ったのはどの様な意図があっての事だと思いますか?」

 リハが再び顔を上げた。彼女は笑ってもいなければ悲しんでもいない。あえて言うなら好奇心めいたそれだろうか。

「……逃げたくなったんじゃないかな?」

「逃げる?」

「そう。彼はきっと、自分の願いを実現するために、ひたすら前へ走っていた。けど、その途上……願いを果たすためには、自分にとって大切なものを傷つける必要が出て来た。自分がその立場にいる限りは、絶対に」

 今度はエレストが顔を下げる。相手に今の表情を見られぬ様に。

「彼は……手を汚したくなかった?」

「手なら汚れていた。ずっと前から、ずっと汚し続けて来た。けど、その手を誰かに擦り付けたくは無かったんだ。だから誰もから距離を置いた。逃げるってそういう事だ」

 今はどうだろうか。手を汚す事は無くなった。けれど代わりに、自分の足を汚す事も無くなったのかもしれない。

 歩くのを止めた以上、小奇麗なだけの両足が残るのみだ。いや、その足だって、とっくに汚れていたのかも。

「今の彼は……逃げた事について、どう考えていると思いますか?」

「難しい質問だね。何せ僕は彼じゃないから。ただ……そうだな。彼は概ね、自分の選択はまだマシなものだったと思ってる。けど、その後の行動については、改める事にしたんだろう」

「その後とは?」

「逃げたとしても、立ち止まるなんて事はできない。だって言うのに、立ち止まった気になっていた。そんな馬鹿みたいな考えはね、改めなければやってられない。それに気付かされたんだろうさ」

 それも、自分から出た発想では無く、まだまだ少女な相手に教えられた事であるはずだ。

「……」

 質問の答えになっていただろうか。少なくとも、この場で話すべき内容については終わったのかもしれない。

 暫しの沈黙が続いている。その沈黙を先に破ったのはリハの方だった。

「実は……私は私の上司から、ある極秘の指令を受けていました」

「それは、国立騎士団が動き出す前に、こうやって先に対処してしまってはどうかって奴かい?」

「いいえ。そちらについては当初の予定通りかと」

 なんと言うことは無い。国立騎士団もマヨサ家と正面切ってやり合うつもりは無く、建前を用意しながらも、無難な着地点を探っていたと言う事だろう。

 なら、それとは別の指令とは何なのか。

「もし……この地に彼がいて、未だに燻ったままでいれば、その尻を蹴り上げて来いと、そういう指令です」

「……今の騎士団長は大らかだって話じゃなかったかい?」

「そうでしたか?」

 はぐらかされてしまう。なら、この話もここでおしまいだ。語られた彼について、これ以上語る事もあるまい。

 夜のうちには休まなければならないし、日が昇ればまた先へ進まなければならない。だから素直に寝てしまう方が得策だろうか。

 未だ尻を蹴り上げられはしない様だし。




 エレスト達が盗賊達の拠点へと向かっていた頃、そんな事をしているとは全く知らないリンダ・マヨサは、自らの屋敷に帰還を果たし、漸く休息らしい休息を取る事が出来ていた。

 人間、休める場所というのは案外限られているもので、特に心の方となれば、自分のベッドの上くらいしか無いのではと思えてくる。

 それくらい、リンダは自らの疲労を自覚していた。

「ここでいきなり襲われたり……は、しませんわよね」

 リンダは今、領主邸の自分の部屋にあるベッドで寝転んでいる。

 休息と言う意味では、これで取る事ができるのだろうが、この姿勢は丁度、ホワイトランド村の宿で、賊に襲われた時の状況と良く似ていた。

 まさかここで同じ事態が起こるはずも無い。その事を頭では理解していても、本能の部分が警戒してしまう。

 きっと、これが心の疲労なのだろう。眠るだけではなかなかに回復せず、さらには気付かない内に蓄積している。

 エレストがリンダをすぐに帰宅させたのは正解と言う事でもある。

 今の状態は、それでも目を瞑れば眠る事ができるが、さらに酷くなっていれば、それすら出来なかったかもしれない。

 彼はこういう部分の機微については、良く知っているのだろうか?

(かもしれませんわ。ホワイトランド村でも、随分と知識を披露していていましたし)

 けれど、そんな見直しかけた彼の、らしい部分が今、発揮されていた。

 知識があったとしても、予想は外れている部分があるのだ。

(お父様……ホワイトランド村へはすぐに向かわないつもりらしいですわよ)

 リンダの父、マークト・リッド・マヨサは、未だに領主邸にいた。

 だからホワイトランド村に関する報告を、リンダはこの屋敷で行う事になったし、彼女の父から、すぐに休む様にとも直接伝えられていた。

 今のところ、ホワイトランド村へは、マヨサ家が雇う幾人かの兵士や行政官が向かっている。

 しかしそれでも、ホワイトランド村の状況は、マークト自身が直接出向いて、最終決着を付けなければならないはずだ。

 父もそういう認識は持っている様ではあったが、それ以上に、今は屋敷を離れる事ができない事情がある様子だった。

「仕方のないこと……ですのよね? 今の状況を思えば、もう少し、エレストにはホワイトランド村に待機して貰わねば」

 リンダはそう呟いて、一度、ベッドから背を起こす。そうして部屋の窓から領主邸の庭を見た。

 菜園や花園とは少し離れた場所にある、ほぼ空き地と言って良い場所。そこに何時もとは違う光景が存在していた。

 幾つかのテントと、そうして武装した人間がうろついているのだ。

(傍から見ればまるっきり不穏な人たちなのですけれど、どうにかならないものかしら)

 外見くらいはきちんとした方が良いと、リンダは彼らを見て思った。

 ただ、身分に関して言えば、そこに居て良い立場ではあるのだ。

 なにせ彼らは、マヨサ家の領内へと侵入した盗賊団……ではなく、それを退治するために集まった、マジクト国立騎士団なのだから。

(お父様ったら、まさか屋敷の庭を貸すなんて……幾らか、せめて恩を売る。と言う事なのかしら?)

 既に聞いた通り、彼らが本格的に行動すれば、マヨサ家の権威に傷が付いてしまう。だが、そうなったとしても、その傷を最小限に抑える努力はするべきだ。

 少なくとも、マヨサ家の現当主はそう考えているらしい。

(お父様は、彼らが動くまでは、屋敷を離れるつもりが無さそう)

 優先順位の問題と言う事なのだろう。

 体が幾つもあれば、必要な事をすべて行えるが、残念ながらリンダの父は一人であった。父は父が考える重要だと思える物事に従って行動しているのだと思われる。

 その点について、まだまだ為政者側として未熟なリンダに、口出しできる事など無い。

「けれど……そうですわね。だとしても、何もしないというのは、それはそれでものぐさですわ」

 ベッドでずっと寝転んではいたが、実は眠気があまり無かった。ならば、少しばかり頭を動かしたって構わないだろう。

 そんな事を考えて、リンダは自分の部屋を出た。




 向かう先は勿論、国立騎士団のテントだ。武装している人間たちの元。

 それらを間近で見るのは、さすがに恐怖を抱いたが、彼らはリンダに危害を加える事は無いはずで、恐れる事など何も無いと心に言い聞かせて近づき、話し掛けた。

「あの、少し宜しいかしら?」

 出来れば、あまりごつく無い相手が良い。そう考えて、リンダは騎士団員の中でも線の細そうな男へ話しかけた。

「うん? なんだい、お嬢さん。ここはその……いや、危険と言うわけじゃあ無い。しかし、お嬢さんみたいな娘が近づく場所じゃあないんだ。出来れば引き返してくれないだろうか」

 男はやや困った表情を浮かべている。リンダの様な子どもを相手するのに慣れていないのだろう。

 だが、それにしたって失礼では無いか? 近づいて来た相手を誰かとも尋ねず、追い返そうとするなんて。

 ここはあくまで貸された土地であって、彼ら本来の場所では無い。屋敷の関係者を追い払うにしても、相応の敬意を払うべきだろう。

「わたくし、名をリンダ・マヨサと申しますの。この屋敷と、庭を王より与えられた一族の一員ですわ。それを知って、近づくべきではないと仰いますの?」

「え? 君が? いや……それは……す、すまない。ちょっと待っててくれるかい?」

 何故か男は慌てた顔をして、テントの一つへと入って行った。

 そうして困るのはリンダの方だ。待っていてくれと言われても、特に、ちょっと見学程度の気持ちで近づいたわけで、この後、何を待てば良いのか分からない。

 暫く、その場で所在なさげに立っていたところ、テントの中から、何やら納得のいかないと言った表情を浮かべた別の男が出て来た。

 先ほどの男より年配で、きちんと切りそろえた黒い口髭が特徴の男だ。体格は中肉中背という言葉が似合うものであるが、リンダよりは余程背が高い。

 そんな男がリンダへと近づき、話し掛けて来た。

「あー……まず、お互いの認識について確認しておこう」

 男はどう見ても困り顔で、きっとリンダも同じ顔をしていた。

「え、ええ」

「君は先ほどの彼……ケイン・ウォーカーと言うのだが、彼に話し掛け、名乗ったわけだね?」

「そうですわね」

「それで、彼が慌てて私を呼びに来た。そうして私は出てくる事になるのだが、別に、そうなる事を望んでいたわけではない……そう考えるが」

「まったくその通りですわね」

 互いの意思を確認する。

 要するに、リンダの言葉に、勝手に慌てた男が、勝手に別の人間を呼び出して、リンダも呼び出された男も困惑していると、そういう状況であるらしい。

「ああ……すまない。ケインの奴はまだ新任でね。こういう作戦も実は初めてだ。ちょっとした事態に対しても、過剰に反応してしまう」

「それは……少し心配ですわ」

 これから領内の盗賊を退治してくれる側なのだろうが、参加者がその様な言動であるとすれば、不安になるのは当たり前だろう。

「安心してくれ。彼に関しては後方の、できるだけ他人に迷惑を掛けない配置とする事に決めた。今決めた。っと、失礼。私自身が名乗っていなかったな。私の名はベイスン・チーフと言う。姓の通り、この部隊の管理者だ」

 国立騎士団員は、団員の姓が役職に直結している。

 ホワイトランド村で会ったリハ・ウォーカーや、先ほどの男の名前であるらしいケイン・ウォーカーは、ウォーカーという役職。末端員を意味する立場の姓を持っていた。別に家族と言うわけでは無いのである。

 そうして目の前のベイスンは、チーフと言う姓。リンダが知る限りにおいて、その姓は騎士団の中で指揮官を意味するもののはずだ。恐らくは、この集団の中では一番偉いのだろう。

「わたくしはリンダ・マヨサと申しますわ。領主、マークト・リッド・マヨサの娘ですの。ここへは……単純に、今の様子を尋ねに参った程度なのですが」

「ああ、そうでしょうな。普通なら適当な団員に話し掛け、二、三言葉を交わして終わる事でしょう」

 話し掛けた相手が新人で無ければそうなっていたはずだが、まさか地位が一番上の人間が出てくるとは思ってもみなかった。

 ベイスンの方もまさかこの程度の事で呼び出されるとは思わなかったらしい。

「ケインめ。今の時点で動転する奴とは思わなかったな……今後の査定にも関わって来るぞ。リンダお嬢様でしたか。とりあえず、もうちょっとマシに話し合いが出来る団員を寄こしますので、気になる事があればその団員に話してくれますかな?」

「はい。そうしていただければ……いえ、ちょっと待ってくださいまし」

 このまま、二人して手違いだったと別れる前に、リンダはこの状態を好機と思う事にした。

 目の前の男は、この集団を指揮する立場。と言う事は、この場にいる人間の中で、もっとも物を知っていると言う事でもある。

 何も尋ねないのは損のはずだ。

「何か?」

 まさか呼び止められるとは思っていなかったらしいベイスン。それでも、一応は立ち止まってくれている。

(けど、何を尋ねるべきなのかしら?)

 向こうも忙しい身だろうから、あれもこれもと聞く事はできまい。出来て一つか二つ程度。自分にとって、是非に聞きたい質問をしなければと思う。

 そうして、聞きたい質問が二つ浮かんだ。

「屋敷へ戻る前に、リハ・ウォーカーという方にお会いしたのですけれど、関係者と言うことでよろしいのかしら?」

 既にリハ本人から、騎士団の意向が大いに関わっている事は聞いている。

 ただ、リンダの知らない事は多いという風に装えば、向こうがそれ以上を話してくれそうに思えたのだ。

「ああ、彼女に……となると、あなたがホワイトランド村へ出ていたと言う……確かに、お名乗りの通り、マークト殿のご息女ですな」

 領主の娘がいる村へリハを送った。そういう認識はあるのだろう。その娘が目の前の少女であるとは、先ほどまで合致していなかったらしい。

「リハに会っているのであれば分かるでしょうが、優秀な奴です。仕事一辺倒と言うのが優秀なのではありませんよ? 仕事をした上で、まだ余裕のある態度を見せられる。それが彼女の優秀さと言う事で」

 かなり評価されている女性だったらしい。その情報を聞いて、リンダは見かけ上、安心した様な表情を見せた。

 そんな女性なら、村を任せて良かった。そうだ、村と言えば……みたいな感情の移り変わりを、向こうに示す事ができていれば幸いだ。

 一つ目の質問は、二つ目の質問ための準備みたいなものだったから。

「村には、領主邸からの人員も置いたままにしているのですが……その、リハさんと言う方の足を引っ張らないか不安で。エレスト・カインギルと言う名の男なのですが、どうにも抜けたところがあり」

 目の前のベイスンに質問したい事はこれだった。彼はエレストを知っていそうに思ったのである。

 その根拠と言えば弱いかもしれないが、村の方で、リハがエレストを名指しして、問題を解決してみせたらどうだと言っていた。

 何故、あの場面でエレストの名が出てきたのか。父が彼について騎士団に話したので無ければ、騎士団側がエレストの名を出して来た事になる。

 例えば目の前の男が、エレストの存在について、何かを知っていたりするのではないか?

「エレスト、ですか……リンダお嬢様は、彼とは?」

 何か関係あるのか? そう尋ねて来ていたが、その反応自体が、エレストについて知っていると言う証明なると思った。

「エレストは領主邸の客分ですわ。わたくしが物心つく頃からの知り合いで、何時も屋敷でダラダラと」

「そうですか。それは……面白いですな」

 言葉とは裏腹に、ベイスンが何やら複雑そうな表情を浮かべた。

「ベイスン様は、エレストについて何か知っていますの? 彼ったら、王都に居た頃は恥ばっかりだから、あんまり話したくないって言う風に振る舞うんですのよ。定職が上手く行かずに、都落ちしたって」

「ああ、それは正しいでしょう。彼については良く知ってます。王都に居た頃は、友人とまでは行きませんが、知人ではあった」

 やはりエレストの事を知っていたらしい。だからこそホワイトランド村で、リハからエレストの名前が出てきたのだろう。

「どの様な人物でしたか? わたくしの印象では、王都にいる姿が想像できないほど……その、うらぶれていると言うか」

「今の彼にはまだ会っていませんが、王都の頃の彼は、ダラダラしている人間とは程遠かったですな。大半の人間が、彼については忙しそうと言う印象を受けたものだ」

「忙しそう……エレストがですの?」

 その言葉は意外と言えば意外であったが、そういう事もあるとも思えた。

 リンダが知る普段の彼は、ひたすらにダラダラした生き物であったが、ホワイトランド村では、とても忙しそうに働いていたし、王都時代はそれが日常であったと言う可能性だって無くは無いだろう。

「なんというか、一所に留まらないタイプの人間だったのですよ、彼は。何時もどこかに足を運んでは、デスクワークというものから切り離されていた」

「それはつまり、事務仕事が苦手だったのでは?」

「そうかもしれませんな」

 何となく、雰囲気こそ違えど、今の姿と根っこは変わらない様に思えた。そうして、その事に安心する。エレストはエレストだ。

「ですがですな、お嬢様。彼を牙の無い人間だとは思わない方が良い」

「牙……?」

「ええ。誰だって、ここぞと言う時は鋭い何かを出すものです。彼だって……それを持っているはずだ。私は彼をそう考えているんですよ」

 その部分については、リンダは理解できなかった。あのエレストに、牙や爪みたいなのが似合うなんて、まったく思えなかったからだ。




 そんなエレストが目的地としている場所。レビレンという男が率いる盗賊団の拠点。その場所まで強行軍で二日掛かった。

 帰りにさらに二日掛かる事を考えれば、国立騎士団が動き出すまでに、盗賊対処へ費やせる時間は三日ほどと言う事になるだろう。

「微妙な日数だね」

 続く草原が途切れ、朝日が差す頃には、荒野染みた地帯へと辿り着く。そこで保存食の干し肉を噛みしめながら、エレストは荒野のさらに向こうを睨んでいた。

「正面でぶつかれば、数時間も掛からずに決着は付くと思いますが?」

 リハがエレストと同じ方を向きながら、言葉を返してくる。視線の先には岩石地帯があり、その中心に盗賊団が拠点を構えているらしい。

 これから今すぐ、その岩石地帯へと突き進み、盗賊達と正面から戦う事は確かにできるだろう。

「こちらの負けって形になるだろうけどね。盗賊の数は五十をくだらないって話だろう?」

「我々が把握している限りは。その内、五人ほどはあなたが既に排除している」

「引き算すると残り四十五人くらい。少ないとは言えないな。ちなみにそろそろ気付いているかもしれないけど、こっちは二人しかいない。一人頭二十二、三人。その人数の武装した集団を倒す自信はあるかい?」

 リハは国立騎士団員である以上、相応の実力はあると見ているが、だからと言って過剰評価はできない。実際、見た目に関しては女性なのだ。

 武装や装備も、これまでの行程もあって、重装備とは言えない。むしろ軽装の範疇に入る。外観からは想像できない戦力というものを期待できれば話は別であるが……。

「相手の能力にも寄りますが、同時に相手をするというのなら五人以上は厳しいかもしれませんね。ところで、エレスト殿の方は残り四十人程度の相手を同時に相手取る事はできますか?」

「相手が一切、行動できないって言うのなら、それも有りかな。彼ら、突然に息を止めたりとか、空を見たまま気絶するとか、そういう性質あったりしない?」

「そういう報告はありませんね」

 ならば、互いに正面から挑むという選択肢を排除できたと言う事だ。一歩前進出来たと思おう。

「あなたの、魔法使いとしての能力はどれほど期待できますか?」

「魔法についての才能は、人より秀でていると感じた事は無いな。何十人まとめて対象にできる魔法も……そんなに知らない。さらに言えば、僕も君も、相応に疲労している」

 碌に宿も取らず、野宿をしつつ、この場所までやってきた。二人ともに、表面上はそれほどでは無いものの、万全とはいかない状態ではあった。

 さらに盗賊を退治できたとして、その後に帰還し、報告まで行わなければ作戦の成功とは言えない。国立騎士団が本格的に動いてしまえば、それですべては水の泡なのだから。

「……思うに、助力が君だけって言うのは色々と不足があるんじゃないかな? 君個人の能力を問題にしていないって言うのは分かって欲しい」

「あなた個人が動けば、それでも対処くらいは可能だろうとの話は聞いていましたが」

「何度も聞くけど、本当に今の騎士団長は大らかかい?」

「……」

 聞いてはいけない質問と言うのもあるらしい。国立騎士団の機密事項なのかもしれない。

 何にせよ、簡単に終われる状況では無い事は理解できる。そんな事はこの作戦に乗った時から覚悟はしていた。

「君が提案した、正面からぶつかれば数時間も掛からずに決着が付くって話。その部分だけは有利な情報だろう。まだ最終手段になりそうなそれを実行するまで、時間的猶予があるって事だ。その間、敵の様子を探る事に費やせる」

 できればその間に、正面突破以外の解決方法も考えだしたいところだった。




 調べる対象としていた岩石地帯であるが、盗賊達が拠点とするだけあって、天然の要塞と言える場所である。

 転がる岩はそのまま障害物となり、遠方からの攻撃を防ぐだろう。

 さらに中心に向かうに従って山なりになっており、その中心地に陣取っていると予測できる盗賊団は、下側から近づく者より比較的広い視野を持てると思われる。

 それでも、岩そのものが隠れる場所となるため、エレスト達は隠れ潜みながら、拠点のすぐ近くまで探りを入れる事ができた。

 まだ正面から戦う時では無いため、見つからぬ様に、細心の注意を払いながらであったが。

「やっぱり時間の猶予が無いって言うのが歯がゆいね」

 観測に丸一日。丸一日掛かった。

 その事実を噛みしめながら、エレスト達は岩石地帯にさらに近く、それでいて周囲の岩が自分たちの姿を隠してくれる場所を選んで、そこを休息場所としていた。今は一旦、調査を中止している。

「あと二日ですか。さらに時間があれば、もっと容易くなると?」

 リハはそう尋ねて来たが、それもどうだろうと考える。

 彼女の表情を見れば、疲れが少し滲み出始めている。自分の顔を見る事はできないが、エレストだって似た様なもののはずだ。

 時間があったらあったで、こちらの疲労が蓄積するだけ。単純な情報収集に掛けられる時間は、既に無いと考えるべきだろう。

「一旦、今ある情報を整理しよう。まず観察して分かった事は、彼らは警戒している。騎士団の介入について、ある程度予測していると考えられる」

「今回、国立騎士団の組織としての行動は、むしろ遅い類です。確かに事前に察知している可能性は大いにあるでしょう」

 リハの言葉に頷く。

 相手の警戒は即ち、エレスト達にとって不利となるか? その問い掛けに関しては、エレストはまだ結論を出すのは早いと考える。

「国立騎士団の行動を知っているとして、彼らは騎士団に勝てると考える程に愚かかな?」

「……いいえ。少なくとも、トップに立つレビレンは、戦力を客観視する能力くらいはあるはずです」

「ならどうして逃げださない? 彼らはまだここに居て、警戒を強めているってことは、逃げる気なんてさらさら無いって事だぞ?」

 浮かび上がる疑問点。それを並べ、有益な考えが浮かばないかと思考する。

 何事にも理由がある。理由が無くても因果がある。答えを考えれば予想程度は立てられる。

「騎士団に対して反撃できる算段があるとか?」

「それとも、逃げることすら出来ないかだ」

 エレストは自分の方の考えにこそ理がある様に思った。彼らは外からの敵に警戒する事は出来ても、その敵から離れる事ができない。

 その理由について、思い浮かぶ事があったからだ。

「盗賊達は、比較的大所帯だ。彼らを食わさなければ、どうしたって内部分裂する」

「集まっているにしても、大義名分が無ければそうもなるでしょうね」

 人が集まるのに必要なのは、即物的な利益と、精神的な主柱になる物。この二種類のどちらかが必要だった。

「レビレンについてだけど、彼が異常なカリスマ性を持っていたと言う事は無いかい?」

「それについては無いと言って良いでしょうね。あれば騎士団の方も悠長な態度を取ってはいられない」

 戦後から幾らかも時が流れているとは言え、不穏分子は国内中にいる。今回の盗賊団にしてもそうであろう。

 それらをすべて纏められる人間がいたとすれば、国が放っておく訳が無かった。

 レビレンはまだ、それだけの能力を持ってはいない。ならば、即物的に集団を纏めているのだと結論を出せる。

「彼はマヨサ家領内で、安定した収入を得ようとしていた。ホワイトランド村での盗賊の動きがそれだよ。現地の有力者と繋がり、彼らに暴力を提供する代わりとして、利益を得ていた」

 食糧などの物資関連が第一の利益だと思われる。彼らの組織を維持するためにはそれが必要だ。

 そんな彼らにとっての弱点。エレストにはそれが見えて来た。

「彼らは敵を警戒してピリピリとしているが、それだけだろうか?」

「他に何かあると?」

「もう一歩、深く調べて見る必要がありそうだ。仕掛けるにしても、さらに前の確認だね。そこには危険が伴うだろうけど……付き合ってみる気はあるかい?」

 冗談めかして尋ねてみるも、半分以上が本気の言葉である。ここでリハの力を借りられなければ、少々、手に余る事態になりそうだから。

「今の私は、あなたの部下ですからね。指示があれば従いますよ。それに今回、命令されそうな内容は、有益なものに私は思えます」

 了承を得ることが出来たと考える。だから笑う。少し口元を歪める程度の表情であったが、何故か目の前のリハは、冷や汗を流していた。




 エレストは見つかるか見つからないかギリギリのところまで、盗賊団の拠点へと近づいていた。

 今まで、こちらが見つからない様に行動しながらの観察だったわけだが、これからは見つかって一戦行う事も覚悟の上の偵察である。

 幾つもある岩陰に隠れながら、目立たぬ様に姿勢を低くし、それでも岩陰から顔を覗かせる。敵の拠点の入り口となる場所に立った、盗賊の見張りを探るためだ。

(こちらが相手を見るってことは、向こうもこっちに気付ける可能性があるってことだ)

 だから出来るだけ、相手に見つかる可能性を減らす。姿勢を低くするのもそうであるし、

魔法を使って周囲の風景をぼやけさせていた。

 光の屈折率を変える魔法なのであるが、使い時が難しい。距離が近すぎれば、ぼやけだけで相手に違和感を与えるし、遠すぎれば、そもそも使う必要が無い。

 ただ、エレストはそれを使う際の適切な距離というものを、経験則で理解できていた。

(もう少し……近づけるな)

 一度、盗賊の様子を直に見る事が出来たので、さらなる接近が可能であると結論付ける。岩陰から岩陰へ。相手の視界からは隠れながら、遠回りに見える方向へ動き、また違う方へと向かう。

 さらに時間を掛けながら、もっと近くまで。遂には相手の動作一つ一つに音が聞こえてくる距離まで近づいた。

 隠れている岩はかなり大きく、岩の頭頂部は見張りの視界よりさらに高いだろうか。

(上手く登れば、こちらから一方的に相手を見張れる……)

 ただし、登る過程で迂闊に音を漏らせば、その時点で居場所がバレるだろう。

 出来る自信があるかと問われれば、自分がもし万全なら、それもできると答えようか。

(ただ、僕は疲労している。魔法をしくじるかもって危険性は常にあるな)

 登るのは徒手だけでは難しく、魔法を使わねばなるまい。魔法には魔力が必要で、魔力の行使には集中力が必要だった。

 その集中力が、今の自分には欠けている。どれだけ集中しようとも、身体の芯から来る疲労がそれを挫く。だが……。

(それくらいの賭けはするべき時だ)

 目を少し閉じ、魔力を放つ。素人には見えぬし、魔法使いでも技能が無ければ見る事の叶わぬ魔法の力。

 エレストには青い霞の様に見えるその力を、自分が望む魔法へと変換していく。

 この感覚は、訓練をした魔法使いにしか分かるまい。この感覚こそ、魔法使いを魔法使いたらしめる感覚だ。魔法を学ぶ者は、まず真っ先に、これを知る事からすべてを始める。

(浮け……)

 そう願う。願うだけでなく、魔力をその様に扱う。すると身体から重さが消えた。身体が軽く……どんどん軽くなっていく。

 それだけでは終わらず、身体そのものから重さが無くなって行く。身体が風に流されそうになるが、浮く方向を調整していく。少しずつ上へ。ゆっくりと、慎重に。

「………っ」

 岩の上へと辿り着き、足を降ろす。魔法を解き、身体に重さが戻るのを感じながら、深く息を吐いた。その音も出さぬ様に気を付けながら。

(うん。多少はブランクがあるけど、上等だ)

 岩そのものには文字通り、音も無く登ることができた。その後、岩の上で這い蹲り、盗賊達を覗いてみたが、こちらに気付いた様子も無かった。

 それでいて、こちらからは様子をしっかり見る事ができる。状況としては上々と言ったところだろうか。

「………おい。本当に………よ……」

 微かであるが、盗賊達の声も聞こえて来た。丁度良いことに、何かを話している最中らしい。

 どんな内容であろうとも、相手の内情を知ることはできるだろう。

 声の対象を見ようとして見下ろした先にあるのは、盗賊団の拠点へと繋がるであろう岩の間の細道と、その両脇に立つ男が二人。

(盗賊団が拠点を構えている場所は、岩に囲まれて、入れる場所も限られているんだろうな。天然の要塞ってところか。周囲には見張りを置けば、岩の外側も警戒できる)

 天然が故に、エレストが見ている場所以外にも、通り抜ける場所があるかもしれないが、それにしたって地の利は盗賊団側にある。そんな場所だ。

「俺だって良くわかんねえよ。けど、やつらが戻ってきてねえのはマジだろ」

 耳を澄まし、さらには見張りの盗賊達を直に見る。彼らの表情には焦燥感が浮かんでいる様に見えた。話の内容そのものも、彼らにとっては不穏なものに聞こえる。

(奴らが戻って来てない……か)

 それがどういう意味だろうか。まだ時間はある。話を聞くには丁度良い時間が。

「食糧の方はまだ余裕があるけどよ……あれ、デイルズの奴が言ってたけど、騎士団の奴らが来るかもってのも本当なのか?」

「本当かもな……。レビレンさんに付いていれば、少なくとも食うには困らねえって思ったけど……これからどうなるかは分からねえよ」

 不穏この上無い話題らしいが、エレストにとってはむしろ良い情報に思えた。どうにも彼らは、既に組織としてガタが来ているらしい。

(確証は……取れたと見るべきか? 奴らは、奴らが期待していた状態から大きく外れ、自分たちの破滅を予感し始めてる……)

 ならば打つ手はあるだろう。足場のしっかりしていない集団など、個人よりも脆弱な部分があるのだから。

「……なあ、あっち。なんか変じゃないか?」

(……っ)

 見張りの一人が、怪訝そうな視線を向ける。その視線を察知したエレストは身構えた。こういう状況はどうしても慣れぬもので、緊張が心を張り詰めさせる。

 ただ、その程度の緊張ならば、まだ自分の注意力を上げてくれる。

「ちょっと……見てくる」

「気のせいじゃないのか?」

「いや、確かに何か見えた」

 体が強張る。しかし盗賊を見つめる目線は逸らさない。相手の動きを探るためにここまでやってきたのだ。まさかその仕事を投げ捨てるわけにも行かない。

 だからこそ、エレストは盗賊達を見る。見張りの盗賊の内一人は、エレストの方……ではなく、また別の方へと歩き始めた。

 もう一人はその場で待機したままだ。

(リハが上手くやってくれたね)

 恐らくは、囮役を買って出てくれたリハが行動したのだ。その姿を見て、見張りの一人が誘き出せている。

 ならばエレストがやる事は一つ。集中し、新たなる魔法を発動しようとする。

「……何にもなきゃいいけどよ」

「この状況で、何にも無いなんて期待してるのは、随分と悠長じゃないかい?」

「……ッあっ……がぁっ……!」

 こちらの声に反応して振り返る盗賊。その腹部に食い込んでいるのは一本の杖だ。魔法で放ったその杖が、結構な勢いで盗賊の腹部にめり込んでいる。

 貫かぬほどに威力を調整したため、痛くて地面に転がる程度で済んでいるはず。

 その様子を見た後に、エレストは岩の上から降りる。今度は音を気にする必要はない。気にする盗賊を倒すことが出来ているから。

「悪いけど、君と、もう一人の見張りには色々喋って貰う。残念だったね。ここはさ、最初の方で良い夢から醒めて良かったと思ってくれないかな? 盗賊家業なんて、碌な夢じゃないだろ?」

「……ぁ……ぐっ……」

 呻く盗賊を引きずりながら、もう一人の盗賊が歩いて行った方を見る。そちらでは、姿を現したリハが、手に持った剣を倒れた盗賊に向けているところだった。

「良い調子だ。お互いにさ」

 こちらが手を上げて、一つの準備が出来た事を示す。これで二人。情報源となる盗賊を捕えることが出来たわけであるが、直に他の盗賊達は、攻撃を受けた事に気付くだろう。

 戦いの時はそう先の事ではない。明日には、決着を付ける時だとエレストは覚悟する事にした。




 国立騎士団が屋敷の庭に滞在し始めて、もう四日ほどになるとリンダは記憶している。出発の予定はと聞くとあと三日後になるだろうとの答えが聞けた。

 ほぼ予定通りなのであるが、どうにも気が抜けているというか……いや、気はさすがに抜けていないのだが、準備が先に延びても良いと言う様な雰囲気を感じるのだ。

 これはどういう事なのかと父に聞いてみると。

「まあ、そういうこともあるのだろうさ。彼らには彼らの事情がある。ここはこちらも、気長に待つべきだ」

 そんな答えが返って来た。しかし、その答えについては、あまりにも子ども騙しに思えてならない。

(というより、わたくしでさえ騙せてないのですから、子ども騙しですらありませんのよ!)

 自分はまだまだ子どもだと思うし、思慮も配慮も足りないとリンダは思う。だからこそ、そんな自分ですら疑問に思う事柄について、解明せずにはいられないのだ。

 という事で、また国立騎士団が集まるテントへとやってきていた。

「いやはやお嬢様。良くまあこう……毎日いらっしゃいますな」

 リンダがテントへやってくると、必ずベイスン・チーフの元まで案内される。どうやらリンダが来たら彼が相手をする。という様な取り決めになっているらしかった。

 相手にとっては迷惑この上無いだろうが、リンダの方は都合が良い。この場において一番、国立騎士団の事情に詳しい人間なのだから。

「それはもう。答えを聞かせていただけるまでは何回でも」

 相手のうんざりした表情はリンダでも分かる。それでも鈍感を装って質問を繰り返さなければ、はぐらかされるだけなのも分かっていた。

「ううん……どう聞かれましてもですなあ。我々の動きが鈍い……でしたか? そう言われても、その時まで準備を進めていますし、その時になれば動き出します。手を抜いているわけじゃあない」

 当たり前の答えだった。

 その通り、彼らは手を抜いていないし、そんな怠慢は表に出していない。それでも、リンダは感じるのだ。国立騎士団の動きに緩慢な部分があると。

(その感じがどこから来ているか……分かれば話を進めやすいのですけれど)

 ただ動きが遅いぞと言ったところで、別に遅くは無い。予定通りだと返されるそれが今までだ。

 このまま時間が過ぎれば、予定通りに騎士団は準備を終えて、予定通りに出発することだろう。そうなれば、もう二度と質問をする事ができない。

 彼らがマヨサ家の領地にいるという貸しがあるからこそ、リンダは彼らと自由に接触できるのである。時間が過ぎればその貸しも無くなる。それも予定通りに……。

「予定通り……」

「どうかされましたかな? お嬢様にも日々の務めなどが……いや、まだそんな忙しい時分でも無いでしょうが、やる事があるでしょう? そちらを優先された方が―――

「何故、予定をそこまで遵守されますの? 準備さえ整えば、出発は何時でもできるのでは?」

 自分の感情の引っ掛かり。それを見つけた気がしたリンダは、ベイスンの言葉を遮って、さらなる疑問をぶつける。

「ですから、その準備をですな、今している最中でして」

「そうでしょうか? そもそもの準備自体が、出発の予定に合う様に進められていると思いますわ。この規模の騎士団であれば、もう一日か二日……早めに盗賊討伐の準備を終えていてもおかしくはありませんでしょう?」

 半分くらいはハッタリだった。騎士団の規模やら、盗賊退治のための準備と言ったものを、リンダはまったく知らぬのだから。

 だが騎士団の動きが、無理に予定と合わせたものである様には見えたのだ。彼らはこの領地に来てから、一週間後に盗賊の討伐を始める。

 リハという騎士に教えてもらった期限であるが、その期限を誰もが守ろうとしている。恐らく……目の前の男の指示で。

「我々は仕事をしているだけですよ。その仕事が遅かったり早かったりと言うのは、少々、現場の意見を無視した言葉では?」

「ならば、こうやってあなたがわたくしと話している時間。わたくしを何度も相手にしているこの時間。これも準備のために必須な時間だと?」

 最後の一押しとして、自分の立場すらも利用してしみた。

 国立騎士団からしてみれば、リンダの存在は如何にも邪魔者なのだ。わざわざやってきて、いらぬ質問をしてくるし、何より領主の子女であるから無下にもできない。

 そんな存在に、ずっとベイスンは付き合っていた。この場におけるトップがである。

(きっと、その方が当たり触りが無いと考えているのでしょうけれど、それでも、現場の長が小娘一人を相手にし続ける余裕があると言うのが妙なんですのよ)

 あくまでリンダの短い人生の中にある経験則。そんなものをなんとか使って、ベイスンから話を聞き出そうとする。

 これをもはぐらかされれば、もう何も聞けない。ここを立ち去るしか無いわけであるが。

「やれやれ……参りましたな。ご貴族の子女とは、ここまで弁が回るものなのですか?」

「教育はされていますわ。それを活かせるかどうかは人次第かと」

「なるほど、つまりお嬢様は才覚があられる方かもしれませんな」

 褒められたのだろうか? それとも、内心は呆れられている? そのどちらでも構わない。どうにも、話の風向きが変わった様であるから。

「我々は。予定を遅らせるという事はできません。国より任務を受けている。それは絶対です」

「あなた方の立場を思えば、相当の苦労だと理解はしていますわ」

「苦労は別に構わない。それが使命であり、誇りであり、あとは……給金にも関わってきますから。背負えるものならば背負いましょう。そんな我々にとって、一番厄介な事は何だと思いますかな?」

 恍けた様子のベイスンであるが、それでも、これまではこんな話をする前にテントを立ち去る様に言われていた。

 どうやらリンダの言葉は相手に通用したらしい。

「あなた方にとって、一番厄介な事……それは、使命に失敗する事でしょうか?」

「それも確かに屈辱だ。ですが一番ではない。失敗したとしても、次はしない。もっと成長を、もっと予算をと心に誓う事ができる。特にこの予算が大事ですな。金も物資も無いとなれば何もできない。それを承認する側に認めさせる事ができるし嫌味も……いや、失敬。これは関係の無い話でした」

 咳を一回挟んでから、ベイスンは両腕を広げるジェスチャーをした。大事な事を話すぞと彼なりの前フリらしい。

「我々にとって一番嫌な事は、背負った苦労が水の泡になる事なのですよ。準備は万端。さあ、いざ出発だ。さあ、我々の力を見せつけてやるぞ。と言ったところで、もし、その見せつける相手が全員、どこぞの誰かに処理された後だった。そうなればどうします?」

 実際、そんな事があった様に、ベイスンは悔しげな顔を浮かべた。いったい何を頭の中で想像しているのかが気になってしまう。

「失敗を胸に再起を、なんて気分ですら無くなりますし、我々の苦労は何だったんだと途方に暮れる。なにせ、すべてが無駄足だったのですから。ちくしょうめと言ったところです。実際言いました」

 実感の籠った言い方をする。本当に、何度か痛い目に遭った。そうでなければ、こんな様子にはならない様に見えた。

「その……つまり、今回にしてもそうなるかもと?」

「さあ。それは分かりませんな。分かったところで言えるものでもありません。誰かの横槍を想像するほど、我々の任務は柔いものではない」

 誰かの横槍。その言葉は、確かに想像したりするものではないだろう。

 というか、想像したってし切れないからこその横槍なのだから。ならば事前に想定するのは馬鹿げている。

 馬鹿げているのに、騎士団はまるで、そんな横槍があった時のために、予定を早めたりせず、あくまで予定通りに事を進めていた。違和感はまだそこにある。

(想定できる横槍があると言うことですの?)

 普通、どこかの誰かが突然現れて、盗賊を騎士団より先んじて退治するなんて事は有り得ない。

 有り得ないのに、そういう可能性を既に彼らは考えている。リンダの方はどうだろう。そんな想像など……。

「……リハという騎士が、エレストに提案していた事。あれが実現するかもと、あなた方は考えていますの?」

「何のことやらさっぱりですが、意味のある言葉に感じてしまいましたな。はて、何故なのか。もしや、我々にとっては悪い知らせになるかも」

「エレストは……受けいれないと言っていましたわ。だいたい、エレストが動いたところで何ができると?」

「だから言われることはさっぱりで……ただ、そうですな。エレストという人物を私は知っているわけですが、彼は根本的な部分でお人良しです」

 ベイスンは皮肉げに笑う。それはどうにも、リンダに向けた嘲笑と言うよりは、疲れた男が浮かべる苦笑いに見えた。

「あれこれ理由を付けて、その部分を隠そうとしていますが、なんだかんだで、困った状況を見過ごせない。そういう人間でしょう。だから……何だと言うことですがね」

 ベイスンは必ず、明言を避けるだろう。確定的な事は言わない。彼が彼に課している線引きの様なものだと思う。

 だからリンダも、明確な答えを想像できずにいた。

 どう想像しろと言うのだ、昔から知り合いで、細々としたひ弱そうなエレストが今、盗賊退治に向かっていて、しかも、それを成功させかねないと国立騎士団に思われているなんて。

「けれど……いえ。それでも待ってくださいまし。万が一、エレストが盗賊をどうこうできる人間だとして……あなた方が彼に先んじられる事をどうして許容できますの? だからこそ、準備を急ぎ、早急に行動するのが自然に思いますわ。けど……あなた方はむしろ」

 それは信じたくない考えだからこそ、偶然出て来た言葉だった。

 良く考えれば、その理由だってリハから事前に聞いていた。先に第三者が盗賊を退治できれば、マヨサ家に泥を塗らずに済み、国立騎士団とマヨサ家の間に確執を生まずに済むと。

 ベイスンからも似た言葉が出てくるだろうと、すぐに気付いた。予想した。そのはずなのだが……。

「……さて。今後のアドバイスなのですが」

 ベイスンの声色が変わった。さらにリンダの言葉を聞かなかったと言う風に振る舞い始める。

 こんな場所で、まさか襲われたりすること無いだろう。だと言うのに、リンダは恐れを覚えた。

「危険な話題かそうで無いかについて、あなたはまだ判断できないらしい。ならば判断できるようになるまでは、何も尋ねるべきではない。私の様な人間にはね」

 それだけを告げて、ベイスンは背中を向けた。

 それは……恐らく、ベイスンなりの親切心なのだと思う。リンダの疑問には、幾らでも、どんな答えだって返せるだろうが、万が一にでも危険が及ぶ話題には成り得る。

 そんな話題は、する事すら避ける。それこそベイスンが選ぶ行動なのだろう。ならば、リンダはどうする事が正しいのか。

(まだ何かを隠している……それは分かりますのに……何もできそうにない。一体……何がどう動いていますの? わたくしには、出来ない事や、知らない事が多すぎる)

 ここにエレストがいたら、疲れた様な笑い方で、そんなのは当たり前だと言ってくるだろう。

 だが、それでも……この屈辱は忘れない。恐怖に掻き消えそうになるその感情を、なんとしても心に刻む。

 未熟な自分にとって、出来る事と言えば成長なのだ。その成長の糧になる感情を、忘れるわけには行かなかった。




 朝が来た。国立騎士団より先んじて盗賊討伐を成し遂げられるラストリミットの日の朝だ。

 エレストは眠気覚ましのため、昇る太陽を見つめながら、その事を頭の中に刻み込む。先ほどまで、三時間くらいの睡眠を取っていた。体力は万全と言えないまでも、戦えぬ体調ではない。やるならこの時だ。そう思う。

「捕えた盗賊からの情報では、出入り口になりそうな場所は普段使われている南側の通路が一つと、岩の裂け目になっている場所が東西に一つずつ。盗賊の総数は現在三十九人。こちらが把握しているより少数ですね」

 隣に立っているリハが、現状を把握するためか、既に知った情報を言葉にする。

 現在エレスト達は、リハの言葉に出てきた、西側の通路の近くまで来ていた。もう少し進めば、そこに立つ見張りに見つかるかもしれない。それくらいの近さだ。

「尋問なんてする時間も無かったし、信用度は低いだろう。だけど、そんなもんだ。万全となんて何時だっていかない」

「だから信用すると?」

「賭けに出るって言い方が近いかな」

 エレストはそう言いつつ、手に持った杖で地面に円を描き始めた。円の内側には規則性のある紋様を描き、その複雑さを増して行く。

「それが魔法陣……ですか?」

「騎士団の訓練では習わないのかい? 前の戦争じゃあ、一気に利用頻度が増した。その技術もだ」

 魔法陣はその円の中に紋様を描き、その紋様の形次第で様々な効果を引き起こせる。

 というか、魔力を自身の集中力で現実化させるのが魔法だとしたら、その集中部分を描いた陣に代用させるのが魔法陣なのだ。

 ただし、複雑だったり大規模だったりすれば、それだけ魔法陣の規模や複雑性も増して行く。

 個人で書ける陣はたかが知れているし、どの紋様がどんな効果を発揮するか知識として知らなければ使えないデメリットもあった。

「使い難い部類の技術だけど、それでも使われ続けたから発展した。これは魔法使い非魔法使い関係ないよ。有利に戦うためにその方法を探した結果だ」

 魔法陣を書き終わり、距離を置く。あとはこの魔法陣に魔力を必要量流せば、それで効果が発揮されるだろう。

「課程はありますが、他にも覚えなければならない事がありますからね。知識は学べば増えるでしょうが、訓練の時間は増えてくれません」

「だろうね。何時だって時間と予算は僕らみたいな奴を追い詰める……おっと、今の僕には関係ないし、その前の僕にも関係ないはずだった。忘れて」

 手を魔法陣の方へ伸ばし、魔力を流し始める。こちらの魔力に反応して、地面に杖で描いただけの陣が、青い輝きを放つ。魔法陣が正しく働いている証だ。

「合図をしたら耳を閉じて口を開ける事。いいね?」

 リハの頷きを確認して、すぐにまた魔法陣の方を見る。そうしてその効果が発動するそのタイミングを計った。

「二……一……今だ!」

 エレスト自身も、すぐに耳を手で塞いだ。十分量の魔力が込められたこの魔法陣は、少しばかり危険なのだ。

 それは合図のすぐ後に発生した。大音量の爆発音である。空気そのものが震えた様に辺りに響き、もし耳を塞いでいなければ鼓膜が破れていた事だろう。

 音は広範囲に響き、恐らくは盗賊達にも聞こえたはず。明らかに警戒すべき大爆音だと思われる。しかし、発生したのはそれだけだった。

「ふぅ。危険な音と理解してくれれば良いんだけどね」

 魔法陣にて発生させた音は、盗賊達への挑発行為だった。ここに敵がいるぞ。それを伝えるための音。

 リハの方を見ると、彼女は盗賊達の本拠地がある方向を見ていた。

「敵はこの音に誘い出されて盗賊達を送り込んでくる。なのでその隙を突き、手薄になった本拠地を叩く。というのが定石になるでしょうね」

「と、レビレンが多少なりとも戦術っていうのを知っていればそう考えるだろう。だから、ここへ送られてくる盗賊の数は、彼が考える最小限になると思われる」

 そここそが付け入る隙だ。定石があれば、それを崩す事を奇襲と呼ぶ。

「僕らはただ、ここで待つ。やってくるはずの最小限の敵を排除すれば、それだけ敵の戦力を減らせるかもしれない」

「あまり断定的ではありませんね」

「そんなもんだ。いいかい? 戦術っていうのは必ず勝てる作戦を考えるって事じゃあない。勝負に出る賭けの回数を増やすって事だ。何にせよ、自分の命をテーブルに置かなきゃ始まらない」

 例えば……レビレンが思いのほか考えなしで、こちらの手に余る数の盗賊を送って来たとしたら、自分たちは逃げなければならないだろう。

 その際は、むしろエレスト達が追い詰められる危険性もあるわけだが、それを承知でこの作戦を取った。

 先に危険性を排除してなどと考えていては何も始まらない。始まったとしても、その時間が自分たちの目的達成よりずっと後のタイミングならば意味も無い。

 できる事と言えば、それぞれの危険性を少なくして、挑む回数を増やす程度だろう。

「そうしてほら……とりあえず答えはやってきたみたいだ」

 エレストは杖の先で示す。遠くで人が動く影が見えた。こちらへとやってくる。明らかにエレスト達を認識した動き。

「見える数は……四人ほどでしょうか。隠れている相手がいる事も考えて、八人と予想してみます」

「相手に出来ない数じゃあない。もう一つの危険……こっちを発見したからさらに戦力を呼ばれるって部分を潰すために、僕らの方から仕掛けよう。まだ奇襲できるタイミングだ」

 そう告げてから、エレストは盗賊達の方へと歩き出す。一方でリハはエレストとは別の方向へと走って行く。

 その意図を察したエレストは、できる限り堂々と、正面から盗賊達へと近づいて行く。その姿をきっちり相手へ認識させる様に。

「やあ諸君。今日は良い天気だね。晴れだ。雨が降っていない。暑いと感じるかもしれないが、何時だって雨より晴れが良いとは思わないかい?」

 声を向こうまで届かせるくらいに距離は近くなっているが、それなりに声を上げなければ聞こえないだろう。もしかしたら、これが一番疲れる行動かもしれない。

「おい! そこを動くな!」

 視界に映る盗賊達。未だ四人であるが、その内の一人がエレストに反応し、さらには手に持った弓に矢をつがっていた。

「分かった、止まる。動かない。手でも上げようか?」

 言われた通りに足を止めた。だが、盗賊達は警戒を止めてはくれない。

「もう一人はどこへ行った。二人居ただろう。さっきの音はなんだ!」

 最初に話し掛けた盗賊が、そのままエレストとの話し役になったらしい。

 他の三人のうち、もう一人も弓をつがっていた。残り二人がそうしないのは、そもそも弓が扱えないからかもしれない。

「もう一人……ああ、彼女か。どこ行ったんだろうね。実は彼女とはそんな親しく無いんだ。ちょっと僕との同行に嫌気が差したのかも……音? 音ってなんだい?」

 話しつつ、少しばかり足を進める。するとすぐさま盗賊側から反応があった。矢がすぐそばまで飛んできて、通り過ぎて行く。

「おい! 動くなと言っただろ! 恍けた事言いやがって! 今度は当てるぞ!」

「そうか。それはすまない。実は良く言われるんだ。真摯に答えているつもりなんだけど、そうも行かないらしいね」

「だから答えろと言ってるだろう! もう一人はどこへ行った!」

「だから待ってくれ、ちょっと……どう答えたら良いか悩んでる」

 そうしてさらに一歩、盗賊達へと近づいた。その瞬間、またしても矢が飛来する。

 今度はエレストの身体の一部分。腕や足を狙ったものである。当たり所が悪ければ、それこそ命に届きかねない一矢。

 そんな矢を、エレストはじっくり観察していた。自分に突き刺さらない矢であればそんなものだ。

 盗賊から放たれた矢は、エレストの眼前で、まるで宙に刺さった様に停止していた。

 これも魔法だった。目の前に空気の壁を作るのだ。目に見えない壁なので、結構利便性がある。

「いいね。良い狙いだ。当たっていれば、命を奪わない程度に僕の身体を傷つける事が出来ていただろう。もしかして、元兵士か?」

「魔法使いだ! 固まるな! 全員散って動け!」

 その言葉が始まりとなる。彼らは理解しているのだ。エレストが魔法使いであるという時点で、自分たちが一方的に有利な状況では無くなったのだと。数的有利も、別の要因によって覆されてしまうかもしれないと。

(良い勘してるよ、まったく)

 エレストは魔法により作った眼前の空気壁を、前方へと放った。丁度、エレストが走る速度と同じくらいにだ。

 実を言えばこの空気壁、自由自在には動かせない。その場に留めるか、一方向へゆっくり、もしくは速く動かせるかと言った選択肢しかない。

 魔法としては、この空気壁を全身に覆ってしまうのが理想なのだが、そこまでの技能がエレストには無いし、そもそもの魔法技術も、そこまでの領域に到達していなかった。

 だから前方に向かって走るのだ。その部分だけは矢から身を守る事ができる。

(四人以外……まだ他には見当たらないな)

 ならばその四人をまず相手にしよう。前方の空気壁に、さらに矢が刺さる。話していた盗賊とは別の方向からだ。もう一人、矢をつがえていた盗賊がいたからそっちだろう。

 今は二人とも前方にいるが、接近を続ければ、エレストを取り囲む様な布陣になってしまう。そうなれば、矢を空気壁だけで防ぐ事もできなくなるはず。だから……。

「……ふっ」

 息を少し吐き、空気壁から横の方向へ、自分の体を跳ねさせる。

 既に盗賊達とかなり距離を詰めていた。空気壁は正面の盗賊へと突き進むが、向こうもそのまま立っていれば危ないだろうと考えて、場所を移動している様子。

 当たれば人一人くらいは吹き飛ばせる魔法なのだが、当たらなければ意味は無い。

(できればあれで一人くらい仕留めたかったけど、そうも行かないか)

 相手がエレストの動きを追いきれていない内に、近くの岩陰に隠れた。背を縮めて、漸く隠れられる程度の岩陰だ。その近くを矢が飛来するが、それは当たらずに済む。

(空気を操る魔法っていうのは、こういう使い方もある)

 魔力を放出し、また違う魔法を繰り出した。

 先ほどの空気壁を作る魔法と基本は同じだ。空気に圧力を与える魔法。だが、壁にはせず、そのまま盗賊達側へ扇状に放出する。

 物を止められる程に圧力が高まった空気を、広範囲に放出すれば、それは勢いのある風になる。

 しかもここは岩石地帯。風が吹けば細かい砂埃は容易に立つし、最近まで晴れが続いていたから、それは高く広範囲まで舞い上がる。

(そのまま、目眩ましに使える。前みたいに夜じゃないから、光で目潰しはできない。だからこそ、こうしなきゃならないってだけなんだが……)

 それでも、砂埃はエレストを敵の矢が狙う事を封じてくれるだろう。

 その間に、四人の盗賊のうち一人へと接近する。真っ先に狙うのは、エレストと話していた盗賊だった。

 岩陰から飛び出し、目当ての盗賊がいただろう場所を目指す。砂埃はエレストからも視界を奪っているが、それでも首尾よく、盗賊の影を捉えた。

「やあ、久しぶり。引き続きお喋りでもするかい?」

「ひっ……がごっ!」

 気づかれずに近づく事ができたらしい。なのでその顎を杖の先で叩いた。三半規管を顔ごと揺らされ、バランスを崩す盗賊。さらに杖で横殴りに転がし、その顔面を蹴り上げた。

「ぶっ……」

 息が潰れた様な声を聞きながら、気絶か、死んだか、とりあえず戦力は奪えたと考える。今は紳士的な事もしていられないので、手荒になる事は勘弁して欲しい。

(手と言うより足癖かな?)

 そんな事を考えつつ、もう一人、弓を持った盗賊がいたであろう場所へ向かう。が、さすがにそうそう何度も幸運は続かず、接近戦を仕掛けられる距離に盗賊は見当たらない。

 そろそろ砂埃も収まる頃だと考えて、近場の岩陰に隠れようとしたところ……。

「おっと」

「うあっおおおおお!!」

 その岩陰に盗賊が隠れていた。事態が落ち着くまで身を隠していたのだろう。お互い、不運だったと思う。

 盗賊は弓矢を捨て、腰に差した短剣を抜き放った状態でこちらへと突っ込んで来た。その動作は何アクションか。その間、エレストにだって動ける余裕はあるだろう。

 短剣を突き刺そうとする盗賊を横に避け、その足の隙間に杖を入れ込む。杖に足を掬われ、もつれて転ぶ盗賊。そんな彼を上から踏みつける。勢い良くだ。

「だはぁっ!?」

 困惑混じりの呻き声が聞こえるが、さらに強く。圧迫された胸で呼吸が不能になり、窒息するまで強く。

「かっ―――

 白目を剥いた姿を確認して、足を離した。命を奪うかどうか。その加減が難しい。人道主義を貫くつもりも無いが、奪う必要のないものは奪いたくは無い。

 魔法についても似た様な事が言える。この様に回りくどいことをしなくても、魔法で一網打尽……と言う事ができる可能性もあるわけだが、その規模の魔法となると、それなりに集中力と魔力が必要だ。それらの消費は、自分から余力をすべて奪い去る。

 敵を一気に倒せるのだからそれで良いという考えもあるだろうが、自分の予想が外れた時が大変だ。

 予想外の危機に陥った時、もう対処するだけの力が無くなっているのだから。

 魔法も、使わないでいられるのなら使わないでいたい。それが魔法使いが戦闘を行う際の基本だと、エレストは定義づけている。

「魔法使いが他者より優位に立てる点……それは魔法という手段が多く用意されているって点だ……」

 自分で呟き、確かめる。自分の中に、その戦闘指針の基本がまだ残っているかを。

 盗賊団退治。先日も行ったわけだが、今回はもっと大規模のものである。

 こういう戦いは久しぶりだった。かつては、嫌になるほどその空気の中にいた事もあるが、それが鈍っていないと言えば嘘になるだろう。

 自分は全盛期程の戦闘力を有してはいない。

(それはそれで嬉しいんだけど、時と場合に寄るってのが実際かな)

 今、この場においては、どれほど有利に敵と戦えるか。それだけが価値判断の基準であった。

 その価値判断において、今のエレストの状態は、まだマシと言った評価ができるかもしれない。

(こうやって、まだ戦う事ができるしね。足が竦んで動かなくなるってことは……ないっ)

 次の盗賊を狙い、岩陰から姿を出した。向こうもどこぞへ隠れているのだろう。隙を狙って投石があった。

 弓を使っていた盗賊とは練度が違うため、命中はしないし、むしろ位置を良く知らせてくれたとそちらへ走る。

(岩陰に隠れるなら隠れるで、そんな顔を頻繁に覗かせるもんじゃあないだろ)

 盗賊の動きに対して駄目出しをしつつ、さらに接近。慌てて逃げようとする盗賊の背中めがけて杖を向けた。

(魔法の多用は厳禁。けど、魔法を使わなきゃならない時は使うさ)

 使うのは杖を射出する魔法だ。手に持った杖に魔法を掛け、後は自然の法則に任せるため、普通の遠距離魔法よりかは消耗が少ない。

 愛用の杖だからこそ、上手く扱えるという部分もある。

「あがぁッ!」

 脇腹にめり込む杖の勢いに盗賊は敗北し、膝が地面を突いた。すぐに追いつくエレストは、飛ばした杖を拾いなおして、その盗賊の背中に杖の先端を当てた。

「動いて痛い目に遭うのと、動かず、ちょっと痛い目に遭うのだったらどっちが良い?」

「て、てめえら……何もんだ。俺たちに手ぇ出して、タダで済むと思ってぎゃっ!」

 背中めがけて魔法の電気を流した。その衝撃で、暫くは気絶していてくれるだろう。

 素直に話が出来なければ、話を続けるだけ無駄だ。では、盗賊の残り一人はどうだろうか?

「さあ、どうする。これで三人倒した。僕一人に対して三人だ。手を上げて降伏を選んだ方が良いと思うんだけどな!」

 最後の一人はどこかへ隠れたらしい。最初にいた大凡の位置は把握しているため、そちら側へと声を向ける。

「……」

 沈黙。どうにも居づらくなって、頬を掻いた。あと五秒したら動こうと心に決めたその頃、盗賊は姿を現す。

 当たりを付けていた岩陰から、倒れ伏す形でだ。

「うん、まあ……腕は確かって、実感できて良かったよ」

 盗賊に続いて現れたのはリハだった。どうやら最後の一人を彼女が倒したらしい。

 彼女から、もう他に敵は見当たらないとの合図を受け取ったので、そちらに歩いていく事にする。

「手柄を奪われた形になるのかな? これは」

「現れた四人の他に、隠れていた盗賊が二人いました。倒した人数はあなたと私、三と三で丁度良いかと」

 冗談には冗談で返せる余裕もあるらしい。相棒としてはかなり上等と言えるだろう。

「全員で六人寄越したわけか。思ったより少ない。それなりにやり方は分かってるみたいだ。それで失敗してたら世話は無いけど」

「参考までに、あなたならこの場合、どう指示するかを聞きたいですね」

「僕? 僕なら集団の中で比較的反抗な一人を向かわせるね。絶対に罠だし、一人の犠牲でその罠を潰せて、さらに反抗的な奴も消せる」

 そんな事もしたなと思い出す。遠い過去の事の様に思えるが、そんな戦いの過去があったせいで、ここにいる盗賊達が生まれたのだと思うと、どこか皮肉めいていた。

 世の流れとやらは、どうも性格の悪い脚本家が筋書を考えているらしい。

「怖い話ですが、目立った戦い方をしてくれたおかげで、私が動きやすかったと思うと、戦術眼と言うのですか? あなたのその目には感謝するべきでしょうか」

「言い過ぎだ。だいたい、隠れてる奴らも含めて、全員相手にしてやるつもりだったんだ。君の戦力を過小評価していた。これはミスだよ。反省するべき点だ」

「私もそのつもりでしたので、おあいこと言う事でどうでしょうか?」

 いけしゃあしゃあと言ってのけるリハを見て、過去の自分なら、何がしか嫌味を言っていたところだろう。

 では今はどうかと言えば、それならそれで良いかと考え直している。今のエレストは、誰かを指揮する立場ではないし、無理して偉ぶる必要もない。

 目の前の彼女も、部下として動いてくれるらしいが、明確な指揮権があるわけでも無し。この場で自身の身を守れる実力があるのなら、お互いに対等だ。

「友達にはなれそうだね。さて、ある程度削れたけど、敵は守備を固めてくるだろう。迂闊に動くのは危険だと、ここに来て分かってくるはずだ」

「時間の無い我々にとっては、あまり良く無い状況と言えますか?」

「どうだろう。攻め手側がこちらに移ったって事でもある。やり方次第さ」

 盗賊達の拠点を見やる。まだ三十人以上の敵が潜んでいると思われるが、それでも、着実に戦力を減らす事が出来ていた。

「嫌がらせでも始めようか。積極的にさ」

 感覚が戻ってきた気がした。こういう事を繰り返していた頃の自分が。




 盗賊達のまとめ役をしているレビレンにとって、今の事態はお世辞にも良いものとは言えなかった。

 どこから悪くなったのか。遡って考えてみると、一番最初の選択肢から間違っていた様に思えてならない。

 盗賊達の頭領となる。そんな選択は、どんな視点で見たところで、間違った選択にしかならないだろう。

 そう思う。思うのだが、当時のレビレンはそれが正しい選択肢に映ったのだ。

 国家の不正を正し、民衆の声を手に持った武器を使い貴族たちへ伝える。そんな思いを持って、手だって幾らでも汚そうと強く願った。

 そんな思いが、明日の食事をどう用意するかとか、酒で悩みを帳消しにするにはどれほどの量が必要かとか、そういうくだらないはずの悩みに押し潰されたのは、何時頃からだったろう。

「くそっ……少なくとも今、逃げる事すらできないってのは、村にやった奴らがしくじったからだぞっ!」

 大凡、住み心地が良いとは言えない岩石地帯。そこに粗末なテントを張った様な場所で、レビレンは悪態を吐いていた。

 隣には怯えた表情を浮かべる部下が一人。いや、部下なんて上等なものではない。

 手下ではあるものの、こいつだって何時裏切るか知れたものじゃあない。そう思う。

「あいつら……物資を持って逃げたのか? もしかして騎士団連中に捕まったのか……くそっ」

「あ、あの……ボス?」

「なんだ?」

 先ほどから隣でびくびくしている手下の一人が話し掛けて来た。鬱陶しい事この上無いが、今は話を聞かなければ何も始まらない。今の状態で報告を無視するのは愚かな事だ。

「その……偵察にやった奴らはまだ帰ってきてません。それと、東側の見張りに怪我人が」

「偵察はもう帰って来ねえよ。やられちまったんだ。怪我人はさっさと手当してやれ。良いか? 今は兎に角敵を見つけて、総攻撃の時を見誤らない事だ。半端な数じゃあ返り討ちに遭うのは分かってんだろ?」

 今、一番厄介な状態と言えば、敵の襲撃を受けていると言う事だ。正体はまだ分かっていない。だが強力だ。

 偵察にやった手下をすべて返り討ちしたと予想するに、相当の数か、強力な火力を持っている可能性がある。その両方を兼ねている可能性だって、勿論ある。

 そんな敵がやってくる可能性は? そちらも幾らでもあった。

 自分たちは盗賊であり、国やら領主やらから討伐される名目はいくらでもある。同業者相手にだって、自分たちを狙う輩はいくらでもいるだろう。

 これにしたところで、自分が盗賊になる事を選んだ時点から問題が始まっていた。

「け、けどボス。このまま放っておきゃあ、怪我人が増える一方で……しまいにゃこっちがやられちまいますよ!」

「だからなんだ?」

「だ、だからって……」

「やられちまうから、全員揃って逃げ出すか? そのための食糧や物資があったら、こうも悩まねえよな? それもと全員にぶつかりに行くか? 連中が俺らより多かったら、それで終わりだな? ここは俺らが唯一、有利に戦える場所だ。違うか? ええ?」

 レビレンとて、勝つために……いや、生き残るために戦っている。

 当たり前だ。それを疑い、反論すると言うのなら、少なくとも自分より賢い奴を連れて来いと言いたかった。

 もしそれができるのなら、こんな胃が痛いだけの立場、すぐにでも放り出すと言うのに。

「わ、わかりやした……命令通り、見張りを続けさせます」

 去って行く手下であるが、明らかに不満を残しているのを隠そうともしなかった。どう考えたって、自分の命令に不服がある顔だ。

(こんな状況だ。本当に裏切るかもな)

 そうなれば詰みだ。

 手下達を動かす事で、今はどうにか耐えているが、その手下がいなくなれば、自分ただ一人。

 戦闘に自信があると言えたのは四、五年くらい前までで、それ以降は肉体的な衰えも見え始めていた。

 走って逃げることすらできないだろう。

 何時からこうなっただろう。あったはずの誇りは、意地は、思いはどこへ行った。

(あったもの……あれを使う必要があるか?)

 レビレンは近くのテントへ入り、そこに置かれた小箱を手に持った。ずしりと重いが、それでも持てなくなは無い重さ。

「くそっ……なんのための盗賊団だ」

 盗賊団を集めたのは、この箱の中身を有益に利用するためでもあったのだ。

 金のためではない。この箱の中身は、世の中を少しは変えられる。少なくとも一石を投じる事ができる。それだけの価値があるのだ。

 それを……ここぞと言う時のために守り、機会を探り、そして利用する。そのためには人間が必要だった。多くの人間の協力が。

 だからこそ、レビレンは人を集めた。集まるのはゴロツキばかりで、何時の間にか単なる盗賊団になっていたが、すべてはこれのためだった。

 これを有効に使うためなら、命すら惜しくない。手だって幾らでも汚そう。そんな風に考えていたのに。

(何時からだ? 何時から俺はこうなった?)

 情勢も状況も、人の思いだって変わってしまう。

 何時かの自分ならば、どんな状況だろうとも、この箱だけは守り通したはずだ。そうして、誰か……信用できる人間に、箱の中身を託す。そんな事もできただろう。

 だが、今のレビレンは違う。変わってしまった。箱の中身を、自らを延命させる道具としてしか認識できない。

「だが……それでもいざって時は……生き残ることはできる」

 自分はもしかしたら老いたのかもしれない。気高い理想も、誇りある意志も、愚かな行為としか思えなかった。

 自分の命のため。その行動の方が、どれほど自分に正直かを理解してしまった。

 なればこそ、やはり初めの選択肢を間違ってしまった事を悔いる。こんな盗賊団をつくるべきでは無かったのだと。




「随分と慌てているだろう。彼らは」

「ええまあ……見えますから」

 巨大な岩……というより断崖となっているそこを登ったところに、エレストとリハは立っていた。その断崖は、今は盗賊団を守るための防壁としても使われている。

 斜面など無く、普通なら登る事もできない。だからこそ、盗賊達も見張りを置いていないのだが、エレストは魔法を用いて登る事ができた。

 かなり精神力を消耗したが……。

「登った甲斐あって、様子も簡単に伺える。最初からこうしてれば良かったかな?」

 眼下には、まさか崖の上から覗かれているとは思っていない盗賊達が右往左往忙しそうに動いていた。

「この崖を何度も登れるというのなら、まずは偵察のために登るべきだったと言いますが」

「そうだな。自分一人なら二、三度。君を含めてなら良くできましたってところかな? もう一度、同じ様に登れって言われても、成功するかどうかは怪しい。体力もね、結構消耗した」

 実を言えば、現在の時点で、視界がくらくらと揺れていた。それでも普通に受け答えできているのは、慣れと意地からである。

 暫くすればそれもマシになるだろうが、同様の魔法の行使は勘弁して欲しいところである。

「長期間の重力制御と場所の移動は、魔法の中ではかなり高難易度なんだ。他人も含めてやるとなるとさらに難易度は倍ってところ。知ってたかい?」

「便利な魔法ですので、簡易な魔法には成りませんか?」

「研究者へ費用をふんだんに与えれば、もしかしたら」

「なら、難しいですね」

 今すぐ何か行動する体力が無いため、こんな風に世間話になる。

 次に動ける様になった時が、最後の行動になるだろうか。

「とりあえず、あなたの狙いは分かってきましたよ。偵察に出て来た戦力を削った後は、それぞれの出入り口を攻め、敵を消耗させる。そうする事で、盗賊団に、こちらの狙いは消耗戦だと思い込ませる。そうでしょう?」

 世間話にせよ、役に立ちそうな事を話したい。リハはそう考えたのだろう。話を盗賊退治へ戻してきた。

「奇襲って言うのは、思いも寄らない時にするから効果がある。レビレン率いる盗賊団は、自分達が追い詰められて、その一番の理由が消耗戦に引きずり込まれているからだと思っているんだ。他ならぬ僕たちの行動によって」

 実際、彼らを殲滅するなら、その方法が正しい。今でさえ、エレスト達側が有利に事を運べている。その状況を、まさかエレスト達から崩すとは、想像すら出来ないだろう。

「その隙を突いて、レビレン本人に奇襲を仕掛ける……それがあなたの作戦ですか」

「消耗戦が出来るのならこっちだってしたいんだけどねぇ。時間がさ……無い。もう二、三日早く辿り着けてればそれも選択できたんだろうけど」

 今日中に盗賊達を退治しなければ、国立騎士団が動き出してしまう。その予定日まではまだ日にちがあるものの、報告のため帰還する日程を考えればギリギリだ。

「レビレンを奇襲により仕留められたとして、盗賊団そのものが瓦解しますかね?」

 リハが心配そうに、眼下の景色を見やった。幾らか減らしたが、まだ半数にも届いていない、その数の盗賊達を。

「そこが一番の不安だった。彼らは組織として十分に出来上がっていない以上、トップを潰したところで、別の奴が置き換わるなんて事も可能かもしれない。だから事前に調べさせて貰ったんだよ。見張りから話を聞けただろう? あの話だ」

 エレストが事前に、危険を冒してまで盗賊を捕えたのは、盗賊団の内情、つまり最近の空気についてを聞き出すためだった。

 彼らの人数や、拠点の出入り口などの情報は、そのついででしかない。

「彼らは僕らが攻める前から、組織としてガタついている様だ。これは僕らにとって幸運だね。そうと知らずに倒したホワイトランド村の盗賊達。あの一件が、まさかのダメージを彼らに与えていたってわけさ」

 レビレン率いる盗賊団の方針は、ホワイトランド村など、マヨサ家の領内に寄生する事だったらしい。

 普通に荒っぽい事を続けていれば、すぐに討伐の兵が送り込まれてくる。それを恐れるレビレンは、どうやって盗賊団を維持する物資を調達するかを思案した。

 また、やはり権力者階級への恨みがあったのだろう。

 思いついた策が、彼らの領内にある村と手を組み、相互扶助の関係を作り出す。と言う事だった。

 自分達は盗賊という戦力を提供し、村側は盗賊団を維持する物資を提供する。そんな関係である。

 知られぬ内にそれを実行できれば、地方領主から権益を奪う事にも繋がる。元々は権力者層への恨みから集まった集団だ。その部分の意思統一はやり易かったはず。

「ホワイトランド村で、彼らは上手くやってたんだ。村長に成りたいと考える人間と手を組んで、前任の村長をその地位から降ろした。もしかしたら、その後には暗殺まがいの事までしたかもしれない」

 目を一度瞑る。そのまま寝入りたいという欲求に襲われるものの、それをなんとか振り払った。まだ何事も終わってはいない。疲れる事には慣れている。

「そうして手を組んだ以上、新任の村長は盗賊団とべったり。後は村の利益の幾らかを報酬として貰いつつ、新任村長への『援助』を続ければ、関係性はずっと維持できる……はずだった」

 彼らにとって一番の想定外は、エレストがその関係性を崩してしまった事であろう。

 エレストは怪しい噂が流れる村を調査する中で、ちょっかいを出されたから反撃したけでしかない。

 しかし、彼らが手を組んだ新任の村長の裏側が暴かれ、さらには村から盗賊団へ物資を運ぶ役目も担っている、ホワイトランド村に滞在させていた手下を撃退された。

 ホワイトランド村の情報はまだ完全には入って来ていないだろうが、物資供給が絶たれているのは痛手のはずだ。

 実際、盗賊団内での不満が発生しつつある。捕えた盗賊達から話を聞いていると、それを感じられたのだ。

「結局、レビレンの方針は浅知恵だったということになりますか」

「だねぇ。僕がやってなくても、遅かれ早かれ、調査の手は入ってただろうし。マヨサ家の行政能力を舐めちゃあいけない。だからこそ、レビレンへの不満と、そもそも盗賊団という組織への不信が広がってる」

 今ですら、トップであるレビレンが、なんとか組織を維持している状態だろう。そこでレビレン本人を排除できれば、残りの盗賊達は散り散りになると予想できた。

 誰も彼もが、徒党を組む事の悪さを実感しているのだから。

「奇襲狙いの考えは理解できました。それに妥当性があるのも。今の時点で、この断崖から敵が降りてくるなんて、盗賊達は予想していないでしょう。奇襲にも成り得ると私も思います」

 リハから肯定の言葉が返ってくる。今のところ、異論らしき異論も無いらしく、表情を見れば、むしろ乗り気に見えた。

「後はここから降りるための手立てですが、エレスト殿の魔法でそれは可能……ですよね?」

「それくらいの余力を残してなきゃ、この作戦を考えないよ。重力に従う分、登るより降りる魔法の方が楽なんだ……けど」

「けど?」

 不安気にこちらの顔を覗き込んでくるリハ。エレストの疲労度を心配しているのだと思われる。

 実際、エレストは疲労していた。肉体的にも、余計な事を考えなければならないと言う精神的にも。

「この作戦……君は賛成なのかい?」

「ええ。別に……何も問題点が無さそうですが」

「そっか」

 溜息を吐いた。どうせ下側には聞こえないから我慢もしない。そうして、そのまま地面に胡坐を掻く。

 何も無ければ、このまま奇襲を仕掛けても構わなかったが、もう少し、話を続ける必要がありそうだった。世間話では無い方の話を。

「……何を隠してる?」

 座ったまま、まだ立っているリハを下から睨む。

 彼女はエレストを理解できない。そんな表情を浮かべていた。そういう演技だ。

「は? 何を……」

「恍けるなよ。何でさっきの作戦に賛成する? 国立騎士団はそもそも、この盗賊団をすべて殲滅するつもりだ。そうでなきゃおかしい。そうだろう?」

 彼女ら……国立騎士団の行動を考える。少なくとも表向きのものをだ。

「君らはあの盗賊団がマヨサ家の領内に入るまで、ずっと見逃して来た。それは国に反感を覚えている連中を集め、纏めて叩くのが目的だったからだろう? なら、ここでトップだけを潰して、あとは散り散りになんて結末を望むか?」

 それは国立騎士団の望む状況ではないはずだ。

 彼女が建前としていた、マヨサ家との関係性を尊重して、前もってエレストが盗賊を潰せば万事解決と言う話にしたって、これまでの国立騎士団の苦労が水の泡となるのであれば、提案にも賛成しないはずなのだ。

「……」

「僕の作戦に乗った以上、レビレンさえ倒せればそれで良いって言う別の理由がある。そう思うのが自然じゃないかな? もしそうじゃあないって言うのなら、弁明でも聞こうか。まだ……話を続ける時間はある。多分ね」

 手に持った杖を握り直す。強く、何時でも動かせる様な形に。何と言う理由は無い。ただ、目はじろりとリハだけを見ていた。

「話を……しましょうか」

 横にリハが座った。どうにも怯えさせてしまったらしく、またしても頬に冷や汗が見受けられた。短い付き合いでしかないが、この焦りの表情を良く見る。

 彼女は表情をこそ崩さないが、内心を抑え付ける術はまだ知らないらしい。手も若干震えている。

 そんなになる程でも無いだろう? こちらはただ、少しばかり女性との会話を続けたいのだと告げただけだ。

「君らの狙いは間違いなくレビレンだ。だが、暫く泳がしていた。それは何故だ?」

「以前に説明した、同じ思想を持つ人間を集めるまで待つ……という理由は確かにありました」

「けど、それだけじゃあない。この状況は、それが最優先じゃあないって事の証明になる」

 リハは慎重に頷いた。恐らく、こちらが気づかなければずっと話さなかったであろう別の話があるのだ。

 それは国立騎士団にとって、もっとも重要なものなのだろう。

「彼は……前大戦の最終盤において、ある道具の実験を行う作戦に参加していました」

「はっきり言おうじゃないか。そんな時期にする実験なんて、兵器に決まってる。その頃になれば、大勢はフォース大陸の勝利が見え始めていた。だからこそ、開発はされたが実際に使われていない兵器を戦場で使うなんて事もしていた」

 もしかしたら戦争は暫く起こらないかもしれない。戦争用の兵器をせっかく開発したのに、使わないのはもったいない。そんな考えがあったはずだ。

 当時、エレストの耳にも幾つかそんな話が入ってきていた。

「人道的な観点から、などと言う話はする必要は無さそうですね」

「だいたい、非人道的な実験をしたがるのは魔法使いあたりだ。魔法使いっていうのは研究者気質だからね。他人事じゃあないんだよ。僕だって、かつては非人道的な事をまったくしなかったわけじゃあない」

「話には聞き及んでいます……ですが、今回の話にとって重要なのが、その作戦は失敗に終わったと言う点でして」

 単純な失敗ではあるまい。でなければ、今になって問題になるほど、後を引く事も無いからだ。

 そうして、そんな話を、エレストは昔聞いた事がある気がした。

「思い出したぞ。確か当時……兵士の根本的戦力向上を目指した新技術開発だ何だと話が回って来た事がある」

「でしょうね。魔法が関わる話ですから、あなたの耳に入らないわけがない。いえ、戦場のあらゆる事が……かもしれませんね」

 リハの言葉は肯定しない。エレストにとって、その昔話は既に関係の無い話なのだから。肯定と否定、どちらの反応をしたところで、おかしな話になってしまう。

「とりあえず実験の際は、魔法使いの人員を欲しがっていた……それだけの話だろうさ。そこで僕が本格的に関わらなかったところを考えるに、乗れない内容だったと言う事でもあるね」

「実際、杜撰な管理と状況だった様で、実験対象とされた兵器は未使用のまま、使われもせず、しかも作戦後に紛失すると言う顛末までありました」

「なるほど、その紛失したはずの兵器を、何故かレビレンが持っていたと」

 レビレンをこれまで見逃していた理由も分かった。恐らく、その兵器をレビレンは隠し持っていたのだろう。

 その兵器を利用して、国を脅すか自らの資金源とするか……何にせよ、レビレン本人は利用できるものと考えているのだろう。

 一方で国立騎士団は、その兵器の場所が正確に判明するまで、レビレンを放置していたはずだ。

 今回、国立騎士団が重い腰を上げたということは、レビレン本人が、それを持ち歩いているという確証があったからだと思われる。

「レビレンは、手下が増えるに従って、各地を動き回る様になりました。大所帯を維持できるだけの狩場となると、中々に少ないですからね。そうして、大切なものは自らで持ち歩く様になりました。ならば、あとは捕えさえすれば、我々が兵器を持ち帰る事もできる」

「遠回しな話は止めよう。その兵器っていうのは何だ?」

「……人を、ゴーレムにするという魔法についてご存知ですか?」

 その返答を聞いた瞬間、エレストは即座に立ち上がった。世間話をする時間が無くなったからだ。

「……なんで最初から黙っていた? 僕を誘ったのも、僕がその手の魔法とやり合えるだけの能力を持っているからだろう?」

 怒鳴りこそしないが、語気を強める。大事な話だった。作戦の成否に十分関わっている。

「で、ですから、例え話をすべて明かさなくても、あなたなら有事の際も対処できるかとの考えが―――

「いや、やり方を間違えた。くそっ。事前に知っていたなら、もっと違う手を取っていたのに」

 慌ててリハの方も立ち上がり、エレストを焦り顔で見ている。彼女は魔法についての知識があまり無い。そのせいで、間違った選択をしてしまっていた。

 結果、エレスト自身もやり方を間違えている。今はその最中だった。

「あれは人の肉体を強化するが、精神の方も変質させる。そういう魔法だ。そのくせに、いざという時には使いたくなるくらいの魅力があるんだ」

「知っているのですか? 戦争当時ですら、まだ開発されたばかりの技術ですよ?」

「ああ知ってる。君の言ってる段階の幾らか前の技術で作られた物を見た事がある。あれからどれほど技術が進んだか知れないが、時期的にそれほどの発展はしてないだろう」

 立ち上がった後は歩き出す。時間が無い以上、これから早急に、レビレンへの奇襲を行わなければならなくなった。

 まだ、異変が起こっていない様に見えるが、それも時間の問題だ。

「追い詰められればレビレンは使うぞ。君らの追っている兵器をだ。けれど作戦の段階で、彼の立場を僕らは追い詰めてしまっている。あれが一度発動してしまえば、盗賊を相手にするよりも、もっと厄介に―――

 本当に、話している暇すら無かった。眼下にある盗賊達の拠点に、破壊音が響き渡ったのだ。

「人が……破壊された……?」

 リハの言葉はそのままの意味である。動き回る盗賊達の内の一人が、体の原型を留めぬ程に破壊され、吹き飛ばされる音。それが鳴り響いたのである。

 その盗賊がいたであろう元の場所には、全身が金属らしき質感の何かに覆われた、人型のそれが立っていた。

「始まった……どうする? くそっ」

 化け物退治の予定なんて無かった。正直、戦えるかどうかも怪しい。万全の状態であったとしても、戦闘のセンスが鈍った今では、どれほどの事ができるか。

「あれは……どれほどの事ができるのです?」

「国立騎士団が血眼になって探す程に、とんでも無い代物だ。だけど、今はやらないわけには行かない。放置すれば領地への害が盗賊なんかの比じゃなくなるだろう」

 エレストは魔力を放つ。これから地獄みたいな場所になるであろう盗賊団の本拠地へ、それでもそこに降り立つための魔法を使うために。




 レビレンはそれを使う決断をしてしまった。その事を今は後悔している。

 どうやら自分は、また選択肢を間違えてしまったようだ。

 正直なところ、あの兵器……戦争末期に完成し、しかし日の目を見る事が無かったその道具に、レビレンは魅せられていた。

 実地試験の際に、その兵器の予測効果が説明されたが、その内容を聞いた時、自分にもその兵器が使えたらと強く思ったものだ。

 あれは個人を強くした上で、集団をも強くする、まさに魔法の力を秘めていた。

 既に戦争は終わり始めていたが、もし、もっと早く投入されていれば、外大陸からの連中などに、国を攻められる事も無かったのではないかとすら思ったのだ。

 もし、もっと早くあの力があれば、自分の生まれ故郷は焼かれずに済んだのではないかと。

 だが、その試験は中途半端に終わった。場所と時間は用意できたが、そこで賊の襲撃を受けたのである。

 敵兵が来ない後方だと油断した結果、食い詰めて見境が無くなった輩に襲われた。

 暫しの混乱が続いたものの、戦力がまず違うので、最終的にはレビレン達側が勝利できた。

 が、その一時の混乱が、さらに大きな騒動を生んでしまった。肝心の兵器が紛失してしまったのである。

 慌てて捜索する同僚や上司達。そんな中で、レビレンだけが酷く緊張していた。

 その兵器を、まさか……隙を見て、自分が隠したなんて、そんな状況に緊張しない方がおかしいだろう。

「あ、あれは……良いものに思えたんだ……そうだ。とても良いもののはずだったのに。なんで……」

 レビレンは腰を抜かし、地面に尻を付けた状態から、目に映る光景を見ていた。

 その景色に怯え、全身が震えている。

 今まで、自分を守る場所であったはずの拠点は、血と骨と呻き声に満ちているのだ。そのすべては、レビレンの手下たちによって構成されていた。

 体を歪ませ、折り曲げ、千切られ、そんな中でも生きている者が、助けを求めるか、痛みに絶叫している。彼らから流れる血液が地を染めて、レビレンの視界を赤くしている。

 この景色を作ったのも、やはりレビレンの手下だった。

「し、知るわけが無いだろう……こんなっ……こうなるなんて。一度だって……使った事は無かったんだっ」

 掠れた声が口元から漏れる。

 レビレンはただ、状況を打開しようとしただけなのだ。何者かに追い詰められている盗賊団。その何者かは狡猾に見えたから、相応の戦力を用意しようとした。

 テントの内部に手下一人を呼び出し、奥の手であった例の兵器をその手下に使う。ただ、それだけ。

 手下はそれが何であるか分からなかった事だろう。手に収まる黒ずんだ金属の球。ずしりと重いその球体は、妙な模様が刻まれているだけの球でしか無いのだから。。

 それの使用方法は簡単だ。誰かが手に持ち、誰かの胸部へ近づける。そうして手に持った者がその球体の発動を願うのだ。

 それだけで、球体は光を放つ。実際、レビレンが手下の一人を相手にそれを行った際、球体から強烈な青い光が発生した。

 あまりにも眩しく、レビレンは目を閉じた。目蓋の向こうで光が収まり、レビレンが目を開く頃には、それは終わっている。

 すぐ前にいたはずの手下は、全身が球体と同じ黒一色の金属で覆われており、胸部には先ほどの球体がすっぽりと収まっていた。

 まるで体にぴったりの全身鎧を着込んだ様な姿。頭部もまた金属に覆われ、その形は狼の顔の様な意匠が見て取れた。

 成功した。そう思った。あの金属球は他者をゴーレムにする。戦闘用のゴーレムだ。

 対象となったものは強靭な、生身とは比較にならぬ力を手に入れ、その戦力を強化できる。

 戦闘用ゴーレム化により、兵士個人をそのまま強化し、軍団そのものの戦力を底上げする。そのための兵器があの金属球だった。

 それが成功した。手下はゴーレム化した体を手に入れ、その力を増した。

 その力でもって、敵を排除できればレビレンの勝ちだ。そのはずだったのに……ゴーレム化した手下は手始めに、近くにいた別の人間を捻り殺し始めたのだ。

「あっ……あぁ……」

 恐怖にレビレンの体全体が竦む。動く者。生きている者を、あれは尽く蹂躙していった。

 一人二人。最初は数えていたと思うが、何時しか、ただ目の前に繰り広げられる光景に、レビレンは唖然とするだけになっていた。

 血で汚れたこの場所で、レビレンが作り出してしまった化け物が吠えている。音は無い。だが、血に染まるその金属の体を広げ、天に向かって、確かに何かを吠えている。

 何故、自分は生かされているのだろう。分からない。もしかしたらあの化け物は、最後の獲物となったレビレンをじっくりと追い詰めるつもりなのか。そう思えてならない。

「使用者側への敵対行為はさすがに防止されてるか……まったく。変なところだけきちんと作って、肝心の制御ができないってのはどういうことだ?」

「へっ……?」

 近くで、自分でも化け物でも無い声が聞こえた。

 我知らず、レビレンはその声の方を向く。声の主はすぐそばに立っていた。いつの間にか、レビレンの隣に立っている。

「あ、あんた……」

 レビレンはその人物……その男の顔を見た。自分の手下では無い。疲れた顔をした三十代くらいの男。

 寝癖の目立つ薄い茶色の髪を掻きながら、その男は化け物を睨んでいる。

「あ、あんた……は……」

「レビレンだな? お前を捕えるのも仕事の内なんだが、それより先にあれの相手をしなきゃならない。だからそこでじっとしてろ」

 男は化け物を睨んだまま、レビレンへ話し掛けてきた。その声で……その容貌で、レビレンは気づいた。どうやら自分は幻覚を見ているらしい。

 どこからだろう。あの化け物を作った段階でか、それとも盗賊団を作った時からか……それとも、自分はあの戦争のどこかで死んでいて、今は長い走馬灯でも見ているのか。

 どんな理由があっても、目の前にこの男がいるはずない。どれだけの可能性が積み重なったとしても、目の前の男がこんな場所に存在するはずが無いのだ。

「あ、あんた……あんたの事を知ってるぞ! 国立騎士団の……団長だ! あの戦争で……敵の尽くを葬った……あの!」

「前とか元を付けろよ。今は違う」

 強い衝撃を後頭部に受けた。レビレンが憶えているのはそこまでだ。その衝撃の瞬間、視界が真っ黒に染まり、レビレンの意識は消し飛んでしまったのだから。




 とりあえず後頭部を杖で打ったレビレンが、そのまま地面へ転がる。そんな彼からすぐに意識を外したエレストは、目の前のゴーレムを警戒し始めた。

 人の身体を強化する……それだけを求められた魔法。球体状の金属に魔法陣を刻み込み、発動させればどんな人間の魔力にも反応して、対象の身体を金属で覆う。

 肉体そのものも強化され、膂力、反射神経が常人の比では無い程に強力となる。

 もし、数を用意でき、それらを兵士の力として扱わせる事が出来たのなら、戦場を一変させるだろう。それほどの価値を秘めたものだった。

 ただ、当たり前の話として、そんな都合の良いものが、すべて上手く出来上がるわけもなかった。

「どういうことです? これは……明らかに人の所業ではありませんよ?」

 この場の風景に戸惑っていたリハが、漸くエレストに追いついて来た。彼女の戦力はアテにしたいため、戸惑い続けることはせず、ちゃんと来てくれて幸いだった。

「あれこそ、あの化け物が有用そうに見える癖に、なかなか実用化されなかった理由さ。この惨状を作り出す危険性が常にある。肉体を強化させるに従って、精神も変質する。より凶暴に、暴力的に。獣のそれになるんだろう」

 技術試験の段階ですら、怪我人や死傷者を出した。それが人体のゴーレム化という魔法の正体だ。

 まさか実用化にまでこぎつける状態となっていた事には驚きだが、それにしたって、この様子を見れば失敗していたのだろう。肝心の部分が改善されていない。

「肉体と精神は、きっと不可分なんだ。どちらかが変わればどちらかも変わる。体だけ鍛えようったって、そう都合の良い話はないさ」

 その肉体の強化により、心が破壊的な獣へと変化したゴーレムであるが、漸く、エレスト達を視認したらしい。

 動くものの大半を破壊したこのゴーレムは、内に溢れる力の、次なる目標を見つけたとばかりに足を曲げ、その後、地を蹴った。

「くるぞ! 体の一部でも触れられたら終わりだ!」

 リハと同時にその場を、それぞれ正反対の横側へと飛ぶ。まだゴーレムが動く前に既にそうしていたのだ。でなければ、ゴーレムの瞬発力に追いつけない。

 実際、エレストたちが立っていた場所へ、ゴーレムは土煙を上げながらその腕を振り降ろしていた。たった数瞬の間にだ。

 虚空に腕を振るっているだけの行為であるが、空気そのものが震えるのを感じる。それだけの威力があるのだ。

(だが、恐ろしいのはそこだけじゃあない……!)

 ゴーレムはエレストの方を見た。狙いはリハでは無くこちらにしたらしい。それは不運であるが、運が良いとも言えた。

(いまから、こいつとの戦い方の見本を見せないとならない……!)

 リハはこのゴーレムについての知識が無い。このゴーレム恐ろしさを実感するまでは、戦えば彼女の敗北へ繋がるだろう。

 だから、ゴーレムの性能をエレストが見せつけなければならない。自らの戦いの中で。

(こいつの恐ろしさは、常人を遥かに超えた瞬発力だ!)

 エレストはゴーレムがこちらを見た瞬間に、杖の先端で地面を突いた。横っ飛びの軌道を、それでさらに体ごと捻じ曲げる。そんな行動をした瞬間に、エレストがつい先ほどまでにいた場所を、ゴーレムの体が通り過ぎて行った。

 あまりにも早い。相手の動きに合わせてこちらが動き始めていれば、すぐにその暴力の餌食になってしまう。

(こいつとの戦いの基本は、先読みの戦いだ。相手の行動すべてを予測し続け、先んじて行動できなければ、追いつかれる!)

 相手の唯一の短所として、精神が変質した結果、その動作が単純化するというものがある。

 それだけがエレストにとっての頼みの綱だ。単純化した戦闘は、その動きを予想しやすい。

(それでも辛うじてでしかないよなっ)

 エレストは突進したゴーレムが振り返る姿を見た。

 相手の体全体の動きから、振り返る勢いで近づき、振り被った腕でエレストの体を薙ぎ払うつもりだろう事を予想する。

 その先見を持ちつつも、エレストは精神を集中させる。そうして魔力を放った。

 戦闘行動を続けながら、それでも精神を酷使する魔法をも行使しなければならない。それが今の戦いだ。

 だが、大それた魔法は使えない。それほどの集中力を維持したまま戦闘を続けるのは、今のエレストには不可能である。

 そもそも、ゴーレムの肉体は耐久度も相当に上がっているため、生半可な魔法では通じない。だから……。

(魔法を使う対象は自分自身にだ……!)

 地面に着いた片足。それですぐさま地面を蹴る。バランスが悪く、力も込められない姿勢でのそれは、大した移動力をエレストに与えてくれない。

 そのはずだったが、迫りくるゴーレムから三、四歩ほどの距離を開ける形で、エレストの体を運んでくれた。

(なんとか発動したな……)

 体重を一時的に軽くする魔法。数十秒か持続してエレストを包むその魔法であるが、エレストの身体能力はそのままであるため、微かな力でもエレストを違う場所へ運んでくれる。

 こうなった時の戦い方のコツは、体のどこかの部分を、常に地面へ接地させておくことだ。そうすることで、そこを起点とし、複雑な軌道で体を運び回す事が出来た。

(数十秒の時間稼ぎってところかな)

 ゴーレムはすぐに迫る。突進と振りかぶりという単純で無駄の多い動きを、異常な速さで行ってくる。

 それをエレストは先読みと複雑な体の動きで回避し続けるのだ。

 迫りくる腕を、足の先を使って体を回転させる事で避ける。踏みつけようとしてくる足を、左手の小指で体を引っ張りやはり避ける。

 それが出来るのも、魔法の効果時間のみ。その効果が切れる前に、次なる手を考えなければならない。

(なんて難題だよ……くそっ)

 敵は単純な単細胞な動きであるが、それでもひたすらに脅威だった。

 この完成度なら、敵陣の真ん中で使わせるなんて方法で、戦術的な兵器として運用できるのではなどと考える。

(いや、そもそも敵のど真ん中に物騒なものを持って辿り着ける力の方が貴重かなっ)

 そんな馬鹿らしい考えの最中とて、エレストは敵の行動を先読みし続けた。

 あと効果の時間は十秒ほどか。次の攻撃を避けた後に魔法は切れる。

 さてどうしようかと思考を働かせた瞬間……迫るゴーレムの右腕が突然止まる。あって欲しく無い異変。エレストは視界の端にその動きの理由を捉えていた。

(フェイント!?)

 回す右腕の勢いを無理矢理止めた勢いで、左腕の方が逆方向に回っていた。そのまま体ごと半回転して、エレストがぶつかる軌道へと。

 予想外……いや、それくらい獣程度でも出来るフェイントだと予想しておくべきだった。戦いの場における微かな油断。それは残酷なほどに鋭く、命へと届きうる。

(鈍っていたか―――

 自らの失態を認め、その命が消えるのを待とうと考えるその前に、エレストは服の襟首を掴まれ、地面へと引きずり倒されていた。

 そしてそのまま引きずられつつゴーレムから離れる。エレストがやった事ではない。リハの援護だ。

「予想より動き出すのが早いじゃないか」

「今は軽口を叩く状況ではないでしょう?」

 リハにより引きずられて移動するエレスト。軽減した体重だからこそ、リハも腕一本で運べている。だが、もう既にゴーレムは次なる行動を開始しようとしていた。

 突如として現れたリハと、自分の攻撃から抜け出したエレストに戸惑っている様子だが、それでも、こちらを睨みつけている。

 リハはエレストの様な戦い方はできないだろう。エレストの方は、そろそろ魔法が切れる。

 実際、リハは既にエレストを引きずるのを止めている。尻餅を突いた状態のエレストが立ち上がる前に、ゴーレムは次の行動を開始するはずだ。

 つまり、このままでは容易く餌食になってしまう。そんな予想ができるからこそ、エレストはゴーレムへと手の平を向け、次の魔法を放った。

「ちょっとそこでじっとしてろっ」

 瞬間、ゴーレムの両足が地面へと埋まった。今度は体重が重くなる魔法である。

 先ほど、エレストが自らに掛けた魔法とは正逆の方向性を持つ魔法だ。

 魔法には、片方の魔法が切れるタイミングで真逆の効果を発揮する物を使用すれば、勢いが余ると言えば良いのか、より強く効果が発生するという特性があった。

 故に、他の魔法よりも容易く発動してくれる。今度は自分に掛けるのではなく、相手側へという違いはあるものの。

「今度の効果も、そう長くもたない。動きを完全に止める程の効果も発揮できなかった」

 ゴーレムは埋もれた足を地面から抜き、こちらへ向かおうとして、やはりまた地面へと埋まると言った動作を繰り返していた。

 徐々にではあるが、こちらへと近づいている。

「必要なのは火力です。あれを仕留められるだけの火力が私にはない」

「僕にはある。今、その魔法を使おうと集中しているんだけど……」

 息が荒れている。それ以上に集中力も切れ始めていた。

 戦闘行動に、その最中の魔法行使。この場所に来るまでにも散々に体を酷使している。それらの結果、肉体的、精神的な疲労が表面化してしまったのだ。

 魔法における火力はそれに注げる集中力と魔力量に比例する。

 まだ、時間さえあれば用意できるそれらであるが、一瞬一瞬が命を掠めるこの場においては、あまりに長い時間だった。

(ったく。本当に訛ってるな。息切れなんて何年ぶりだ?)

 昔を思い出して感覚を取り戻そうとしていたと言うのに、昔の様に動き過ぎた。頭の中ならともかく、体は過去の鍛錬の事なんてすぐに忘れてしまう。

「あれが魔法により足止めされている時間と足して、私が時間稼ぎをすれば、まだその火力のある魔法は使えますか?」

「時間稼ぎ……できるか?」

「さっき、あれとの戦い方は見せていただけましたから」

 リハの顔を見る。もしかしたら、幾ばくかの後に、ゴーレムにより体ごと潰されるかもしれないその顔を。

 しかし今は綺麗なままであり、また、覚悟の色が見えた。

「君が魔法を使えない以上、僕とまったく同じやり方はできない」

「ですから、私なりに」

 リハが腰に差した鞘から、剣を抜き放つ。国立騎士団統一規格の剣であり、酷く単純なデザインだが、実用性は十分。異常な程の頑丈さが売りだそうだ。

「今掛かっている魔法が切れてから三十秒だ。それだけ稼いでくれ」

「……予想するに、二秒ほど余裕がありますね」

 軽口を叩いている場合かと、先ほど言ったのは誰だろうか。

(重苦しい言葉より随分マシさ。そうだろう?)

 エレストはその場で立ちあがり、こちらへの接近に手こずっているゴーレムを見据える。

 また、心の中では強気に、それでいて心を鎮めようとしていた。肺がもっと息をしろとせがむが、荒い呼吸すらも集中には邪魔なので我慢する。

 魔力を高め、それを操り、さらに強大な魔法を編み出す。魔法使いの本懐だ。

 本来はこうやって戦うのが魔法使いの王道なのである。前に戦士、後ろに魔法使い。戦士が魔法使いを守り、魔法使いが致命的な一撃を敵に加える。

 今はそれを行う時だ。ゴーレムを足止めしている魔法が切れるまであと十秒か。

「九、八、七……」

 タイミングは自分にしか分からない。だからそれだけをリハに伝える。

 他の思考はすべて魔法を発動させるために。敵から逃げる事も、敵を避ける事も考えない。それらをすべてリハが肩代わりしてくれる。そう信じる。

 信用すると言うのは、裏切られる事を信じないということではない。

 ただ、命の幾らかを誰かに預ける。そういう行為の事だ。リハが成功するかしないかは問題にすらならない。

 彼女が失敗すれば、次はエレストが命を失う。それだけの事だと断じる。

「三、二、一、今だ!」

 エレストが数えるのを終わらせたその瞬間。二つの影が跳んだ。片方はゴーレム。片方はリハが手に持った剣である。

 リハはゴーレムに向けて剣を投げた。正確には、迫ろうとしていたゴーレムのすぐ前にである。

 ゴーレムにとっては、動く間際に、目の前に剣が突き刺さったのだ。本能と少しの思考能力しか残っていなさそうなゴーレムも、これには少しだけたじろぐ。

 その少しだけで、リハには十分だったらしい。若さもあるのだろう。純粋な瞬発力はエレストよりリハの方がある。

 一瞬の隙の中でリハはゴーレムへと近づき、地面へ刺さった剣を抜く。その勢いで下から上へとゴーレムに剣を当てようとするが……。

「……っ!」

 その剣をゴーレムは手で容易く受け止める。確かにリハの動きは玄人かつ才気溢れるものであった。が、それでもゴーレムの反射神経には及ばない。

 ゴーレムにしてみれば、ただ迫ってくるだけの物を手で止めた。その程度の動作でしかないのだろう。

 刃はあの金属の外皮には通じぬし、リハの腕力ではダメージを響かせることすらできない。

 だが、それはリハの方も承知しているはず。

(上手いな……)

 魔法のために集中しながらも、リハの動きを目で追う。リハはゴーレムに掴まれた剣を、そのまま放したのだ。

 まるでゴーレムに剣を手渡す様に、それでいて、自らにその衝撃が伝わらぬ様に心掛けていた。

 ゴーレムは剣を受け、放り捨てる動作だけで、ほんの数瞬だけまた隙を作った。その隙に、リハはゴーレムの攻撃をさらに回避できる位置へと移動する。

 ゴーレムはリハを狙い、再度腕を振るうものの、既にリハは安全圏にいる。ゴーレムの腕の破壊的な軌道の下側に、姿勢を屈めていたのだ。

 最初からそのつもりで移動していたのだから、その行動事態は容易い。

 だが、リハの動きの素晴らしさは、その回避の行動にプラスして、次の回避の行動を入れ込むところにある。

 姿勢を低くしての回避は、次にリハを前方へ回転させる。移動するのはゴーレムの開いた足の間であり、それを通り過ぎ、さらには剣を拾ってから、ゴーレムの背後へと回るというのを、ほぼワンアクションで行っていた。

 次に彼女は、ゴーレムが振り返るその瞬間に合わせて、動きの支点となっているゴーレムの足を剣で叩きつつ立ち上がる。

 バランスを崩す程までにはならなかったゴーレムであるが、微妙に姿勢を崩されて、リハを捉えきれないでいる。

 まるで体に張り付いたまま、静電気で取れないちり紙の様。常に対象の近くに位置取り、しかしその手から逃れ続ける。

 剥がされようとすれば、また別の場所へ張り付き、敵を苛立たせて行く。

(もっと上手い言い方は……舞い飛ぶ蝶……みたいな?)

 冗談すら浮かんでくる程に、リハの動きは見事だった。人間技のそれでは無いと思える程に。

 実際、彼女は自身の限界を越えかねない動きをしているとエレストは予想する。

 彼女自身が言った通り、三十秒の時間稼ぎを全うするために、そのすべてを賭けていた。三十秒で、どう足掻いても自分が倒れる。そんな限界に、彼女は近づき続けるのだ。

(……なら、答えなければならない)

 彼女や彼女の属する組織に思うところがあろうと、例え自分の立場に不満があろうと。今はそんな事は関係ない。

 目の前に、自分の頼みを聞いた相手がいた。その相手はその事に全力を尽くしている。答えなければ嘘になるのだ。

 何がではない。自分の中の何かが全部嘘になる。

(それにしたって、良くある事ではあるけどさっ)

 苦笑いすら浮かべたくなる苦い思い出が溢れそうになりながらも、その感情ですら魔法を集中させる糧とする。

 視線の先では動き続けるゴーレムとリハ。ゴーレムが自らの四肢を振り続け、それをリハが奇跡とすら言える紙一重で避け続ける。

 だが、そんな奇怪なダンスはもうすぐ終わる。リハの動きが、目に見えて悪くなってきていた。表情にはまだ焦りの顔が見えていないが、それが出た瞬間が終わりだ。

 何回目かの、ゴーレムが出鱈目に振るう腕。顎を反り、体も曲げてそれを避けるリハであったが、それが限界だ。

 リハは敵の攻撃を避け、さらに次の一撃を避けるための準備を同時に行うと言う形で、ゴーレムの速度に追い縋っていた。それだけがリハの動きであった。

 だが遂に、その次の準備を行えない状況がやってきた。体力とタイミングの限界。恐らく、次の一度を避けて、その次には終わる。リハの死は次の瞬間に決定づけられていた。

 だが、そこがゴールである事はこちらも同じだ。

「ああ、確かに二秒は余裕があったね」

 エレストは魔法を発動させた。次の一撃がリハへ届くその寸前に、エレストの杖から放たれた一条の青い雷光が、ゴーレムの黒い金属の身体に叩き付けられる。

 雷光はまるで質量を持っているかの様にゴーレムを吹き飛ばし、リハからゴーレムを引き離した。

 ゴーレムは数メートルほど飛んだ後、大きな音を立てながら回転し、動きが止まる頃には地面へと倒れる。

「……っ。間一髪……でしたか」

 息を乱す余裕が出て来たらしいリハ。こちらを振り向き、息も絶え絶えと言った様子だが、それでも二本の足で立っている。

 さすがにそこから歩くだけの体力は無いだろうと、エレストの方からリハの隣へと足を運ぶ。

「ギリギリではあった。どちらかが命を落としてもおかしくは―――

 ガサリと音が鳴る。ゴーレムが倒れている場所からだ。見れば、ゴーレムが地面から立ち上がろうとしていた。

 仰向けで倒れた状態から、足を曲げ、体を捻り、手でその体を持ち上げようとしている。

「っ……確実に仕留められる魔法だったのでは!?」

 リハは立ち上がろうとするゴーレムを見て、かなりの焦り顔を浮かべていた。

 辛うじての勝利から一転、まだ戦わねばならない。そんな状況になって、死を覚悟しているのかもしれない。

 疲労が重なった今となっては、ゴーレムに通用する手段はもう残されていない。もちろん、エレストにしたってそうだ。焦りもするだろう。

「当たれば倒せる……はずなんだけどねぇ」

 ゴーレムがよろよろと立ち上がる。先ほどのまでの素早さとは違う、ゆっくりとした動き。それに合わせて、リハも身構えていた。

 例え敗北が待っていたとしても、何もせずには終わらない。そんな決意を抱いたのかもしれない。しかし……。

「ちょっと、効果が表面化するまで、時間差があったみたいだ」

 エレストの言葉に合わせたかの様に、ゴーレムの全身が輝いた。

「な、なにが!?」

 輝きの原因は、ゴーレムの全身から発生した稲光だ。

 先ほど、エレスト放った魔法と同種の光。それがゴーレムの全身に走り、まるでゴーレムを食らい尽くすかの様に纏わりついているのである。

 ゴーレムはその全身に纏う雷に苦痛を感じるかの様に、身を悶えさせ始めた。

「さっきの魔法は、単なる雷撃の魔法じゃあない。ちょっと細工がしてあってね。相手の魔力に反応する」

「魔力……ですか?」

 ゴーレムを見つめているリハが、さらに尋ねてくる。

 肝心のゴーレムの方は、立ち上がったというのに、体に纏わりつく雷に再び敗北し、膝を折り、地面へと倒れようとしていた。

「そう。魔法の元になる力。それに外部から干渉すると言えば良いのか……元々は、敵が同じ魔法使いだった時に使うものなんだ。あんな風に、相手の魔力に反応して、その魔力を雷撃に変換していく。相手の魔力を消費させ、魔法を封じながら、さらにはダメージを与えることができって寸法さ」

「普通の人間は、そもそも最初の一撃で倒せると思いますが」

「まあ……そうなんだよね。過剰で余計な効果だから、開発はしたけど使い時が……いや、まあ、こういう時には使えるから良いんだよ。うん」

 ゴーレムは、魔法によってその形と力を得た存在である。

 対象の魔力を身体強化へと回し、常人を遥かに越えた力を与える。それはつまり、全身に魔力が巡っている様なものだ。

 体のどの部分に当たっても、先ほどの雷撃の効果が発生する。全身の魔力に反応し、その魔力が、今度は身体を痛めつける力となるのだ。

 万が一、それらすべてに耐えたとしても、あのゴーレムの行き着く先は決まっていた。

「あれはね。魔力に反応し続けるから、魔力が無くなるまでは続く。魔法の威力そのものに耐えたとしても、残るのは魔力を消費し尽くした状態だ」

 ゴーレムの体そのものを維持しているのは、ゴーレムとなった人間の魔力である。それを使い尽くす以上、ゴーレムの力は失われる。そのはずだった。

 だが、ゴーレムの変化はそれ以上に及ぶ。全身を包む雷がまるで蛇の様にゴーレムを包み込むや否や、ゴーレムの体が溶ける様に崩れ出したのだ。

 ゴーレムは対象の体を包み込む形で肉体を強化させる。ならば、魔力が失われていく今、生身の体が曝け出されると想像していた。

 だが、溶けて行くゴーレムの内側には何もない。

 ゴーレムを構成する何もかもが溶けて消えて行き、雷により光が完全に消える頃、そこには、人をゴーレム化させる金属球だけがゴロリと地面を転がっていた。

「これは……この球体は、人の意思によって人を強化するものだったのでは……?」

 ただ一つ残った金属球を見つめ、リハが呟く。

 答えが欲しいのだろう。この顛末の最後の答えを。

「そうだね……専門では無いから、予想しかできないわけだけど……熱っ」

 エレストは金属球を拾おうとするも、熱を持っているらしく、暫くは冷まさなければ持てたものでは無かった。

「君はこれと戦ってみて、どう感じた?」

 手に持った杖の先で金属球を転がしながら尋ねる。この場におけるすべての暴力を行使した化け物。それが今やこの球一つであった。

「その……単純にしか答えられませんが、尋常では無い強さだったと」

「それだよ。これによって強化されてたのはただの人間だ。ただの人間をそれほどの強さにする以上、人間一体をまるまる魔力にしてしまう必要があった……のかもしれない。もしかしたら、放置しても、何時かはこんな風に、魔力を使い尽くして、溶けて無くなる可能性だってあったわけだ」

 では、エレスト達がやった事は単なる無駄骨なのか。

 あえてそこまでは考えない。少なくとも、今の内から戦うべきだと思ったから挑んだわけであるし、そもそも、ゴーレムの活動時間がどれほどのものか、今でも分からない。

「何にせよ、とんだ欠陥兵器だ。こんなものは、さっさと国立騎士団に引き渡してしまうに限る。報告書には、きちんと危険物と書いておくように」

「は、はい。分かりました」

 ゴーレムを倒し、それを生み出す兵器を回収した事になるのだから、もう部下でもあるまいに。

 それでも律儀に返答するリハに、ちょっと間の抜けた印象を受けた。なかなかにギャップを感じる。

 こんな血みどろの場所においては、まだ少しばかり緊張しておくのが普通だろうとも思うが、エレストは彼女の上司では無いのだから、叱ったりなどしない。

「良し。じゃあとりあえず生き残り探しからだ。あまり期待できないけど、少なくとも、頭目はまだ生きてる。彼も連れて帰るとしたら、帰還の方が大変かもしれないね。けど、ここまでやった以上、任務報告が間に合いませんでしたじゃ事だ」

 残りの日程、やはり休まず進むしかないだろう。ソファーにでも深々と座り、旅の疲れを実感するのは、まだまだ先の事であった。




 その日は、屋敷から国立騎士団が出発する予定の日だった。それを知っていたからこそ、リンダは碌に眠れないままに、自分の部屋のベッドで瞬きをしている。

 どうにも朝が来ているらしい。しかし昨夜から、眠ったという実感は無い。

 夜に目を瞑り、ちょっとばかり考え事を続けていたら、次に目を開く時には朝になっていた。そんな感覚である。

 眠気は感じないし、疲労もそれほどでは無いため、休息にはなっていたはずだ。

 ただ、思考がずっと持続している。こんな眠りもあるのかと思いながら、リンダはベッドから背を上げた。

「特に……何か変わるわけでもありませんのね」

 一人呟く。今日は屋敷から国立騎士団が出て行く日だ。何度となく心の中で確認するそれは、間違いなく変化なのだが、マヨサ家の屋敷は特に変わらない。

 リンダは何時も通りに起き、顔を洗い、服を着替え、身嗜みを整える。

 終われば朝食の時間だ。朝は軽めのものを良しとするため、果物のジュースと山菜とパンが半個。それだけで昼までもつ。父と母に兄のうちの一人が一緒であったため、幾らか歓談もした。

 意外な事に、国立騎士団の話は出て来ない。今日、彼らが出て行くのは自分達の目で確認する事になるのだから、朝のちょっとした雑談まで話を持ち出したくない。そんな考えがあるのかもしれない。

 食事を終えて、侍従の一人に今日の予定を聞いていた頃、庭の方が騒がしくなった。丁度、国立騎士団のテントがある場所だ。

 いや、あったと言う方が正しい。今朝方には、出発のためにテントだって撤去されているのだから。

 そんな場所から、声は煩く無かったが、多くの人間が右往左往する音。それが確かに聞こえていた。

「何かあったのかしら?」

「その……何かあったのでしょう。はい」

 目の前の侍従に尋ねる。最近になって雇われた新人の侍従だ。若い女性―――と言ってもリンダより年上だ―――で、手伝いの腕や予定通りの行動にはミスが無いのだが、咄嗟の機転が効かないタイプ。

 その欠点部分に関しては慣れで改善していくため、特に注意などしなかったが、今の世間話の返し方はどうかと思う。

「ちょっと見て来てもよろしいかしら? すぐに戻りますわよ」

「あー……いえ……いや、はい。まだ、次の予定までは時間がありますので」

 侍従の葛藤を予想する。

 リンダを向かわせても大丈夫かどうか。自分はそれを判断できる立場にいるか? いや、けれど、リンダが国立騎士団員に近寄るのは、ここ最近、ずっとあった出来事であろう。だからまあ、大丈夫。そんな風に考えていたに違いない。

 侍従としては、あまり気の利いた判断とは言えない。ああいう連中とは付き合うものじゃあない。主人や目の上の人間に対して、そんな小言の一つくらい言えて一人前だ。

 ただ、今のリンダにとってはこれが幸いであり、さっさと国立騎士団がいる場所まで向かう事にした。

 屋敷を出て庭まで向かい、さらに忙しそうにしている国立騎士団員の内、比較的気弱そうなのを捕まえた。

「ちょっと、何を……ああ、お嬢様でしたか」

 捕まえた男は、ケイン・ウォーカーという騎士団員だ。

 彼もまた騎士団の中では新任であり、この集まりの中では雑用雑務を任されている立場なのだと言う。

 この一週間、ほぼ毎日、この場所へ足を運んでいたため、顔見知りになってしまっていた。

「ええっと……本日、屋敷を出立されると言うお話でしたけれど、どうにもそれとは違った様子でしたので、何事かと思いましたの」

「ああ、その件だけど、これが聞いて驚き。僕らの仕事が無くなってしまうかもしれないんだって」

 そんな軽く内情をバラしても大丈夫なのかと思ったが、リンダにとっては好都合であったため、特に注意もせずに話を続ける事にした。

「仕事が無くなる……盗賊退治の事ですわよね?」

「そう。その盗賊。今、騎士団員で僕の先輩のリハって人がチーフに報告している最中だけど、盗賊を倒して来たから、討伐員を送る必要はないし、それでも現場確認の何人かを送るべきだとかなんとかって話」

 リハ……確かにそう言った。リンダが顔を知っている騎士団員のリハであるならば、それはエレストに盗賊討伐の提案をした相手であるはず。

 と言うことは、彼女はエレストを連れて、盗賊を退治したと言うのか。

「その方と一緒に……男の方がいらっしゃいませんでした?」

「ああ、居たよ。男を一人連れてた。丁度一緒に、チーフのところにいるはず……あ、ちょっと」

 リンダはすぐにそのチーフ……ベイスン・チーフのところへ向かった。彼のテントも既に撤去されていたが、どうせ騎士団員の動きの中心にいる。

 そう考えて探せば、ベイスンの顔をすぐに見つけた。彼の前には一人の女性と一人の男性。女性の方は横顔が見えたため、リハだと分かる。もう一方の男については、背中を向けているため良く見えない。

「ちょっとちょっと。待ってって。あー、もう、今は大事な話すの最中なんだよ」

 と、ケインに肩を掴まれた。これ以上は近づけない。だけど、もう一人の男の方。エレストには、話したい事が幾らでもあるのだ。

 あなたはいったいどういう人なの? どうして、国立騎士団からもその力を認められているの? そんな疑問をぶつけたくて、リンダはつい叫んでいた。

「エレスト!」

 その声に反応して、リンダが見つめる男が振り向く。

 ちなみに、その振り向いた顔は、見ず知らずの男だった。後で聞いた話では、レビレンと言う名前らしく、リハが捕まえた盗賊の頭目なのだそうだ。




「まったく! エレストったら!」

 ホワイトランド村からマヨサ家邸へと戻ったエレスト。そんな彼を待ち受けていたのは、リンダ・マヨサの怒鳴り声だった。

 玄関口。漸く一心地吐けると言ったタイミングでの、言葉による奇襲であったため、かなり驚かされた。

「なんだいリンダ。淑女が叫ぶなんてはしたないんじゃないかな?」

 リンダの様子からして、話が長引きそうだった。

 なので、玄関を入って近くにある椅子に座る。広い屋敷であるためか、ちょっとした場所に椅子が用意されているのだ。

「なんだ、じゃありませんわっ。まったくもう……わたくしがどれだけの勘違いをして、どれだけの恥を覚えたか、あなたにどれだけ言いたいかご存知!?」

 椅子の近くまでリンダは詰め寄ってくる。それを手の仕草で押しとどめつつ、リンダと視線を合わせた。丁度の目の前に彼女の顔がある。身長の差で、座っていたら丁度良い視線の高さになるのだ。

「おーけー、何かをとても話したいって言うのは分かった。なら、とりあえず話を聞こうか。こっちじゃあ色々あったみたいだけどさ」

「色々も色々ですわ! 盗賊が退治された話については聞き及んでいますの?」

「あー、なんかそんな感じらしいね。聞いてる聞いてる。やったのは国立騎士団の人たち? それとも別の?」

「あのリハという女性団員の方らしいですわ。けど、騎士団の正式が動きではないから、マヨサ家の外聞は傷つかないという話で……って、そういう事ではありませんのよっ!」

 ちょっと違う話らしかった。詳しく聞いてみると、マヨサ家の庭で、国立騎士団がテントを張ったらしく、リンダはそこで騎士団員達と色々話をしたとの事。

「なんていうか、行動的だね、リンダ。危うきをちゃんと知っていれば、その行動力は良い点だと言えるよ?」

「そういうことではなく! わたくし、騎士団員の方々から話を聞いている中で、てっきり、エレストが盗賊退治に出かけたと思ってしまいましたのっ。とてもとても心配したんですのよっ」

「ふぅん。そういう感じの事を話した……国立騎士団のベイスン・チーフだっけ? 彼とは多分知り合いかもだけど、印象が薄いなぁ。あれじゃない? なんか向こうが勘違いしてるとか。もしくは、魔法使いって立場を過大評価している」

「どうにもそうらしいですわね……」

 子どもに似つかわしく無い、疲れた顔を浮かべるリンダ。そんな表情を見ながら、エレストは少しばかりゾッとしていた。

 彼女はどうにも、エレストの立場について、エレストが想像する以上に近づいていた様なのだ。

 エレストの過去を探り、さらには盗賊退治の事まで辿り着こうとしていたと言う事。

(一応、念のために一芝居打っといて良かったよ)

 芝居とは即ち、盗賊退治の実行役をリハ一人に押し付けた事である。

 帰還の道中、騎士団への報告と盗賊団頭目であるレビレンの護送はリハに任せ、エレストは途中でホワイトランド村へと向かったのだ。

 そうして国立騎士団が去ったタイミングでエレストが帰ってくる。これで表向きは、エレストと国立騎士団は無関係という事になるはずだ。

 実際、そういう認識にリンダもなってくれたらしい。

「リンダ。良く考える事だ。僕が盗賊退治だって? それも何十人もいる武装した集団を? とんでもない。普段から折れそうとか、か細いとか、そういう評価を君からされている僕がだよ?」

「うう……言われてみれば、確かにその通りですわ。やっぱり、普段の違う状況になると、わたくし、ちょっと混乱してしまうみたい」

 前途有望な若者を騙す事は気が引けるが、それはそれとして、自分の保身を考えなければならない。

 特に目の前の少女には、自分がかつてはどんな存在だったかを極力隠したいと思った。何か思うところがあるわけではない。

 ただ、子どもに暴力的な凶器を見せるのは、誰だって嫌だろう。

「けど……そうだな。何時だって、何かをしようとしたり知ろうとするのは良いことさ。きっと、それは君を成長させてくれる」

「そうなんですの?」

「そうなんだよ。少なくとも立ち止まっちゃあいない。誰かみたいにさ」

「……」

 その誰かも、今回の件で思うところがあった。リンダの様に、活発には動けないかもしれないが、それでも……。

「っと、さすがに領主様に報告をしなきゃならない。お喋りはその後に続けるとしよう」

「お喋りって……まあ、そう思われても仕方ありませんけれど……」

 エレストは椅子より立ち上がり、元々向かう予定だった、領主の執務室へと足を運ぶ。扉の前に立ち、ノックをしようとする頃には、扉の向こうから声が聞こえて来た。

「入って良いぞ。実はずっと待ってた」

「ええっと……失礼します」

 足音だけで、誰か来るか分かったのだろう。彼ら一族は耳が良いのだ。妙に。

「ふん? 失礼云々であれば、この待たせていたという行為そのものが、失礼なのではないかな?」

 扉を開けた先。正面にある執務机の向こうに、領主のマークト・リッド・マヨサは座っていた。

 机の上に積まれた書類の山の隙間から、やさぐれた顔を浮かべている。恐らく、家族などには見せない表情であるはずだ。

「それ、止めた方が良いですよ?」

「何がだ?」

「誰かが扉をノックする前に、扉の向こうから声を掛けるアレですよ。正直、やられた側は不気味で仕方ない」

「そうか? 一応、貴重な意見として受け止めておこう」

 是非そうするべきだ。これまで、似た様な事を他の人間にしているとしたら、その数だけ不気味な領主だと思われているはずだ。

「で……だ。さっそく本題なんだが、上手くやったらしいな?」

 盗賊退治の一件の事だろう。そもそもが、そのための話をここでしにきた。

「上手くやれたでしょうかね? とりあえず、やれる事をやりましたが、国立騎士団の介入は完全に避けられませんでした」

「君に一人付き添った事を言っているのかね? あれは折り合いだよ。騎士団員の介入が無く事が終わった場合は、逆に騎士団側の顔に泥が塗ってしまうことになる。今の状態が、ベストと言えばベストだ。騎士団に借りも作れた」

「借り……庭の土地を貸したことがですか?」

「盗賊討伐に関するこちらへの無理強いもあるな。それと……裏があったろう? どうにも動きに戸惑いが見て取れた。それが何であるかは……これから報告して貰えればわかるかもしれないな」

 やはりと言うか、彼は鋭い。手の内にある情報量は、盗賊討伐に直接か関わったエレストなどよりも少ないだろうに。

 しかし、彼は大貴族、マヨサ家の当主。それくらい出来なければその地位には立っていないのだ。

「そうですね。順を追って報告します。それでそちらが何を思って何をするかはノータッチで。そこまでは関わりたくない」

 政治関係に深く関わるのは泥沼に嵌る様なものだ。

 抜け出せなくなって、どこもかしこも無限に汚れる。先に待っているのは栄光では無く、窒息しそうな泥の中。

 だから、洗いざらいすべてをマークトへ伝えた。それで責任すべてを放り出すのだ。弱気と思うなら大いに笑うが良い。笑われる程度で済むなら、どれほど楽な事か。

「……なるほど。戦時中、紛失した兵器の回収が目的だったか。参ったな。これはどちらかと言えばこちらが貸しを作り過ぎだ」

 国立騎士団の弱みを握ったなどと言わないのが、目の前の男の才覚だ。

 権力も組織も、微妙なバランスの上で成り立っている事を理解していて、そのバランスが大きく崩れ、混乱が発生するのを嫌っている。

 彼は持たざる者では無く持っている者であるから、すべてを失いかねない程の世の混乱は、彼にとっての大敵だ。その事を、本人が良く理解している。

「ま、僕の手には余る話ではありました」

 悩ましい問題と思えたものの、エレストにとってはこれで終わった話。後の事で頭を働かせるつもりは一切無かった。

「ああ。考えるのは私の仕事だから任せてくれ。国立騎士団側との調整はして置こう。それにしても……」

「なんです?」

 相変わらずの書類の隙間から、マークトがこちらを覗いて来る。

「いや、先代が君を重用していた理由について、益々理解が深まるなとな」

 マークトが先代と言うからには、マヨサ家の先代当主の事を言っているのだろう。

 マークトの祖父であり、その人物はエレストが王都にいた頃、後ろ盾になってくれていた時期もある。

 マヨサ家とはずっと前から他人ではないのだ。また、後ろ盾の対価として、仕事を頼まれた事もあった。

 実を言えば、マークトともその縁で知り合った。王都時代での関係性は、年齢の離れた友人関係……とまでは行かないが、腐れ縁に近いものを感じている。

「それで……どうです? まだ一応、屋敷には置いてくれそうですか?」

 そんな昔の腐れ縁を頼って、屋敷に住まわせて貰っている。今の名前をくれたのも彼らだ。向こうがエレストに何を思おうと、マヨサ家には恩があった。

 できれば、その恩にまだ縋りたいところである。

「君は自分がしている事の価値を理解しているか? 多分、それ以上を望んでも構わないと思うが」

「それ以上って部分を捨てました。重いですからね。代わりに、今の楽な暮らしがある。気分は良いですよ。悪くは無い」

 あまり過去の事をあれこれ言ったって、思い出したくないものを思い出すだけだ。だから今で満足する。

 本当に、過去にした事と比べれば、今がどれほど安楽な事か。

「わかった。今はそれで良しとしよう。うちとしても、便利屋がいてくれると助かる」

 マヨサ家にとっての便利屋。エレストの今の立場はそんなものだろう。面倒事はあるかもしれないが、何もしない立場よりかは随分とマシだ。

 ただ……ふと、思いついた事があった。そうやって立ち止まり続ける事を、最近は止めようとしたのではないかと。

「ああ、そうだ。もし、それでも、何かしら追加報酬でもどうだって言われるんでしたら……」

「なんだ? 欲でも出て来たか?」

「ええ。どうにもそうらしくて。ですからね、ちょっと頼みたい事があります」

 こういうやり取りは新鮮だし、健全に思えた。足を一歩踏み出す事は、存外、軽いものであったらしい。




 自分の部屋の掃除を始めて十分ほど。エレストはさっそく諦めかけた自身の心を、どうしようかと悩んでいた。

「もー! エレスト! 手と足を止めてないで、さっさと動かす!」

 部屋の中で、エプロンをつけたリンダが、雑多な道具を部屋の端へ動かしていた。

 彼女、どうにもエレストの手伝いをしてくれているのだが、一方でエレストは、その手を止めようとしていた。

 一見すれば不敬であるし、一見しなくても失礼極まる状態だ。

 だが、リンダに掃除を手伝ってくれと頼んだ覚えがエレストには無く、それで文句を言われても、どうしようと言う話だろう。

「いやあ、リンダ。自分でも参ってるんだ。こう、気楽で低消費な生活を送ってたと思うんだけど、思いのほか、荷物っていうのは溜まるもんだねぇ」

 現在、エレストは部屋の掃除を続けているが、その本来の目的は、部屋の改装にあった。

 室内の状態を大きく入れ替える必要があり、その前段階で掃除をしているのだが、既に心が挫けそうだ。盗賊よりも手強い。

「そうやってぼやく暇があるなら、手を動かしなさい! 動き続ける事で、やっと部屋の掃除は終わるんですのよっ」

 そう言うのなら、リンダもリンダで、手伝いの一人でも連れて来てくれたらと思う。彼女は一人、小さな体でエレストの手伝いをすると言うのである。

 感謝はするものの、戦力としては心許ない。

「んー。それにしても、リンダはどうしてそんな一生懸命、僕を手伝ってくれているんだい?」

 素朴な疑問だった。幾ら親しいと言ったところで、わざわざ居候みたいな立場の人間の雑務なんて手伝うだろうか。

 いや、何時も、軽い部屋の掃除くらいはしてくれたりするのだが。

「普通の事でしたら、わたくしとて、叱咤する程度で手を出すまではしませんけれど」

「あ、叱咤はするんだ」

「けど、これはエレストにとっては大事な事に思いますもの。お父様に頼み込んだそうですわね。魔法研究用の器材を買い付けて欲しいと」

「そうだね。ちょっとゴネて、我が儘を言った」

 それらの器材を運び入れるスペースを、今、作ろうとしているわけであった。

 雑務以外の何物でも無いため、やはりリンダに手伝って貰う謂れは無いはずだ。

「だって。今までは部屋でだらーっとしていたり、ぼーっとしているばかりのエレストが、なんと、漸く魔法使いらしい事を始めたんですもの。わたくし、とても喜ばしく思っていますのよっ。ほらだから、足を動かして!」

 リンダに押されて、幾つかの荷物を手に持った。

 確かに、貴族に囲われて、独自の魔法研究をすると言うのが、マジクト王国の魔法使いが進む一つの道である。

 と言うことは、そうですら無かった今までのエレストは、そんな道すら歩んでいなかった事になるのだろうか。

「なんだろうね。ほんと、ずっと立ち止まってた気がするよ。君の言い分を借りるなら、足踏みを続けていたって感じかな?」

「けど、それでも前を向き始めたのでしょう? でしたら、わたくし応援しますわっ」

 まったく。この娘には敵わない。自分の人生の後押しを、こんな子どもにして貰うなんて想像すらしていなかった。

「そうだね……きっちり道に、足跡でも残したくなってきたよ」

 足踏みしてばかりでも、足跡は残せない。足を踏み込み、前へと進まなければ。

 ちなみに、そうやって生まれたやる気であるが、この後、掃除に対しての面倒くささのせいで消える事になってしまった事は、秘密にして置きたい。


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