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前編

 ほんの少しだけ変わった世界がある。動物や人が生まれ、暮らし、そうして国を営んだ、どこにでもありそうで、それでもほんの少し変わった世界。

 何が変わっているのかと問われれば、不可思議な、魔法と呼ばれる力があると答えられる、そんな世界の物語。




 フォース大陸においては、王を頂点とする国が存在している。また、王の配下が貴族と呼ばれ、領地などを運営している、そんな国が幾つかある。

 そんな国の一つ、マジクト王国と呼ばれる国の領地において、マヨサと呼ばれる地方に存在する屋敷に、大きな声が響いた。

「エレスト! エレストはいますの!?」

 甲高く、耳に響く、そうしてまだ幼さの残る声。子どもの声というのは、どうしてどこまでも響くのか。

 きっとそれは、自分の位置を良く伝えるためだろう……と、エレストと呼ばれた男はぼんやりと考えていた。子どもは何時だって、自分はここにいると伝えたがるものだ。

 では、その子どもはどこにいるか?

 聞こえる声から察するに、今、自分がいる部屋から廊下に出て、暫く進んだ位置であるはずだ……と、呼ばれているエレスト・カインギルの方は考え続けていた。

「エレスト? もう、やっぱりまだ部屋にいるのね!」

 声がまだ聞こえていた。先ほど聞こえた位置よりもさらに部屋に近い。声どころか、絨毯を叩く足音だって聞こえ始めているし、その勢いは予想より早かった。

 本当は、もう少しばかり部屋に並べた椅子の上で、ゴロゴロと寝ころんでいたかったが、こうなってくるとそうも行かない。

 今、近づいて来る相手は、自分がこんな風にだらしなく寝ていると、それはもう激しく怒って来るし、とても荒々しく起こしてくるのである。時には物理的に。

「ええっと……そう、仕事だ。仕事をしているんだ、リンダ。ちょっと待ってくれないか」

 出来るだけ面倒臭い仕事をしている風を装いながら、部屋の扉越しに返答する。

 きっと、近づいて来る相手、リンダ・マヨサにはそんな手は通じないだろうが、何だって試してみる事は大事だろう。

 リンダが部屋の中にやってくる前に、なんとか起き上がり、寝癖を直そうとする。

 昔はもうちょっと良い感じの色合いだったはずの、それでも変わらない、自らの茶色い色の髪が目に映る。

 昔と今。どこが違うかと言えば、ややくすんでいる。事実、艶は失っているだろう。自分はもう三十代だ。相応に髪の色も、全体の雰囲気もくすんでくる。

 エレスト・カインギルはうらぶれた三十代の男だ。

 背は低いから紳士然とも出来ないし、そもそも姿勢が悪いと良く言われる。昔は優男などと言われた覚えがあるものの、今では頼りないと言われる方が多い。

 稀に……本当に稀に、優しい人とか言われる事もある。何年か前に、確かに言われたはずだ。今だって、もしかしたらどこかで言われているかもしれない。

「ああもう。どこが仕事なのかしら? そんな寝癖をしてできる仕事ってありますの? 何時も何時も、情けない姿を見せないでいただきたいですわっ」

 仕事をしている風を装う準備に忙しいと言うのに、扉の向こうから、ノックもせずに少女が現れた。

 金色の長い髪を元気良く振り乱し、それでいて着込んでいる服装と、纏う雰囲気は優雅で、一方、エレストよりさらに背は低い。

(背については当たり前か。彼女は今年でまだ十二だ)

 エレストとは正反対と言える若々しさ。

 実際、まだまだ子どもであり、子どもらしい溌剌とした勢いが彼女にはあった。

 かつての自分にも、そういう時はあったはずなのだがと、彼女から目を離しそうになるが、それは止めて置いた。そういう態度は、さらに彼女の勢いを加速すると学習している。

 何かにつけて過去の経験を活かせると言うのが、歳を取る唯一の利点だろう。

「やあ、リンダ。ノックもせずに殿方の部屋に入るなんて言うのは、ちょっと淑女としてどうかと思うよ」

 間に合わなかったけれど、それでも引き続き寝癖を手で直しつつ、元気な少女、リンダをエレストは見つめていた。

「あなたがもう少し紳士になってくれれば、わたくしも淑女としての振る舞いをしますわ。事実、他の男性方を目の前にして、貴族マヨサ家の恥になった事など、一度もありませんもの」

「つまり僕は君にとって特別なわけだ。光栄だな」

 彼女の嫌味は聞き過ぎて飽き始めている。

 いや、飽きを通り過ぎて、どこか日常を感じる。それくらいには彼女と付き合いもあった。

 実を言えば、生まれて数ヶ月も経っていない彼女をあやした事もあるのだ。

 そんなリンダは、彼女自身が名乗る通りの貴族である。

 この国、エレストが生きてきたこのフォース大陸に存在する、マジクト王国の運営に関わる、大貴族の娘なのである。

 一方でエレストと言えば、そのマヨサ家の客人と言う立場で、長らくマヨサ家の無駄に広い邸宅に住ませて貰っていた。

 一応、領地の運営に関する事務の雑用の、これまた端の方の仕事を任されたりするが、総じてサボり気味の無駄飯食らいだ。

 目の前の少女にすら、頭が上がらない。

「もう。屁理屈だけは一人前ですわねっ。光栄に思わず、日ごろの行いを正してくださいまし。部屋もこんなに汚して……掃除婦の方だって、エレストの部屋には近づきませんのよ?」

「それはほら、丸めた紙程度なら、君が屑籠に入れてくれるからじゃないかな? さすがに屑籠の中身くらいは、溜まれば自分で捨てに行くしね」

 こんな様子ではあったが、彼女には嫌われていないらしく、リンダは定期的にエレストの部屋へと訪問してくる。

 その都度、エレストにとって耳が痛い言葉が投げ掛けられつつ、部屋の清掃までも行ってくれていた。彼女、確か大貴族のお嬢様であるはずだが。

「ゴミが溜まれば自分で? 前に屑籠の中身を捨てに行ったのは何時の事でしたかしら? 週には何度ほど?」

 今日も今日とて、リンダはお嬢様らしくない事を質問してくる。居候の身としては、失礼の無い様に答えねばなるまい。

「んー……週単位じゃないとダメかな? できれば一月単位での方が答えやすいかなって」

「まったく!」

 心底呆れたみたいな口調だが、何時だってこんな声を聞かされている。

 毎回呆れられているなら、それもまた日常だ。心を揺さぶられることは無い。むしろ落ち着きさえして来る。

「それで? 今日も僕の生活態度を矯正しに来たのかい? できれば……そろそろ難しい事だって気づいて欲しいんだけどさ」

「それはそうですけれど、今日はお父様が呼んで欲しいとのことでしたので」

「どれがどうなんだろうね? っと、お父上に呼ばれたって言うのなら、向かわないわけにはいかないな。丁度暇だし」

 客人として屋敷に住まわして貰っている以上、その家主の呼び出しには応じなければなるまい。どう足掻いたところで、頼み事を断れない立場にエレストは立たされていた。

「暇? 先ほど、仕事をしていると仰ってましたけれど?」

「はっはっはっ。分かり易い嘘を正直に信じちゃうのは、淑女としての将来が不安だよ、リンダ?」




 リンダの父、マークト・リッド・マヨサは現状、マヨサ家の当主をしている。四十そこそこの年齢で、当主としての年齢ではやや若いと言えるかもしれないが、不足のある年齢とも言えないだろう。

 彼は先代である父譲りの、気さくそうだが気難しそうでもある顔つきで、やはり父譲りの薄い髪を頭に乗せていた。

 あと十年もすれば完全な禿頭になるだろうか。それはそれで似合っているとは思う。

「聞いているか? エレスト」

「ええ、はい…………すみません、何の話でしたか?」

「何か……考え事だったのか?」

「少しばかり。今日の天気についてと、あなたのお嬢さんについてを少々」

 まさか、あなたの頭髪についてを考えていたなんて言えない。話を聞いていませんでしたと答える方がまだマシだろう。

 リンダについてを考えているのも嘘では無い。彼女のことは、この部屋に来るまでは考えていた。彼女、幾つになるまで自分の部屋を掃除に来るのだろうな。などとだ。

「リンダの事か……あれはどうしてだか君に懐いているな。何故だと思う?」

「犬代わりか何かでしょう。確か毛の生えたペットは禁止でしたからね、この屋敷は」

「なるほど。分かる話だ」

 納得されてしまった。これでは益々、飼い犬気分に磨きが掛かって来てしまう。

 客人などと言う名目でいるが、実際は、本当に飼い犬程度の扱いでしかないのがなんとも情けない気分だ。

「ところでだ。今日呼んだのは頼みがあったからなんだが、今は大丈夫か?」

「今まで、その言葉を断った事なんてありませんよ、ご当主」

「ああ。君とは先代の頃からの付き合いだ。そう答えてくれると信じていたよ。勿論、断る権利くらいあるが、何時だって君は願いを聞いてくれる」

 一度くらいは、やっぱり嫌です。面倒ごとは余所に回してくださいと答えてみたくなる衝動はある。

 彼の先代の頃から、ずっと思い続けていた事だ。その欲望に、今まで一度も敗北しなかったのは、自分にとっては幸運な事だろうか。

「話と言うのは、その娘の話なんだ。リンダが近々、領内のある村を訪問する予定なのは聞いているかな?」

「ええ、彼女はとてもお喋りなので」

 確か貴族の義務だとか持つ者の嗜みだとか、そういう話を聞かされ続けていた。端的に言ってしまえば、領民の慰撫が目的である。

 定期的に領主か、その領主に近しい人間が顔を出し、あなた達を無下に扱っていませんよとアピールするのだ。

 実際、それだけで効果があるし、こういう事の一番良いところは、元手が殆ど掛からないという点だろう。

 顔を出すだけで安全が幾らか買えるのだ。こんな美味しい商売は無い。

「今回、リンダは私の代理人として、領内のホワイトランドという村へ向かう事になるが、この手の仕事について、リンダは初めてでね」

「あの年齢なら、何かにつけて初めてでしょう」

 リンダは年齢の割に大人びているし、貴族としての教養も同じく、年齢の割に学んでいる方だ。

 しかし、その年齢はまだまだ子どものそれなのだ。貴族の仕事となれば、まだまだ早いと言われもする年齢だろう。

「何にだって初めてはある。勇気を出して挑まなければならない事もな。それは分かるが、フォローしてやる人間は必要だろう? リンダには勿論、使用人を付き添わせるんだが、それとは別に、彼女が共に居て、安心できる人材を同行させたい」

「それが僕だと言うのなら、過剰な評価では? さっきも言った通り、僕は犬コロみたいなもんですよ」

「自分を卑下するな。君は確かに、あの娘に一定の信頼を置かれているんだ。何故か、それが私にもまったく理解できないが」

「不思議な事があるもんです。もっとも、断る理由はありませんから受けますけどね」

 そもそも、どんな願いだって、断るという選択肢は持ってきていない。マヨサ家に対するエレストの姿勢はそんなものだ。

「おお、そうか。それなら助かる。是非、リンダと共に―――

「断らないという状況を前提にして、隠し事とかは止しません?」

「んん?」

 戸惑う様な表情を浮かべるマークトであるが、彼が表情でも嘘を吐ける人種である事を、エレストは十分に承知していた。

 彼の場合、愚かな人間を演じる事が多い。専門以外は無知で、時に気が抜けていて、つけ入る隙がいくらでもありそうな人間を演じるのだ。

 その実、隙を見つけて飛び掛って来た相手を逆に嵌めたりする。

 伊達に大貴族の当主はしていない。だから、エレストもそんなマークトに合わせた話をする事にしていた。

「ホワイトランドと言えば、最近、妙な噂を聞きます。なんでも盗賊と手を組んで、領主に無断で交通料を不当に徴集しているとか」

 マヨサ家の領地は一本、大きな川が流れており、その川を挟んだ両側に、マヨサ家の領地は続いている。

 川には幾つか橋が掛かっており、領内の移動に関しても、それらの橋を利用する事が多いのであるが、そんな橋の付近にあるのが、ホワイトランドと言う村だった。

 当たり前の話だが、だからと言って橋の管理権は村には無い。

 管理は本来マヨサ家が行うべき仕事であり、交通料を取る権利もマヨサ家にある。ただの村が勝手に徴集して良いわけがないのだ。

「野盗が勝手にやっている事と、村の住人は言っているそうですが、噂が流れ始めてもう三ヶ月程になる。幾ら金銭を徴収したって、食糧なり住む場所なりが提供されなきゃ飢えるのが普通なのに、盗賊の噂はまだ続いています。誰かが支援してるんでしょうね」

 淡々と、自分が把握している情報をマークトに伝える。

 暇している男が暇だから集めた話であるが、それなりにマークトは興味を持ってくれたらしい。

 すっかり愚か者の仮面を捨てて、マヨサ家当主の顔付きになっていた。

「おやおや、そうなってくると、愛娘を、そんな野盗と手を組んでいるかもしれない村に向かわせる事になる。それは危険な事だろうか?」

「最低限、護衛役は用意する必要があるでしょうね」

「その護衛役が、例えば村の裏側を調査なんてしてくれれば、さらに助かる……かもな?」

 必ず、直接的には発言しないマークト。何時だって断言をしないことで逃げ場を用意している。

 そんな彼に向かって、フェアじゃないと叫べるほど、エレストとマークトの地位は近しいものでは無かった。

「だから別に断りませんけどね。ただ、愛娘と言いましたが、その愛娘を危険な場所に向かわせるって言うのは、囮みたいなものでしょう? その事に納得はできていますか?」

 調査目的で誰かを向かわせれば村は警戒するだろうが、領主の定期的な訪問ならば、領主家の人間がやってきても、その警戒は薄いだろう。

 ただ、盗賊と手を組む様な連中が一度でも牙を剥けば、その鋭さはリンダに向かう。たった十二歳程度の少女に。

「子を危険な場所に送る事に、心が痛まない親はいないよ。ただ、私も彼女も貴族だ。マヨサ家と言う家を背負っている。どこか一般からズレているんだろうな。貴族なら、心の痛みにも耐えてその義務を果たせと、そんな風に囁く奴が、私の胸か頭にいるのだよ」

 マークトが自分の胸と、次に頭を指差す仕草をした。

 罪深いとか業が深いと言えば良いのか、それにしたって彼の危険なところは、自身の娘だってそんな貴族の義務を背負っていると、当たり前の様に考えているところだ。

 貴族としての矜持と言えれば良いのだろうが、何時かは、何かを掛け違えた時は、逃げるべき危険に、むしろ突貫しかねない危うさを持っている。それがマークトだった。

「だから断りはしないわけですので、上手く立ち回りますよ。上手くって言うのはその……ご息女の安全も含めてです」

 マークトの性格や思考を、今さら矯正する事なんてできない。彼は良い大人だし、そもそもエレストより人生の経験だって多いのだから、何をどう正せと言うのか。

 だからエレストが出来る事はと言えば、最悪の状態にならぬ様に努める事だった。自分を飼い犬程度には慕ってくれている少女を、守ろうと思う程度には人情もある。

「頼む。何時も苦労を掛けているが……」

「先代からの付き合いですからね。今さらです。日々の生活を保障してくれるって、それくらいの恩があるとも思いますしね」

 何時だって、生活は大変だ。無償で与えられるものなど存在しない。




 馬二頭引きの馬車が揺れている。内装には多くクッションが使われ、車輪も揺れを極力抑える構造のものであるため、その振動は不快な程では無い。

 相当な金銭や労力が使われて作られたであろう事が分かる馬車だが、乗客は二人しかいなかった。御者は客室を出ているし、他の人間はまた別の馬車に乗り込んでいる。

(つまり馬車の中には僕と、このお嬢さんだけだ)

 向かい合う席と席に、それぞれ一人ずつ。片方にエレストが座り、もう片方にはリンダ・マヨサが座っていた。

 座る席はソファーみたいにふかふかで、エレストが感じる乗り心地は、そんな柔らかさに反して、むしろ悪くなっている。

 落ち着かないのだ。馬車に乗り慣れていないわけでも無いが、固い椅子だったり床板に座り込むのが常だった。

 幾らかもぞもぞと動いていたところ、どうにもリンダからは暇していると見られたらしく、世間話が始まった。

「エレストは人造馬ってご存知? 王都の方では、本当のお馬さんじゃなくって、金属や土で出来たお馬さんが代わりに動いているそうよ」

「人造馬については良く知ってるし見た事はあるけど、馬が職無しになっている風じゃあ無かったかな。あれはほら……なんて言うか、癒し? みたいなものだからね」

 子供だましみたいな物と言いかけて止める。目の前にいる娘は子どもなのだから、キラキラしたものには騙されておくべきなのだ。

 大人になれば、嫌でも汚れたものを見る事になるわけだし。

「癒し? 妙な表現をしますのね、エレストったら。けど、エレストは自分の目で見たのでしょうけれど、わたくしは一度も見てませんの。もし王都に出向く機会があれば、是非に見てみたい光景ですわね」

「君が見てみたいのは人造馬の方かい? それとも、それを動かす魔法の方?」

 言葉にしてから、魔法というものについてを考える。

 この世界には魔法という不思議な力が存在している。人間や、時には他の生物にすら備わっている力であり、才能の差異こそあれ、訓練すれば誰でも使える力でもあった。

 何も無いところで火や氷を発生させたり、ただの金属や土塊を動かしたりもできる。魔法を学ぶための専用の学校も存在していて、エレスト達が住むマジクト王国も、首都に大きな魔法大学を抱えていた。

 学問だけで無く、それを軍事力として使う組織だって、当たり前の様に存在している。

 リンダが語る人造馬に関しては、魔法の力によって動かされている無機物である。一種のゴーレムと呼ばれる存在だ。

 軍事力に寄る産物……では無く、こちらは学問の一貫として作られた存在だ。兎角、この国においては魔法が生活に根差しているのである。

 だが、そんな魔法だって、目の前のお嬢様にとっては、珍しい物に思えているらしい。

「お馬さんにも興味がありますけれど、やっぱり魔法ですわっ。魔法で起こせる不思議な事なら、なんでも見てみたいんですの。あまり、領地には、魔法使いさんが訪れませんもの……気になってしまいます」

 リンダの言葉は、子どもの純粋性が遺憾なく発揮されていたが、それに心が温まるより、エレストは限りなく縮小しているプライドの、そのほんの片隅くらいは傷ついていた。

「何度か言ってる事だけど、憶えてくれてないかもしれないから、また言っておくね。僕も魔法使いのはしくれだ。領地に魔法使いはちゃんといるよ? 君はほぼ毎日出会ってる」

 エレストは名乗る通りの魔法使いである。これも一応だが、魔法を学ぶ学校に通った経歴だってあった。正真正銘、本物の魔法使いなのである。魔法だってそこそこに使えるのだ。

「だってエレストの魔法って、なんだか子ども騙しみたいなものばかりなんですもの」

「君はまだ子どもだ。なのになんで騙されていてくれないかなぁ」

 是非にでも子ども騙しな魔法を見て、目をキラキラとさせて欲しいものである。ちょっと前までは、実際に喜んでくれていたのに。

「エレストの魔法にわくわくしていたのは六歳くらいまでだったと記憶してますわ。その後にも喜んでいたと思っていらっしゃるのでしたら……」

「あー、はいはい。君は幼い頃からちゃんと気を使えるきちんとしたレディだったね。けど、だったらずっと言わないでいて欲しかったなって、今、とても強く思うんだよ」

 なんだか自分が傷つくばかりの世間話が続きそうだったが、丁度良くと言えば、目的地であるホワイトランド村が見えて来た。

 かなり規模の大きな村だ。当たり前と言えば当たり前だろう。マヨサ家はマジクト王国の中でも有数の大貴族であり、その貴族の領内の村は、大半が発展している。治安だって行き届いていた。

「まあ、大変。そろそろ到着ですわ。さあ、エレストもちゃんと身だしなみを整えて。放っておくと、また何時の間にか寝癖を立たせているんですから」

「起きている時につく癖毛は、きっと寝癖とは呼ばないと思うんだ、僕は」

「なら髪に寝癖じゃありませんと書いてくださいまし。ああ、なんだかドキドキしてきますわ。ねえ、エレスト。こういう時、一流の淑女なら、どの様な態度で馬車から降りれば良いのかしら?」

 突然、胸に手を当て始めたリンダ。頬もやや紅潮させていた。

(なるほど。彼女は確かにこういうのは初めてだ)

 初めての仕事に緊張して、同様に高揚もしている。そんな仕草のリンダを見て、エレストは少しばかり笑みを浮かべた。

「そうだね。まずはそのそわそわとした雰囲気を落ち着かせる事から始めようか。まだ村に着いて馬車から降りるまで時間がある。ゆっくりと深呼吸をしよう」

 エレストは微笑ましい姿を見た。こういう姿は長続きして貰いたいものだと思う。

 だから、村で何がしか厄介事が起こったとしても、彼女は無関係で居させたかった。




 村に辿り着いてから暫く。エレスト達は当たり前の様に歓迎され、これも当たり前の様に村長の家まで案内された。

 それなりの邸宅であり、内装も豪奢だ。その象徴であると言わんばかりに動物の頭のはく製を壁に飾っているのであるが、これは何がしかのステータスなのだろうか?

 壁には剣や槍と言った武器も一緒に飾られているため、なんだか刺々しい印象を受けた。

 もっとこう、本棚とかが並べば落ち着くのにと思うのは、自分の根っこが、学者という意味での魔法使いだからかもしれない。

「というわけでして、リンダお嬢様は今日一日、村内を見回っていただき、夜は村の宿に泊まっていただけたらと思っております」

「え、ええ……その様に。で、良いんですの? エレスト?」

 どうにもまだまだ固い様子のリンダが、隣にいるエレストに尋ねて来た。

 村長宅にある応接室のソファーに並んで座っているこの状況。居るのは村長本人とリンダ。そうしてエレストのみであり、他の付添人は外で待機中であった。

 頼りに出来そうな人間は、きっとエレストだけ。だから、何時も頼りなく思っているエレストにすら、リンダは助言を求めているのだろう。

 ただ、エレストはリンダを見つめ、黙って首を横に振るのみ。

 別に助け舟が必須の状況ではないし、なら、リンダが恥を掻いたって、後の経験とするべき状況だろう。

「いやはや、それにしても、すっかりご立派になられましたな。あなたが生まれた時に、私も祝いのため領主様の屋敷へ訪れたのですが、憶えておられますかな?」

「ええっと……え、ええ。勿論」

(憶えてるわけないだろ。けど、とりあえずは話を聞かないと……淑女なんだから)

 若い村長の不躾な質問にやや引っ掛かりながらも、それに対して明確に返答できないリンダ。エレストはそんな彼女を見ながら、心の中でツッコミを入れていた。

 初めての事ながら、リンダは必要以上に緊張している様である。

 彼女は確か、屋敷や屋敷周辺の領地から、外に出かけた事があまりないはずだ。これからはもっと外向けの役割も増えてくるのだろうが、それにしたってこれが最初だ。

 彼女の態度も仕方ないかと思いつつ、リンダが今の時点でどこまで出来るか見極めて―――

(ああ、駄目だな。別に僕は、彼女の家庭教師ってわけでも無い。単なる……そう、友人関係が一番近いだろう)

 彼女の成長を見守るとか、彼女のために試練を与えるとか、そんな風に考えるべきではないと、ここに来て考え直す。

 困っているのなら助け船を出してやる。そんな関係性であるはずだ。

「失礼。少しよろしいですか。ああ、私の事が気になるのならお構い無く。名はエレスト・カインギルと申しまして、マヨサ家の客分の様な立場です」

「あ、ああ。確か……そう、魔法使いを飼っているとの……いや、これは失礼」

「いえいえ、飼い殺しなんて立場ではありますからね。私にそれだけの価値があるかは分かりませんが」

 失言をした風の若い村長。本当に若い。年齢はエレストより若いだろう。

 年齢と立場を比較するのならば、不釣合いにも見えた。印象としては、優男にも見える。判断が難しいタイプの外見。

 先代の村長に何かあって代替えしたのだろうか? 目の前の男が、特別優秀には見えないから、その可能性が高いだろう。

 もしかしたらそれが、この村の問題に繋がっているかもしれない。

 そんな風に考えながらも、表面上はにこやかに話す事を心掛ける。

「今回、私の立場はリンダお嬢様の付添いです。彼女一人でも出来る仕事ではありますが、見ての通り、まだ体の方は小さい。心が十分に大人でも、体力の問題はどうしようも無いわけで、その補助が私みたいな男の役目でしてね」

 と、ここまで話したエレストは、横目でリンダを見た。

 初めて会う人間の考えや言葉は緊張してしまって分からないだろうが、良く知ったエレストの言葉なら、幾らか意図を探れるはずだと思うのだが……。

「あっ……その……そうですの。わたくし、ずっと馬車に揺れていて、少々お休みをいただけませんかしら。来村の挨拶は、もっときちんとしたものにしたいのですけれど……」

 動揺は中々に落ち着かないのだから、一旦はこの場から離れようというエレストの考えを、リンダも分かってくれたらしい。

 緊張などしなければ、幼い彼女とて、これくらいの判断は出来るのだ。後は場数を踏む事が大切だろう。

「ああ、いえ、これはこれは。私も気が回りませんでしたね。こちらとしましては、滞在中。じっくりと村内を自由に見回っていただいて構いませんから、今日は休んでいただいても結構ですよ」

 慌てた様子の村長。領主の娘に万が一の事があっては困るのだろう。その程度の気使いはできるらしかった。

(今日、彼と話すのは、これで終了かな)

 そう思うと、少しばかり聞きたい事があった。帰る支度をしつつ、さりげなくエレストは口を開く。

「滞在中、自由に見て構わないとの話ですが、近寄らない方が良い場所というのはありますか?」

「は? いえ……近寄らない方が良い場所……ですか?」

「どんな時代も、安全は大事です。何故大事かと言うと、それが得難いものだからですね。この村にも……外の人間が近寄るのは止した方が良い場所があるでしょう? 特にリンダお嬢様の場合は」

 ここまで言葉にしたところ、リンダが眉をひそめるのが見えた。

 これ以上、恥になる様な事は言わないでほしいと言ったところだろうか。

 相手方に気を使わせるのは恥であると、まだ信じている顔だ。

 一方で、経験を積んでくると、幾ら相手に気を使わせたところで、心に恥ずかしさは生まれなくなる。面の皮が厚くなるからだ。

「ああ、そう言う事ですか。でしたら、できれば村の東の端にある家屋には近寄らない方が良いかと」

「東の端ですね。失礼ですが、理由を聞いても?」

「なんとも恥ずかしい話でして。村の若い衆が集まる場所になっているのですよ。その……とても若い行動を良くしております」

 若い人間は若い力を無暗に使いたがる。止めるわけには行かないから、若くなくなるまで、迷惑が掛からない場所に、そんな力を押し込める必要があるのだろう。

 どこにでもある悩みであり、ホワイトランド村でも存在し続ける問題でもある。

「分かりました。では、そこには近寄らない様に。それで構いませんね、リンダお嬢様」

「勿論ですわっ。今回はその様な場所を見に来たわけではありませんものっ」

「え、ええ。その通りですな」

 若干、語気が強くなっているリンダと、いちいちそれに反応する村長。

 リンダの方の口調については、エレストが勝手に話を進め続けるから、自分の立場が無くなって不機嫌になったのだろう。

(それが嫌なら、君はもっと成長するべきさ。これからは、幾らでもその機会があるんだから)

 そんな言葉まで、今ここで言うつもりは無い。これも同じく、言う機会は他に幾らでもあるはずだ。




 案内された宿は中々に上等なものだった。

 エレストとリンダはそれぞれ個室が用意されており、その他の付添人も、相部屋にはなるが、それでもそれなりに余裕のあるスペースを与えられていた。

 やってきたこちらの人数が、比較的少人数であると言う理由もあるのだろう。

 そんな宿の部屋であるが、エレストはわざわざ自分の部屋を離れ、リンダの部屋へとやってきていた。彼女に呼び出されたのである。

「ああ恥ずかしい! わたくし、あそこまで自分が情けないと思った事はありませんわっ」

 顔に両手を当てながら、リンダが言葉を漏らしていた。そんな姿を、エレストは部屋の椅子に座りながら眺めている。

「そうだね。確かに領主の代理人としては、あのままじゃあ失格かな」

 呼び出しの理由は、見ての通り彼女の泣き言を聞くためだ。

 エレストは彼女を子ども扱いしているからして、こういう情けない姿だって受け入れる姿勢だった。

「君は村へやってくる時、気分を高揚させていた。あれはもっと強く抑えるべきだったよ。高揚感って言うのはね、簡単に緊張へ変わる。頭が真っ白になってしまうんだ。今後は気を付ける様に」

「エレストは……こういう事に慣れていますの?」

「慣れていると言うか、どんな人間が相手だろうと、自分が緊張するだけの相手では無いって事を分かってるんだよ。剣を鞘から抜き合ってはいないんだからさ」

 話し合いに終始する限り、どの様な事態だって余裕は持てる。その事に気が付ければ、普段のリンダらしい姿を、他人相手に見せつける事ができるのだろう。

「うう……緊張する相手では無いんですのね。けれど、どうにも何かと想像と違っていて。戸惑ってしまうのは仕方ないと思いませんこと?」

「想像なんて何時だって裏切られる。だけど、そうだね。何が違ってて、何に戸惑っているのかは、ここで吐き出してしまえば良いと思う。僕はそれを聞くし、それだけでも、頭の中は整理できるだろうさ」

 これでは、やっている事がまるっきり家庭教師だ。

 そんな事を思いながら、これくらいの事に付き合う情はあった。義務や義理では無く情だ。エレストの行動原理のうち、多くを占めるのがその情に寄るものなのである。

「その……まずは、あまり人を付けないものなのですね。こういう行事には、武装した方々付き添うとばかり思っていましたわ」

「君の立場は武装して守らなきゃならないくらいの価値はある。ただ、それを前提にしても、領内で、領主の関係者が武装した連中に囲まれなきゃならない事態は、あまり健全とは言えないな」

 治安の良い領地では、武装する事はむしろ無用の混乱を生む。必要が無い事を無理にでもすれば、その時点で軋轢が発生してしまうのである。

「わたくしもそう思います。ですから、それはそこまででは無かったのですけれど……」

「うん。じゃあ、次は何が予想と外れてた?」

「もうちょっと、小さい村なんじゃないかと思ってましたの。けど、この村、とても良い村で、なんだかそれを知ると、わたくしなどが代理人として相応しいのかと不安になってしまって」

 そこが一番、彼女を緊張させていた点かと納得した。

 相手方の地位を低く見積もってしまい。それに反した現実が迫ったため、頭が混乱したのだろう。

「マヨサ家は力を持つ貴族だ。力を持ってるって言うのは、領内の統治を上手くやってるって事さ。王都ってほどじゃないけど、領主邸とその周辺の街は、国内でも有数の都市だし、そこから少し離れた程度の場所にある村だって、相応に発展してる」

 あまり外へ出た事の無いリンダは、そこまでの想像が出来なかったのだろう。

 今の彼女の世界は、マヨサ家の邸宅とその周辺に留まっている。幼い故の仕方なさとは言え、これからは少しずつ広げていかなければならない。

「この宿だってあるし、食堂に床屋に酒場だってあるだろうさ。それくらいに発展した村で、そんな村を作り上げたのはマヨサ家だ。そのマヨサ家の、間違いなく一員が君だ。僕みたいな、客分として普段から肩身を狭くしてる男とは違う、れっきとした地位が君にはある」

「自分の地位に不安を考える事も、それは情けない話ということですのね……」

 色々と考え始めている仕草をするリンダ。今回の事をしっかりと経験にしている証拠だ。なら、これ以上にあれこれ言う必要も無いだろう。

 気を回した結果の、説教みたいな話をしてしまったが、基本的には、彼女とは良好な関係を築きたいと思っているのだ。

「あ、それと、もう一つ、ちょっと予想と違うことがありましたわ」

「へえ。なんだい?」

「エレストったら、予想外にしっかりしていましたわね。邸宅にいる時とは大違い。人が変わってしまわれたの?」

「……かもしれないね。あの邸宅には人をダラけさせる呪いが掛かっているんじゃないか?」




 領主邸のダラける呪いから解放された身としては、勤勉に働かなければならないとエレストは考える。

 宿を離れたエレストは、村長の言っていた、若い人間が若さを持て余しているらしい地区まで足を運んでいた。

(なんだろうね。別に自分の怠惰は屋敷のせいとか、ましてや呪いでは無いんだけど)

 それでも、屋敷を離れた自分は、思った以上に勤勉になっていた。その事に戸惑いを感じながらも、それで大きく感情が揺さぶられることは無い。

 もしかしたら、頼まれ事の内容が、昔やっていた仕事と似通っていたからかもしれない。そんな風に思う。

 この村は盗賊と手を組んでいるかもしれないから、それが真実かを探る。

 なんとも怪しい仕事であるが、そんな怪しい仕事を良くしていた過去がエレストにはあった。

 実を言えば、あまり思い出したくも無く、良い思い出とも言えないのだが。

(だからやる気になるなんて事、無いと思っていた……)

 どうにも、精神では無く肉体の方がやる気になっている様に思える。肉体と言えば、頭の中に関してもだ。

 愚痴みたいな事を考えながらも、もう一方で、仕事に繋がる状況の整理が始まっている。

(村の情勢を見る限り、それほど困窮している様に見えない。件の盗賊が通行料を取っているらしい橋も、問題なく通る事ができた……怪しい雰囲気はまだ無い。領主一族が来るから隠してるって可能性もあるけど……)

 何かの嘘を疑う場合、その必要性についてをまず考える。意味も無く嘘を吐く人間はそうはいない。どんなに小さい嘘も、何かの意味が必ず存在している。

 もし、そんな意味が無い状況であるならば、相手は別に嘘を吐いていない可能性が高かった。

(村長宅を見せてもらったけど、あの地位で、特別贅沢をしている風じゃなかった。街の雰囲気にしても、治安は一見行き届いているから、領主に隠して金稼ぎをしなきゃならない理由も無い)

 往々にして、現地管理者の不正は已むに已まれぬ事情があって行われる。

 例えば設定された税が高い。不足の事態が発生し、急に金銭や物資が入用になる。そんな事情があっての行為が殆どだ。

(私腹を肥やすなんて言っても、もしバレた時の事を考えれば、恐怖の方が勝るもんさ。だから……もし不正をしているなら、その理由なんてのは現地を見れば良く分かる―――

「おい、おっさん」

 考え中であったが、どうやら声を掛けられたようなので立ち止まる。

 村長が指摘していた様に、治安にやや不安がある場所ではあるが、だからと言って、どう見ても村道の真ん中で止められるとは思いも寄らない。

 見てみれば、十代半ばくらいの少年が一人いる。そろそろ青年になる年齢かもしれない。少なくとも体格は大の大人に負けていないだろう。

「多分、僕に声を掛けたと思うから立ち止まるんだけど、僕は自分をおっさんと認めたわけじゃあない」

「はぁ? 何言ってんだおっさん。悪い事言わねえから、そっちから先に近づくのは止めときな。村の人間じゃないみたいだが、どうせ、今日、村に来ているっていうお姫様の家来か何かだろ? そこから先は危ないんだ」

 なるほど。見ず知らずの人間をおっさん呼ばわりする無礼を働く割には、こちらへの忠告をしてくれたらしい。

 とても失礼な物言いであるし、自分は断じておっさんでは無いが、ここから先は危険な場所だと言ってくれているのだ、この若者は。

「何がどうって説明をしてくれたら、もしかしたら足を反対方向に向けるかもしれない。どうかな?」

「どうって……分かってんのか? おっさん」

「分からないから尋ねてる。君の言う通り、僕はお姫様の家来だ。正確には領主様のご息女の、友人……って言えば良いのかな? 兎に角、そんな感じだ。立場上、下側であるって言うのは、家来と変わらないかもだね」

「お、おう?」

 会話の流れを掴むには、そもそも流れを作ってしまう事が先決だ。相手の脳内がしっかりと働く前に、話をどんどん進めてしまうのである。

 何を話すべきで何を話してはならないのか。それを理解させる前に会話をすれば、相手に何も考えさせないまま、一方的に情報を得られたりもした。

「で? 何でこっちから先に言っちゃだめなのかな? ほら、こう……今のままだと、興味の方が先立ってしまう」

「だ、だからよ。村で血気盛んな奴らが集まって……って、そうじゃねえんだよ」

「なるほど。あくまで村の人間が集まってるってわけだ。単なる若者のやんちゃじゃない」

 それを聞いて、ますます目的の場所へ足を進めたくなった。実際に、体は少年を離れてさらに村の東の方へ。

「おいおい。だからちょっと待ってくれって。ほんとに行く気か? 今はちょっと……ピリピリしてるから、部外者はヤバいんだって」

「言い方からして、表立っては言えない事情ってところかな。無理に聞き出す気は無いよ。だから自分の足で向かうんだからさ」

 あれこれ全部の事柄を、他人を操って成し遂げるなんて、そんな都合の良い話は無いし、実際、一度たりとも経験した事が無い。

 つまりは不可能と言う事だ。少なくともエレストの力では無理だろう。

 だから自分で行動するしかない。

「そんな足じゃあボキっと折られちまうって言ってんだろ! ただでさえ何もしなくても折れそうな体してるのによ!?」

「ああ、良く言われる。肉体派じゃないんだよなぁ。吹けば飛びそうって面と向かって言われた時は、本当に飛びそうになった」

 自身の外見に思うところが無いわけではない。もう少し、威厳みたいなのがあれば良かったと常々思っている。

 だが、そんな願いなんて叶わない事を知っているから、頭を掻くしかできないのだ。

「あ、そうだ。その不穏な人たちが集まってる場所って言うのを、正確に教えてくれたら、とても助かるんだけど……」

「あのなぁ……だからあんたみたいな―――

「おい、ケンダラ。そいつ……誰だ?」

 と、さっきからこちらを伺っていた男が近づいて来た。目の前のケンダラと呼ばれた少年は気付いていなかった様子だが。

「じゃ、ジャーキーさん。その……なんか変な奴なんですよ」

「変? おい、おっさん。ここから先は通行禁止だ。特に……村の外の人間はな」

 ジャーキーと呼ばれた男は、ケンダラよりも体格が良い。筋肉質で、意図して鍛えなければできない体だ。エレストなど、見ているだけで潰されそうだ。

 そんな想像は、何時まで経っても現実にはならないが。

「村の住人なら行って良いのかい? なら、今からこの村の住人になろうかな? 明日か明後日には村を去ることになるだろうから、一日お試しって奴で―――おっと」

 服の襟を掴まれて、やや持ち上がる。辛うじて靴の先だけが地面に接触していた。

「二度目は無いぞ、おっさん。さっさと立ち去れ。でなきゃ、ここで骨の一本でも折ってみるか?」

「人をこんな風に持ち上げる時って、実は持ち上げられる側が有利だったりする。持ち上げる側は手に重りを乗せているみたいな物だし……」

「あん?」

「持ち上げられた側は両足が自由になる」

 靴の先で地面を蹴り、完全に離した。その勢いを殺さず相手の足に自分の足を掛ける。

「うっ……おぐっ!?」

 体勢を崩してうめき声を上げるジャーキー。この声は失態だ。不測の事態に驚くくらいなら、他人様の襟を掴みあげてはならない。

 反撃を喰らうと覚悟してこそ、挑発に意味が生まれるのだから。

「こっちが見下ろす側になったけれど、あんまり気分は良く無いね。そっちもそうだった?」

 膝を付き、エレストから手を放したジャーキーに対して、エレストはすぐに体勢を立て直す事ができた。

 何事も、こういう状況があるだろうと予想するのが大事だ。それだけで、動き方が素早くなる。若さとか反射神経によるものだとかよりも、余程早い。

「君は多分、すぐに起き上がろうとする。対してダメージを受けていないからすぐにだ。そうして反撃してくるだろう。僕と君の体格差を鑑みるに、ちゃんとこちらを警戒する君の攻撃は、僕にとっては大分痛手になる」

 こちらの言葉に反して、ジャーキーは立ち上がって来ない。彼が起き上がろうとして地面に手を付いた状態で、彼の肩をエレストが押しているのだ。

 ちょっとしたコツである。人間は体の動かす際、無意識に絶妙な力加減を行っている。そこに外からほんの少し力を加えれば、途端に自由を失ってしまう。単なる肉の塊みたいに。

 傍から見れば、肩に手を置く程度の動きでそれが出来てしまう。もっとも、コツを掴むためには訓練が必要になってくるが。

「お、お前……」

「なんだこいつって思ってる? 僕はエレスト・カインギル。君の言う通り、自分じゃあ認め難いと思ってるんだけど、事実おっさんかもしれない。けど、もうちょっとマシな表現があるんじゃないかなと常々思ってるんだ」

「何を言ってやがる……!」

「何って、自己紹介だよ、自己紹介。暴力的な出会いなんて好ましく無いな。こうやって、名前を名乗り合って、お互いの立場を明かすって言うのが平和的な方法だと思うね」

 表情も笑顔を浮かべてみる。出会いは何時だってにこやかに。笑顔から始まる空気と言うのが大切だ。と言っても、ジャーキーは何やら厳しい顔で頬に汗を流しているだけだが。

「ねえ、そこの……ケンダラ君だっけ? 君でも構わないんだけど、僕が名乗った以上、そっちも自分たちを紹介してくれないかな? これじゃあほら、僕が君らを追い詰めて脅してるみたいだ」

 冷や汗が見え始めていたケンダラに話し掛ける。若い男二人に怯えるのはこちら側だろうに。そんな妙な奴に出会ってしまったみたいな顔は止めて欲しい。

 さらにケンダラは、こちらを指差して尋ねて来た。

「あ、あんた……本当に……何者なんだ?」

「まだ自己紹介が足りないって? じゃあこんなのはどうだろう? この村の状況を幾らか正しに来た……とか」

「……っ」

 肩を抑えているジャーキーが少し震えた。反応有である。

 狙いに見合った相手だった様で安心だ。これで彼らが何にも関係の無い人物だったら、こちらが被害妄想の狂人になってしまうところだった。

「この言葉を聞いて、君らは僕に敵意を抱くのか、それとも別の感情を持つのか。特にそこを聞きたいな。自己紹介については話さなくても良いよ? 君がケンダラで、今、膝を突いているのがジャーキーだ。名前と顔を憶えるのは得意なんだ。これでも」

 自分の得意分野をアピールしつつ、相手の返答を待つ。

 勿論、ジャーキーの肩から手を離してだ。相手の肩を馴れ馴れしく触りながらの会話など有り得ない。誰だ、そんな失礼な事をする奴は。

「お前は……あの賊どもとは違うのか?」

 ジャーキーが漸く起き上がり、こちらと距離を取りながらも答えてくれた。

「そういう答え方をするって事は、なるほど。もしかしたら僕が力になれるかもしれないね? どうかな? 色々と話してみたらどうだろう? 当たり障りのない話だって構わない。どうせ僕は今にも折れそうなおっさんだ」

 ケンダラとジャーキーが目配せをする。どう答えるべきか。それが二人して分からないのだろう。

 目の前にその分からない奴がいる状態だから、どうしたら良いとお互い相談するわけにも行かず、結局は目を合わせるだけに終わってしまっている。そんなところだ。

(僕なら……そう、僕なら信じない。僕みたいな怪しい奴は、どんな立場を名乗ってたって遠ざけるべきだ)

 知らない人間の襟首を掴んでしまうくらいに切羽詰っているのなら、不確定の要素なんて排除しなければならない。これ以上それらが増えたら、さらに混乱を呼び込むだけだろう。

「……とりあえず、案内してみるってのはどうだ?」

 が、ジャーキーにはそこまで考えが及ばないらしい。もう一方のケンダラにしてもそうで、ジャーキーの言葉に頷くのみだ。

(こりゃあ、盗賊連中とは直接には縁が無いかもしれないね。少しでも近づければ良いんだけど)

 彼らが噂の盗賊であればやり易いのに。そんな物騒な事を考えながら、エレストは案内をしてくれるらしいジャーキーとケンダラに付いていくため、足を動かし始めた。




 ホワイトランド村へとやってきたその日の夜。領主の子であり、今は代理人となっているリンダ・マヨサは、落ち着かない気分で天井を見上げていた。

(落ち着かないのは当たり前ですけれど)

 自分の状況を確認する。自分一人が利用するなら広い部屋。木造で簡素な作りであるからか、より広く感じる。

 それが今、宿として用意された場所で、自分にあてがわれた部屋だった。

 ただ、領主邸にある自室と比べると、それでもやや狭い。内装などは比べるべくも無いだろう。

(まずは落ち着かない理由の一つを見つけましたわね)

 自分の部屋ではない。だから落ち着かない。当たり前だ。

 ただ、文句を言うつもりは一切ない。この様な部屋に寝泊まりする覚悟はした上で、今の使命を全うしている。

 そもそもが覚悟なんて言う程の事でも無い。頭に浮かぶ不満を無理にでも探せば、今、仰向けになって背中を預けているベッドが固いくらいだろう。

 それもまた、我慢できぬほどではない。

(覚悟と言うなら、もっと酷い場所だと思い込んでいましたものね)

 昼間にエレストから言われた事であるが、自分が想像している以上に、マヨサ家の領地は発展しているらしい。

 もっとこう……領内にある村というのは困窮していて、人も少なく、建物だって少ないと、そう思っていた。

 何故、そう思っていたかは分からない。今まで自分が暮らしていた世界。領主邸とその周辺の街についても、十分に発展し、華やかとすら言える光景だった。

 なら、自分を包む世界すべてがそうであると考える方が普通だ。

(きっとエレストのせいですわ。なんだかこう、世の中は不景気で暗い雰囲気に包まれているって、事あるごとに言っているんですもの。いえ、言ってはいませんけれど、彼の雰囲気そのものが言ってるんだから)

 彼がどんな人生を歩んできたか。リンダは良く知らない。聞いた事があまりなかった。

 若い頃は王都に住んでおり、魔法使いとして生活していたそうだ。

 彼が時折漏らす彼自身の過去については、まとめてしまえばそんなもので、それ以外は特に深く話してくれた覚えはない。

 リンダにとっては別にそれで良かった。彼の過去云々以前に、リンダにとっては、物心ついたら既に見知った人間であったからだ。

 最初の記憶では、時たま領主邸へやってくる人と言う認識で、その時点から、来たら話したり遊んでくれたりする人であったと思う。

 雰囲気はなんだか線が細いというか折れそうな感じで、幼い自分でも、押したら倒れそうだなと思える相手であった。

 だから家族以外の者に対する恐怖なんて無かったし、遊んでくれるなら遊んでもらおうと、そんな風に考えて、良い様に言えば親しみを覚えていた。

(……その頃はまだおじさまとか、そんな風に呼んでいた記憶も。本人が露骨に嫌そうな顔をするから、すぐに呼び方が変わりましたけれど)

 そうこうしている内に、何故かそのふらっと現れる人が、屋敷に住み込む様になった。

 貴族の間では、能力のある魔法使いを囲み込む人間もいると聞いて、うちもその類かと思ったのだが、そうでは無かった。

 どう言う目で見たって、エレストはその能力のある魔法使いでは無かったからだ。

(屋敷に居てはゴロゴロしていて、屋敷の外ではダラダラしてる。こういう人もいるんだと最初は驚いて、すぐに付き合い方が分かってきましたわね)

 なんと言うか、亀みたいな人だと思う。餌を与えれば懐きそうであるが、それをしたって何になるだろうと思える相手。

 リンダのこの見方は、屋敷にいる人物だいたいの認識だろう。

 そうしてリンダはと言えば、そんな亀みたいな雰囲気が、何故か知らないけれど好ましいものに思えてしまった。

(きっと洗脳ですわ。なんと言うか……安心できると言うか? 子どもの頃からあの雰囲気を見せられたせいで、日常の一部にされてしまって)

 リンダにとって、エレストは日常を構成する欠片の一つだった。

 もしかしたら自分の父は、自分がそう思っているから、今回の使命にエレストを付かせたのかもしれない。そう思えた。

 普段とはまったく違う場所に行ったとしても、近くにエレストがゴロゴロしていれば、まあ日常だと思えるから、リラックスもできる。

「落ち着かない理由がまた一つ浮かびましたわっ。エレストったら、まだ帰って来てませんのね。どうせ村の中を当ても無くブラブラしてるに決まってますけれど」

 つい声を上げてしまった。誰かに聞かれてやしないかとベッドから背を起こし、周囲を見渡すも、部屋には自分一人のみ。

 そう、一人だ。エレストは自分を放っておいてどこかに行っている。それが何故か妙に腹立たしかった。

 自分の髪の毛の一部が勝手にどこかへ行く様なものだ。どうせなら自分も連れて行けと思う。

「あら、おかしいですわね。それだと、わたくしが髪の毛に引っ張られる立場みたいな……」

 何故だろう。何でそんな発想になったのやら。分からないまま、リンダは起こした背を、もう一度ベッドへ投げ出した。

 固いベッドだ。自分の部屋のベッドとは随分と違う。妙に落ち着かないのはきっとこれのせいで、エレストの存在が大きな原因では無い。

 そう考え直して、リンダは目を瞑る事にした。

 次に目を開いたのは、部屋の近くに気配を感じた時である。

(足音……?)

 気配と言っても、誰かが床を踏む音だったり、物が動く振動だったり、そういう実際の現象に寄るものだろう。

 何かの本で読んだが、武芸の達人はそんなものが無くても、そこに人がいれば分かるらしい。けれど、自分にはそんな芸当はできないから、きっと足音が聞こえたに違いない。

(やっぱり足音?)

 意識していたので、今度はちゃんと聞こえた。

 宿の廊下を歩く音だ。木の板が誰かの重みで歪み、音が鳴る。そうしてその音は、どうにも自分の部屋に近づいている様だった。

 少しずつ。慌ててはいない。むしろ慎重さすら感じる足取り。自分の部屋の両隣には付添人の部屋があるから、そちらが目的だろうか?

 片方の付添人は、リンダの手伝いみたいな役で来ているが、リンダがあまり誰かに何かを頼む性質では無いため、今頃は村の酒場にでも行っているかもしれない。

 そうして、もう片方の部屋はエレストの部屋だ。彼もまた、今の時間でもどこかへ行ってしまっていた。

(なら、どちらかが帰って来ましたの?)

 再び、ベッドから背を上げる。まさか自分の部屋にはやって来ないだろうと思うが、近くに人が通ると言うだけで、何故か寝ころんだままは恥ずかしかった。

 そんな足音も、すぐに通り過ぎる。そう思っていたのに、自分の部屋の前でそれは止まった。

「どなたかしら?」

 どう考えても、自分に用があるとしか思えない。

 普通なら、向こうからノックなり、扉の向こうから声を掛けるのがマナーであるが、名乗りを上げる様子は無さそうなので、こちらから言葉を投げ掛けてみる。

「……」

 反応が無かった。これほど不気味な事は無い。相手はこちらに用があるのに、その相手がこちらには分からないのだ。

 暫しの沈黙。それにも耐え切れず、リンダは再び声を掛けた。

「エレスト?」

 そんなはずは無い。彼ならこんな事はしないし、そもそも、足音だけだって個性があるから分かるのだ。

 だが、その言葉が契機となって扉が開いた。リンダは初めて来た土地で戸締りをしないほど不用心な性格では無かったが、扉に掛けていた鍵を無理やりに開かれたのである。

 打撃音。扉が壊れるのではないかと思う程の音が部屋に響く。

「なんだ……お嬢様と聞いちゃあいたが、まだガキじゃねえか」

「だ、誰ですの!? あなたっ」

 恐怖にひきつった声をリンダはあげる。突如現れた男に、悲鳴に近い言葉を投げかけたのだ。

 男は背こそ低めであるものの、図太く筋肉質な体を、軽装の皮鎧で包んでいた。顔には刃物傷らしきものが斜めに走っており、手にはハンマーを握っている。

 そのハンマーで、リンダの部屋の扉をぶち抜いたのだろう。どう見たところで、まともな人間では無かった。

「……」

「淑女の寝室に無断で侵入などと……は、恥を知りなさい!」

 黙ったままの男に対して、何の効果があるのかも分からない言葉を投げ掛ける。その言葉に答えたのは、また別の男であった。

「そうだ、失礼だろう? 彼女は御領主様の息女だぞ? 普通はこうやって辞儀をしてから話しかけるのさ」

 現れた図太い男の後ろから、さらに別の男が現れたのだ。

 そちらの顔については、リンダにも見覚えがあった。この村の長である。

「あなたは……いったい、これはどの様な狼藉ですの? この様な事を……許されるはずも……」

 怯えをなんとか行動力に変えて、リンダは必死に言葉を紡いだ。

 か細い声だったが、それでも、まだ声が出る事に驚く。

 村に来たばかりは緊張して、こんな風に考えて言葉も発せ無かった。突然の危機が自分を多少なりとも前へ進ませたのか。

(それでも……こんな状況では、何も意味は無いっ)

 冷や汗が流れ、体が震える。普段の立場はこちらが上だったとしても、今、この瞬間においては、リンダは弱者だった。

「いやはやリンダお嬢様。暴力的な事をしたくは無かったのですがね。あなたが来ると言う状況そのものが、我々にとっては不都合なのですよ」

 村長は笑っていたが、それは紳士的な笑い方では無く、嘲りの感情が込められた物であった。だが、そんな笑い方にリンダは引っ掛かる。

(むしろ……自暴自棄とも言える表情……?)

 それはむしろ危険な兆候だった。相手が何をするか分からない。

 そもそも、既に致命的な事をしてしまっている気がした。

 リンダの立場は領主の代理人であり、そのリンダの部屋に暴力的に侵入する。これだけでも不敬であり、領内の法で一方的に裁いたところで、誰からも文句は言われない。それくらいの状況だ。

 そうして、村長は何が目的かは知らないが、そんな自分の身を危険に晒す方法を、既に選んでいたのだ。

「こんな事をして許されるか……そうお尋ねでしたね、リンダお嬢様? なら、こうお伝えしましょうか。あなたがいらっしゃった時点で、そんな次元の話は終わってしまったんだよ」

 それだけ話すと、村長とその脇の男は、リンダへと近づいてきた。

 伸ばしている手は、明らかにリンダを掴むためだろう。そう思うとリンダは、目を瞑る事しか出来なかった。




 エレストは目を開く。開いた視界に映るのは、狭い小屋の中だ。

 そこにエレスト以外に五人ほどの若い男達が集まっていた。中にはここまで案内したジャーキーとケンダラもいる。

 どうにも五人共に仲間であり、ジャーキーがリーダー役であるらしい事は分かっている。だが、そんなチーム構成よりも、小屋が暑苦しい事がエルストは気になっていた。

 空気と言う意味でもそうであるが、それ以上の狭い空間に、エレストを含む男が六人集まっている時点で、どう考えたって温度と湿度が上がる。

「場所……変えない?」

「駄目だ。あんたの考えを聞かない限りはな」

 ジャーキーに即答される。彼らは熱く無いのだろうか? 熱に浮かされている様な目はしているものの。

(なんというか……目が綺麗過ぎるんだよな)

 ここに集まった若者五人すべてがそうだった。それはつまり、少なくとも本人は後ろめたい事などしていないと考えている。

「確認だけど、君ら、カツアゲみたいな事はしていないだろうね?」

「何言ってんだ? 逆だ逆。俺は……そういう事をしている奴らから、村を取り戻すために立ち上がったんだよ」

「立ち上がる……陳腐だけど綺麗な言い回しだ。個人で収まる範囲での言葉なら、自分を奮い立たせる効果もある」

 集団に対して立ち上がれなどと言うのは煽り屋のやり口だが、ここにいる五人程度なら、そんな意図も無いだろう。

 ただ純粋に、何がしかの正しいと思うもののために戦っている。そういう風に見えた。

(それはそれで危ういんだけどさ)

 ただ、話を聞いてみたくはなる。彼らは一体、この平凡そうな村で何のために立ち上がったのか。

「……実際は強がりだけどな。ただ、それくらい言わなきゃやってられねえんだよ。あの盗賊どもとやり合うなんて」

「盗賊って言った? それって、野盗とも表現できる?」

 思いの外、当たりのクジを引いたかもしれない。そう思った。

 しかも直接的では無く、その盗賊達と敵対的な立場の人間であるというのは僥倖だ。

 情報を得て、彼らと言う証人もいるのだから、それを持ち帰るだけで仕事は達成できるのである。

 後はマヨサ家直属の兵などが、エレストが持って帰った情報を元に、事態を解決してくれるだろう。そうしてエレスト自身は、さっさと危険地帯を抜ける事ができる。

「盗賊よりも性質が悪いんだって。まさか村長と手を組むなんてさ」

 若者の内の一人が、憤慨しながら気になる事を言った。盗賊と村長と手を組んでいると。

「あー、込み入った事情がある様だね。どうだろう。そこのジャーキー君にも言った事だけど、部外者な僕に話したら、幾らか変化を生めるかもしれないよ。君らにとって朗報かどうか分からないけれど、一応、僕は領主様側の立場だ。この村の……どんな関係者とも結びつかない」

 彼らの振る舞いを見れば、彼ら自身は不利な側である事は分かる。そうしてそういう立場の人間は、変化を好むものだ。

 何だって変化が起これば、自分たちにとって有利に動くだろうと、そう思う。

 実際、エレストをここまで連れて来た時点で、エレストの存在を認めている様なものだ。後はどれだけ、こちらに話をさせる様に仕向けるかだが……。

「そっちはなんだ……その……例えばの話、村で盗賊が悪さをしているなら、領主様に報告とかしてくれるのか?」

「状況に寄るね。君らの言う通り、賊がそのままに賊なら、治安のために討伐する義務が領主様にはある。ただ、村長がしっかりとした手続きでもって雇い入れた人間を、君らがそう呼んでいるって言うのなら話は別だ」

 あえて、そんな風に若者たちを煽る言葉を選んで答えた。正義感が溢れていそうな彼らだ。エレストに対してどう反応するか。だいたいは予想できた。

「村長が手続き!? ふざけるな! そんな礼儀正しい奴かよ、あいつが!」

「だから僕はその部分を知らない。最初から教えてくれれば、君らの説明をそっくりそのまま領主様にも伝えようじゃないか。村民の切羽詰まった頼みを無下にする人ではないからね、あの人は」

 もっとも、自らの益にならなかったり、もしくは侵害されたりしない限りは、動くとも断言できない。領主は悪い人間では無いのだが、如何せん、善方向への熱意が薄い。

「……最初はさ。村長の代替わりがあったんだよ。その時からだよな?」

 ケンダラが、他の若者に確認しつつ説明を始めた。

 こうなれば、エレストが何か促す必要は無いだろう。ただ話を聞き続ければ良いだけだ。サボテンみたいに。

「なあ、あんたは先代の村長について知ってるか?」

 サボテンになろうとしていたのに、質問を向けられてしまう。面倒くさいなと思いつつも、聞かれたのだから答えざるを得ない。

 サボテンだってそういう苦労はしているかもしれない。

「先代かどうかは知らないけど、僕が話に聞いていたホワイトランドの村長と言えば老人だったはずだ。能力は聞く限り凡庸だね。もっとも、村長として凡庸なら、むしろ上等な類だ。普通の村を普通に維持できる。得難いとすら言える」

 もしかしたら、もっとも重宝する人物かもしれない。謀反心を持たず、とりあえず任せていれば、予想以上や予想外の事態も少なくしてくれる。扱いやすいタイプだ。

「だから……若いあの村長に出迎えられた時は驚いたね。何時の間に代が変わったのか。先代は老齢だったから、最近亡くなられたのかな?」

「先代の村長は、今の村長に追い詰められたんだ。突然死って聞いてるけど、弱ってた体にストレスがヤバかったんだろうぜ」

 ジャーキーがケンダラに変わった話を続けてくれるらしい。

 しかし、さっそく人死にの話が出て来たので、血生臭くなって来たなと思う。無用にこの匂いが広がらなければ良いのだが。

「追い詰められたっていうのは剣呑だ。悪意がどこかにあるって事だろう?」

 一応、話半分で聞いておく。彼らは現村長に批判的であり、彼らの予想もそちらに傾きがちだろうから。

「俺達だって悪かった。あんたの言う通り、前の村長は普通で、ちょっと飽きてたんだ。それが大事な事だったのに、都合の良い事ばっかり言う今の村長が、新しい村長になった方が良いんじゃないかと思ってよ」

 村長職と言うものについて、基本、それは制度化されておらず、問題も発生しなければ、一生ものの職だ。村長として任命された人物が死ぬまでは代替わりはしない。

 ただし、住民の強い要望があれば話は別だ。村社会という小さな社会の中では、村の中での総意が村の中のすべてを決める。総意が村長を相応しく無いと決定すれば、そのまま村長が変わる事もあった。

「平穏な状態で、新たに変化をもたらそうとする人間は、過激だったり都合の良い事を言ったりするよね。そんな話題でしか、人って話を聞いてくれいないもんだ」

 村民はそんなノリに実際に乗せられて、村長は代替わりした。そうして前村長はその事がショックでそのまま老け込み、寿命を全うしたと言ったところか。

 裏を考えれば何かあるのではと思えなくも無いが、そこまでの話である。

 裏なんて見たって、表側の流れが決定していれば、それ以上に足を踏み込んだところであまり意味は無い。

「ああ、そうさ。みんな騙されちまった。今よりもっと良くなるんじゃねえかって、そう思った。最悪でも、今とそんなに変わらないんじゃないかと」

「それは仕方ない。平穏と言っても不満はあったんだろう。それを発散したいっていうのは本能みたいなもので……なるほど。つまり今の村長は、君らの期待を裏切ったって言いたいわけだ?」

「ああ、それも最悪な形でな」

「そこを詳しく聞きたい」

 エレストは小屋の壁に背を預ける姿勢から、体重を預けるのを止めて両の足で立った。

「どこからか賊を雇いやがったんだよ、あの村長。んで、周囲の街道から通る奴に金を取る様になった。領内に無関係な場合は、それこそ襲う事だって……」

「待った。それは真実? その目で見た?」

 エレストにとっては一番重要な情報だ。それが真実であり、確証のある話題ならば、あとはそれを持ち帰るだけでエレストの今回の仕事は終わる。あとは付き添い先のリンダが無事に帰らせるだけだ。

「事実っつーか。村人に直接害が出て無いだけで、その賊連中。村にいるんだよ。それでなんか今回もいろいろと動いてるみたいで」

「なるほど。直接的に被害が出て無いから、君らみたいに危機感を抱いてる人間も少ないと。それはご愁傷さま……待った。なんだって? 今回も?」

 その言葉は不吉な色を持っている。何をもって今回なのか? この村における今回とはいったい?

「いや、だからあんた達絡みだろ? 村長が何か焦ってる感じだって、良く家事なんかの手伝いに行ってる奴の話でさ。最初は領主様と話でもつけるつもりなのかって思ったんだけど、あんたの様子を見るに……どうした?」

「……」

 ジャーキーの言葉は耳に入っている。理解もしていた。だが、それよりも物事の優先順位が自分の中で変わっていく事の方が大事だった。

 状況は……悠長にしていられないかもしれない。

「一つ聞く。焦ってる村長は、他に変わった様子は無かったか?」

「え? いや……俺も人づてに聞いただけで……何か、娘を寄越すのはどういう意図だーとか何とか言ってたとかも聞くけど、何のことか……って、おい!」

 呼び止めるジャーキーをエレストは背にする。そのままの勢いで小屋を飛び出し、まずは村の宿へと駆けた。

「くそっ。何か考え違いでもしてないだろうな!」

 エレストは毒づきながら、昼間にあった村長の顔を頭に浮かべ、もし万が一の事でもあれば、その顔ごとどうにかしてやると心に決めたのだった。




「私はね、悪人であるつもりは無いんだ。誰だって悪人にはなりたくない。そう思うでしょう? リンダお嬢様」

 リンダはくらくらしそうな頭と視界の中で、耳に入ってくる言葉を理解しようとしていた。

 その理解のためには、自分の状況も理解する必要があった。だがしかし、今の自分はどうにも理解したくない状況に追い込まれている。

 まず、手足が縄で縛られていた。外そうとしても縄が肌に擦れて痛いだけで、縄そのものをどうにかなる様には思えない。

 場所はどうだ。少し前までいた宿から連れて来られたのは、村の外れ……というか、村からも出た場所にある小屋である。

 何のために用意されたか知らないが、それなりに人を居住させる事ができる広さだったと思う。

 しかし、自分はその小屋の中でも、際立って狭い部屋に押し込められていた。

 どれくらい狭いかと言えば、子どもの自分と大人一人が入れば、それだけで一杯になってしまいそうな場所である。

 ただし、そんな場所において状況を最悪にしている要因は、もっと別のところにあった。

「何時だって、何にだって理由がある。あなたを攫ったのも、私にとって必要な事だったんだ。だからその様な目で見ないで欲しい」

「必要だったですって? 犯罪者とてその様な言葉は吐きませんわ。この様な事をして、お父様が黙っているとお思いですの?」

 この後に及んで他者の力をあてにするというのは、リンダ自身にとって恥と思える事だった。

 しかし、不甲斐ない自分には、父の力をアテにすることくらいしかできない。それが何より最悪に思えた。

「分かっているんだ。私は。分かっているんだよリンダお嬢様。君のお父上の力が強大な事くらい、十も百も承知している」

 目の前の男。ホワイトランドの若い村長は、昼にあった表情とはまったく違う顔を浮かべている。

 下衆の顔だった。嘲りと狂気、そうして怯えがある。そのすべてが、何時暴発したっておかしくは無い。だからこそ、リンダは彼に恐怖を覚えていた。

 だが、そんな恐怖に染まるリンダに向けて、彼は話を続けてくる。真に、この男は狂っているのかもしれない。

「君のお父上が、領主様が! 私を追い詰めたんだ。分かるだろう? 君は分かっているはずだ。だからこそ君は私の村に来た。私の不正を正すためなどと言うお題目の元にな!」

「何をおっしゃっていますの?」

 狂人の振る舞いであったが、それ以上に何を言っているのかが理解できず、リンダは尋ね返す。

 だが、村長は表情を一切変えない。変える必要も無いのだろう。今の表情がずっと素のままなのだから。

「恍けられては困るな、お嬢様。あなたは領主様に派遣されてきたはずだ。この村の窮状を見にな。だが、すべてには理由がある。私は行ったのは悪徳では無く、必要とされた正義の行いなのだよ」

 リンダにはさっぱり分からなかった。だが、村長の口から飛び出す言葉を聞き続けていると、彼が一体何を考え、何に危機感を覚えているかは分かって来るかもしれない。

 が、それが分かったところでもどうしようも無いのかもと言う絶望はある。

「私はね、本気で村を良く出来ると信じていた。私なら耄碌して日の仕事を漫然と行う事しかできない前の村長よりも上手くできると信じていたんだ」

 すべて過去形だ。もう既に諦めているのだろう。もしくは開き直っているか。どちらにせよ、彼が村と自身の未来に対して、輝かしい展望を持っているとは思えない。

「だが、村の連中はさらに私に望んだ。私ができる事以上をだ。答えないわけには行くまい? そうしなければ私は村長になれなかったし、村長で居続ける事もできなかった」

 つまり村長としての格では無いと言うことでは無いか。そう今さら言ったところで、相手が聞く耳を持ってくれるはずも無いだろう。

(本当に今さら……何を言ったところで、助けを呼べないし逃げることもできない。わたくし……本当に何にもできない未熟者でしかない)

 村長の無様さを見る度に、そんな村長に捕えられた自分に対する恥辱で泣きそうになる。実際、表情は歪んでいたのだろう。村長の方はそれを、単純な恐怖と取ったらしいが。

「そう泣かないで欲しいな、リンダお嬢様。私は紳士なのだよ。だから村人を追い詰めたりはしなかった。ただ、ツテを頼って荒々しい連中を雇い、村の周囲でさらなる儲けを出していただけだ。きちんとそれを村に還元はしていたよ。これは為政者として当然の行為ではないかね?」

「何が為政者ですって? どんな事をしたかは知りませんけれど、あなたはそんなものになる器ではありませんわっ。ただこの狭い場所で、わたくしなどに自己陶酔しながらただ話を続ける事しかできない―――

 音が響いた。それが衝撃と痛みを伴うものだったとリンダが認識するのは、そのもう少し後だ。

 ジンジンと痺れる様な痛みはリンダの頬に生まれ、それは深いものへと変わっていく。

「ふんっ。あなたは人質として利用させて貰うつもりだが、殺したところでバレなければ使い様はある。その事を理解していただきたいですな」

 目の前の村長が、手の甲でリンダを叩いた。それは衝撃的だったが、それだけだ。恐怖なら既に、ずっと前から感じていたから、そこに痛みが発生しただけ。

 ただ、それだけの事だったが、これからもその痛みを強要されるのかと思うと、リンダは目から涙が流れそうになっていった。




 エレストは手に持った杖へ、少しだけ視線を向ける。

 汚れた杖だ。先端に赤い宝石がついた木製の杖。全体的に黒ずんだ汚れが染みついており、洗っても取れないためそのままにしている。

 こう汚れていると言うのに、その汚れ程に手にしっくりと来るのがこの杖だった。

 もう大分付き合いの長い杖であり、兎角頑丈で、色んな場所へ連れて行った。古い友人みたいなものだ。

「おい、それ以上近寄るなよ、おっさん」

 声を掛けられたため、正面に立っている強面の男へと目線を移す。

 それにしても、最近は歩くなだったり近寄るなだったりと良く言われる気がする。

 おっさんと言われるのは何時もの事だから気にしない様に努めるものの、やるせなくなってしまう。

「君らの方こそ、こんな場所でどうしたんだい? いけないな、こんな時間に村の外れにいるなんて」

 おっさんらしく忠告してみる。実際、そんな事を言われたって仕方のない場所だった。

 村の内側でなく外縁部にある、突貫工事で作られた事が目に見えている小屋。そこに武装した男達が集まっているのである。しかも今は既に深夜と言って差し支えない時間。

「村のもんじゃねえな? 何の用か知らねえが、痛い目に遭いたいって顔してるぜ?」

 目の前の男。建屋の玄関の前で立っている二人のうち一人が、腰に持っていた大き目のナイフを鞘から引き抜き、その刃をエレストの頬へと触れさせてくる。

 刃物は押すだけでなく、引かれなければ傷つかないとは言え、危険な事には変わりない。

「村人の血気盛んな若者でも、いきなりこんな事はしない。というか、彼らはまだ随分と紳士的だったことがわかるな」

 エレストは脅されて怯える……なんとことはしない。する必要がない。

 ただぼんやりと、自分に随分と近づいている男を見る。

 この男以外には、玄関近くに立った男が一人と、あともう一人、建屋の窓からこちらを伺っている人影もいた。

 もしかしたら飛び道具でも持っているかもしれないなと当たりを付ける。

「おい。言い訳するなら今のうちだぞ? そうすりゃあ、怪我程度で済むかもしれねえ」

 つまりは、怪我は絶対にさせるらしい。

 恐怖を相手に与える。そうしなければ彼らは自らの仕事を全うできないと、そう考えている人種なのだ。

「言いたいことはね……何にもないんだ」

「あ?」

「人生には色々ある。そうして学ぶ事は、何を言ったってなる様にしかならないって事だ。出来る事があるなら、言葉にしなくたって行動で何とかできるしね。そう多くは無いけど……」

 ため息を吐きたくなる。そうしなかったのは、その動きだけで男達が反応しそうだったからだ。

 今はまだ、急にやってきて、愚痴を言う男としか見られていないだろう。

「おい。本当に舐めきってるってのなら―――

「それでも……一つだけ言わせろ。僕の数少なくなった尾を踏んだな?」

 開幕はこちらが告げる。喧嘩を買うほど若さは無いが、やられてやり返さないほど世の中に満足していない。

「へっ!? うぐぉっ!?」

 エレストはただ、相手の足に自分の足を掛けただけだ。そうしてバランスの崩れた相手を杖で押した。

 武装すると言うのは余計な重さを背負うと言うことだ。その重さを二本の足で支えようとすれば、それだけ不安定にもなる。

(勿論、武装し慣れてる相手だから、容易くは通じないぞっと!)

 転びかけ、それでも何とか姿勢を正そうとしたその男。だが、エレストはさらに嫌がらせを続ける。

「あ、足がぁっ!」

 隙を見せた相手の足の甲を、思いっきり踏み抜いたのだ。

 結果、男一人が転がり呻く状況が出来上がる。まだまだ、それで終わりでは無い。第一、向こうが終わらせてくれない。

(多少はやり方を分かってるか)

 もう一人の男が、腰に下げた棍棒を振り抜き、走り寄ってきた。

 怒声は上げない。目の前にいる人間が敵だとすぐさま認識し、どんな感情より先に、その行動力を奪う事に全力を尽くす。少なくともそれが出来る相手だ。

「うらぁっ!!」

 気を回さなければ、転がる男を見ているうちに頭部を殴られていた事だろう。

 ただ、注意していたのならそうでも無い。少し体を移動させるだけで避けることが出来る。それくらいの大振りだ。

(だからこれもあくまで誘いってわけだ)

 建屋の開いた窓から何かが飛んできた。黒く小さく、丸い何かだ。それが確認できるということは、飛んでくるそれを横目に見ることが出来たと言う事でもある。

 エレストが気を回していたのは、棍棒を振り回す男だけでは無い、窓際に見えていた人影をも警戒して、その動きを見逃していない。

(と言っても、飛び道具は危険か。早めに対処しないとなっ)

 手に持った杖に力を込める。と言っても、握り込む力を強めたわけでは無い。そんなに力を入れたら、汗で滑ってしまう。

 込める力は魔力だ。魔力……そういう力を、人は誰しも持っているのだ。

 そしてその力を、技術を持って操れば、魔力は現実に特定の事象を引き起こす。それが出来る人種を、この国では一般的に魔法使いと呼んでいた。

 エレストもまた魔法使いだった。ある程度の魔法が使える。しかし魔法を使う際、例えば戦闘中であったりする場合は、少しばかり面倒な事がある。

(複雑な魔法はそれだけ集中が必要。個人で激しく動く時には大層なものは使えない)

 だから使えるのは単純なものに限られる。エレストは自らが考える限りにおいて、もっとも単純な魔法の一つを放った。

「なっ……ぐっ」

 杖の先から強烈な光が放出される。それを予期していたエレストは姿勢を低く、視線も地面へ向けていた。

 夜の帳の中で、激しい光はそのまま目眩ましに使える。この光こそが魔力によって作られた魔法。光の魔法だった。

 光を放ち……それだけで終わる。だが、戦闘の機微の中では、それが出来ると言うだけで武器が一つ増える。

(二人目……)

 棍棒を持った男は杖の光を間近に浴びたので、それだけ目が眩み、姿勢が乱れている。

 男は今にも倒れそうだったので、転ぶのを手助けしてやった。杖で足を引っかけてしっかりと転がしておくのだ。

 さらにはトドメの一撃と行きたいところだったが、それより先に窓の飛び道具を持つ男だ。

 距離がある程度離れていたため、目眩ましもあまり効果はあるまい。しかし、飛び道具の射線については話が別だ。

 その場に光を放つ杖を地面に突き刺して放置。窓から直線を避ける様に弧を描く軌道で接近していく。案の定、杖の光に目がけて何か小さい物が飛んで行く。

 威力は多少ある様子で、杖が弾かれるのを見た。だが本人に当たらなければ意味は無い。

 杖を狙う事自体が悪手だ。光のせいで、こちらに狙いを付けられない事を自分で認めている。その間に、エレストはさらに窓へと接近した。

(飛び道具は……スリングショットだな)

 射程も威力も矢などよりは低いが、その分、連射が用意だ。相手が次の弾を用意するまでそう猶予は無いだろう。

 姿勢を低く、相手が狙いを付けにくい様にしながらもさらに接近。こちらの手が届く範囲と、相手が漸く次の弾を放つ事ができる準備ができるまでほぼ同時。

 そうなることが予想出来ていたので、エレストは魔法を放つ準備をしていた。

 移動する間の集中力で行使できる魔法は限られているが、使えるものがあれば使っておくのが信条だ。

「この野郎っ!」

 罵声と共に弾が放たれた。狙ったのはエレストが伸ばした腕である。というより、それが敵の視界の前面に出ていたのだから、そこを狙うしかない。

 エレストもそうなる事を狙っていたし、相手が放つ弾はエレストの腕を少なくとも弾くだけの威力はあるだろうと覚悟もしていた。

 もしぶつかれば、痛みで暫くは行動できなくなるか、少なくとも暫くは腕が使えなくなる……そのはずだった。

「んなっ!?」

 だから相手は驚愕する。放ったはずの弾が、エレストの腕を通り過ぎたのだから。エレストは伸ばした手を一切阻害されずに、相手の目を突く事ができた。

「んぐぁっ!」

 痛みと衝撃で窓の向こう側、室内へと転げそうになる男を追って、エレストも窓から建屋内へと侵入した。

 侵入し、その風景を見て呟く。

「えっと……杖を持ってきておいた方が良かったかな? これは?」

 窓の向こうには、それなりに広さがある部屋が広がっていた。

 恐らくは建屋のメインとなる部屋であり、机や椅子。何かの食べかすやらが転がっている。

 いや、転がっているものに一つ足して置こう。先ほど、目を突いた男も倒れていた。

 問題としては、転がる男の他に、立っている人間がさらに二人いる事。

 勿論、襲撃には気づいているのだから、簡易な武装をしていた。

「おい、何が目的だ。気でも狂ったって様子じゃなさそうだな」

 立っている男のうち、顔に傷跡のある男がこちらを睨んでくる。いや、睨んでいるのはもう一人も一緒だ。

 そこで転がる男も、痛みが収まり始めれば、エレストを睨みつけてくる事だろう。眼球をえぐるまでには至らなかった。ならば直に立ち上がってくる。

「今やったのは、体を部分的に透過させる魔法だ。数瞬だけ、物質的なものから解放された状態を、体の一部に付与する事ができる。使い時は難しいけど、上手くやれば相手の虚を突ける。一応、いろいろと不具合もあるんだけどね」

 先ほど、弾を放たれた側の手を見せつけながら説明をする。相手が理解できると思わないし、理解させるつもりの無い言葉を説明と呼べればの話だが。

「ちっ、魔法使いか。領主から派遣でもされたか? 一人で賊の集団を倒せるって自信はある様だな」

 とりあえず、こちらの説明の意図を、男は魔法使いとしての名乗りだと判断したらしい。

 そうやって話している間も、男達はエレストへとすり足で近づいて来る。倒れていた男も転がり続けるのを止めていた。なんとか痛みに耐え、立ち上がってくるはずだ。

「別にここまでしろって言われたわけじゃあない。けど、先にやらかしたのはそっちだ。何にだって反動はある。君らみたいな荒くれにもね」

 傷顔の男をエレストは睨んだ。発言の仕方から見て、彼がリーダー格だろうか。外にいた人数と合わせて賊は五人ほどか。そんな風に、敵に囲まれながら状況を整理していく。

「今、あんたの細い体を叩き折れば、その反動もなんとかできるってわけだ」

 いやらしく笑い顔を浮かべる傷顔の男。そんな彼を見て、エレストは溜息を吐いた。

「話を続けたいのなら、もう少し気の利いた台詞を考えるべきだ」

「ああ?」

「話し続けて時間を稼げば、とりあえず心は落ち着く。ほら、今、漸く立ち上がったそこの男も、戦力に入れられる。ちなみに外にいた見張りについては、片方は暫く動けない程度の戦力は奪えたと思うけど、もう片方は転がしただけだから、やっぱり立ち上がれば君らの戦力になる。君らにとっては話を続けた方が有利だ。そう考えているんだろう?」

 傷顔の男がニヤ付いた表情を止める。なんとも分かり易い。

 こちらを一切、見くびらないと感情の方で決めたらしい。その感情に合わせる様に、話も終わってしまった。

 今から、目の前の男をどうやって倒すか、そう考えているのだ。容易い相手では無いだろうとも思ってくれているはず。そうだったら良いな。

「一つ言っておいてあげるけど、時間は君らにだけ有利に働くわけじゃあない」

「全員、その場を離れろっ!」

 咄嗟に傷顔の男が指示を出すも、もう遅い。エレストが突き出していた手は光を放っていた。

 先ほどの、目眩ましに使った光ではなく、雷光のそれだ。雷の様に紫電を放ちながら、ジグザグに、しかし方向性を持って突き進む。向かう先は四つ。室内にいる三人の男と、エレストが入ってきた窓の方向。

「がっ―――

 短い叫びが四つ。今回使った魔法がまともに当たった場合、何時も相手はそんな叫び声を上げて気絶する。

 窓の方からこちらへ入って来ようとしていた、転がしただけの男が、再度転んで気絶している事も確認してから、エレストは一息吐いた。

「魔法使いを相手に、時間を与えたらいけないな? それだけ使える魔法の選択肢が増えて行く」

 誰に聞かせるでも無く呟いてから、エレストは建屋の中を探る事にした。もし、自分の行動が間に合っていれば、目的の相手は見つかるはずなのだが……。




 リンダが異変を感じたのは、じろじろとこちらを見る村長の視線が、別の方を向いたからである。

「なんだ? いったい何をやっている?」

 それは村長にとっての独り言だったろうが、リンダの耳にも届いていた。そうして、単なる騒音として聞き流していた音が、確かに妙な音である事を意識し始める。

(先ほどから、人がドタバタと動く音と、話し声が聞こえる?)

 動作音には癖がある。人が動く音や話し声なら、それまでも聞こえる事があったが、今さっきまでの音は、それらとは質が違っている様に思えた。

 実際、目の前の男もそう感じたらしい。

「暫し待っていただけますかな? リンダお嬢様。様子を見て参りますので」

 今では形だけでしか無い丁寧な言葉使い。そんな様子の村長であるが、焦ってはいるのだろう。返答を待たず、リンダが囚われている部屋から出て行った。

 出て行く際に、扉を開いたままだったので、先ほどからの音が、さらに良く聞こる様になる。

「待て……お前は……待ってくれ! これは……あああああ!」

 さっそく扉の向こうから聞こえて来た音。それは悲鳴だった。先ほど、部屋を去って行ったはずの男の叫び声。どう考えてもまともな状況ではない。

(なんですの? 何が起こってますの?)

 混乱ならし尽したと思っていたのに、ここに来てさらに上乗せがやってきた。このまま気が狂ってしまいそうだ。

 リンダのそんな気持ちに拍車を掛けたのは、悲鳴の後に沈黙があったからだ。

 いや、その音だけははっきりと聞こえていた。村長の悲鳴があった辺りから、足音が聞こえるのである。

 ゆっくりとした足音。それは間違いなくこちらへと近づいて来る音。

(本当に……気でもおかしくなってしまったのかも)

 正体不明の足音が聞こえ、それがゆっくりと近づいて来る。これはホラーであり、恐怖を存分に感じるべき状況。

 だと言うのに、どうした事だろう、リンダの心は違う感情が生まれ始めていた。

(なんですの? どうしてわたくし……この状況で落ち着いて来ていますの?)

 恐怖や混乱。そんな感情ばかりだった先ほどまでから一転、近づく足音を聞けば聞くほど、何故か、漸く安心という感情が浮かんでくるのだ。

 そうして、扉のすぐ近くまで足音がやってきたその瞬間に、リンダは自分の気が狂ったわけでは無い事を知る。

「エレスト! あなたっ。どうしてここに!?」

 扉から、ぬっと顔を出したのはエレストだった。

 不景気そうで、疲れた顔を浮かべた何時もの彼。こちらの声を聞くや否や、間抜けた顔からさらに気を抜かした表情になり、部屋へと入ってくる。

「あー……なんて言おうか、リンダ。そうだ、確認しなきゃなんだけど、大丈夫かい?」

「あ、あなた……聞き方にしても、もっとらしい言い方があるでしょう?」

 なんだか……心のつっかえが取れた様な気がした。

 現れたエレストは、リンダにとって日常の象徴みたいな人間であり、その人間が、こんな非日常な場面で、何時も通りの抜けた様子で現れたのである。

 これまでの張り詰めていた状況から、一気に空気が抜けて行く感覚。

 叫んだり大声で叱ったりしたくなる感情もあったのだが、出てきた言葉は、力が抜け、呆れに近い感情から出たそれだった。

「ごめんごめん。あ、二度謝るのはね、助けが遅れた事と、こう……囚われのお姫様を助ける時のキザな台詞とは、てんで縁の無い人生を送ってきたせいで、なんて声を掛けるべきか分からなかった事に対する……いや、とりあえず縄をほどこうか」

 何か言い訳を始めたエレストであったが、こちらが力なく項垂れている姿を見て、漸く縛られている事に気が付いてくれたらしい。

 こちらへと近づき、結ばれた縄を解こうと四苦八苦している。恐らく、とても不器用なのだ。

 本当にどこか抜けている。

「ああ! そうですわっ、エレスト! ここには村を狙う賊が!」

 と、酷く抜けた男を前にして、ここが危険地帯だった事を思い出した。

 エレストみたいなよろよろした人間がうろついていれば、第二の被害者になりかねない。そんな場所のはずだ。

「ああ、それなら安心して。賊連中は全員倒れてるからさ」

「全員……? もしかして……エレストが?」

 そうであればとんでもない事だ。リンダですら押せば転がせそうな人物が、あんな恐ろしげな顔をした賊を倒せるなんて、欠片たりとも想像できない。

「いやあ、違う違う。倒したのは僕じゃあない。村の若い子達がね、正義感に燃えていたのさ。村にやってきた領主様のお嬢様が賊にさらわれた。これはもう見ているだけじゃあ収まらないって感じでね。外で待ってるはずだけど……見てくる?」

「えっ……あ、そうだったんですの?」

 納得してしまった。恐らくエレストは、その若者たちの行動に乗ったか、もしくは力を借りた上でリンダの事を探しに来たのだろう。

 不甲斐なくも見えるが、それでも、いなくなった自分を助けようとしてくれた事は分かる。

「皆に……感謝しなければなりませんわね。あなたにも」

 なんとか立ち上がるだけの力が戻って来たので、ゆっくりと立ち上がろうとする。エレストも手を貸してくれた。

「そうだね。助けられたからには感謝しなきゃいけない。けど、その前に休まないと。君にはゆっくりと休む時間が必要だ。自分でもそう思うだろう?」

 エレストの言う通り、とても疲れていた。正に衰弱しているのだろう。だから今すぐにでも目を瞑り、眠りに落ちたいという気分でもある。

 本音は間違いなくそうなのだ。だと言うのに、リンダは首を横に振っていた。

「リンダ?」

「いえ、エレスト。いえ……やっぱり、感謝が先だと思うの。エレストにもだし、その……わたくしを助けるために、賊共と戦っていただいた方々にも頭を下げたいんですの。そうしなければならない立場わたくしはあると……ああ、なんだか上手く言葉にできませんわね」

 義務感とか、使命感とか、そういう言葉が浮かんでは消えて行く。多分、そういう単純なものでは無いのだ。

 ただ、リンダはこの地方の領主一族である。生まれた頃からそう教えられていて、それをこれからも続けると言うのなら、ここで動かなければならない。そんな本能に近い感情から、何時の間にか言葉が出ていた。

「……うん。分かった。あー、僕には分からないけど、君にとってはとても大切な事だって言うのは分かる。なら会いに行こうか。ただし、短い間だけだよ? 君の体力は、もうとっくに限界に近いんだ」

「分かっていますわ……分かっていますもの」

 こんな言葉は強がりでしかない。だと言うのに、何故かエレストは嬉しそうに頷いていた。




「皆さん……この度は本当に良くやってくれました。賊の首魁は村の長でありましたが、それを解決したのは村の方々。そうして、連れ去られたはわたくしの不手際。ならば感謝すべき立場にわたくしはあります。本当にありがとうございました」

「……」

 エレストは、連れて来ていた村の若い連中に、頭を下げているリンダを見ていた。

 礼をされている方はと言えば、全員困り顔を浮かべている。一種のコントに見える光景だろう。

(あれは領主代理に頭を下げられて恐縮って言うよりは、自分達より幾つも下の女の子が、随分としっかりしているのに戸惑ってる顔だな)

 彼ら……エレストをこの場所へと案内した村の若者たちであるが、この一件に関しての解決役を担って貰っていた。

 賊を倒したのはエレスト個人であったが、それを全部彼らがやった事にするのである。

 リンダが言葉にした通り、事件を起こしたのは村長だが、それを収めたのも村の人間と言う事にして、できる限りの飛び火を避ける形だ。

(これで罰する必要があるのは村長と賊達だけになる。村の方は……領主様の腕次第ってことかな)

 領内での裁量権は領主にこそあるわけだが、彼とて、不必要に誰かを排除するのは利益にならないと分かっているはずだ。

 けれどもし、まったくの村側の不手際で、解決も村側が関わらなかったと言うのなら、罰は村長どころかさらに広範囲にまで及ぼさなければならない。本人の意思とは別に、対面と言うものがあるから。

(だからわざわざ若者たちを連れて来たんだけど……うん。彼女のあの様子なら、そこまで考える必要も無かったかな)

 余計な考えを一旦中止して、エレストはリンダへ視線を向ける。

 疲労困憊。何時倒れたっておかしくは無い精神と体力だと言うのに、彼女は気丈に振る舞っていた。

 彼女もまた、貴族なのだろう。魔法を使えて、ちょっとした小技を持っているエレストだが、その貴族の精神というのは持ち合わせていない。ほんの少しだけ、憧れもする。

 まだまだ子どもだと思っていたし、実際、子どもであるわけだが、あの年齢の頃の自分に、こんな振る舞いが出来ただろうかと、成長を喜ばしくも思えた。

(僕があれこれ気を回さなくても、事を無難に済ませる事くらいは……いや、それはまだまだ次に期待か)

 苦笑を浮かべて、エレストはリンダへと近づいた。そうして彼女の背中にそっと触れる。

「リンダお嬢様。お話はそれくらいで」

「あっ……え、ええ。皆さん。まだまだ足りぬ言葉でしたけれど、本日はもう……ここ……まで……」

 リンダの力が抜けるのを感じる。彼女はそのまま、エレストの側へと倒れ込んで来たからだ。顔を見れば目を瞑っており、寝息を立て始めている。

 及第点と言うのは厳し過ぎだろうか? 本当に贅沢を言うのなら、誰も見ていないところでこうなって欲しいところだが、それは後、2、3年くらい経ってから期待したって遅くはあるまい。

 エレストは倒れるリンダを背負いながら、未だに茫然としている若者たちへ視線を向けた。

「ということで、君たちは村の英雄だ。そういう事として今後は扱うから、村には胸を張って帰る様に。いいね?」

「い、いや……ちょっと待ってくれよ。未だに頭が付いていけないと言うか……」

 頭を掻きながら、彼らのリーダー格であるジャーキーが一歩前に出て来た。彼らもまた、混乱する側であるらしい。

「さっき、うちのお嬢様が言った通りだ。君たちが賊を倒したんだ。そうした方が都合が良いんだから分かって欲しいかな。君らもそろそろ、良い大人だろ」

「それは分かってるって言うか……いや、良く分からねえ事には違いないけど、それ以上に、あんただよ、あんた。なんであんたみたいなのが……あの賊連中を一人で片づけちまうんだよ」

 なるほど、そこが彼らにとって一番の関心事だったか。他に難しい事を聞かれなくて良かったと思う。

 エレスト個人の事であるならば、幾らでも答える方法があるのだから。

「僕はね、魔法使いだ」

「らしいな……使ってるのを見たけど、そんなレベルの話じゃねえだろ……あれ」

 ジャーキーが建屋の方を見る。そこに転がっているであろう賊連中にも視線は向けているのだろう。

 確かに、魔法だけでこれらの事をしたわけでは無い。だが、そんな事を深く考えても仕方あるまい。

「納得できないのなら、もうちょっと気の利いた事を言おうか。人って言うのは、色んな経験を持ってるもんさ。賊を倒したりできる奴もいる。君らはだからなんだって思ってれば良いんだよ。なんてったって、君らから見て、僕はなよっちいおっさんなんだから」

 それだけ言って、少し手を振ってからこの場を去る事にした。とりあえず、背負ったお嬢様を宿のベッドまで案内する使命が、今のエレストにはあるのだから。




 賊は退治したものの、エレストのやるべき事は幾らでも残っている。

 リンダを宿へと連れ帰り、他の従者達と状況整理の話し合いをし、さらにそこへ村の関係者達も呼び出して、今後、どうなるかのエレストなりの予想を伝える。

 その後に漸く、なんとか合間程度の時間が取れ、少しの休息に当てたところで、すぐに夜が明けてしまう。

 徹夜なんて幾らぶりだろうか。

「この後は多分、君のお父上が直接やってくる事になると思う。それくらいの事件ではあったよ。領内で君が誘拐されるっていうのはさ」

 宿の食堂で朝食を取りながら、エレストは自分の仕事の続き、肝心のリンダにも今後の予定を伝えていた。

 やや礼儀がなって無いなと思いながらも、話と平行して朝食も取っている。

 こうでもしなければ、食事の時間さえ用意が難しい。やや冷めたベーコンと目玉焼きをフォークで突き刺しつつ、テーブルを挟んだ正面にいるリンダの言葉を待つ。

「そこまで……なのかしら? わたくし、こうして無事ですわ」

「けど、君は命の危険に陥った。実行犯の意図はどうであれ、領主ってのは領民に慕われてなんぼなんだ。だから今回も、警護役を付けていなかったわけで……結果、こんな事態になったって言うのなら、ちょっとややこしい事になりそうかな。僕や……それに君の手にも余るだろう」

 これはれっきとした事実だ。

 エレストが仕事を続けているとは言え、あくまで領主が引き継ぐ前の準備を行っているに過ぎないのである。それ以上の領分を超えない様に配慮もしている。

(まったく……義理も借りもあるわけだけど、それ以上の労力じゃないか? これは)

 いい加減、面倒臭くはなってくる。自分の立場を考え直してみたくもなった。

 あくまで領主一族の客分でしかないのがエレストだ。

 客分として食っちゃ寝ばかりしていると肩身は狭くなるだろうが、したって誰から文句を言われる筋合いは無いはず。何かしらの対価を要求するべきか?

「ちょっと、エレスト?」

「え、なんだい? リンダ」

 何時の間にかリンダに睨まれていた。

 何か彼女が不機嫌になる様な事でも言ったかと、自分の言葉を頭の中で反芻してみるも、特に心当たりが無い。

「また、ものぐさな事を考えていましたわね?」

「……さあ、何の事だろうか」

 何故だ。目の前のお嬢様は、エレストが言葉にした事ではなく、心で考えた事に対して不機嫌になったらしい。が、読心術なんてそんな物が使える話は聞いてない。

「誤魔化したって無駄ですのよ。なんとなく、エレストが考えている事なら表情や仕草で分かりますもの」

「君って時々、僕が驚く様な技能を見せるよね。びっくりだ」

 これでまだ、小さな子どもだと言うのだから末恐ろしい。今の段階で、頭が上がらなくなりそうで怖い。

「エレストには怠け者の匂いが染みついているというだけですわ。それで……お父様の仕事になるという話でしたけれど、ならばわたくし達はすぐに帰る事になりそうですの?」

「だね。少なくとも君はそうだ。村人に救出されたとは言え、危険な場所には違いないし。僕は……どうしようか。領主様を待って、伝える事を伝えてからの方が良いかも……嫌な予感がするな」

 直感が働いた。と言うわけでも無い。食堂に、血相を変えて飛び込んでくる女を見れば、誰だってそんな予感がするものだ。今みたいな状況なら特に。

「エレスト様! エレスト様はいらっしゃいますか!? あっ……それとリンダ様も」

 女はリンダの従者だった。つまり立場上は、エレストとそう違いは無い。

 だが、エレストは領主家の客という立場もあるため、領主家の従者からは様付けで呼ばれる。それだけの事で、エレストの立場が不必要に高いわけでは無いだろう。

 ここで問題なのは、呼ばれた主体はエレストにあり、リンダがその後に続けて呼ばれたと言う事である。

「突然にはしたないですわよ? ついでのわたくしに話すのが無理ならば、席を外しますけれど、何かありましたの?」

 と、やや皮肉交じりでリンダが女に尋ねた。こういう態度が出来るというのは、少し余裕が出てきたと言う事だろうか。

「ああ! す、すみません、リンダ様。その……リンダ様が邪魔と言うわけでは……なんと申し上げれば良いか……」

 焦りと混乱。驚きも混じった様子であるから、リンダの皮肉も必要以上に効いた様だ。さすがに可哀そうになったので、エレストは助け舟を出す事にした。

「僕に誰か用ってところかな? 例えば既に領主様が来ているとか」

「お父様が!?」

 驚くリンダ。事と次第を簡潔に書いた手紙は既に出しているが、時間的に有り得ない事なので、そこまで驚かないで欲しい。

 ただ、従者の様子はそれに匹敵する慌て方だと思った。

「領主様ではありませんが……騎士様が。国の騎士様が、エレスト様はいないかと尋ねて参ったのです」

「なるほど……それは予想外だ」

 聞いて目頭を抑えたくなった。何時だって予想外な事は起こる。ただ、贅沢を言わせて欲しいのだが、それが面倒な事であって欲しくは無かった。




 マジクト王国は国家の軍事力の一つとして、とある騎士団を抱えている。名称はそのままマジクト国立騎士団。

 王家が直属として抱えている武装組織だ。運営費も国庫や王家の私財から出されており、他貴族からは非干渉の立場を貫く、泣く子も黙る国家の精鋭達である。

 その活動範囲は多岐に及ぶが、国内全体の治安維持、有事の際の武力行使等が代表的なものだろう。

 そんな活動の中には、国内権力者……つまり貴族が不正を犯した際の取り締まりも含まれている。

 そんな騎士団の所属団員の一人が、今、食堂の席に座っているのだ。

「あなたが……エレスト・カインギル殿で間違いありませんか?」

「そういう君の名前は? 国立騎士団の団員は、自ら名乗る前に相手の名を聞くタイプだったかな?」

「これは失礼。私の名はリハ・ウォーカー。既にご存知の通り、国立騎士団の派遣団員として、このマヨサ家が管理運営する地へと参上仕った次第です」

 と、胸に手を当てる仕草で、リハの長い銀髪が揺れる。その姿を見て、エレストは思うところがあった。

「国立騎士団って、女性でも長髪は許可されてたっけ?」

「は? いえ、髪の長さの規定は無かったと思いますが……」

「そっか。今の騎士団長はそこらが厳しそうに思ってたんだけど」

 現れた騎士団員……リハと言うらしいが、女性だったので、少しばかりあれこれ聞きたくなった。

 騎士団という場所は、基本、男社会だ。国立騎士団そのものは、地位性別問わずに人員を募集しているが、その厳しい試験と訓練に耐え抜けるのは男性の方が多い。

 もっとも、まったくいないと言うわけでも無いので、意外とまでは言えないだろう。そういう事もある。それだけの話だ。

「もう、エレストったら。すぐにそうやって捻くれた態度を……。騎士団員のリハ様ですわね。申し訳ありません。わたくし、今はこの場所で領主の代理をしております、リンダ・マヨサと申しますわ。よろしくお願いしますわね」

 すっかり、堂々とした振る舞いに慣れたらしいリンダ。

 物覚えが良い方の彼女であるが、昨日の一件から完全に立ち直ってもいないだろうに、中々に強い精神を持っているのかもしれない。

「リンダ様ですね。既にお父上のマークト殿からお名前と、この地にいる事は聞き及んでおります。それと……どうやらこの村で事件が起こった事も」

 リハの言葉にエレストは反応する。領内での事件なので、領内で解決するのが筋の話であるはずだ。

 ここに外の人間……つまり国立騎士団が関係してくるのは、さらに事態をややこしくしかねない。

「事件そのものについては早馬を出しているけど、領主様のところまで届いていたとして、そこから反応が返って来るまでまだ時間が掛かるはずだ」

「ですから、その早馬を途中で発見しましたので、事情を少々確認させていただきました」

 なんとも目敏い。つまり領主よりも事情を早く知れたわけだ。

 しかも彼女、領主と話をし、何かしらの事情でエレストに会いに来たと言うのだから、どうにも事態がきな臭くなってきている様に感じる。

「この村の状況を知り……一度、マークト殿の元へ戻る事も考えたのですが、私がこの地へやってきた理由と無関係とも思えず、ただちにはせ参じた次第です。かなり重要な話になりますから、リンダ様と、エレスト殿以外には、どうか内密に」

 周囲を見渡して、エレスト達三人以外がいない事を確認するリハ。彼女の立場が立場なので、こちら側で勝手に警戒させて貰っている。余計な人間は近づかない様に指示をしてあった。

「想像はできないけど、碌でも無いって事はわかる言い方だね」

「ほらまた、エレストったらそんな風に……」

 どうにも皮肉気な態度は改められてしまうらしい。これでは、暫くは黙っているしかないか。

「お二人は……大戦残兵というのをご存じですか?」

「大戦……残兵?」

 リンダが疑問符を浮かべている。ならば話すネタが出来たとばかりに、エレストは口を開いた。

「第二次大陸間大戦くらいは君も知っているだろう? リンダ、君が生まれてすぐの事だ。あれで大陸中から徴兵が行われて、その残りって意味の言葉でね。広義的には」

 フォース大陸にはマジクト王国を含む4つの国が存在しており、その4つの国が共同で、別大陸から侵攻してきた国家を撃退した。その戦争を大陸間大戦と呼び、これまで二度ほど行われている。

 第二次は言葉通り、二度目の大戦の方を指していた。

「ええっと……大戦そのものは家庭教師に習ったことがありますわ。確か攻め込んだ国の名前は一次、二次共にフィルゴ。一度目は大陸西側よりの侵攻で、二度目は南方方面からマジクト国境までに迫ったとか」

 知識としてならそれくらいで説明できるだろう。ただ、実感としてはそう単純なものでは無かった。

 戦争は人間や国の様々な面を知る事になる。平時ならば隠している事が、皆の余裕が無くなり噴出していくのだ。

 見たくも無い事柄から、目を背けるだけの力さえ、戦場では奪われていく。

「エレスト殿は、従軍もしていたと聞き及んでおります」

「ふぅん。それは誰に聞いた?」

 リハの言葉に、少しだけ瞼を上げる。誰にも気づかれない程度のほんの少しだけ。

「ええ、はい。それは勿論、領主であるマークト殿からですよ、エレスト殿」

 本当だろうか。疑いを向けたくなるも、今の時点では真偽も分からないままだ。

「ああ、もしかして、エレスト殿に大戦残兵についてを聞くのは愚問でしたか?」

「だろうね。良く知ってる。二次大戦では大陸の全力がつぎ込まれた。これでもかって程にね。戦中はそれで良かったけど、困った事になったのはその後だ。他の大陸と戦うだけの戦力っていうのは、平時じゃあ過剰だから」

 大陸間戦争が終わると、徐々に戦力の削減が行われたわけだが、それで困るのは当事者である兵士たちだ。

 徴兵、志願、雇われと、様々な理由で集まった兵士たちは、そのまま職にあぶれる形になった。

 戦前の職に戻れる者ばかりでなく、その多くが傭兵として兵を継続……もっと酷い場合は、武装盗賊となるまでに至った。

「そうか……この村の賊共も」

「はい。大戦残兵が盗賊化した輩でしょう」

「随分と断定的に言う。君だって、この村の状況を知ったばかりだろうに」

「それは……」

 語るに落ちると言う程でもあるまい。何かを隠して話を続けていれば、必ずその隠し事の輪郭は見えて来るものだ。

「別の何かを知ってるね? これから話す事って言うのもそれ関係か」

「エレスト! またそうやって非礼な態度を隠そうともしないでっ。ただでさえ曲がっている性根が、捻じれ落ちてしまいますわよ?」

 と、リンダに注意の声を向けられてしまう。そこまで言うかと思いながらも、心なしか辛辣になっていた事に反省はした。

 これはいけない。辛辣になるのは、それだけ関心を深める行為だからだ。自分は、そこまで何かに深入りする必要など無いはず。

「そこまで理解していただいているのであれば、本題にも入り易いですね。と言うのも、実は我々国立騎士団は、マヨサ家の領地に大戦残兵が流入した事を事前に把握していました」

「……聞き捨てならないね。そんな話は聞いた覚えが無い。僕が聞かされて無いだけかもしれないけど。リンダ、君はどうだい?」

「ええっと……いえ、わたくしもさっぱり。あ、けれど、お父様ならば」

 リンダの言葉に対して、リハが首を横に振った。

「マークト殿の耳にも届いていないかと。あくまで、我々が独自に追跡していた対象でしたので。実際、本人に確認したところでも、初耳の様子でしたし」

「その報告でまず領主様に会いに来たってわけだ。私達騎士団は、不穏分子があなたの領地に侵入している状況を、むざむざ見逃していましたって報告を」

 今度ばかりは、リンダもエレストの皮肉を注意はしなかった。むしろ驚愕し、リハの方を見つめている。

「それはどういう事ですの!? 国立騎士団は国家の治安を維持するのが責務のはずでしょう? だと言うのに賊を放置し、あまつさえ、わたくし達の地へ送り込む様な真似を!」

「あー、リンダ。別に彼らは送り込んでいない。相手の動きを把握し、眺めていただけだ。それに、賊が入って来るって言うのなら、それを察知する義務は、むしろマヨサ家の方にある」

 今度は逆に、こちらが注意する側だった。あまりリハを責め立てるのも、彼らが開き直る機会を与えてしまう。

 国立騎士団は、確かに国家の治安を守る。だが、それは貴族のためでは無いのだ。

 だから、例えばマヨサ家に害が及んだとしても、国家全体の利益を考えればそうするしか無かったと、言い訳する事もできるのである。

「あくまでそれらは過去の話。起きてしまった事を、今さらどうこう言うのは……僕らの立場でやる事じゃあないよ。もっと上の立場の人間がやる事だ」

 だらだらと人差し指を天井に向けて、ぐるぐると回す。

 起こってしまった事については、本当にもうどうしようもない。

 過去は変えられない。エレストは過去に戻る魔法を知らない。この世界の誰もが、きっと知らないだろう。

「エレスト……ですけれど」

 リンダはそれでも、納得できない様子だった。それも仕方ない。腹が立つ話であるのは事実なのだから。

「別に、何もするなって事では無いよ、リンダ。考えるべきなのはね、先のことさ。未来の事だよ。これについては、やり様によっては幾らでも変えられる。選択肢はそう多く無いかもしれないけど、その一つを彼女は持ってきたんだ。違うかい?」

「ええ、その通りです。まず、何故、我々はこれまで見過ごしていた賊の情報を持ってきたのかについてなのですが……」

 これも予想できる。つまり準備が出来たのだ。賊を見逃していたのは、つまり、その賊についての情報収集を優先していたのだろう。

 どれだけの規模で、何を狙い、どんな行動を取るのか。それらを把握する事が先決だと国立騎士団は考えて、行動していたはずだ。

 そうしてその状況が変わったと言う事は、相手の状況把握が完了したと言う事。

「我々は、これまで追い続けた賊達の討伐を行います。奴らがマヨサ家の領内で潜伏しているのだとしたら、討伐場所は領内になるでしょう。まずはその許可を、マークト殿からいただきに参ったのです」

「重い腰を上げたと言う事ですの? でしたら、賊などはさっさと退治していただきたいとわたくしも思っていますわ」

 一体どんな話が飛び出すのかと、リンダは警戒していたのだろう。それが、賊を退治するという当たり前の話が飛び出したので、むしろ安心した表情を浮かべていた。

 だが、そう簡単な話では無いのだとエレストは考える。勿論、リハの方もだろう。

「リンダ。そうじゃあ無い。賊は既にマヨサ家領内に入った時点で、マヨサ家の問題になったんだ。その問題を国立騎士団が解決したとなると、マヨサ家の権威に傷が付く。それも……結構な部分で」

 権威を失った貴族なんて酷いものだ。どれだけ力を持っていたとしても、その力が従わせる根拠が無くなるのだから。

「でしたら、やはりマヨサ家が兵を上げて……」

「その時間も無い。彼女ら国立騎士団は、既に討伐の意思を決めてしまっている。こちらがどう動くかより先に、大勢は動き切ってしまってるわけだ。厄介だね。畜生と思う部分がある」

「そんなはしたない……けれど……それではあまりに」

 身勝手では無いのか。リンダの思いはとても分かる。国立騎士団の行動は、マヨサ家にとっては身勝手この上無い行いだろう。誰もそのことを否定はしないはずだ。

 ただ、だからそれを正すべきかどうかという話なら別だ。組織だろうと個人だろうと、それぞれ思惑があって動いている。道義的にどうなのかと言う提案は、それらの思惑を吹き飛ばせる程の力は持たない。

 それでも、話し合いをする材料にはなったりするだろう。

「リハ・ウォーカーさんだっけ? 国立騎士団が領主様に会いに来た理由は良く分かった。けれど、君が僕に会いに来た理由はまだ分からないな。なんというかその……余計な行動に思える。僕なんかに会うって言うのはね」

 リハはエレストの言葉を待っていたらしく、ゆっくりと頷いた。こちらの言葉をすべて肯定する様に。

「国立騎士団が本格的に動けば、マヨサ家の権威に傷が付く。そのことは我々も十分に承知しておりますし、上手いやり方があれば、そちらを取っても良い。そういう考えも無いわけではありません」

「例えば……国立騎士団が全面的に動く前に、賊がいなくなってしまえばとかだね。だけどさっきも言った通り、マヨサ家が兵を集める時間も無いわけだ」

「我々国立騎士団が、マヨサ家領内にて本格的に動きだすまで、あと1週間と言ったところでしょう」

「そんなの、無理に決まってますわっ」

 リンダは無理と決めつけるが、何か他に良い方法があるかもしれない。

 エレストは考えて……やはり無理だなと結論づけた。1週間以内に準備できる事なんてたかが知れている。リンダが正しい。

「参ったね。これはどうにも。言っておくけど、国立騎士団はマヨサ家の恨みを買う事になるぞ。一度傷ついた程度でマヨサ家の権力は衰えない。それなりの害を被って、その後、かならず意趣返しをする。それについての覚悟は……あるから動いてるんだね、そちらも」

 脅しのつもりで、愚問を言いかけた。

 権力のぶつかり合いなんて、そこら中で、常日頃から起こっている。

 それが今回はマヨサ家と国立騎士団で起こったと言うだけの話だ。その事を覚悟していない権力者なんて、とっくに衰退するか滅んでいる。

「ですが……できる事なら確執は避けたい。そうではありませんか?」

「そうですわっ。それはその通りですの」

 話の流れが明るい方向になったのでは。リハの言葉に、リンダはそう思ったらしい。

 一方でエレストにとっては嫌な雰囲気のままだ。

「事前にマークト殿から話を持ち掛けられているのですが、もし、この件でエレスト殿が動けると言うのなら、その動きを任せても良い。との事でした」

「え? エレストが?」

 話の方向が、まさかエレストへと向かうなどと思っていなかったのだろう。リンダは驚いた顔をエレストに向けてきた。

 ではエレスト本人はと言うと、最初から、そんな話が出てくるのでは無いかとずっと不安だった。

 そうして、それが当たってしまったのである。ならばどう答えるべきか。

「断る。そんなのは無理な話だ。そっちだって良く知ってるだろう。領主様が提案した話らしいけど、それだけじゃないな? 提案者全員に言っておいてくれ。本人は今さら無理だって言ってるってね」

 こんな事、最初から言っておけば良かった。そんな風に思って、エレストは目元を手のひらで覆った。




「まったく、失礼な話ですわねっ」

 街の宿。そのリンダの部屋で、エレストはリンダが怒って顔を真っ赤にしている姿を見ていた。

 食堂にはまだリハがいて、一緒にいれば話題がまた同じものになってしまうだろうから、一旦、離れる事にしたのだ。

 と言っても、離れたところで出来るのは、リンダの怒りを聞くくらいであるが。

「仕方ないと言えば仕方ない。彼女も仕事では末端役だろうからね。彼女の物言いそのものは礼儀に則ったものだったし、彼女をあまり責められはしない……かな」

「そういう話でなく、エレストが賊を退治できれば上手く収まるなんて話をした事に、わたくし怒っているのですわっ。エレストがそんな事できる様なマッチョじゃなく、レンガ一つでも持ち上げれば脱臼しそうな人だって、見て分からなかったのかしら!」

「なるほどー、そっちかー」

 頭を掻きながら、傍から見ればそうなるのかと思う。

 確かに、自分みたいな奴に賊退治を望むなんて間違っている。さらには国立騎士団の行動よりも素早くなんて、奇跡がそれこそ10度くらい起こらなければ有り得ない事になるのだろう。きっと。

「ぜーったい、馬鹿にされているか謀られたんですのよ。エレストも気を付けてくださいましね」

「だね。無茶をやらされるなんてのは心臓に悪い。足腰にもだ。今にも倒れそう」

「命だって危険ですわっ。それにしても……」

 リンダが怒り顔から、ふと何かを思いついた様な顔になる。視線はこちらを向いたままだ。

「どうしたんだい? 何か思い付いた事でも?」

「エレストったら、あの騎士団員の方と、組織の動きなどについて、良く話していらっしゃいましたわよね? 王都などで暮らしていれば、それくらいの話はできる様になっちゃいますの?」

 なるほど。普段からぼんやりとしている人間が、皮肉交じりではあるが、国立騎士団の人間と対等に話していた事。それに対して思うところがあったらしい。

「んー……間違いでは無いかな。昔取った杵柄なんて上等なものじゃないけど、話くらいなら出来る。体はしょぼいかもしれないけど、頭の方は……人並みであれば良いかなってさ」

「昔取った……そういえばわたくし、思った事があるのですけれど、エレストが昔、王都でどんな事をしていらっしゃったか、あまり聞いた事がありませんわ」

「あんまり話す事では無いしねぇ。それに、触りくらいは話したことがあるだろう? 魔法大学で魔法を研究してた。けど、暫くしていろいろあって、王都を出た結果、今の場所に収まってる」

「間を省き過ぎですのよっ」

 かもしれない。ただ、その間が少しばかりややこしく、だからこそ省いているのだ。しかし、面倒だから話したくないと言っても、リンダが聞き入れてくれるかどうか。

「なんと説明するべきか……魔法大学の件だけど、実は途中で止めたんだよ。自主退学だね」

「まあ、つまり、魔法大学に通っていて、その後をはぐらかすのは見栄のため……」

 別にそういう事では無い……本当だ。魔法大学中退なんて魔法使いとしての経歴が、自分にとって汚点であるとか、そんな風に思っているわけでは断じてない。

 本当だ。嘘ではない。本当なのだ。

「違う、違うんだリンダ。その……なんて言おうか、ほら、世の中成り行きって言うのがある。成り行き上、別の仕事をする事になってね。それで大学を止めて、そっちで食べて行く事に……」

「その仕事も長続きせずに、お父様を頼る事になったんですのね。嘆かわしい」

「ち、違っ。いや、だいたいはそういう事だけど、違うんだよ……名誉を回復させて欲しい」

 良い説明の方法が思い浮かばず、非常に悩ましい問題だった。

 せめて、リンダからの評価はもう少し上げておきたいが、どう説明したところで、彼女が認めてくれそうに無い。

 だからエレストは、結局肩を落としてぼやく事になった。

「ああ……その通りかもしれないね。結局は都落ちだ。こっちに来た頃は、悠々自適に魔法研究でもしながら暮らそうなんて思ってたけど、なんか駄目だった。何かが折れたまんまなんだよ」

 自分の過去を思い出す。あまりしたく無い事だったが、振り返ってみれば中途半端な人生だった気がする。そんな人生に対して、今の自分の立場はかなり上等だろう。

 だと言うのに、日々、しっくり来ない感覚に襲われていた。自分はこうで良いのだろうか。そんな風に考えて過ごしている。まるで何かから逃げているみたいだ。

「もう、しゃんとなさいな、エレスト。今回はわたくし、結構ショックで、いろいろと混乱していますけれど、それでも未来の事を考えれば前を歩けますのよ?」

「未来のことか……そんなのが僕にあるのかな?」

 何も無い、宙を見る。ぼんやりとした人生を今は送っていて、それがこれからもずっと続きそうに思える。

「また後ろ向きな事を……自分の歩いてきた足跡なんて見続けても、増えたり減ったりはしませんわ。やっぱり、新しい足跡を付けるんだっていう気迫が無いと」

「新しい足跡か……そんなの、僕なんかが付ける価値あるのかなぁ」

 今の立場になって、努めて来た事があるとするのなら、そんな足跡を残さない様にする事だった気がする。

 歩くのに疲れたわけではないが、自分の様な奴が、他人が歩く道に、邪魔者みたいに足跡を残すなんて、間違っているからと、無気力さを維持し続けていた。

「もう、本当にエレストったら……大きな間違いをしていらっしゃいますわ」

「間違いか……僕はまた、何かを間違えちゃったかな?」

「ええ、とてもとても大間違いですの。足跡なんて、嫌でも残りますし、それを見てどうこう言うのは本人では無く他の方ですのよ。未来なんて行くのは嫌だーなんて言っても、寝て起きたら絶対にやってきます」

 それは、当たり前の理屈だろう。時を遡る魔法も、止める魔法も存在しない。只々、世界は変わり続けて行く。世界は変わるという魔法だけがずっと続いていくのだ。

「これから、どういう足跡を残すか。それだけしかできませんわ。わたくしも、エレストも。わたくしは勿論、綺麗なものを残したいですわね。今回のはその……ちょっと踏み間違えた感がありますけれど」

 胸に手を当てて、自信満々に話す少女を見る。彼女はここ暫く、ずっと翻弄されっぱなしだったはずだ。

 混乱して、恐怖して、また混乱して。意気消沈して、未来なんて考えたくも無いとなってもおかしくは無いし、誰も責めないだろう。

 だと言うのに、この元気さは何なのか。空元気なのか、見栄か、それとも、もっと別の何かか。

 色々と考えるのだが、彼女の若さや幼さがそうさせるのだろうという結論に至る。

(いい大人は、諦めの価値を知っている。例え世の中にとってマイナスにしかならなくても、それには価値があるんだと思い込める)

 けれど、そんなのは彼女みたいな人間にとってしがらみでしか無いのだろう。彼女は足踏みを続けるだけのエレストに比べて、ずっと前を向いて歩いているのだから。

「……ねえリンダ。君は、さっき、残せるのなら綺麗な足跡が良いと言ったけど、それは間違いじゃあない?」

「え? それはまあ……間違いない言葉ですわよ? 当たり前でしょう?」

 エレストは目を閉じた。少し長い瞬きだ。そうしてゆっくり目を開く。朝に目覚める時の様に、微睡みの誘惑がそこにはあったが、それでも目を開く。

 リンダからは力が無くて老人みたいなんて言われる目を、それでも開く。

「ああ、間違いじゃない。その通りだ。足跡をこれからも残すしか無いって言うのなら、綺麗な物を残したいって思う。そう思うんだ」

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