屍
黒曜はきょろきょろと翡翠の部屋を見まわした。
もともとの稠度以外何もない。淑妃の珊瑚は大量の私物を持ち込んでいたはずだ。
翡翠は最低限の着替えと装身具以外は何も持ち込まなかったようだ。
翡翠の弟は扉の前で追い返された。弟とは言え妃の部屋に皇帝以外の男が入ることはまかりならない。
人払いをしたが、貴妃付きの侍女たちは何か言いたそうに黒曜を見て、誰かの、おそらくあの妓女を探していたのだろう。
あの妓女が、翡翠のところに戻ることはないだろう。
それをするには危険すぎる。
人知れず始末するか、もっと穏便に王宮に近づけなくするか。
翡翠は物悲しげな顔で長椅子に座っている。その姿はいつも通りだ。
あの晴れやかで残酷な笑顔は幻だったかのように。
「どうしてここにいるの?」
咎める色はない、心底不思議そうな顔だ。
「成り行きですか?」
黒曜もわからない、ただ、どうしていいかわからなかっただけかもしれない。
「死に損ねたかしら」
翡翠は無表情なまま黒曜を見た。
「死に損ねた屍が、子供を産むのかしらね」
不意にくすくすと笑う。
「殺し合いをしているときは結構平気、ただ終わった後、見慣れた街に、死体が転がっているのを見るのはかなりきつかったわね」
翡翠はまっすぐに黒曜を見た。
「出ていくなら今のうち」
たぶん、これから、黒曜の神経が持たないような話が始まるのだと薄々察することができた。
黒曜は黙って立っている。
翡翠は笑みを消した。
細い路地裏に連れ込まれた後、怒涛のように群衆が押し寄せてきた。
その合間に肉のつぶれるような音が何度か聞こえた。
月姫は先ほどまでは嘘のように感じなかった激痛に朦朧としていた。
仲間の一人が肩を貸してくれたが、行き場がない。
もう一人仲間を引きずっていたが、すでにこと切れていた。
死体と並んで壁を背に座り込んでいた。
目の下にはいびつに折れ曲がった自分の足が見えた。
そこで記憶は途切れていた。
月姫が目を開けた時最初に見えたのは、泣き腫れて人相の変わった弟だった。
骨折からくる高熱で、意識不明だったらしい。
足は木の棒で固定され、ぐるぐる巻きになっていた。
陽輝の差し出す薄い粥を口に含んだ。ほとんどとろみのあるお湯のようなものだが、白湯をうなされながら流し込まれただけという身体にはそれ以上の食べ物はむしろ毒だと言われたようだ。
もともと痩せていた身体はさらに痩せ細り、手の甲は骨の形がはっきりとわかるようになっていた。
「これから葬式なんだ」
陽輝はそう言って目を閉じる。
「反乱軍の死体はまとめて船に積んで沖に持っていき海に沈めたという。
鎧を着ていたのでおもりをつける手間は省けた。
そして、これから戦いで運悪く亡くなった仲間たちの遺体をまとめて埋めるらしい。
埋める場所は、あの最初に焼き払われた場所。
「私も行く」
立ち上がろうとして身体を起こしたけれど、そのまま枕に落ちる。
「駄目だよ」
「行くの、見届けなければ」
それが生き延びてしまった自分の義務だと思った。




