死者の言葉
翌朝、鈿花は目を覚ますと身支度を整えて、貴妃のもとに向かう。
すぐ隣の部屋ではあるが、それはそれだ。
寝台に起き上っているので、ほかの女官が、髪を梳いていた。髪は簡単にまとめて、残りは垂らす。
化粧はせず、その上から薄い紗幕を被る。
衣装もごってり聞かざるわけではなく、たっぷりと布を使ってある着物を上から羽織って終わりだ。
「妊婦になって一番いいことは、きっちり着飾る必要のないことよね」
しみじみとした口調に今までの苦労が推し量れる。
「ああ、あれ重そうだったからねえ」
貴金属でできた歩揺をぎっちり髪にさしていた。
あんなにつけていたら髪が痛みそうな気もする。
「そういえば」
言おうとして鈿花は口ごもった。寝言で口にした古い知己の名前。その詳細を聞きたい気もしたが、不吉な予感しかしなかった。
風花のところにたまに行く。そこで何人かの知り合いと顔を合わせたが、合わせていない人間のほうが多い。
そのうち何人生き延びているだろう。
「そういえば、なに?」
「どうして、こんなところにきたの?」
「それがね、うちの父親がさ、なんだか偉い人だったとか言い出して、何でも、王を諫めて左遷されたとかそのことを尊敬している人たちが今もいっぱいいるとか?」
貴妃の言葉は実に懐疑的だった。
「そんな偉い人、だっけ?」
「そうだよね、私もそう思う」
貴妃の父親についてはおぼろにしか覚えていないが、近作などはほとんど娘に任せっきりだったはずだ。一応役人として報酬を得ていたはずだが、びっくりするほど印象がない。
「それで今どうしているの?」
「おととし、死んだ。安南でも、いるといないとは大違いでね、どうしようと思っていたけどその父親を尊敬する方とやらが、救いの手を差し伸べてくれたってわけ」
「怪しいと思わなかったの?」
「思った」
はっきりと言い切った。
「だから、お金を受け取ったら、弟はさっさと逃がしたよ、支度金とか言っていたけど、そのお金で何とかやって行けそうだと思ったから、私は、まあ仕方ないかと思ったんだけどね」
苦く笑う。
「おい、こんな身の上になった私が言うのもなんだけどね」
どうやら自暴自棄で、怪しすぎる話に乗ったらしい。
「まあ、こんなことになったわけで、本当に、尊敬している人はいたんだねえ。私たちが覚えている父と、連中の言っている父と、どっちが本当の父親なのか、もう永遠にわからない、これから、わかることもない。これが人が死ぬってことなのかもしれないね」
「そうだね」
死者達の心はもうわからない。




