狂奔
「あいつらもかわいそうですぜ」
一応、哀れに思ったので、韓将軍に忠告はしてやった。
「あの日のことを覚えているか」
韓将軍は遠くを見る目で空を見上げた。
そげた頬から黒々としたひげがまっすぐに落ちている。
「あの日って何のことですかね」
そう言いつつ、薄々どの日なのかはわかっていた。
隣国の侵略がいよいよ本格化してきたあの時分、珍しく国はまともな判断をした。
まともな判断をするのが、珍しいという時点で当時の政局がどれほど酷かったかが伺える。
というより、普通ならばもっと早く援軍をよこすが、何度も請願書を出して、数か月後だったので、時間的に正しいとはいいがたかったかもしれない。
とにかく援軍はやってきた。
しかし、その後起きたのは、もともとの責任者と、援軍を束ねる韓将軍との指揮権をめぐっての泥仕合だった。
大概にしろやと朱雷などは毒づいていた。
そして、何やら冷めた目でその泥仕合を見ている年下の友人劉淵はそのころ何やら考え込むことが増えていた。
そして先頭さなかに韓将軍が負傷、戦線を離脱することになった。
後で聞いたら、劉延が裏で糸を引いていたそうだ。指揮官が二人いる状況が危なすぎたのと、ある程度気心の知れたそして地の利のある砦の指揮官を残すほうが有利だと判断したらしい。
そのことは韓将軍には決して言うなと口止めされている。むろんそれを言うつもりはない。
「狂奔という言葉を知っているか、私も見たのはたった一度だけだ」
韓将軍はこの世ならざるものを見ている眼をしていた。
あるいは遠い過去を見ているのかもしれないが。
「ただ、存在するだけで、人を狂気に誘い込む、そんな存在がある」
「はあ、それで」
「貴殿も見ただろう、あの日の陛下を」
いよいよ戦局が危ないとなった時、唐突に劉淵が立ち上がったのだ。
戦況はいよいよ膠着してきている。
敵軍はいつになく大軍を擁してこちらに攻め入ってきていた。
指揮官の負傷。朱に染まり、それでも痛む身体を押してその場にいることは立派だが、朱雷としては邪魔だからあっちで寝ていてほしかった。
砦の指揮官の言うことをまぜっかえすことしかしていない。
傍らの劉淵がいきなりそちらに進んだ。
「おい?」
そう言って肩に手を置こうとしたがあっさりとはじかれた。
「軍をまとめよ、総指揮は私がとる」
今まで見たことのない表情と口調で龍炎はそう命じた。
「皇弟殿下の御前である、控えよ」
そう言って恭しく指揮官は龍炎に跪く。
そのあとはただただ混乱だった。わかっていた連中はてきぱきと事態を収束し、そのままそう決戦に臨んだ。
そしてその時の状況を指して韓将軍は言う。
「あれこそが狂奔だった」




