過去
「帳元」
自分の名を呼ぶ声を元は跪いたまま聞いていた。
「廟の話を聞いたか?」
目の前にいるのは将軍。自分の、かくあるべきと思っていた人生を激変させてくれた男。
「はい、恐ろしい話です」
先帝の法事の途中で、正一品の妃たちの暗殺未遂があったという。
その実行犯は先帝の妃の侍女だったとか。
妃とその侍女はほどなく先帝に殉死させられるらしい。
直接狙われたのは貴妃、翡翠。
最近ご懐妊と噂の妃だ。
翡翠の名を聞くと、元は一気に心が重くなる。
顔は見ていない。元の身分で、皇帝の妃の顔を直視することなど許されていない。
しかし、声が聞こえた。かつて何度も聞いた声だ。
懐かしい声、そして、かすかに、本当にかすかに足を引きずって歩くそのしぐさ。
まさかと思う。もしそうなら、何があったと何時間でも問い詰めたい。
かつての友人が、自分が郷里を離れている間にいったい何が起きたのか知る術すらない。
李恩も気づいていると思う。しかし視線だけ気持ちを交し合ったとしてもそれを直接口にする勇気がなかった。
「そういえば、そのことを指摘した妓女、お前の知り合いだったな」
死んだはずの女の名前。
ずっと死者だった女が生き返った。
「かつて、同じ老師に教えを受けましたが、あの事件にはかかわっていません。その前にかどわかされたそうですので」
誘拐犯は憎いが、そうされなければおそらく自分の想像通り死んでいたはずだ。あの日あの場所で逃げ切れた人間はほぼいなかった。
辛うじて、逃げた者達も重傷を負っており、すぐに死んだ。
どうして、あの場所で、あんなことが起きねばならなかったのか、どれほど考えてもわからない。
あの事件さえなければ、今も自分がいずれ送るだろうと思っていた生活を続けていたはずだ。
「それで、そろそろ話す気になったか?」
またこの話題か。
あの事件の詳細は語ったことはない。どれほど問い詰められようと、一度たりとも話すつもりはない。
「申し訳ありません、話すことなど何もないのです」
あの日、生き延びた。その時、網膜に焼き付いているのは、明けに染まったかつての親友の姿。壊れた人形のように、手足の位置がおかしい形で倒れていた盟友。
あの日、自分は助かるつもりなどなかった。
あの日、初めて自分は、人を殺した。
何人も何人も殺して、ようやく生き延びた後は、軍に引っ張られて、また人殺しの日々だった。
自分を奏したのが目の前の相手、韓将軍。
娘を後宮に入れ、最も王宮で上り詰めつつある軍人だという。




