できれば現実逃避
これはまずいよねえ。
鈿花は目の前の、まるで打ち捨てられた花束の様に倒れている貴婦人を見下ろしていた。
本日ちょっとした催しごとが王宮であったのだ。
王宮は今のところ質素倹約を旨としていたためそうした芸人たちの数が少なく、そのため鈿花のような民間の芸妓や歌妓にまで声をかけられた。
ひとさし舞い終わって、貴賓席にご挨拶していたところ、一人のお妃様が鈿花の顔を見た途端昏倒してしまったのだ。
高貴な方は下賤な芸妓などにそのご尊顔を拝ませてもらえないと見えて、薄紅色の被り物を頭からかぶっていたが、たぶん美人なような輪郭は見えた。
鈿花が前を通った時ふらっと身体がかしいだと思ったらそのまま床に倒れた、その時おそらく髪にさしていたと思われる髪飾りが床に当たってか細い音を立てた。
なんだか自分の顔を見て恐怖しているようなしぐさに見えたのは気のせいだよね、私結構かわいいほうだと言われるし、まあ主様のバカ息子はお前程度の女は吐いて捨てるほどいるって言ってたけど。
思わず現実逃避したくなった。
鈿花ににじり寄ってきた兵士達が鈿花を取り押さえて縄で拘束した後もすべてが現実感がない。
ああ、これはあれだ、昔実家から拉致されたとと同じだ。
あの時もまるで夢を見ているように、すべてが現実感を失って、木でできた檻に詰められ、馬車で運ばれる間。これは夢だ夢だと何度もつぶやいていた。
しかし現実は無常で、あっさり鈿花は地下牢に送られた。
地下牢といっても半地下で、鈿花の手の届かない場所に、人が通り抜けることのできない大きさの窓があり、昼間はそこから光が差し込んでいた。
夜は囚人に灯りなどという贅沢なものが与えられるわけもなく真っ暗だが。
それを考えると鈿花は比較的警備の手薄なところに入れられたようだ。
本当の重罪犯となると、一筋の光も入らない真の闇で、尋問とか連行とかの時だけ松明に火がともされるらしい。
その牢の中で、鈿花はひたすら食っちゃ寝するしかなかった。
一日二度の食事が届けられる以外、一切何も起こらなかったからだ。尋問や拷問が行われるかと最初な戦々恐々としていたがそんなことも全くない。
そんな暮らしが七日続いたころ、ようやく事態が動いた。
扉が開き、薄い粥と茹でた野菜という食事を持ってくる兵士かと思ったが、いつもとは違う兵士がそこに立っていた。
「お前、柳か?」
最後にかどわかされる直前、家族に呼んでもらって以来、今まで一度も呼ばれたことのない名前を相手はあっさりと呟く。
「誰よ、あんた」
兵士は軽く目頭を押さえた。
「俺だ、元だよ」
元という名前を聞いた時不意に、生まれたころから住んでいた家の前が脳裏に浮かぶ。
元は愚連隊とかいう悪ガキどもの集まりでよく息がっていたが。
「よく無事で」
「あんた、親父の跡を継いで職人になるって言ってなかった」
思わず一番疑問に思っていたことを口にする。
「いろいろあったんだよ」
元はそう呟いた。