再び賢妃
「何なの、あの女」
侍女の格好をして、鈿花を探っていた黒曜は大の男を手際よくたたき伏せた芸妓に愕然としていた。
黒曜とて軍人の娘、相手の技量ぐらいはわかる。
あの女は、下手な兵士よりも強い。
そしてためらいがない。相当な実戦経験を積んでいる。
「あの、賢妃様」
危ないものには近寄らないほうがいいのでは。傍らの侍女はそう進言する。
「翡翠に連なるものかもしれませんが。賢妃様が直接相対するのは危険すぎます」
翡翠という女に対して、黒曜の周りは常に冷ややかだ。
粋なる表れて、皇帝の寵愛を横取りしたと考えているのだ。
黒曜としては、後宮に入った時から、皇帝の寵愛など夢のまた夢だと冷静に考えていた。
最初に皇帝に膝をついた将軍。黒曜の周りはそれを重要視している。
むろん、皇帝の周りにはそれ以前から使えている生え抜きの家臣たちがいて、その間では新参者と考えられているのだが。
悲しいことに黒曜は物事を客観視できる能力を持っていた。
翡翠と同じく黒曜の父も彼らの中では新参者に過ぎない。
「翡翠か」
翡翠はたった一人で後宮にやってきた。
淑妃や徳妃の過去はある程度黒曜はつかんでいる。しかし、翡翠の過去は全くわからない。
かつて、王宮を追放された貴族の娘、しかし、その貴族が何をやらかして追放されたのかは大まかにはわかっているが、細かいところまで探ろうとすれば、全くわからないのだ。
そして、翡翠がどのような過去を持っているのかも。
あの芸妓はその翡翠の過去を探ることのできる唯一つの糸口かもしれないのだ。
多少の危険も冒すべきだろう。
「もし、貴妃が、あの女と知り合いだとすれば、貴妃も同じことができるのでしょうか」
言われて黒曜はしばらく沈黙した。
「不吉なことは言わないでちょうだい、もし本当になったらどうするの?」
美しく、聡明で、さらに強いなんてまさしく完璧すぎるだろう。
「ですが、その可能性は考えておくべきでしょう」
考えておく、しかし、考えておいた場合の対処法もいまひとつわからない。
翡翠はたった一人で後宮に来た。誰よりも寄る辺ない存在だ。
黒曜は思う。自分はただ自分の好奇心だけで動いているのかもしれない。
たまに儀式のときに会うたびに、笑っていても目は笑っていないよそよそしい表情で黒曜を見る。
皇帝に対してもそんな風なんだろうかと思うが、そんなはずはない。
自分は、皇帝に対するよりも深い関心を翡翠という女に寄せているのかもしれない。
翡翠の美しい顔に浮かべた空虚な笑み。
空虚であるがゆえにどこか惹きつけられる。
そんな翡翠にあんなにも衝撃を与えられる存在がいた。
おそらく、淑妃もあの芸妓に目をつけているだろう。
「何をしているんだろうね、私」
我に返ればそんな言葉しか出なかった。




