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明日のために

 鈿花の今の役割は群舞の最後尾につくことだった。

 さすが王宮の舞台。数十人からの演舞がある。

 それが幾何学を描くように舞っていく。傍から見れば結構な見ものだ。

 これで経費削減のため縮小されたのだそうだ。先代の皇帝の時はどれほどの規模だったのだろう。

 後ろから、妓女たちの舞踊を見ながら鈿花はだだっ広い舞台を眇めて見ていた。

 一日の練習が終われば、あとは自由行動だ。そろそろ日が暮れるので、さっさと部屋に帰って寝るしかないが。

 それでも王宮の中を歩けるなどなかなかないと物見遊山に庭園を歩いていた。

 そろそろ新緑も終わり、深緑色になりかけた木々を見るともなく眺めていた。

 そっけなく植えられている木々もおそらく、庭師が、精魂込めてその形にたわめたのだろう。

 鈿花はただ、そこにたたずんでいただけだ。

「久しぶりだな」

 思わぬ声がした。

 存在を本気で忘れかけていた男がそこにいた。

 鈿花が売られた妓館の息子だ。

「久しぶりですねえ」

 鈿花の表情はなかった。何しろ、妓館の主の息子だということをかさに着て、散々な嫌がらせを受けていたのだ。その相手ににこやかな顔ができるわけがない。

「ずいぶんと不愛想な、礼儀も忘れたのか?」

 お前なんかに使ったら、礼儀がかわいそうだろう。ましてや、本来礼儀を払うべき方々に失礼というものだ。

 鈿花の心中の罵詈雑言は決して表に出さなかったが、それでも悪意は伝わったようだった。

 襟首をつかまれ鈿花の身体がかしぐ。

「何をするんです」

「お前、俺を馬鹿にしただろう」

 当たり前だ。馬鹿にしたのは、相手が本当に馬鹿だからに決まっている。

 弱い立場の人間に威張り散らすことしかできない人間なんて馬鹿にされるに決まっているだろう。

「放してください」

「うるさいな、人がせっかく」

 せっかくなんだ、厄介ばらいで鈿花を手放したのはそっちだろう。

 視線を感じた。女官達がこちらを見ている。

「明日のために」

 鈿花は妙に抑揚のない声で呟く。

 相手のつま先を踵で踏みにじった。

「痛点は積極的に狙え」

 手が緩んだその時、鈿花の膝がわき腹をえぐった。

「急所は確実にえぐれ」

 頭をつかんで顔面にさらに膝をたたきこむそして、倒れた相手の後頭部に踵を叩き込んだ。

「倒れても安心せずに追撃」

 動かなくなったのを確認して、鈿花はさっさとその場を離れた。

 一部始終を見ていたらしい女官が、硬直している。

 武と舞は実は似ている。鈿花が、舞姫として何とかやっていけたのは、愚連隊時代に培った格闘技の素養故だったと、この男は知らなかった。

 かつて、この国が他国と戦乱状態だった時代に現役だった老軍人は実戦仕様の戦い方を叩き込んでくれた。

 故郷を遠く離れたあの場所なら、鈿花も下手にでざるを得なかった。

 そっちから縁切りしたのに、なんで鈿花がおとなしくしていると思ったのだろう。

 乱れた襟を直して、鈿花は後ろも見ずに歩き去った。


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